愛するものは、死んだのですから
たしかにそれは、死んだのですから
もはやどうにも、ならぬのですから
そのもののために、そのもののために
奉仕の気持ちに、ならなけあならない
奉仕の気持ちに、ならなけあならない
中原中也
そう思って一ヵ月が過ぎてゆきました
とはいえ、霧の中を歩むような毎日です
私は人と居ると涙も流さなければ、とても元気なので、
周りからは決して落ち込んでいるようには思われず
心無い言葉を投げかけられたりする事も多いですが
笑ってるしかかなしみを超える術がわからないだけです
相方さんと「季節はずれの雪」という作品を上演したとき
彼は心に大きな悲しみの記憶を抱えるジョセフ・メグシーと言う役を演じました
みんな、悲しみを目に見える形で表現しましたが
彼はそうしませんでした
いえ、彼の演劇性から言えばそうできなかったのです
彼は演じる事はせず、ただそこで「生きる」人でしたから
彼のメグスはどうしてもそうならなかった
そんな彼の演じるメグスは悲しみを爆発させる瞬間までお茶目でいつも笑ってました
そんな彼が稽古の帰り道、言ったことがあります
「人は本当に悲しいとき、悲しめない
悲しみが深ければ深いほど笑ってるもの
そうでなくては苦しすぎて生きていけない
孤独は人を優しくする
だって孤独は愛から生まれるものだから
君はわかるでしょう?
顔みればわかる人はわかるよ」
彼もまた、深い孤独を持っている人でした
だから彼はあんなにも人に優しく出来たのでしょう
計り知れない孤独や寂しさ、私たちの共通点はそこだったかもしれません
私はそんな彼から大きな愛を学びました
あなたはジョセフそのもの、メグスそのものだったねぇ
そんな彼はぴーちゃんを深く愛してました
ぴーちゃんは彼にとって愛娘でしたが
それ以上に憧れの存在でした
相方さんの写真の中のぴーちゃんには彼の愛情と
ぴーちゃんの彼に対する愛情があふれています
ただ生まれた感情の瞬間のまま生きるぴーちゃん
好きは好き、嫌いは嫌い、楽しいと笑って、悲しいと泣く
「俺はぴーちゃんみたいに生きて、演技したい」
彼はいつもそう言ってました
「奉仕の気持ちにならなけあならない」
そう願いながら、今年が暮れていきます
何も変わらない様に思える毎日に相方さんだけがいないのです
変わったといえば、お買い物の内容が激変しました
ほおんとレトルト食品と飲み物ばっかり(笑)
けど、それでもいまだに相方さんのものを買ってる私が居ます
それとヘアスタイルがダウンスタイルになりました
私が長い髪を下ろしているのが好きだった相方さんでしたが
闘病中は衛生面に過敏にならなくてはいけなかったから
ずっと結んだり、ひっつめたりしてたんです
髪をやっとおろせるようになりましたが、その事実がかなしいです
そんな風に小さな出来事が悲しみに捕らわれて落ち込みすぎ
起きれなくなる事などもまだありますが、ちゃんと生きては居ます
相方さんが残してくれた命だから粗末には出来ません
私がここに残ったにはきっと意味があると思うからです
ただ、だからってメッチャ元気にはなれませんが
そんな不摂生がたたったのか、ここに来て風邪ひきました
看病中は気力で風邪なんて跳ね飛ばしてましたが
さすがに気力が落ちたのかもなぁ、なんて…
そんなこんなで年末はゆっくり寝て過ごす事になりそうな予感です
今年もあと数日
ぴーちゃんとふたあり
彼の事を想って過ごしたいと思います
観ちゃん
私にもいつか季節外れの雪が降って春がくるのだろうか?
今はメグスの気持ちが痛いほどわかるよ
「雪が降ってる 季節はずれの雪だ
きれいだな
最後の喘ぎだ
難しいな
疲れを癒すのはなんて難しいんだろうね…」