先生が描いて下さった低学年の為の黒板絵
3月3日にちなんでおひなさまを描いてくれました。
シュタイナー学校では小さい人は色鉛筆などでなく四角い形の「ブロッククレヨン」を使います。
面積が広いので「線」にはならず、太い帯のようにふんわりとした面の描きようになります。
なので先生の絵も同じようにチョークを横にしてふんわりと線でなく面で描かれているのです。
普通の学校とちょっと違うのは12色のチョークが使われていることかな。
3月3日にちなんでおひなさまを描いてくれました。
シュタイナー学校では小さい人は色鉛筆などでなく四角い形の「ブロッククレヨン」を使います。
面積が広いので「線」にはならず、太い帯のようにふんわりとした面の描きようになります。
なので先生の絵も同じようにチョークを横にしてふんわりと線でなく面で描かれているのです。
普通の学校とちょっと違うのは12色のチョークが使われていることかな。
先週末に行われたシュタイナー教育体験クラス「にじみ絵」一年生、二年生コースの作品をご紹介します。
にじみ絵(ぬらし絵)のクラスは先ず先生のお話からはじまります。
今日は「あかくんとあおくん」のお話でした。
いつも元気なあか君と、おとなしくて優しいあお君のお話。
それから絵を描き始めます。
最初は遊びつかれて元気がなくなったあかくんをやさしいあおくんが心配してゆっくりと近づいて優しくお世話をするところの絵です。
にじみ絵(ぬらし絵)のクラスは先ず先生のお話からはじまります。
今日は「あかくんとあおくん」のお話でした。
いつも元気なあか君と、おとなしくて優しいあお君のお話。
それから絵を描き始めます。
最初は遊びつかれて元気がなくなったあかくんをやさしいあおくんが心配してゆっくりと近づいて優しくお世話をするところの絵です。
「ありのままの自分」を知ることで
「ありのままの誰か」を知ることができると思います。
大事なたましいの家族が送ってくれたメールから。
写真はたましいの家族の一人、智香ちゃんとぴーちゃん(本名すみれちゃん)
北海道でのひとコマ。
智香ちゃんとピーちゃんはこの世での種類は違うけれど、魂でつながっている紛れもない姉妹です。
「ありのままの誰か」を知ることができると思います。
大事なたましいの家族が送ってくれたメールから。
写真はたましいの家族の一人、智香ちゃんとぴーちゃん(本名すみれちゃん)
北海道でのひとコマ。
智香ちゃんとピーちゃんはこの世での種類は違うけれど、魂でつながっている紛れもない姉妹です。
本日は朝から降ったり晴れたり、暑かったり涼しくなったりの不思議なお天気が続いています。
どうやら台風が近づいている影響のようです。
その気まぐれなお天気の中、お味見ジプシーあんじゅちゃんは今日も駅デパめぐりに行ってきました。
駅の中のあるカフェのメニューを網羅しようとの試みに挑戦中。
けど、今日は期待していたメニューがあまりにも美味しくなくてがっかり。
やっぱり作り置き、冷たい料理は苦手です。
その後、昨日ご紹介したケーキ屋さんの気になるケーキを買ってきてうちで試食。
やっぱりここのは美味しい。出来るだけ、味を研究したいです。
さて、皆さんにはお友達、います??
それも「家族」とか言えるくらいの仲間が?
