【フラメンコの空間】
バレエじゃないけど、フラメンコのコンサートを観て来ました。
始まる前から、ず~っと、ショーの「場」に、あちらの音楽が流れていて、踊りが出てくる前から、そこから何かが始まっていた感じ。異文化に触れ、自分の身体にもバイブレーションを伝えられ、注入されていたみたい、・・。
都会で、PCなんか打って仕事して生活してると、忘れがちな人間の身体の活性みたいなものを、呼び覚まされた感じで、しょっぱなから触発されっぱなし。
舞踊家やその卵さんたちの踊りは、その道のプロから見てどの位かは、私にはわからないけど、自分でもこんなに感動していいのか、恥ずかしいくらい感動しました。
歌が上手かった。
ただ踊りを観るだけでなく、異文化に触れた休日でした。
客席から「オーレ!」って掛け声や、なにか外国語の声が掛かるのだけど。
(観客も参加してる感じで、いつもの2分化された舞台/客席とは違う形。)
自分はオーレ!なんて言えず、観て拍手だけ。
(当たり前だけど、撮影禁止で、残念ながら写真なし。)
【余談:NHK「卵子の老化」についての番組の話】
(この種の番組の強みは、科学的な映像部分。不妊治療の実際で、「ハ~イ今、針で卵胞をとってきました~」「シャーレに移しますぅ~」「卵子が、いませ~ん」とか、「卵子がいました~」とか、人が作業してて、人工的に受精卵を作り、それが高速で細胞分裂する画像シーン。そこだけでも良かったくらい。
下に長々批判書いたけど、夫を不妊治療に参加させたい妻向けに、医師がその夫に、不妊治療の宣伝したいなら、こういうのを「生命の神秘」トーンで、見て楽しく見られる映像に編集して、「だから、我々も頑張りますから、ご主人も検査協力願いますぅ~」みたいな説得しやすい不妊治療宣伝映像を作って、見せれば、人によっては意識変わるかも。)
せっかくフラメンコで感動したのに、家に帰ってTV付けたら、不妊治療の話をやってて(NHK)、ありがちがけど、「不妊には男性側にも原因が・・」とかって、またまた変な言い回し。
こういう話って、なんで、「どっちに原因がある」とかって言い方になるのか、といつも思う。離婚の裁判じゃないんだから。
例えば、世間体のために仕方なく結婚し、小市民意識で子供がほしいと思うだけなのか?
愛があって結ばれたなら、思いやりとか、歩み寄りとか、もっとあっていいはず。
今時の報じられ方って、学生の就活でも、夫婦の不妊治療でも、何でもそうだけど、何かを誰かを責める形で、甘ったれた意識が散見される話が多くて。
こういうスタンスからは、問題解決へのスムースな繋がりは見えないと思う。
不妊で女性に原因があるとか、男性に原因があるとか、もう少し言葉の使い方変えて、「どっちが悪い」みたいに聞こえる言い方やめるべき。科学的にこうだっていう話は、変な意識がなければ、もっとスムースに行く時はいくはず。
例えば「不妊について女性側の身体が原因」なら、じゃあ、女性が悪いのか?逆なら男性が「悪い」のか??そうじゃないでしょう?
