チャリティ演劇リーディング「報恩」~心にかける橋~
ご来場賜りました皆様、ありがとうございました。
懐かしい某劇団の稽古場前にあるレインボーコート参宮橋というちいさな劇場での3回公演。
2日目はミャンマー舞踊もあり、とても素敵でした。
ミャンマーと日本のつながりを作ろうと奔走する青年オヤマとミャンマー人のススの日々葛藤のお話。
たった二人だけでセットも殆ど無い場所で演じられます。
ひょんな事からミャンマーと縁を持った青年オヤマと
それを案内したミャンマーの女性スス。
青年オヤマが初めて訪れたミャンマーの地で目にしたのは
自分の得を考えず、人のために奉仕をし「徳」を積むミャンマー人の姿でした。
ただ日本人には違和感の残るものではありましたが。。。(笑)
仏教が深く浸透し、自分の財産を使い果たしても
困った人を助ける国、ミャンマー。
貧しくても飢えたホームレスやストリートチルドレンはいない。
助け合いの心から彼らはまわりに助けられるからだという。
そんな文化を持つ国、ミャンマー。
オヤマが初めて訪れたミャンマーでススに案内された場所は
日本国土に向けてちいさな墓標が立つ
「日本人兵士達19万人の眠るお墓」だったのです。
第二次世界大戦中「インパール作戦」によって亡くなられた
19万人の戦没者達の慰霊地でした。
そこでオヤマが見たのは誰に頼まれるでもなくお墓を掃除する
ミャンマーの女性達の姿でした。
「誰にも頼まれてもいないのにやってるの?あのお母さん達?」
「そう、功徳つんでる。」
青年オヤマはその二つの現実に衝撃を受けます。
そして彼の中に想いが生まれるのです。
「私は衝撃を受けた。
何かわからないものに背中を押されるように、
この国の小さな善意の人たちに、何か、たくさんのものを返さなくては、
と強く感じた。なにか、たくさんのもの…
この血で十九万人もの日本人が命を落とした。
そのたくさんの命たちが受けた恩。
そして十九万もの日本人が、ここで命を落とした意味…これでいいのか。
ただここでこんな小さな墓石を建てただけでいいのか。
それで、ここで散っていった十九万人もの…
誰かの父・誰かの兄・誰かの弟・誰かの息子。
…そういう彼らを失った日本中の母親の涙が報われるのか。
…そんなわけ無い。そんなわけないじゃないか!」
そして日本とミャンマーの架け橋になろうと
ミャンマー交流協会を設立、彼は奔走を始めます。
もちろん採算は二の次。
「今つながりがなくなれば、あそこで死んだ人はどうなる?
50年も60年も誰も来ないまま、日本から忘れ去られたら
誰も浮かばれない」
その想いが彼をひたすらに動かします。
けれど次第にわかってくるミャンマーの現実。
ススの言葉にいろいろと企画を立てますが、
日本とミャンマーの政治や経済や文化のギャップから
なかなか上手く事は運びません。
けれどもある日、大きな助っ人達と出会います。
日本大学の石井進教授と日本きっての眼科医・藤田善史医師。
そして紫外線の多いミャンマーで多くの人が白内障で失明する事実。
貧困で病院にいけない国の現実。
助っ人となった彼らの協力を得て全くのボランティア、
善意での眼科医療支援が始まったのです。
無料の治療・手術。そして人材育成。
少しずつ形になってゆく活動。
そんな日々の中でオヤマは思います。
「後継を生み出すという事は、未来に日本とミャンマーのつながりをつむぐことだ。
19万人の戦没者達に、この為に自分達はここに来たのだと思ってもらいたい。
みんなのキラキラ輝く笑顔。
これこそが間違っていない証拠だ。
どこにも負けない、金では買えないもので、ミャンマーと日本が繋がっている。
私とススの行動は表に出ることは無い。
橋で言えば梁の部分だ。それでいい。
この橋の上をこれからたくさんの日本人とミャンマー人が行き交えばいい。
19万人の戦没者も…きっとそう思ってくれるはずだ。」
ミャンマーと日本を繋ぐ架け橋になろうとする二人。
日本ではあまり知られていないミャンマー(ビルマ)と日本の物語。
米澤さんが心豊かなオヤマさんを演じておられました。
くすっと笑って、ほろっと来る、
お金ではない熱い心意気を持つ純粋な人でした。
報恩パンフレットより米澤観児さんのコメントをご紹介させて頂きます。
