KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

2007-11-09 | KOFUKU日記
二日前、九州で暮らす母が脳梗塞で倒れました。
父におむすびをにぎり「おじいちゃん、おむすびたべなさいな」とテーブルの上におむすびを置き、「うん、あとでたべる」と父が返事をして振り返ったときには手におむすびを握ったまま、意識を失っていたのだそうです。
山のてっぺんに住む実家の家族は、町まで行くのに車で30分山を下らなくてはなりません。
父と弟は慌てて車で病院に運び込んだとのことでした。
車の中で一瞬だけ意識が戻ったとき「大丈夫よ」と言ったのだそうです。

「大丈夫」「がんばらないとね」

これは母の口癖です。
わたしの母は愚痴を言ったことがありません。
父に何か言われても感情任せに言い返すこともありません。
そういう母の行動で嫌な気分になったことは共に暮らしていたとき一度もありませんでした。
いつも笑っていて、嫌な顔でいる事がないのです。
どんな苦しみのときも自分の手と知恵で何かを生み出し、どんなに自分が貧しくても、それ以上に周りの貧しさを考え手助けをし、一緒になみだする、そんな人です。
不遇な環境で親の愛を知らずにそだった父は人をどうやって愛して良いのかすべを知らず、子ども目にも母にそりゃあひどい扱いをしてましたが、母はそれでも父をこよなく愛し、どんな理不尽なことをされても、彼を愛し続けてきた人です。
母がかばう事はあっても父の悪口も聞いた事はありません。
弟が駆けつけたとき、母に「お前なんかいらない」と言い続けてきた父が母の手をさすって泣いていたそうです。
慈愛にあふれた、博愛の人
そんな母を私は心底から敬愛しています。

わたしの家はとても複雑な事情があり、私は現在は籍を抜けています。
苗字も違うし、一緒に暮らすこともできませんし、親や兄弟が私に何かしてくれる事もありません。
この現代の日本で、普通に暮らしている人には決して理解できないだろう、あまりにハードな状況下で私がまっすぐに生きてこれたのは、きっとこの母が居たからなのです。

母はいま、眠りの中にあります。
きっとこれからどうするか考えているんでしょう。
2度ほど意識が戻ったそうですが、どっちも「だいじょうぶよ」と言ったそうです。
倒れてもなおみんなの心を方を思いやっている。
すごい人だな、と思います。

母は今現在、半身不随の状態なのだそうです。
私は5年会っていません。その前は9年会っていませんでした。
会ってないんじゃなくて、会いたくても会えなかったんだけど。

忙しくて眠る暇もない感じの状態ですが、昨日一瞬眠りについたとき、夢を見ました。
傘や風船にのって空を飛ぼうとし、母のところに帰ろうとする夢でした。
私は夢では絶対に空を飛びません。地から足が離れるのが恐ろしいので。
ところが昨日は飛ぼうと必死でした。
母という存在は偉大です。

この一週間がやまだそうです。
むりやり2日だけ休みを取りました。
多くの人の協力で明日、母に会いに行けます。
ありがたいことです。

世の中にはわたしのように親や兄弟、大事な人の生死に関わる時、会いに行きたくても会えなかったり、お金が大変で諦めざるを得ない人がたくさん居ます。
そういう方がわたしのように助けられて、一瞬でも家族と会うことができますように。
そして多くの親子が愛を持って暮らしていけますように。