KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

ミトリビト*オクリビト

2015-03-15 | KOFUKU日記


大変遅いご報告になってしまいましたが、先週の日曜日、3月8日、
祐木鎧くんの十三回忌法要が安養寺にてつつがなく執り行われました。

毎年毎年、期間ギリギリの呼びかけにもかかわらず、
お忙しい中、お心寄せてくださった皆々様、
お参りに足を運んでくださった皆様、
鎧くんママに会いに来てくださった皆様、
法要にご参加くださった皆々様、
ほんとうに、ほんとうにありがとうございました!

お母様の清香ママ、そして主役の祐木鎧くんに代わりまして
魂の家族代表として、心より御礼申し上げます<(_ _)>
重ねまして、皆様本当にありがとうございました。 

7日の命日、8日の法要ともに、たくさんの方からのご連絡、
またご面会、法要ご参加をいただきまして、
鎧ちゃんママはほんとうにお喜びでした~!
仲間たちから送られてきた写メの、そのママのお顔が
あまりにも嬉しそうで、こちらも本当に嬉しくなりました。

また私にもたくさんのメールをいただきましたこと感謝です<(_ _)> 
ムーサフォーリーズメンバーお食事会の模様を送ってくれたポケちゃん、
レポートしてくれたマキちゃん、笑顔のまんちゃん、マー君、
河野さんも、本当にほんとにありがとう!

法要後、遠方にいる私を思って、お電話くれた心友まりちゃん、
兄ちゃん、ちゃこさん、いっぺいくん、カオリン、
忙しいのに、本当に本当にありがとう!
おかげ様で、みんなの懐かしい声を聞けたので、
しばらく元気に生きていけそうです(笑)

もう一生会わなくてもいいくらい、私の魂はみんなを忘れない。
そう思ってはいましたが、つくづく、心が結ばれてさえいれば、
長くあわなくても、何をしなくても、何も変わらないんだなぁって思いました。
鎧ちゃんがムーサで歌っていた歌ではないけれど、
時間や距離って、本当の心の時間の流れにいれば関係ないんだね。
そう心の底から思いましたよ。気持ち再確認です。
深い深い仲間のまま、魂の家族ってこういう事なんだなって。
みんな本当にありがとう<(_ _)> 


すぐにこのブログを書き始めたのですが、
鎧ちゃんが亡くなった日のこと、
その夜のこと、そこからお通夜までの5日間の日々のこと、
お通夜、そしてお葬式でのこと。
いろんなことを一日ごとに思い返していました。

亡くなった日はその年に入って一番の寒い日で
小雪混じりの雨が降っていたこと、
ひとりで救急車を呼び、ママたちに電話をして、
一人、みんなが来るのを、店の前で雨に濡れながら待っていたこと。
そこに雄ちゃんがやってきて、その歩んでくる姿が
本当に映画のように雨に滲んでスローモーションのように見えたこと。

お通夜までの5日間、仲間たちはみんな
お父さんのご実家で眠る鎧ちゃんのそばに泊まり込んで
そこから仕事に通い、それぞれが信じたり、知っている
いろんなお祈りを交代で唱えて、ロウソクを昼夜灯し続けたこと。

お通夜の夜、葬儀会場から仲間たちはほとんど帰らずに、
禅さんが手作りしてきてくれた写経紙にみんなで徹夜で写経したこと。

お葬式の日は本当に暖かな春の日で青空が広がっていたこと。
何百人もの人が来てくれたこと。
兄ちゃんや仲間たちが家族としてお棺を担いでくれたこと。
劇団四季系の仲間たちがクレージーフォーユーの歌を
東宝系の仲間たちがレ・ミゼラブルの歌を歌ってくれたこと。
出棺の際、マスターがモデルガンを撃って
全員がリーダーに対する敬礼で送り出してくれたこと。

彼らは不思議なことに、全く思い出にならないので、
それらの一つ一つがオンタイムのように思い返せるのです。
12年。長いのか短いのか、本当に不思議な時間だなって思う。