「千鳥が淵の戦没者墓苑に行き、花を添えて両手をあわせて見たのですが、
どうにも心の中に言葉が出てこないのです。
ただ静かに手を合わせる以外、もうどうしようもありませんでした。
戦後に生まれた人間として、これが正直なところだと思います。
でも素通りできることではないとわかっているのも正直なところです。
たとえ戦没者たちの心にまっすぐ向き合う勇気は無くても、
「なにか」はできるように思います。
今まで私自身は、ボランティア、支援などという事に関して
どこか社交辞令的なもの、あるいは心の中の見返り的なものが
どこかにあるような気もしていたのですが、
断じてそういうものではなかったのですね。
どこか、芸術にまっすぐ向き合う心に似たものを感じます。
小山さんをはじめとして、奔走され、今も活動を続けられている方々の
ご紹介の一かけらを担えればと、強く感じます。」
「これは与えられたもので、通らねばならないものだった」
と米澤さんがおっしゃっていました。
多分、思うにすべての人にとってそうなのだと思います。
「見返りを求めないということ」
「こころからの善」
深く考える機会を頂きました。
ただただ感謝です。
この「報恩」はセットも殆ど無く、どのような場所での公演も可能です。
個人様、団体様からの召喚公演を広く募集しております。
ぜひ、多くの方に観ていただきたい作品です。
ご興味のあります方はぜひお問い合わせくださいませ。
alifeアート企画のチャリティイベント公演「報恩」
ミャンマーへ医療支援をしている実在の人々の熱意とあたたかな心がどのようにして始まったのか?
ミャンマーとはいったいどんな国なのか?私たちは何ができるのか?
そんな始まりの日々を描いたたった二人で演じる朗読劇です。
《出演》 米澤観児 鈴木澄子
※売り上げの一部は
日本ミャンマー交流協会に寄付いたします。
ご来場賜りました皆様、ありがとうございました。
懐かしい某劇団の稽古場前にあるレインボーコート参宮橋というちいさな劇場での3回公演。
2日目はミャンマー舞踊もあり、とても素敵でした。
ミャンマーと日本のつながりを作ろうと奔走する青年オヤマとミャンマー人のススの日々葛藤のお話。
たった二人だけでセットも殆ど無い場所で演じられます。
ひょんな事からミャンマーと縁を持った青年オヤマと
それを案内したミャンマーの女性スス。
青年オヤマが初めて訪れたミャンマーの地で目にしたのは
自分の得を考えず、人のために奉仕をし「徳」を積むミャンマー人の姿でした。
ただ日本人には違和感の残るものではありましたが。。。(笑)
仏教が深く浸透し、自分の財産を使い果たしても
困った人を助ける国、ミャンマー。
貧しくても飢えたホームレスやストリートチルドレンはいない。
助け合いの心から彼らはまわりに助けられるからだという。
そんな文化を持つ国、ミャンマー。
オヤマが初めて訪れたミャンマーでススに案内された場所は
日本国土に向けてちいさな墓標が立つ
「日本人兵士達19万人の眠るお墓」だったのです。
第二次世界大戦中「インパール作戦」によって亡くなられた
19万人の戦没者達の慰霊地でした。
そこでオヤマが見たのは誰に頼まれるでもなくお墓を掃除する
ミャンマーの女性達の姿でした。
「誰にも頼まれてもいないのにやってるの?あのお母さん達?」
「そう、功徳つんでる。」
青年オヤマはその二つの現実に衝撃を受けます。
そして彼の中に想いが生まれるのです。
「私は衝撃を受けた。
何かわからないものに背中を押されるように、
この国の小さな善意の人たちに、何か、たくさんのものを返さなくては、
と強く感じた。なにか、たくさんのもの…
この血で十九万人もの日本人が命を落とした。
そのたくさんの命たちが受けた恩。
そして十九万もの日本人が、ここで命を落とした意味…これでいいのか。
ただここでこんな小さな墓石を建てただけでいいのか。
それで、ここで散っていった十九万人もの…
誰かの父・誰かの兄・誰かの弟・誰かの息子。
…そういう彼らを失った日本中の母親の涙が報われるのか。
…そんなわけ無い。そんなわけないじゃないか!」
そして日本とミャンマーの架け橋になろうと
ミャンマー交流協会を設立、彼は奔走を始めます。
もちろん採算は二の次。
「今つながりがなくなれば、あそこで死んだ人はどうなる?