単に、身体の不具合が見つかって、じゃあ環境を整備しましょう、ってことじゃない。
人間的に欠陥(?)があるかのような言い回しはやめるべき。
そういう思想性があるから、検査行きたくない人も出るんだよ。
何のための結婚なのか、何の為の生殖なのか。
男性側にも「気持ち」がある。まあ、プライドも、良く分からないことへの不安もある。
なぜ、男性側が不妊の原因チェックの検査したくないのか、原因調べたくないと思うのか、その気持ちが理解できれば、説得する気があれば、その道も開けるし、もう少し鷹揚に考えてもいいかと、気持ちを切り替えることも出来ると思う。
こういう報道見てて、自分が自分が、みたいな、我欲の強さばかり目立つのは、見てて疲れる。
私が10代の頃、学校の保健の先生に、社会性を度外視すれば、女性の身体は妊娠には18歳位が向いてる、早い方がいい、と言われたことがある。
子供を作るなら、20代位の方がいいことは、私とかは考えてたし、どうしても必要かそうじゃないか考えて、対応した。
30歳位までに、そういう決断しなくって、別にできるなら40だろうがいいけど、でもかなり丈夫な人じゃないと少しハードルが上がる。
そういう当たり前のことを、該当年齢で考えて決断するのも自然で、逆に仕事が大変だったから、結婚、出産できなかった、とかっていうのは、ちょっとね。たまにはそういう人もいるかもしれないし、それはそれでいいことだけど、それは、どちらかといえば一般的には自己責任の範疇で。
愛し合って結婚した夫婦なら、相手とコミュニケーションしてやってくことだと思うし、見栄で結婚したとか、見合いだからとか言う人のことは、自分にはよく分からないけど、結婚って、そんな簡単なもんじゃないと思うし、男の身体も生殖の道具じゃないし、ね。
昔牧師さんが、不妊に悩む夫婦に、「子供はボーナスですから」と穏やかに言って、気持ちを和ませ、励ましていた。(給料じゃなく、ボーナスみたいなものだから、あってもなくても良いのだ、という意味。)
だから不妊の問題なんて、実は昔からある。(むしろ生殖医療が進んで、昔ならできないことができるようになった。昔、私が20代当時、生まれつき子供が産めないという女性の悩み事を、飲んでる時に延々と聞いたことがある。)
仕事で地位を得たい、結婚の肩書きが欲しくて、負け組と言われたくない。子供を持って、一人前扱いされたい。・・・そんな我欲とか、変な社会通念。
そういうの、何を持っても、中身がスカスカになりやすいんじゃないかって思う。
デパートで何か買うみたいに、あれもこれもと欲しがる人って、結局多くを持たずに、でも確かな一つを持つものより、心も貧しいし、幸せではない、と思う。
仕事での成功。
夫やパートナーの、ゆるぎない愛。
子供を持つ喜び。
或いは、独身で得る、精神の自由、とか・・。
それらどれか一つでも、手に出来れば、確かな手ごたえのあるものなら、それが人生の糧となる。
私もDV夫とか、そういうのを弁護する気は、さらさらない。個別的には、同情に値する話もいっぱいあるかもしれない。
けど、何が「悪い」と、自分以外の何かを責める論理の裏側に、真の問題解決を果てしなく遠ざける欺瞞が潜在するように思えてならない時が、ある。
子供より、まず先に夫婦の愛情なんじゃないのかな。
ま~、不幸になりたい人は、何かのせいにして、誰かが悪いと他人に訴えて気持ちを発散させるのも、一興かもしれないが。
就職できない学生が、社会が悪いから、政治が悪いから、とか、TVのインタビューで言ってるのを聞くと、でも自分の周囲には、就職できてる優秀な新入社員がいたりすると、こういう報道の方向性も、国の未来のためになってるのかどうか、疑問に思う。
何事も、解決の糸口が見える建設的な方向性で行くべき。意味なく暗いトーンとか、おいそれと共有できない繊細な面もある事項(不妊治療とか)を、今回の番組のように、無責任な「えせ共有トーン」で包むとか、欺瞞もいい所。
(本当に問題意識があるなら、話を「男性側が不妊治療に非協力的な場合もある」で終わらせずに、「そういうケースもあるので、そういう時は、例えば、こうやって説得してみましょ~♪」みたいな、提案型の話になってれば、いいわけで。番組を作ってる側の意識の持ち方に問題があるから、話が変な方向になる。