(ここからはいささかか泣き言っぽいことも書きますので
気になる方はスルーでお願いいたします~<(_ _)> )


鎧ちゃんと出会い、彼が向こうに行き、
相方さんとの再出発をして、観ちゃんが向こうに行き、
この25年はとにかく濃かったなぁ。

鎧ちゃんとの日々は、彼との間もだけど
みんなとの間柄も本当に密接だったから、
ガイちゃんが逝ってしまっても残ったものが大きくて。
だけど、ガイちゃんの面影あるところでは息をすることができず
遠くに旅立つしかなかったけど、仲間たちみんなと離れることが本当に辛かった。

そうしてなんとか時間をまたぎながら迎えた相方さんとの日々は
その皆と別れた寂しさとガイちゃんとの日々で培ってきたものを、
心配してくれるみんなのためにも絶対に形にしなくちゃいけないと、
後悔の無いようにただひたすら相方さんとだけの時間を突き詰めた毎日で。
とにかく縁の下の力持ちでいよう、すべてをかけて裏側に徹することに必死で。
だから相方さんが逝ってしまった時は、ガイちゃんが逝ったあとのような、
ガイちゃん以外の人たちとの暖かいものはほとんど残りませんでした。

もちろん、私自身は鎧ちゃんといた時とはスタンスは違うけれど
それなりに人々との交流をしてきたつもりではあったし
関わってきた方には誠意を持って関わってきたつもりでした。
本人的には、相方さんと歩むと決めた以上、
鎧ちゃんとのつながりで出来た世界よりも、
相方さんとのつながりを優先して大事にしてたんです。
若かった頃と違い、以前よりもパワーも努力も必要で
ずっとずっと神経も気力も使って生きていたのですが
それを見えないように気を配って、ずっと後ろにいたので
周りの方からも、添え物、のようにしか思われてなかったんでしょうね。
でも、それは思いがけないもので、そういう繋がりが薄かったのだろう
という事実には正直ショックを隠せませんでした。

そんな風にお互いだけを見つめて生きてきたことで、
本当に身内の様な私の友人以外周とはあえて距離をとっていただけに、
周りの人たちが私たちの内情を知る由もなく、
憶測から、相方さんとの長い日々を疑うようなことをされたり、
まるで日々を消しゴムで消されてしまうような言動を受けたり。
パートナーー二人共同じ業界の人だから、お互いを知る人たちに、
「死」という共通の事だけを取り上げられて、
私自身が縁起の悪いものような扱いを受けたり。
相方さんがいなくなった途端に、そこまで親しくしてきた方や、
身近な人にいきなり交流を断ち切られるような状況になったり。
本来なら、一番身近で、一番理解してくれるはずの人々がそうなって、
私には本当になにも手元に確かなものがなくなってしまったのです。

この十三回忌を迎えて、初めて言えることだけど、
そのくらい相方さんが亡くなった時は
確かに持っている、と思っていたものが、
この手には何も残らなかったのでした。
身近な人で、彼のことを共に偲べる人がいない、という事実は、
思った以上にとても辛いことだったのです。

反面、鎧ちゃんと生きてきた時のように、
ガイちゃんと同じくらいのレベルで、
周りと信頼関係を築けていたか?と考えれば
答えはNOでしたから、それも仕方ないと言う気持ちでした。

自分がイノチかけて守ってきたと思っていたものが
守ってきたものから何ひとつ確認できない日々。
私はすべてをかけて、すべてを捧げて、生きていたから
本当に、一気に空っぽになってしまったんですよね。
加えて、それすらを根っこから否定されてしまう様な出来事の数々に、
本当に私は生きていたんだろうか?と自分でもわからなくなって、
何を真実として生きていけばいいかわからなかった。
彼の人生を支えて生きることに没頭していたから、
ガイちゃんといた時のような友人がそばにいるわけでもなく…。
誰と共有できる痛みでもなく…。

