KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

想いがあふれるので…

2006-01-18 | KOFUKU日記
夕飯の支度をしていたら、感謝の気持ちがあふれてきました。
それを感じているうちにここに記したいと思い、パソコンをひらいています。
わたしの人生の中には皆さんと同じ様にたくさんの出来事がありました。
どちらかと言うと大きく分けたら大変なことが多かったのかもしれません。
そのときどきに大いなる力の助けと、支えてくれる人々の愛がありました。
いまも同じです。
この数年で大きな変化が起こり、予期せぬことがたくさん起こりました。
昨年末からの環境変化で心にも痛みが走りました。
そのとき険心さんをはじめ、たくさんのかたが助けてくださいました。
今もずっと助けられています。本当にありがたいと思っています。
不安定なときにこころをくだいてくださった皆さんに心からの感謝を捧げます。
本当にありがとう。皆さんの存在が支えです。

私は話すことが本当に苦手です。
だから人と話すのも苦手だし、電話するのも苦手です。
出来ることなら話さないで暮らしたいと思うときもあるくらいです(^^;)
どうしても話をするとなると私の心とはかけ離れたかたちで存在してしまうのです。
本当に本当の姿で話せる人は今はいないのかも知れません。
そうなるにはたくさんのものを取り外さなくてはならないのです。
私はそういう自分がとても嫌でした。どうしても偽ってしまうから。
落ち込んでいても相手を思えば、明るく振舞わねばならない。
元気よく過ごしていなければならないのが苦痛のときもありました。
だから人に顔を見て話しないと本当は伝わらないと言われるたびに落ち込みました。
私は人と面すればするほど、本当から遠ざかるからです。
でも、あるときある人が「偽ってるのも本当のあなただから構わない」と言いました。
そのときから少しだけ気持ちが楽になりました。
でもどうしても本当の気持ちを表すには文章が一番近いのです。
その点、このブログはとても助けてくれています。
私を知る中にはこのブログからは私が想像できないと言う人もいます。
でも、ここにいる私が一番、私の近くにいると感じています。
こうやって感謝の言葉をかけるのもありがたいことです。
本当にありがとう御座います。
感謝を込めて。

長い冬

2006-01-18 | KOFUKU日記
昨夜はお豆腐のグラタンを作りました。
残りのシチューとミートソースを使って、残りのチキンと残った食パンで作りました。
後は白菜とエリンギとにんにくの芽を使った回鍋肉、どれもリサイクル料理です(笑)
私は8歳くらいから家族の食事を作っていました。8人分の料理です。
今もそう変わらないけれど、色々あって家は貧しくてお金はありませんでしたから
家に残された食材を駆使して料理を作りました。
お金があると300円だけテーブルの上に置いてあります。
それで今夜の料理を考えます。できるだけ食材が明日に残るように考えながら。
小さい赤ん坊の妹や弟、父母、おじいちゃん、お金も材料もないけど、
それぞれ食感の違うものを作ってあげたい。いつもそう思いました。
そんな私を励まし、たすけてくれたのは本でした。
それも開拓時代や戦争前後に書かれた本です。
私は日本の物でも、海外のものでも「少女小説」と呼ばれる本が大好きです。
オルコット、バーネット、モンゴメリー、ワイルダー、
日本なら吉屋信子を筆頭とする小説、中原淳一のそれいゆなどなど。
その中には決して裕福でない時代にあって、いつも美しく優しく
大切に生きようという心が一杯につまっています。
小学校、中学校、高校と私は本ばかり読んでいました。
図書館の本を読みつくし、果てには廃盤のふるい本を書庫に入って暗くなっても読む為に、
書庫に電気を引いてくださった図書の先生のことは今でも忘れません。
そのくらい本は私の一部でした。

