なんか突然書きたくなりました(笑)
今日、仲良しのお友達と話していて話題になったのが
「よい」
と言うこと。
「よい」とは普通「良い」と書きます。
でも私はあんまりこの字を使いません。
大体「善い」とあらわします。
わたしは本当はあんまり区別をつける名称が好きではないです。
だから自分達の活動をするときも「本物」とか「真実」とか使うけど
それは本当は好きではありません。
ただ、周りに解りやすいように、って考えると
言葉を使って表現しなければいけなくなるから、
なんだかそういう風になるのでした。
基本的に私はココロくだく行為はすべて「ほんもの」だと思っています。
そこには必ず「愛」が宿っているからです。
だから基本的に「にせもの」はないと思ってるんですよ。
さてそういう私がなんで「よい」にこだわるかって言うと、
それは大きく違うなあって自分のなかで感じるからなんです。
それが皆さんにも当てはまるとは限らないのでご安心を。
あくまでも「あんじゅちゃん語」のはなしです。
あんじゅ語だとですね「良い」って言うのは
「人様がつけた判断基準」をあらわします。
ようするに「レベル」見たいなものですね。
誰かの価値観で「よい」とされる事を基準に判断した結果。
で、「善い」ってのはですね、あんじゅ語では
「神様のつけた基準」をあらわします。
要は誰しもがココロの中に持っているもの。
変わらないもの。真実。疑いのないそのままのこと。
つまり、「良い」は基準がなければ完成しない感覚で、
「善い」は基準なんかなくても万人に理解できる感覚(愛)です。
例えば~、猛暑のときの雨とか~、嵐の後の青空とか。
わかります?(笑)
だから時に「善き」ことは見えなくなり、軽く扱われたりしちゃいます。
「良い」事はそれが価値ある人にはいろんな富を運んだりするので、
いつしかそれがいらない人も「良い」と言うようになっちゃったりします。
うーん、神さまの基準(愛)を胸にシンプルに生きたい!
今日はなんだかそんな事を考えて居ました。
同時に「疑わない」と言うことの大切さと尊さを。
お友達の天使「ひとおりさん」もその詩に
"信じるという事は半分疑っている"
と書いておられましたが、私もいつもそう思うのです。
信じてるとき、信じようと思うことはないから。
ただ、あるがまま、愛があるだけです。
疑わずに居られる事は尊く強くあたたかい。
あるがまま、それが真実の状態だから、たとえ相手が嘘でも
疑わないココロは「ほんもの」の時間だけを紡いでゆく。
今年はそんななかで生きて居たい、そんな風にありたい、
そう、まるでぴーちゃんの様にあるがままに。。
ココロのそこからそう思った一日なのでした(*^。^*)
今日、仲良しのお友達と話していて話題になったのが
「よい」
と言うこと。
「よい」とは普通「良い」と書きます。
でも私はあんまりこの字を使いません。
大体「善い」とあらわします。
わたしは本当はあんまり区別をつける名称が好きではないです。
だから自分達の活動をするときも「本物」とか「真実」とか使うけど
それは本当は好きではありません。
ただ、周りに解りやすいように、って考えると
言葉を使って表現しなければいけなくなるから、
なんだかそういう風になるのでした。
基本的に私はココロくだく行為はすべて「ほんもの」だと思っています。
そこには必ず「愛」が宿っているからです。
だから基本的に「にせもの」はないと思ってるんですよ。
さてそういう私がなんで「よい」にこだわるかって言うと、
それは大きく違うなあって自分のなかで感じるからなんです。
それが皆さんにも当てはまるとは限らないのでご安心を。
あくまでも「あんじゅちゃん語」のはなしです。
あんじゅ語だとですね「良い」って言うのは
「人様がつけた判断基準」をあらわします。
ようするに「レベル」見たいなものですね。
誰かの価値観で「よい」とされる事を基準に判断した結果。
で、「善い」ってのはですね、あんじゅ語では
「神様のつけた基準」をあらわします。
要は誰しもがココロの中に持っているもの。
変わらないもの。真実。疑いのないそのままのこと。
つまり、「良い」は基準がなければ完成しない感覚で、
「善い」は基準なんかなくても万人に理解できる感覚(愛)です。
例えば~、猛暑のときの雨とか~、嵐の後の青空とか。
わかります?(笑)
だから時に「善き」ことは見えなくなり、軽く扱われたりしちゃいます。
「良い」事はそれが価値ある人にはいろんな富を運んだりするので、
いつしかそれがいらない人も「良い」と言うようになっちゃったりします。
うーん、神さまの基準(愛)を胸にシンプルに生きたい!
今日はなんだかそんな事を考えて居ました。
同時に「疑わない」と言うことの大切さと尊さを。
お友達の天使「ひとおりさん」もその詩に
"信じるという事は半分疑っている"
と書いておられましたが、私もいつもそう思うのです。
信じてるとき、信じようと思うことはないから。
ただ、あるがまま、愛があるだけです。
疑わずに居られる事は尊く強くあたたかい。
あるがまま、それが真実の状態だから、たとえ相手が嘘でも
疑わないココロは「ほんもの」の時間だけを紡いでゆく。
今年はそんななかで生きて居たい、そんな風にありたい、
そう、まるでぴーちゃんの様にあるがままに。。
ココロのそこからそう思った一日なのでした(*^。^*)