そのショックから、その時間をちゃんと生きてきたのか、
自分でも解らなくなるような精神状況にまで追い込まれ、
自分でも想像しなかった悲しみに覆い尽くされて、
それはそれはいろいろなことがありました。

でも、亡くなった相方さんの気持ちや周りの方々の立場を考えれば、
誰にも、どこにも、そんなことは言えませんでした。
自分の事周りのこと、いろんなことを考えれば考えるほど、
居場所を失った私は、ただ黙ってその場を去るしか
生きていく道がなかったのです。

中には心を病んで、さらにすべてを生活に投げ出してた私は資産もなく
ただ、当たり前のように一文無しになって、
だからといって、誰かが手助けしてくれるわけでもなく、
人様に借金しなくちゃ実家にも戻れなかった私を見て
「あれだけ尽くしてきたのに。自分たちがそれを知らないからって、
まるで福ちゃんを捨てるみたいに扱って!」
と、自分のことのように怒ってくれた人もいました。
そんな気持ちをありがたいなぁと思いながらも
いろんな立場から考えると、もう何を言って、どうしていればいいやら。
知らないって事は、相手にしてみれば、いきなりそんなものが目の前に置かれるわけで。
その戸惑いも相当なものだろうと考えるにあまりあったわけです。

当然ながら、その人たちは、相方さんの生前から、
相手は知らずとも、自分は知っていて、大事にしてきた存在なわけです。
自分が愛する人が愛したモノやコト、ヒトを大事にしたいと思うのは変わらないわけで。
それを大事にしたいと思う気持ちは生前と変わらないわけで。
生き残ったからには、攻めてもそれを大事にしてあげたいと思うわけで。

だから、もうなんとか、せめても自分の手元に残ったものをぜんぶ持って
何とかかんとかでも、ひとり誰の迷惑にもならずに、
生きていけるところに行くしかなかったのです。

手元に残ったものは、資産になるようなものは何もなくて、
本当に家財と残されたガラクタだったけど、
今も何一つ捨てられなかったし、売るなんてもっと出来なかった。
売ったらいいじゃない、と言った人もいたけど
売るなんて、相方さんを身売りするみたいでどうしても嫌だから。

だから絵といくつかのカメラだけを残して、
機材類やまだ使えるもの売れる様なものは
ほとんどぜんぶお世話になった新羅できる仲間たちや
それを必要とする人に差し上げたのです。
服なども喜んで使ってくれる人に、出来るだけ形見分けして。
お金にも、ゴミにも、一切しませんでした。
人様と共有し、使っていただけることで、
その託した場所のあちこちで観ちゃんが生きてける気がしたから。

だから今も、押し入れには手元に残ったガイちゃんと観ちゃんのガラクタでいっぱい(笑)
ただのゴミだけど、私には全て価値がある。
実家はそのために借りてもらった。家の中は家財と残されたものが詰まってる。
笑われるけど。私だけでも、死ぬまで持っていてあげたい。そう思ってるんです。


そんな日々の中で、ガイちゃんとの昔から私を知る、
魂の家族であるガイちゃんママや心友たち、仲間たち、
相方さんと私の日々をもよく知る人々の友愛はかわりませんでした。
振り返れば、いつも、あの日のままに笑顔を見せてくれました。

それから、相方さん身罷ったあと、個人的に声をかけ続けてくださった、
私を知る相方さんのお友達や旧友の方々、そういう方がの存在が本当に大きかったです。
唯一、相方さんのことを話せるひと時を持つことができてとても嬉しかった。

相方さんを失って、話せる人の一人もなく、生きるのが本当に辛かったとき、
昔からの仲間たちの存在、新しい友の存在が影になり日向になりして
今日までの日々が確かにあったこと、相方さんと確かに生きていたことを、
その存在そのもので私にはっきりと伝えてくれました。

私はそれに触れることで、ちゃんと生きていたことを確かめられて、
それを力に、こうやって今日まで生きてこられたのです。
今日までを一つ一つ、思い返すたび、そう思うのです。