私はおかげさまで、顔見知りの友達は少なくても、
心と愛で繋がった濃い関係のたましいの家族とも言える友達が多く存在します。
その中でも一番付き合いが長い大好きな親友、いえ心友が「まりちゃん」です。
まりちゃんと出合ったのは、ある劇団でのお仕事でのこと。
彼女はお誕生日でもある1月23日のことをよく話していて、
「23歳の1月23日に結婚する予定なんです~(もちろん夢・笑)」
ときらきらの瞳で真剣に語る、それはそれは今時には珍しい純粋で素直で、まるで天使のように人を疑うことを知らないお嬢さんでした。
それから10年以上の月日を友人として、時に家族として、一緒に歩んできました。
今は長野の小さな手作り保育園の先生として立派に働いている彼女も、当時はみんながこぞって心配するようなちょっと天然の女の子で(^^;)、時々心配になってはお家にお電話をかけて見たりすることも多かったのです。
その頃、よく電話に出てくださったのが彼女のお父さん「中澤和夫さん」でした。
電話口にでられるお父さんはふわふわの綿菓子みたいな彼女と違って、とってもしっかりしてて、「ああ、まりちゃんはよいお家で育っているのだなあ」と思っていました。
お父さんはとってもお話が上手で、また面白くて、私は実はお父さんと話すのが楽しみだったのです。
それから長い月日がたち、私たちは共通の友人であった私のソウルメイトを亡くし、縁あって北海道の同じシュタイナー教育の機関にお世話になっていました。
これまた住むところも同じで、おんなじ寮で楽しく暮らしており、まりちゃんを見る度に会った事も無い彼女のお父さんを思い出すことも多かったのです。
その頃まりちゃんがある本を見せてくれました。
それは長野地方で発売されている雑誌で「蔵」という雑誌です。
残念ながら今は無くなってしまったと先日聞いてガッカリしたのですが・・・。
実はそこに彼女のお父さんが投稿をなさっていて、というより、投稿者だけど編集者というよりも作家というような形でそのページをになっておられました。
それは日本語の五十音で始まる言葉の意味や、またそれにまつわるショートコメントを辞典の様に掲載したものでした。
まあ、自分で言っていいものかわかりませんが、物書きの端くれであった私は、そのお父さんのセンスが自分と似通っている、つまり古きよき時代の感性の持ち主であったことに心ひそかに喜びを感じて毎号楽しみに待っていたのです。
それと一緒に、マリちゃんがいつもくれたのがお父さんが新聞などに掲載されているエッセイでした。
このエッセイも本当に楽しみに読んでいました。
顔もしらない「まりちゃんのお父さん」でしたが、そこ頃すでに、彼は決して私にとって他人ではなく、なんと言うか懐かしい人でさえあったのです。
さて、先日夏休み、この心友まりちゃんに会いに長野までいってきました。
そして一緒に乗り合いで東京まで戻ってきたのですが、なんと彼女を家まで送ったところ、お父さんがいらっしゃるではありませんか!!
あのときの喜びをどう表現していいかわかりませんが、まるでずっと憧れ続けた海外のロックスターに突然出会ったような驚きと興奮と喜びが怒涛のように渦巻き、実際何をしゃべったんだかよく覚えていないほど嬉しかったのです。
思わず、読者であったことを伝えるとお父さんが本を自費出版なさったとの事で、そのエッセイをまとめたご本をくださいました。
私はすかさず握手とサインを求め、出会いの喜びとその本を胸に抱きしめて家路につきました。
帰ってから家のものが体調を崩したりして忙しかったため、外に出ない限り家のなかでは全く自分の時間が取れずに居ましたが、九月に入りやっと余裕が出てきました。
そして、お礼状を書くべく、その本をじっくり読むことにしたのです。
中澤和夫著「あなたへの贈り物」、まだ春浅い芽吹きを思わせるような薄いグリーンの表紙の小さなこの本には、中澤さんの長きに渡る税務署長としてのお仕事、そして人生のなかから生まれたエピソードがぎっしりと、そしてゆったりと詰まっていました。
なんと言うか、自分で収穫し、丁寧に仕込んだ果実酒が時間を経てまろみを帯びて味わい深くなったような読み心地があります。
冒頭に「人生は出会いの旅です」と書かれています。
人、物、言葉、時間、たくさんの出来事、それらは全て「出会い」だと。
その言葉に、向き合い、すれ違っただけの人々にまで笑顔を投げかけるお父さんのお顔が浮かびました(^^)
読み進むうちになんとこの人は繊細な心の持ち主かと思いました。
少しご紹介いたしましょう。
「毎日の生活はドラマティックな事など何もおきない平凡な日々の積み重ねかもしれません。
そんなことを考えながら、窓の外を見れば今にも雨が降り出しそうな曇り空。空をおおう雲とその下を思いがけないほど早く流れてゆく黒い雲。深い緑色を増してきた木々の枝が強く風に揺れています。
何気ない風景を新鮮な気持ちで見ることができる今の自分に嬉しさを覚えます。
平凡だった一日に感謝すれば、小さいながらも幸せを感じます。
夜明け前、そんな昨日の一日が妙に懐かしく思い出され、目が覚めました。静かな雨音が、心を静めるように聞こえてきます。
「人生捨てたものじゃないな」、そう思ったら、喜びが心の中にこみ上げてきました。」(平凡な一日に感謝より抜粋)