「女性に特有の」みたいに、特権化して思ってるなら、思想的にも問題ありだし、結局コミュニケーション不足なら、それは夫婦の不妊の話以外でも、仕事の商談不成立にどう対応するか、なんて話と、実は解決策は一緒。「女性の問題」とかって話を特別視してるから、易しい話も難しい話に見えるだけ。根本は、夫婦間で、子供についてのコンセンサスが弱い、ってことだから。
⇒すると、解決策は、夫婦二人の考えが一致してないので、夫に検査して欲しい妻が、後は「いかに営業かけるか」、つまり説得するか、の問題に過ぎない。そこを妻側もNHKの作り手も整理できてないから、話がややこしくなる。相手に落ち度があると思ってるなら、こういう現実的な見方ができにくくなる。人は必要性を痛感すれば、やるから。夫がどれほど子供の必要性を感じてるか、その辺も押し所。
問題を解決したい人と、愚痴をこぼしたいだけの人が、何事もいるから、愚痴こぼしたいだけで、「本心は、波風立てず現状維持」の人には、愚痴を聞いてあげればいいだけだし。話の整理のつけ方が、下手なのよね。番組作ってる人。)
最近のNHKは、こういう、ちょっと変な意識が散見されると言われてるけど、自分もそう思う。去年、ちょっと内容が変なので話題になったTVドラマとか、朝イチとか。)
言葉は思想だ、という。
(私が言うのも何だけど。)誰かが悪いという論理でなく、どうすれば良い方向に行けるか、明るく考えるトーンがあった方がいい。
※本当のことを言えば、むしろ生殖医療ばかりが婦人科で脚光を浴び、それ以外がないがしろにされてたりするけど。高齢出産は、産婦人科の利益にかなってるのだろうとは、病院で実感する。先生方は、そっちのことには熱心。どの科もかもだけど、商売にならないことには不熱心。個人的には、高齢で高度な医療技術を使って、身体に負担掛けて出産するより、若く健康な時に産んだ子が、無事に育てるように、わけありの子とかにもたいおうできる世の中になった方が、いいんだろうなとは、思う。理想論だし、今の日本じゃとても無理そうだけど。
あ~あ、せっかくの舞踊バイブレーションが遠くなってしまった・・。
ラテンの明るさと、日本人の勤勉さを、明るく合成させられたら、と。(って無理か。)
バレエじゃないけど、フラメンコのコンサートを観て来ました。
始まる前から、ず~っと、ショーの「場」に、あちらの音楽が流れていて、踊りが出てくる前から、そこから何かが始まっていた感じ。異文化に触れ、自分の身体にもバイブレーションを伝えられ、注入されていたみたい、・・。
都会で、PCなんか打って仕事して生活してると、忘れがちな人間の身体の活性みたいなものを、呼び覚まされた感じで、しょっぱなから触発されっぱなし。
舞踊家やその卵さんたちの踊りは、その道のプロから見てどの位かは、私にはわからないけど、自分でもこんなに感動していいのか、恥ずかしいくらい感動しました。
歌が上手かった。
ただ踊りを観るだけでなく、異文化に触れた休日でした。
客席から「オーレ!」って掛け声や、なにか外国語の声が掛かるのだけど。
(観客も参加してる感じで、いつもの2分化された舞台/客席とは違う形。)
自分はオーレ!なんて言えず、観て拍手だけ。
(当たり前だけど、撮影禁止で、残念ながら写真なし。)
【余談:NHK「卵子の老化」についての番組の話】
(この種の番組の強みは、科学的な映像部分。不妊治療の実際で、「ハ~イ今、針で卵胞をとってきました~」「シャーレに移しますぅ~」「卵子が、いませ~ん」とか、「卵子がいました~」とか、人が作業してて、人工的に受精卵を作り、それが高速で細胞分裂する画像シーン。そこだけでも良かったくらい。
下に長々批判書いたけど、夫を不妊治療に参加させたい妻向けに、医師がその夫に、不妊治療の宣伝したいなら、こういうのを「生命の神秘」トーンで、見て楽しく見られる映像に編集して、「だから、我々も頑張りますから、ご主人も検査協力願いますぅ~」みたいな説得しやすい不妊治療宣伝映像を作って、見せれば、人によっては意識変わるかも。)
せっかくフラメンコで感動したのに、家に帰ってTV付けたら、不妊治療の話をやってて(NHK)、ありがちがけど、「不妊には男性側にも原因が・・」とかって、またまた変な言い回し。
こういう話って、なんで、「どっちに原因がある」とかって言い方になるのか、といつも思う。離婚の裁判じゃないんだから。
例えば、世間体のために仕方なく結婚し、小市民意識で子供がほしいと思うだけなのか?