50年も60年も誰も来ないまま、日本から忘れ去られたら
誰も浮かばれない」
その想いが彼をひたすらに動かします。
けれど次第にわかってくるミャンマーの現実。
ススの言葉にいろいろと企画を立てますが、
日本とミャンマーの政治や経済や文化のギャップから
なかなか上手く事は運びません。
けれどもある日、大きな助っ人達と出会います。
日本大学の石井進教授と日本きっての眼科医・藤田善史医師。
そして紫外線の多いミャンマーで多くの人が白内障で失明する事実。
貧困で病院にいけない国の現実。
助っ人となった彼らの協力を得て全くのボランティア、
善意での眼科医療支援が始まったのです。
無料の治療・手術。そして人材育成。
少しずつ形になってゆく活動。
そんな日々の中でオヤマは思います。
「後継を生み出すという事は、未来に日本とミャンマーのつながりをつむぐことだ。
19万人の戦没者達に、この為に自分達はここに来たのだと思ってもらいたい。
みんなのキラキラ輝く笑顔。
これこそが間違っていない証拠だ。
どこにも負けない、金では買えないもので、ミャンマーと日本が繋がっている。
私とススの行動は表に出ることは無い。
橋で言えば梁の部分だ。それでいい。
この橋の上をこれからたくさんの日本人とミャンマー人が行き交えばいい。
19万人の戦没者も…きっとそう思ってくれるはずだ。」
ミャンマーと日本を繋ぐ架け橋になろうとする二人。
日本ではあまり知られていないミャンマー(ビルマ)と日本の物語。
米澤さんが心豊かなオヤマさんを演じておられました。
くすっと笑って、ほろっと来る、
お金ではない熱い心意気を持つ純粋な人でした。
報恩パンフレットより米澤観児さんのコメントをご紹介させて頂きます。
「千鳥が淵の戦没者墓苑に行き、花を添えて両手をあわせて見たのですが、
どうにも心の中に言葉が出てこないのです。
ただ静かに手を合わせる以外、もうどうしようもありませんでした。
戦後に生まれた人間として、これが正直なところだと思います。
でも素通りできることではないとわかっているのも正直なところです。
たとえ戦没者たちの心にまっすぐ向き合う勇気は無くても、
「なにか」はできるように思います。
今まで私自身は、ボランティア、支援などという事に関して
どこか社交辞令的なもの、あるいは心の中の見返り的なものが
どこかにあるような気もしていたのですが、
断じてそういうものではなかったのですね。
どこか、芸術にまっすぐ向き合う心に似たものを感じます。
小山さんをはじめとして、奔走され、今も活動を続けられている方々の
ご紹介の一かけらを担えればと、強く感じます。」
「これは与えられたもので、通らねばならないものだった」
と米澤さんがおっしゃっていました。
多分、思うにすべての人にとってそうなのだと思います。
「見返りを求めないということ」
「こころからの善」
深く考える機会を頂きました。
ただただ感謝です。
この「報恩」はセットも殆ど無く、どのような場所での公演も可能です。
個人様、団体様からの召喚公演を広く募集しております。
ぜひ、多くの方に観ていただきたい作品です。
ご興味のあります方はぜひお問い合わせくださいませ。
alifeアート企画のチャリティイベント公演「報恩」
ミャンマーへ医療支援をしている実在の人々の熱意とあたたかな心がどのようにして始まったのか?
ミャンマーとはいったいどんな国なのか?私たちは何ができるのか?
そんな始まりの日々を描いたたった二人で演じる朗読劇です。
《出演》 米澤観児 鈴木澄子
※売り上げの一部は
日本ミャンマー交流協会に寄付いたします。
事後報告、失礼。
多くの方に来てもらえるといいですね。
何も無いところだけど、心温まるとっても善い公演でした。
召喚公演を企画してくださる方を募集中だそうですよ。
ぜひ浜松に呼んでやってください!