最近とみに昭和記念公園に出没している。
理由は犬の散歩である。最近は本当に東南アジア系の人を多くみかける。この公園は観光客はほぼ来ないので、彼らは観光客ではなくたぶん日本に住んで働いている人々だろう。
理由は犬の散歩である。最近は本当に東南アジア系の人を多くみかける。この公園は観光客はほぼ来ないので、彼らは観光客ではなくたぶん日本に住んで働いている人々だろう。
日本の社会環境の変化を反映しているようで興味深い。
その中のある一組のカップルはゆみ(犬)を見て触ってもいいかといってきた。その表情はまさに善人そのものだった。
みんなとても善良な人々に見える。こういう人々にはぜひ日本に住み着いてもらって、少子高齢化で国家が空洞化しているこの国の経済、社会保障を活性化してほしい。もはやそれなくしてこの国の将来はない。
さて、カメラだがついに購入した。
今まで持っていた同じメーカーであるニコンのD7100である。2013年に発売された機種で、もう製造していない。そう、中古である。
中古といってもその状態は非常に良く、おそらく前の持ち主はほとんど使ってないか、使っても数か月ぐらいしか使ってないだろう、と思うほどの状態だ。
中古といってもその状態は非常に良く、おそらく前の持ち主はほとんど使ってないか、使っても数か月ぐらいしか使ってないだろう、と思うほどの状態だ。
画素数も約2400万画素で現在出ている最新の中級機と同じである。僕が持っていたD90の画素数の2倍以上。それで約39000円(D90を買った時の値段はレンズ付きだったが約13万円ぐらいだったと記憶している、ボディーだけでも10万円ぐらいはしたと思う)
たぶん、D7100が発売された時の値段はこれの2倍を優に上回る価格だったのではないかと思う。かなりいい買い物をしたと自分では思っている。僕のようなレベルのアマチュアカメラマンには十分すぎるほどのカメラだ。
そしてさらにうれしいことに、僕のD90はその店で約8000円で売れた!最悪ただで引き取ってもらってもいいとさえ思っていたのでありがたかった。
僕はこの経験で、1眼レフカメラというのは一種の財産なのだと思った。
まだこのカメラは使っていない。早く使ってみたくて腕が鳴っている。
さて、話は変わって最近大手企業が45歳以上の早期退職かそれが嫌なら配置転換を募っているというニュースをよく目にする。僕の大学時代のかつての知人も結構名の知れた大学を出て、一流企業である富士通に入社した。その富士通も業績不振でこの45歳以上の早期退職を募っているというので、彼の顔が浮かんできた。
45歳以上というと、子供の教育費や家のローンなどで一番出費が多くなる年齢ではないか。今までは一流企業に入れば、よほどの悪質なことをせず普通に働いている限り65歳定年の年までは安泰に会社にいられた。
そのつもりで子供の教育にお金をかけ、夢のマイホームを長いローンを組んで買った人も大勢いるだろう。
いったいどうするのだろう…人ごとながら心配になる。今はまだ45歳以上という枠がはめられているが、おそらくだが、これからは徐々にその枠も下がっていき、ゆくゆくは年齢に関係なく本当の意味の企業の実力、社員の実力で会社に残れるかどうかが決まる時代が来るのではないか、欧米のように。
そうなると長期にわたる人生設計ができなくなる。
そのため、今までのよう何十年にもわたる家の長期のローンなども一部の人々を除いて組めなくなるだろう。同じ理由で車や大型の白物家電などの耐久消費財などはいままでのようには売れなくなっていくにちがいない。
高校や大学も公立はともかく、学費の高い私立に行ける人々はかなり限られてくるのではないか。
日本の教育システムは日本独特の雇用システム(終身雇用)と一心同体といってもいいほど密接に結びついている。子供たちは小さいころから苦しい受験勉強に耐え、苦節十年少数の人々はそのかいあって一流大学に入り、卒業後は一流企業に入る。そのあとは定年まで安定した人生が約束されていた。