多分、それがなかったら、あの本当に真っ暗な日々を
生きてこれなかったんじゃないかな。
そのくらい、相方さんが亡くなったあとの4年はしんどかったから。
相方さんと出会うまでの人生がもし私になかったら、
それこそ小さい魂たちがそばにいてくれなかったら、
多分、自分は生きてなかった、と本当にそう思うのです。

でも、その辛さを打ち消すほど、
私に残されていたものの真実が強かったのだと思うんですね。
相方さんとの日々で、私が個人的に大切にしてきたもの、大切にしたかったもの、
それらはすべて奪われてしまって、それは本当に悲しかったけれど、
この4年で、わずかでも自分の持っていたものが、どれだけ尊いかを知りました。
もたない何かを数えて悲しむよりも、持っているものを感謝して生きることは
失ったものすらにも命を与え、喜びに変えるのだという事を、魂から知りました。

今はそ失ったものに対して、やっぱりそこまで思ってきた思いがあるから
残念だったな、申し訳なかったな、と深いさみしさは感じてしまうけれども、悲しくはないのです。
逆にその悲しみに真摯に向き合ってきたことで、
私自身がどれだけ相方さんとの日々に真剣だったのか、
その前のガイちゃん、それまでの人生で出会ったモノコト人、
その全てがどれだけ大きい意味を持って、自分と共にあるのか、
自分自身で知れるようになったからです。
その出来事があるからこそ、決して忘れることもないと気づき、
悲しみの原因となったことにも常に感謝や愛を向けられるようになりました。
目をそらさずに見て、考え尽くすということで、
全てが大切な出来事だと感じられるようになったんです。
それは本当にありがたいことだったなと思います。

相方さんは鎧ちゃんが生前、私にご縁をつないでくれた人だったのです。
思い返せば17年以上も前のことです。
だから鎧ちゃんとの日々がなかったならば、相方さんとの日々もなかった。
本当に不思議で、大きな大きなご縁です。

彼らは見た目も性格もちっとも似てないけれど、
私と同じ星から来た人だったと確信しています。
きっと前世から、こうして支え合う約束をしてきたのでしょう。
本当に、そうして関わってくれたこと感謝しています。
もちろん、人生で出会った一人ひとりにも。

ガイちゃんとの日々、別れ、相方さんとの日々と別れを通して、
その日々をずっと見守ってきてくれた親友や仲間たちがいてくれて、
その時間を共有してくれて、肯定してくれているから、
私は相方さんとの日々もこうして大切に抱きしめて生きていられるのです。
私は本当に恵まれています。皆さん、本当にありがとう。
ガイちゃん、相方さん、みんな、
私を生かしてくれて、ありがとうございます<(_ _)> 

思い返せば、7回忌は相方さんも一緒に参加したんだよなぁ。
法事出て、お振る舞い食べて、彼は鎧ママやみんなとカラオケも行って…。
今はガイちゃんと天国でそんな話をしてるだろうか。

ご縁の深さを、つくづく感じることができた十三回忌。
この人生を深く感謝した一週間でした。

先日、ニュースで、関ジャニ∞の渋谷すばるさんが、
メンバーの丸山隆平さんから
「一位おめでとう!好きだよ!」
ってメールが届いて、30超えた大人のメールちゃう、って、
それはそれは嬉しそうな笑顔(笑)でお話してるのを拝見しました。

いやいや、渋谷さんに言いたい。それ普通です、って(笑)
電話やメールにて、男女構わずキャッキャしてますって(笑)
先日の電話でも、
「愛してるよ」「好きだよ」「ハグハグー!」
「キスキス!」「(*´・з・`*)チュー♪」
と、大騒ぎしてる30代、40代、50代ですよ(笑)
これ会ってたら、確実に行為になって降り注いでますよ。
大人になっても、そんなふうに過ごせる仲間たちがアタシは好きです。
みんな、愛してるよー!(笑)
多分、私もあのニュースで見た、本当に嬉しそうな笑顔の渋谷さんと
同じような顔を今してるんだと思います(*^_^*)

