15日に行った、インペリアルバレエの公演で、久しぶりにルジマートフのソロ、マーラー曲「アダージェット」を観ました。
いや、良かったです。とても。
1階席前列だと、冒頭の、ルジマートフが舞台床に横たわっているシーンが見えないので、偶然ですが、上の階のチケットをとっていて大正解。
バレエの書き込みや批評、宣伝文句には「素晴らしい」等の絶賛の文句をよく観ますが、私自身は、ああいうのは嫌いで、めったに手放しで「素晴らしい」とだけは言いません。まして、私はルジマートフのファンでも何でもありません。
そんな私が、しみじみと味わい深く「今日の踊りには感じ入った」と思える、良い独舞でした。おっかけのファンが感動する以上に部外者の私を感動させたことは、ルジマートフにとっては名誉なことではないかとも思いました。
ルジマートフのひとつ、ひとつの動きに心がこもっていて、また、動きの一部がマンネリもなく、時にはっとするほど新鮮なこともあり、一瞬一瞬にルジマートフの心の声をきく思いでした。
まさに魂の独舞です。
前列には、熱い思いでルジマートフを見つめる長いファンの方々もお見えのようで、これだけのモダンバレエを踊れる機会を得、精進を重ねてきたルジマートフも、好きなダンサーの良い踊り、円熟期の自己表現を見ることが出来るファンたちも、幸せだと思いました。
もちろんルジマートフの努力と精進の結果でもありますが。
才能はあっても、これほどの自己表現の機会を得ることは稀有なことだと思います。
また、真摯な踊りの中で年齢の割りに衰えぬ肉体、進化する表現力を見ながら、ルジマートフは舞踊家として、まじめなひとなんだなあ~と感心しました。もちろん、非常に優秀な先生がついていることもポイントなのでしょうけれど。
今年の2月、同じ光藍社の公演で、ルジマートフの別のソロを見たとき、「踊れていない」と思いました。舞踏家・笠井叡に私淑しているそうで、その成果をみせるための踊りのはずが、ワガノワ・メソッドで育ったルジマートフに、異化をベースとしてると思う舞踏系の笠井の考え方は伝わっていないように、私には思えました。(これは笠井氏に聞いてみないとわからないけれど)
踊りはルジマートフの懸命さが空回りしていたけれど、ルジマートフ自身が「私は笠井先生のいうことを理解できていなかったと思う」と発言しているのを知り、私は「ああ、わかっているのなら、あがいてみるのもいいんじゃないかな、」と思っていました。
ところが別の演目、この「アダージェット」において、ルジマートフが笠井叡に私淑した成果が出ているように私は感じたのです。ルジマートフはこの演目をたぶんずいぶん前から踊っていると思うけど、昔と感じが違う、別のバレエを見ているようでもありました。
き
「生のまま」みたいなところがとてもよかったです。
公演の最後は、大変の観客がスタンディングオベーションでしたが、私が感想を拾ったところでは、見た人の意見は、「シェヘラザード」も「アダージェット」も賛否両論で、全くばらばらでした。
とりわけ、ルジマートフの「アダージェット」は、モーリス・ベジャール振り付け「アダージェット」の真似である、というような意味合いでの非難、そして、このルジマートフのソロよりも、ベジャールダンサー、ジル・ロマンの「アダージェット」の方が、ずっといい、という意見も聞いたのですが。
うううう・・・。
ジル・ロマン。ジル・ロマンねえ・・・。
私はベジャール振り付けのモダンバレエはジルよりも前の時代に染まり、ジルは・・・。
あれが本領なのかどうかわかりませんが、今夏世界バレエフェスティバルでの、ジル・ロマン・・。
私が見た日のロマンには、あまりいい印象を持たなかったのです。演目も、昔成功したものだったし、もしかしたら多少マンネリとか、あったのか??