愛があって結ばれたなら、思いやりとか、歩み寄りとか、もっとあっていいはず。
今時の報じられ方って、学生の就活でも、夫婦の不妊治療でも、何でもそうだけど、何かを誰かを責める形で、甘ったれた意識が散見される話が多くて。
こういうスタンスからは、問題解決へのスムースな繋がりは見えないと思う。
不妊で女性に原因があるとか、男性に原因があるとか、もう少し言葉の使い方変えて、「どっちが悪い」みたいに聞こえる言い方やめるべき。科学的にこうだっていう話は、変な意識がなければ、もっとスムースに行く時はいくはず。
例えば「不妊について女性側の身体が原因」なら、じゃあ、女性が悪いのか?逆なら男性が「悪い」のか??そうじゃないでしょう?
単に、身体の不具合が見つかって、じゃあ環境を整備しましょう、ってことじゃない。
人間的に欠陥(?)があるかのような言い回しはやめるべき。
そういう思想性があるから、検査行きたくない人も出るんだよ。
何のための結婚なのか、何の為の生殖なのか。
男性側にも「気持ち」がある。まあ、プライドも、良く分からないことへの不安もある。
なぜ、男性側が不妊の原因チェックの検査したくないのか、原因調べたくないと思うのか、その気持ちが理解できれば、説得する気があれば、その道も開けるし、もう少し鷹揚に考えてもいいかと、気持ちを切り替えることも出来ると思う。
こういう報道見てて、自分が自分が、みたいな、我欲の強さばかり目立つのは、見てて疲れる。
私が10代の頃、学校の保健の先生に、社会性を度外視すれば、女性の身体は妊娠には18歳位が向いてる、早い方がいい、と言われたことがある。
子供を作るなら、20代位の方がいいことは、私とかは考えてたし、どうしても必要かそうじゃないか考えて、対応した。
30歳位までに、そういう決断しなくって、別にできるなら40だろうがいいけど、でもかなり丈夫な人じゃないと少しハードルが上がる。
そういう当たり前のことを、該当年齢で考えて決断するのも自然で、逆に仕事が大変だったから、結婚、出産できなかった、とかっていうのは、ちょっとね。たまにはそういう人もいるかもしれないし、それはそれでいいことだけど、それは、どちらかといえば一般的には自己責任の範疇で。
愛し合って結婚した夫婦なら、相手とコミュニケーションしてやってくことだと思うし、見栄で結婚したとか、見合いだからとか言う人のことは、自分にはよく分からないけど、結婚って、そんな簡単なもんじゃないと思うし、男の身体も生殖の道具じゃないし、ね。
昔牧師さんが、不妊に悩む夫婦に、「子供はボーナスですから」と穏やかに言って、気持ちを和ませ、励ましていた。(給料じゃなく、ボーナスみたいなものだから、あってもなくても良いのだ、という意味。)
だから不妊の問題なんて、実は昔からある。(むしろ生殖医療が進んで、昔ならできないことができるようになった。昔、私が20代当時、生まれつき子供が産めないという女性の悩み事を、飲んでる時に延々と聞いたことがある。)
仕事で地位を得たい、結婚の肩書きが欲しくて、負け組と言われたくない。子供を持って、一人前扱いされたい。・・・そんな我欲とか、変な社会通念。
そういうの、何を持っても、中身がスカスカになりやすいんじゃないかって思う。
デパートで何か買うみたいに、あれもこれもと欲しがる人って、結局多くを持たずに、でも確かな一つを持つものより、心も貧しいし、幸せではない、と思う。
仕事での成功。
夫やパートナーの、ゆるぎない愛。
子供を持つ喜び。
或いは、独身で得る、精神の自由、とか・・。
それらどれか一つでも、手に出来れば、確かな手ごたえのあるものなら、それが人生の糧となる。