そういう果実があるからこそ、あれだけの苦しい受験勉強にも耐えられるのだ。しかし、今回の一連の大手企業の動きを見て、どうもそういう流れがもう終わりかかっているように見える。どんなに受験勉強を頑張って一流企業に入っても、45歳ぐらいまでしか雇用が保証されない時代になりつつある。ということはつまり、「学歴の価値」というものがいままでの半分になってしまうということである。
だからといって学歴社会が終わるとはもちろん思わない。たとえ人生の半分でも保障されたいと思うのが人情だから、それでもいい大学へ入るために大部分の人は一生懸命受験勉強に励むだろう。
ただ、学歴の価値が半分になるということは、高校、大学の価値も半分になるということである。しかも今は少子化である。そういう時代になっても生き残れる大学はどれくらいあるのだろう…
日本型社会システム(企業から学校教育まで一体となった終身雇用システム)が自分の人生を守ってくれなくなったらどうするのか?ユーチューブなどではだからこそ自分に付加価値をつけなければならない、と声高に説いている。
しかし、そのようなことを言っている人々は、ごく少数の知的才能、ないしは起業家などのビジネスの才を持った人々ではないか。それを全体に当てはめるのは当然無理がある。大部分の人々は起業をする才能はないだろうし、仮に起業したとしても失敗する可能性が高い。国税庁の発表などによれば、起業した会社の5年後の生存率は約15%だという。
では、それいがいの大多数の肝心かなめの人々はどうするのか…
むろん僕などにその答えがあるはずがない。ただ僕のようなものにも言えることは一つある。それはもう日本は今までのような豊かな国では明らかになくなるということだ。
なぜなら、これからは国の豊かさを支える(支えてきた)中核である中産階級層の経済力が、この状況の変化に応じて総じて弱体化していくからだ。
五木寛之の父親は戦前教師をしていた。
それが敗戦で職を失い、彼と彼の家族の人生は一変した。
その激動の人生を経た父上が我が子である五木寛之に望んだことは、手に職をつけさせることだったという。それが人の人生を最も安定させるということを肌で感じたのだろう。
僕も実は、この最近流れてきた45歳リストラのニュースを見て真っ先に思ったことは、とにかく一番安全なのは若い時から手に職をつけるということだった。それ以外であれば公務員しかない。実際、今の学生の大部分は公務員志望だという。(これはこれで別の意味で暗澹たる気持ちになるが)ただ、みんながみんな職人になれるわけではないし、それでは世の中が成り立たない。
では、どうすればいいのか?というこれからの日本で生きていくには非常に重要な問いが残る。
これに完結明瞭な答えを持っている人は少ないだろう。
しかし…結局最後には、僕の大嫌いな精神論、根性主義、というものが頭をもたげてくるのを禁じ得ない。大嫌いだが、これから来る不安定な時代を生き残れるかそうでないかを分けるとすれば、最終的にはここに行きつくのではないか…精神論、根性主義というと重くて暗いが、いいかえれば楽観力とでもいえるだろう。どんな状況になっても「何とかなる、してみせる」と思える楽観性、竹のような柔らかいしなやかな強さ。そしてありがたいことにこの種の強さは経験、体験の中から自然に身についていくものである。
それと細かいテクニカルなことを言えば、長期にわって返さなければならないような身の丈を超える借金(その判断はもちろん難しいが、その判断が天国か地獄かを分けるだろう)を抱え込まないこと。そして、なによりも健康である。
経済の専門家でも経済的なカウンセラーでもない僕が考えられることといえばこの程度のことしかないが、すくなくとも人生においてはある程度の経験を積んでいるつもりである。
そして、最後に付け加えると、人生が流動化するということは、夫婦も含めて様々な家族関係も荒波にさらされることを意味する。つまり、一生が安泰だった今までには表面化しなかったことが表に現れてくる。
その人がどんな人なのか、その人間性が本当の意味で試される時代になってくる、ということだろう。