ロマンのねばっこい、疑うことを知らぬ過剰な自意識、ナルシズム。年をとることを忘れたような少年性といったものに、私の見たいものとは違うなと思ったものです。
お祭りはお祭りなので、あれが本領ではないのかもしれませんが。
また、ベジャールバレエは、今ジュリアン・ファブランあたりがが面白いのかもしれません。
しょせんは、舞台はそれぞれの観客が、個々のダンサーの表現と「出会えたか、出会えなかったか」に過ぎません。
私は、通りすがりの客として、15日のルジマートフの表現には出会えたのだ、そしてとりあえず、8月のジル・ロマンの表現には出会えなかったのだ、と、
はっきりしているのはそれだけです。
いや、良かったです。とても。
1階席前列だと、冒頭の、ルジマートフが舞台床に横たわっているシーンが見えないので、偶然ですが、上の階のチケットをとっていて大正解。
バレエの書き込みや批評、宣伝文句には「素晴らしい」等の絶賛の文句をよく観ますが、私自身は、ああいうのは嫌いで、めったに手放しで「素晴らしい」とだけは言いません。まして、私はルジマートフのファンでも何でもありません。
そんな私が、しみじみと味わい深く「今日の踊りには感じ入った」と思える、良い独舞でした。おっかけのファンが感動する以上に部外者の私を感動させたことは、ルジマートフにとっては名誉なことではないかとも思いました。
ルジマートフのひとつ、ひとつの動きに心がこもっていて、また、動きの一部がマンネリもなく、時にはっとするほど新鮮なこともあり、一瞬一瞬にルジマートフの心の声をきく思いでした。
まさに魂の独舞です。
前列には、熱い思いでルジマートフを見つめる長いファンの方々もお見えのようで、これだけのモダンバレエを踊れる機会を得、精進を重ねてきたルジマートフも、好きなダンサーの良い踊り、円熟期の自己表現を見ることが出来るファンたちも、幸せだと思いました。
もちろんルジマートフの努力と精進の結果でもありますが。
才能はあっても、これほどの自己表現の機会を得ることは稀有なことだと思います。
また、真摯な踊りの中で年齢の割りに衰えぬ肉体、進化する表現力を見ながら、ルジマートフは舞踊家として、まじめなひとなんだなあ~と感心しました。もちろん、非常に優秀な先生がついていることもポイントなのでしょうけれど。
今年の2月、同じ光藍社の公演で、ルジマートフの別のソロを見たとき、「踊れていない」と思いました。舞踏家・笠井叡に私淑しているそうで、その成果をみせるための踊りのはずが、ワガノワ・メソッドで育ったルジマートフに、異化をベースとしてると思う舞踏系の笠井の考え方は伝わっていないように、私には思えました。(これは笠井氏に聞いてみないとわからないけれど)
踊りはルジマートフの懸命さが空回りしていたけれど、ルジマートフ自身が「私は笠井先生のいうことを理解できていなかったと思う」と発言しているのを知り、私は「ああ、わかっているのなら、あがいてみるのもいいんじゃないかな、」と思っていました。
ところが別の演目、この「アダージェット」において、ルジマートフが笠井叡に私淑した成果が出ているように私は感じたのです。ルジマートフはこの演目をたぶんずいぶん前から踊っていると思うけど、昔と感じが違う、別のバレエを見ているようでもありました。
き
「生のまま」みたいなところがとてもよかったです。
公演の最後は、大変の観客がスタンディングオベーションでしたが、私が感想を拾ったところでは、見た人の意見は、「シェヘラザード」も「アダージェット」も賛否両論で、全くばらばらでした。
とりわけ、ルジマートフの「アダージェット」は、モーリス・ベジャール振り付け「アダージェット」の真似である、というような意味合いでの非難、そして、このルジマートフのソロよりも、ベジャールダンサー、ジル・ロマンの「アダージェット」の方が、ずっといい、という意見も聞いたのですが。
うううう・・・。
ジル・ロマン。ジル・ロマンねえ・・・。
私はベジャール振り付けのモダンバレエはジルよりも前の時代に染まり、ジルは・・・。
あれが本領なのかどうかわかりませんが、今夏世界バレエフェスティバルでの、ジル・ロマン・・。
私が見た日のロマンには、あまりいい印象を持たなかったのです。演目も、昔成功したものだったし、もしかしたら多少マンネリとか、あったのか??
ロマンのねばっこい、疑うことを知らぬ過剰な自意識、ナルシズム。年をとることを忘れたような少年性といったものに、私の見たいものとは違うなと思ったものです。
お祭りはお祭りなので、あれが本領ではないのかもしれませんが。
また、ベジャールバレエは、今ジュリアン・ファブランあたりがが面白いのかもしれません。
しょせんは、舞台はそれぞれの観客が、個々のダンサーの表現と「出会えたか、出会えなかったか」に過ぎません。
私は、通りすがりの客として、15日のルジマートフの表現には出会えたのだ、そしてとりあえず、8月のジル・ロマンの表現には出会えなかったのだ、と、
はっきりしているのはそれだけです。