私もDV夫とか、そういうのを弁護する気は、さらさらない。個別的には、同情に値する話もいっぱいあるかもしれない。
けど、何が「悪い」と、自分以外の何かを責める論理の裏側に、真の問題解決を果てしなく遠ざける欺瞞が潜在するように思えてならない時が、ある。
子供より、まず先に夫婦の愛情なんじゃないのかな。
ま~、不幸になりたい人は、何かのせいにして、誰かが悪いと他人に訴えて気持ちを発散させるのも、一興かもしれないが。
就職できない学生が、社会が悪いから、政治が悪いから、とか、TVのインタビューで言ってるのを聞くと、でも自分の周囲には、就職できてる優秀な新入社員がいたりすると、こういう報道の方向性も、国の未来のためになってるのかどうか、疑問に思う。
何事も、解決の糸口が見える建設的な方向性で行くべき。意味なく暗いトーンとか、おいそれと共有できない繊細な面もある事項(不妊治療とか)を、今回の番組のように、無責任な「えせ共有トーン」で包むとか、欺瞞もいい所。
(本当に問題意識があるなら、話を「男性側が不妊治療に非協力的な場合もある」で終わらせずに、「そういうケースもあるので、そういう時は、例えば、こうやって説得してみましょ~♪」みたいな、提案型の話になってれば、いいわけで。番組を作ってる側の意識の持ち方に問題があるから、話が変な方向になる。
「女性に特有の」みたいに、特権化して思ってるなら、思想的にも問題ありだし、結局コミュニケーション不足なら、それは夫婦の不妊の話以外でも、仕事の商談不成立にどう対応するか、なんて話と、実は解決策は一緒。「女性の問題」とかって話を特別視してるから、易しい話も難しい話に見えるだけ。根本は、夫婦間で、子供についてのコンセンサスが弱い、ってことだから。
⇒すると、解決策は、夫婦二人の考えが一致してないので、夫に検査して欲しい妻が、後は「いかに営業かけるか」、つまり説得するか、の問題に過ぎない。そこを妻側もNHKの作り手も整理できてないから、話がややこしくなる。相手に落ち度があると思ってるなら、こういう現実的な見方ができにくくなる。人は必要性を痛感すれば、やるから。夫がどれほど子供の必要性を感じてるか、その辺も押し所。
問題を解決したい人と、愚痴をこぼしたいだけの人が、何事もいるから、愚痴こぼしたいだけで、「本心は、波風立てず現状維持」の人には、愚痴を聞いてあげればいいだけだし。話の整理のつけ方が、下手なのよね。番組作ってる人。)
最近のNHKは、こういう、ちょっと変な意識が散見されると言われてるけど、自分もそう思う。去年、ちょっと内容が変なので話題になったTVドラマとか、朝イチとか。)
言葉は思想だ、という。
(私が言うのも何だけど。)誰かが悪いという論理でなく、どうすれば良い方向に行けるか、明るく考えるトーンがあった方がいい。
※本当のことを言えば、むしろ生殖医療ばかりが婦人科で脚光を浴び、それ以外がないがしろにされてたりするけど。高齢出産は、産婦人科の利益にかなってるのだろうとは、病院で実感する。先生方は、そっちのことには熱心。どの科もかもだけど、商売にならないことには不熱心。個人的には、高齢で高度な医療技術を使って、身体に負担掛けて出産するより、若く健康な時に産んだ子が、無事に育てるように、わけありの子とかにもたいおうできる世の中になった方が、いいんだろうなとは、思う。理想論だし、今の日本じゃとても無理そうだけど。
あ~あ、せっかくの舞踊バイブレーションが遠くなってしまった・・。
ラテンの明るさと、日本人の勤勉さを、明るく合成させられたら、と。(って無理か。)