8歳の時、母の誕生日にケーキをあげたいと思いました。
でも、お金も材料も道具もありません。
そのとき、本の中の貧しい少女がお母さんの為にケーキを焼こうとする
お話があったのを思い出しました。
エレノアと言う少女は、近所のおばさんにこう聞きます。
「バターもミルクもないのです。
ほんの少しの粉とお砂糖と卵でケーキができるでしょうか?」
おばさんは答えます。
「もちろん、出来ますとも!」
私は頭の中でその言葉を繰り返しながら同じ材料を並べました。
まだ夜があけない時間でした。
白身をしっかりあわ立て、粉と砂糖と卵の黄身を混ぜて、
金属のちいさなボールに入れました。
さて、それから家にはオーブンがないことに気がつきました。
そのとき、戦後すぐのそれいゆの中で中原純一さんが
こう書いていたのを思い出したのです。
カンカンに穴を空けて、代用なさい、と。
私はすぐにそれを見つけて、そうしました。
フライパンにお湯を張って、ボールを入れてカンカンをかぶせてコンロで焼く。
かくして、ケーキは焼きあがりましたが、お皿にひっくり返してみたら、
ポコンと真ん中がへこみました。
実は小説のエレノアのケーキもそうだったのです(笑)
エレノアはそのへこみを道端に咲いている花で飾ります。
私も外に出て(もう夜が明けて朝でした)近所のおばちゃんがお水を上げている
お庭に行き、今日は母の誕生日なので、このきれいなお花を分けてくださいませんか?
とお願いしました。
おばちゃんは喜んで金色のコスモスのようなお花をたくさんくださいました。
私はそれを抱えて家に走って帰り、ケーキに花を飾りました。
起きてきた母が喜んでくれたことは言うまでもありません。
まるで昨日のことのようです。
おかげでエレノアのケーキのことは一生忘れないと思います。
そんな風に貧しさを支えてくれたのは、貧しさを貧しさと呼べなかった時代の本たちの言葉でした。

このところ大雪で困っている方々がたくさんいらっしゃいますね。
亡くなられた方もたくさんで、本当に大変なことと思います。
心からお見舞い申し上げます。
こんな冬に、そして心が閉ざされるとき、よく読み返す本に
ローラ・インガルス・ワイルダーの「長い冬」があります。
ワイルダーと言うと「大草原の小さな家」が有名ですが、その続編です。
ローラも15歳になり、町に暮らし始めた一家にそれはそれは過酷な冬が訪れます。
食べ物がなくなり、人は心も閉ざされてゆきます。
でも、彼らは負けません。祈り、歌を歌い、知恵を出し合います。
石炭も薪もなくなって、家畜小屋で藁を薪の様に固く固くねじり代用します。
コーヒーミルで麦ををひき、粉にしてパンにします。
そんな中でもクリスマスにはそれぞれが贈り物を作り、お互いに贈り合います。
そして春が来て、人の心にも春が訪れるのです。
長い冬の中にはいろいろな知恵が隠されていて、大好きなんです。
ワイルダーの話は現実に基づいていてとても興味深いものがあります。
特に彼女は貧しかったので、食べ物の描写はそれはそれは魅力的なんですよ。
こういった本のおかげで私はお金がないと言うときも何とか負けずに生活できてきた気がしています。

本はいろんな事を教えてくれます。すてきなものだと思います。
美女と野獣のミュージカルの中で野獣がこういいます。
「本は素敵だ。僕を知らない世界へ連れて行ってくれる。
 僕が何かと言うことを忘れさせてくれる」
私はこの台詞がとても好きです。
わたしにとっても、本はずっとそのようなものだったからです。
人生の長い冬の中にある人々が、野獣のように本に触れる機会がある事を祈ります。
本だけではなく、それに匹敵するような出来事に遭遇できることを願います。
そして、それが心の中にひかりをともしてくれる事を。
私は苦しんでいる人に困っている人に何もしてあげられないけれど、
心を込めて祈りたいと思っています。
私の知らないあなたに、すべてのひとに思いを寄せて
そして私自身のために、祈ります。
長い冬、
かならず春が訪れることでしょう









自分勝手

2006-01-18 | KOFUKU日記
ふと、思いました。
自分勝手な優しさを振りまく人にはなってはいけないのだなって。
思いやるって難しい。
見えていないところに真実があるのでしょう。
そこを見つめられるか、それがきっと大切。
通り過ぎてゆく、一瞬の想いだけの優しさでなく
留まる愛でなければいけない。
なんとなくそんな想いがおりてきた夕方です。
神様、ありがとうございます