KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

海のカケラ

2011-09-28 | 相方さん(米澤観児氏について)
 
≪今日も仲良くお昼寝中の方々≫

私の実家の家族は言うなれば
「スナフキン」なタイプの人たちだと思われます。

いや、まてよ…「ロビンソン・クルーソー」かも知れない。
はたまた「大草原の小さな家」のインガルス一家であろうか?

とにかく!
我が家は常に「旅人」「自由人」って感じの人間がそろっている。

基本どこに居ても生きていけるほどのサバイバル能力を秘めている。
何でも作るし、工夫するし、お金は作り出すもんだと思っているし。
多分、LOSTの島に落っこちたら喜ぶ類でありましょう。

多分、今だって、全員が全員、
「家で暮らすより車で放浪でもして生活したい」
と心の奥底で思っているはずと推察(;・∀・)

そんな家族ですから、しょっちゅう父の車に乗り込んでは
あっちこっちと一緒に走り回ってるわけですが、
これは今に始まった話じゃないのです。

家は自営業なので車でお商売をします。
妹も先日言ってましたが、朝暗いうちに家を出て
桜島の向こうから陽が昇るのを見ながら
車でおにぎり食べたりするのが当たり前だった、
だから車で長時間や外で生活なんて苦になんないし、と。
そんなこんなで、私も車に居るのが一番心地善かったりするのであります。

しかし、現代は安定を求める時代でもありますし
そんなアバウトな生き方を好む人というのは
なかなかこの現代に居ないでしょうなぁ~
と思ってたら居たんですよね~(;・∀・)

ええ、スナフキンさんみたいで、クルーソー見たいで
LOSTでインガルス一家な生活GOODなお人が。

はい、相方さんです

彼はそういった意味でも同種、
そして同じ道を生きる同志でもありました。
まあ、ライフスタイルから自由人、って事ですね(;・∀・)

そんなんで彼は車に何時間でも乗りたいと言う人でした。
私も何時間でも車乗ってるのは平気!
しかも激しい乗り心地のジープが好きで。
ピーちゃんも全然平気だったし。
だからほぼ毎日、車に乗っては出かけてました。
ほら車の中は家族だけだし、気楽なんですよね。

しかも手作り派で何でも作っちゃうし。
生活は工夫して、誰に何を言われる事なく
自分が気持ちよく過ごせるのが一番。
とにかくそういう部分の相性はピッたしでしたね
つくづく、業界や都会に会わない人たちだったと思います。

付き合い始めのころ、ドライブ中の山道で
同時に家に帰りたくなくなり、すべてを捨てて、
そのまま放浪の旅に出てしまいそうになった事があり
二人でΣ(゜д゜lll)アブナッ !っとなった事を思い出します。

しかも相方さんは相当なキャンパーだったので
いつも寝袋一つでテントかついで山に行っておりましたし、
ドライブ行っても林道や浜道をガンガン走る。

自然は私達に欠かせない物で大事なお友達でありました。


今、家の中には相方さんとドライブに行く度に集めたものがあちこちにあります。
松ぼっくりや木の枝、石、流木。
その他、相方さんにとっての宝物が一杯です。

その中にガラス瓶が三つあって、大きな一つには砂と貝殻。
もう二つには貝殻が入っています。


≪無心でシーグラスや貝殻を拾う相方さん≫


大きなガラス瓶に入っている砂は彼の大好きだった逗子の浜の砂。
ぴーちゃんのビーチだった場所の砂です。
この砂は原宿の劇場の壁の中に入っていました。

中くらいの瓶には先日パワースポットの釜蓋神社の
お隣にあるちいさなビーチで拾った貝殻とシーグラスが入っています。

もう一つの小さな瓶には相方さんが親友さんと良く旅行に行っていた
伊豆の方の海岸で一生懸命に拾ってくれた貝殻とシーグラスが入っています。


≪相方さんが自ら集めてくれた海のカケラたち≫

小さくてキラキラのカケラを見ているとシミジミとほんわかします。
切なくてあったかい。そんな感じ。

シーグラスは割れた瓶などのかけらが長い間、
波に洗われて丸く削られて出来たもの。

以前の形があり、人生があり、そして波に削られた日々があり
いま私の手の中にあるものです。
ふと、私の知らない、そんな時間を思います。

ひとの人生も同じでしょうか。
いつか、こんな風にちいさな記憶のカケラになって
誰かに思ってもらえる日がくるといいなぁと思います。

それだけで生きていた意味があると思う
そんな午後です。


≪今日という日 聖フランシスコ・サレジオ≫

わたしの過去


それがわたしを悩ますことは、もはやない


それはすでに 神の慈しみのうちにある




わたしの将来


それがわたしを悩ますことは、いまだない


それはまだ 神の摂理のうちにある




わたしが心がけねばならないのは、


いま、ここ、今日という日


しかし、それも神の恵みのうちにあり


わたしが自分の良き意思を


お捧げすることにかかっている