残念ながら今回の十三回忌は、身をもっての参加はかないませんでしたが、
本当にいろんなことを感じた一週間でした。


そうそう、この記事のタイトル
「ミトリビト*オクリビト」ですが
これ、親しくしてくださるお友達が言ってくださった言葉なんです。
福ちゃんはミトリビトですよね、って。
きっと見送られる方も安心して逝けるから福ちゃんだったんですよね、って。

嬉しかったです。
実はそうなってやろうと思って、ずーっと頑張ってきてたんですが、
人様から言っていただくってことがこんなにもすごいことだとは。
なんか、この12年、背負ってきたものがすうっと浄化されていくような。
そのくらいたましいから救われた気がしました。
「あたしだったら気が狂って生きていられない」とか
「本当に一緒にいたかなんて、死んだらわからない」とか
「二人も死んでしまうなんて、なにか憑いてるんじゃないのか」とか
悪意はないけれど、心をえぐる言葉たちや行為の数々。
同時にそんな風に思わせてしまっている自分の不甲斐なさ。申し訳なさ。
何より、そんなことを私が言われて悲しむのは
誰でもない、隣にいた鎧ちゃんや観ちゃんだと思うと死ぬほど苦しかった。
そんな風に外からうちからどんどんどんどん投げかけられて、
魂をぐるぐる巻きにしてしまったモノを
内側からなんとか剥がそう剥がそうと必死だったけど、
急にペリぺりとはがしてもらったような。
降り積もった雪の下に押しつぶされていたのが
すくい上げてもらったような、そんな感じです。
心に風が吹き渡りました。ありがとうございます<(_ _)> 

ミトリビト、
そうなんです。
相方さんが亡くなって、こちらに帰って来るときに決めたんです。
どうせなら、全員を見送れる人間になろうって。

昨年でしたが。ごちそうさんってドラマで、
主人公が、息子が死んでボロボロになったとき、
身を寄せていた、とっても意地悪なお義姉さんが、
非常にもそんな時にまで突き放すのです。
大丈夫かと心配する人に、そのお義姉さんが言うのですね。

「あの人は生きる力の強い人。
そう言う人はこれからも長く生きて、人を見送る運命にある。
その為に、ひとりっきりで生きられる、人を見送る力をつけなくてはいけない。」

それを聞いて、思ったのですよね。
ああ、これは神様が私に言ってるんだ、って。
そうか、だから、今は私は一人なんだ。
私はここまで生かされたからには、
人を見送ることを幸せとして生きていく人間なんだな、って。
オクリビトに選ばれたんだ。
そう思ったんです。

だから、「ミトリビト」「オクリビト」と言ってもらえて
なぜだか本当に嬉しかったのです。
残る人生、出来る限りを人のために尽くして行きたいなぁと本当に思っています。
自分が逝く時、本当の「ミトリビト*オクリビト」でありたいです。


最後に、本当にこの一週間の、
最後の最後で夢の中に会いに来てくれた鎧ちゃん。
変わらない笑顔と変わらない愛情をありがとう。
私も何も変わらないよ。いつまでも魂の家族です。 
これからも地上のちびっ子達共々、見守っててください。
相方さんや昨年そっちに行ったお母さんをよろしくお願いします。



♪これからあたらしくはじまるんだと
 ニコッと笑って敬礼をする
 ざぁざぁしゅるる 波の音
 100も200もの波の音
 
 時間じゃないんだ 人の一生は
 空間じゃないんだ 人の思いは
 いつでもどこでも会いたい人に
 会えるんだ 本当の心の流れなら♪


♪あの人々と生きたよね
 もいちど会えるね いっしょにね
 
 いえいえ 今もいっしょだよ♪
 



今も耳に鎧ちゃんの歌う声が聞こえる。

善い十三回忌でした。
感謝。