これが男性の文章か。なんと言うか、私の中に流れる「古きよき時代の女学生」と同じ哀愁を帯びた感性と同じもの、もしくは「高下駄の学生」のロマンチシズムと純粋さといったものに共通するすがすがしさと深い優しさ。いい。いい。
世間は私たちを含め、若い世代の人間がすこし上の人たちを「おやじ」呼ばわりし軽んじているけれど、ぜひとも中澤さんのような「おじ様」がたにたくさん語っていただきたいと思いました。
ロマン、というようなものが姿を消しつつある現代に、その息吹をもって颯爽と立っていて欲しい。
中澤和夫さんの座右の銘は
「あしたもこころはあったかい」
そのあたたかいが人々の心をあたため、またそのあたたかさが次の人へと伝わっていくのでしょう。
私は近々、自分のお店を持つことになっているが、お店が開店したらぜひとも「中澤和夫、心の言葉講演会」を企画しようともくろんでいます(笑)
本来ならば一編一編の文章に言葉を付けてファンレターを贈りたいと思っているのですが、もっと多くの人に中澤和夫氏を知っていただきたく、今回ここでご紹介することにいたしました。
ご本の欲しい方。仲介承ります。どうぞご連絡ください。
きっと手にしたあなたへの贈り物になること請け合いです(^^)
この場を借りて、心友まりちゃんのお父さんへ、心より感謝と敬愛の気持ちをこめてお礼申し上げます。
素敵なご本をありがとうございました。
そして素敵な出会いをありがとうございます。
お父さんとお母さんの存在あってのまりちゃん、まりちゃんをこの世に呼んでくださってありがとうございます。
こころから感謝します。
あしたもこころにあったかい風吹きますように
どうやら台風が近づいている影響のようです。
その気まぐれなお天気の中、お味見ジプシーあんじゅちゃんは今日も駅デパめぐりに行ってきました。
駅の中のあるカフェのメニューを網羅しようとの試みに挑戦中。
けど、今日は期待していたメニューがあまりにも美味しくなくてがっかり。
やっぱり作り置き、冷たい料理は苦手です。
その後、昨日ご紹介したケーキ屋さんの気になるケーキを買ってきてうちで試食。
やっぱりここのは美味しい。出来るだけ、味を研究したいです。
さて、皆さんにはお友達、います??
それも「家族」とか言えるくらいの仲間が?
私はおかげさまで、顔見知りの友達は少なくても、
心と愛で繋がった濃い関係のたましいの家族とも言える友達が多く存在します。
その中でも一番付き合いが長い大好きな親友、いえ心友が「まりちゃん」です。
まりちゃんと出合ったのは、ある劇団でのお仕事でのこと。
彼女はお誕生日でもある1月23日のことをよく話していて、
「23歳の1月23日に結婚する予定なんです~(もちろん夢・笑)」
ときらきらの瞳で真剣に語る、それはそれは今時には珍しい純粋で素直で、まるで天使のように人を疑うことを知らないお嬢さんでした。
それから10年以上の月日を友人として、時に家族として、一緒に歩んできました。
今は長野の小さな手作り保育園の先生として立派に働いている彼女も、当時はみんながこぞって心配するようなちょっと天然の女の子で(^^;)、時々心配になってはお家にお電話をかけて見たりすることも多かったのです。
その頃、よく電話に出てくださったのが彼女のお父さん「中澤和夫さん」でした。
電話口にでられるお父さんはふわふわの綿菓子みたいな彼女と違って、とってもしっかりしてて、「ああ、まりちゃんはよいお家で育っているのだなあ」と思っていました。
お父さんはとってもお話が上手で、また面白くて、私は実はお父さんと話すのが楽しみだったのです。
それから長い月日がたち、私たちは共通の友人であった私のソウルメイトを亡くし、縁あって北海道の同じシュタイナー教育の機関にお世話になっていました。
これまた住むところも同じで、おんなじ寮で楽しく暮らしており、まりちゃんを見る度に会った事も無い彼女のお父さんを思い出すことも多かったのです。
その頃まりちゃんがある本を見せてくれました。
それは長野地方で発売されている雑誌で「蔵」という雑誌です。
残念ながら今は無くなってしまったと先日聞いてガッカリしたのですが・・・。
実はそこに彼女のお父さんが投稿をなさっていて、というより、投稿者だけど編集者というよりも作家というような形でそのページをになっておられました。
それは日本語の五十音で始まる言葉の意味や、またそれにまつわるショートコメントを辞典の様に掲載したものでした。
まあ、自分で言っていいものかわかりませんが、物書きの端くれであった私は、そのお父さんのセンスが自分と似通っている、つまり古きよき時代の感性の持ち主であったことに心ひそかに喜びを感じて毎号楽しみに待っていたのです。
それと一緒に、マリちゃんがいつもくれたのがお父さんが新聞などに掲載されているエッセイでした。
このエッセイも本当に楽しみに読んでいました。
顔もしらない「まりちゃんのお父さん」でしたが、そこ頃すでに、彼は決して私にとって他人ではなく、なんと言うか懐かしい人でさえあったのです。
さて、先日夏休み、この心友まりちゃんに会いに長野までいってきました。
そして一緒に乗り合いで東京まで戻ってきたのですが、なんと彼女を家まで送ったところ、お父さんがいらっしゃるではありませんか!!
あのときの喜びをどう表現していいかわかりませんが、まるでずっと憧れ続けた海外のロックスターに突然出会ったような驚きと興奮と喜びが怒涛のように渦巻き、実際何をしゃべったんだかよく覚えていないほど嬉しかったのです。
思わず、読者であったことを伝えるとお父さんが本を自費出版なさったとの事で、そのエッセイをまとめたご本をくださいました。
私はすかさず握手とサインを求め、出会いの喜びとその本を胸に抱きしめて家路につきました。
帰ってから家のものが体調を崩したりして忙しかったため、外に出ない限り家のなかでは全く自分の時間が取れずに居ましたが、九月に入りやっと余裕が出てきました。
そして、お礼状を書くべく、その本をじっくり読むことにしたのです。
中澤和夫著「あなたへの贈り物」、まだ春浅い芽吹きを思わせるような薄いグリーンの表紙の小さなこの本には、中澤さんの長きに渡る税務署長としてのお仕事、そして人生のなかから生まれたエピソードがぎっしりと、そしてゆったりと詰まっていました。
なんと言うか、自分で収穫し、丁寧に仕込んだ果実酒が時間を経てまろみを帯びて味わい深くなったような読み心地があります。
冒頭に「人生は出会いの旅です」と書かれています。
人、物、言葉、時間、たくさんの出来事、それらは全て「出会い」だと。
その言葉に、向き合い、すれ違っただけの人々にまで笑顔を投げかけるお父さんのお顔が浮かびました(^^)
読み進むうちになんとこの人は繊細な心の持ち主かと思いました。
少しご紹介いたしましょう。
「毎日の生活はドラマティックな事など何もおきない平凡な日々の積み重ねかもしれません。
そんなことを考えながら、窓の外を見れば今にも雨が降り出しそうな曇り空。空をおおう雲とその下を思いがけないほど早く流れてゆく黒い雲。深い緑色を増してきた木々の枝が強く風に揺れています。
何気ない風景を新鮮な気持ちで見ることができる今の自分に嬉しさを覚えます。
平凡だった一日に感謝すれば、小さいながらも幸せを感じます。
夜明け前、そんな昨日の一日が妙に懐かしく思い出され、目が覚めました。静かな雨音が、心を静めるように聞こえてきます。
「人生捨てたものじゃないな」、そう思ったら、喜びが心の中にこみ上げてきました。」(平凡な一日に感謝より抜粋)
これが男性の文章か。なんと言うか、私の中に流れる「古きよき時代の女学生」と同じ哀愁を帯びた感性と同じもの、もしくは「高下駄の学生」のロマンチシズムと純粋さといったものに共通するすがすがしさと深い優しさ。いい。いい。
世間は私たちを含め、若い世代の人間がすこし上の人たちを「おやじ」呼ばわりし軽んじているけれど、ぜひとも中澤さんのような「おじ様」がたにたくさん語っていただきたいと思いました。
ロマン、というようなものが姿を消しつつある現代に、その息吹をもって颯爽と立っていて欲しい。
中澤和夫さんの座右の銘は
「あしたもこころはあったかい」
そのあたたかいが人々の心をあたため、またそのあたたかさが次の人へと伝わっていくのでしょう。
私は近々、自分のお店を持つことになっているが、お店が開店したらぜひとも「中澤和夫、心の言葉講演会」を企画しようともくろんでいます(笑)
本来ならば一編一編の文章に言葉を付けてファンレターを贈りたいと思っているのですが、もっと多くの人に中澤和夫氏を知っていただきたく、今回ここでご紹介することにいたしました。
ご本の欲しい方。仲介承ります。どうぞご連絡ください。
きっと手にしたあなたへの贈り物になること請け合いです(^^)
この場を借りて、心友まりちゃんのお父さんへ、心より感謝と敬愛の気持ちをこめてお礼申し上げます。
素敵なご本をありがとうございました。
そして素敵な出会いをありがとうございます。
お父さんとお母さんの存在あってのまりちゃん、まりちゃんをこの世に呼んでくださってありがとうございます。
こころから感謝します。
あしたもこころにあったかい風吹きますように