KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

伸びていく植物の蔓に聞きながら…(つぶやき再録あり)

2014-10-27 | KOFUKU日記



《秋の味覚。栗に始めて出会ったニャンコ達》




つまづいたり ころんだり したおかげで
物事を深く考えるようになりました

あやまちや失敗をくり返したおかげで
少しずつだが
人のやることを 暖かい眼で
見られるようになりました

何回も追いつめられたおかげで
人間としての 自分の弱さと だらしなさを
いやというほど知りました

だまされたり 裏切られたり したおかげで
馬鹿正直で 親切な人間の暖かさも知りました
そして・・・・・・
身近な人の死に逢うたびに
人のいのちのはかなさと
いま ここに
生きていることの尊さを
骨身にしみて味わいました

人のいのちの尊さを
骨身にしみて 味わったおかげで
人のいのちを ほんとうに大切にする
ほんものの人間に裸で逢うことができました

一人の ほんものの人間に
めぐり逢えたおかげで
それが 縁となり
次々に 沢山のよい人たちに
めぐり逢うことができました

だから わたしの まわりにいる人たちは
みんな よい人ばかりなんです

(相田みつお)





母が亡くなってひと月、ふた月があっという間に過ぎ、そしてまた日々が過ぎていく。
いつかの日の繰り返しだなと心の中で思う。
人の心のなんと儚いことかと感じる。
なんど繰り返しても、愛する人の死には慣れない。
その憂いのなかで驚く程の速さの流れをただ外から見つめている。
そういう時は大体なにもできないままだ。

グリーフ(死別を超える時の流れ)の中では、子の死は未来、伴侶の死は現在、
そして親の死とは「過去」を失うことと言われる。
私は実体験から、いずれの死も過去現在未来の3つを失うこと
(見失う、とも言える)、時を失うことだと感じている。
だから身近な死を経験する度にこの3つの時間を深く振り返る事が多くなる気がする

もちろん現在を見て、未来を考えることにもなる。
つまり、自分という人間の本質を振り返り、現在を問い、
未来の目標やそれに向かう力となる信念などを思い返す経験をする。
その期間や経過は個人の経験や精神の状態により多様で
少なくとも伴侶たちの2回の死はそういうモノを伴っていて
私の場合だが、それは今も続いている。

今回母を見送ってみて、ああ、やっぱり過去を振り返るものだなぁと実感してる。
自分のつぶやきのコメントを見ても思うけど、今はどんな話題の中にも母がいる。
過去を思い返えしてしまうのは、そこに母がいるからなんだと思う。
生き様の中に母が生きている。

たぶん、それを確認することで自分の中で死なないことを確かめたり
未来に共に生き続けることを無意識に確認しているんだろうと思う。
そしてそのことが生きる力につながっていくんだろう。

きっとたぶん、引き継いでいく、繋がっていくってそういう事なんじゃないかなぁと感じる。
たぶん、これは死別だけじゃなくて、いろんな別れにおいて同じ経過をたどる気がする。
その深さは違うだろうけど似たような経緯をたどるのではないかなって。
例えば大事なものを失くすと言うような日々の出来事でも、恋人との別れでも。

その向き合い方はそれぞれの自然とその魂に響くような形で行われる気がする。
私の場合、書くことだ。呟きとかブログとか脚本とか。
人によっては芝居に通うとか、遊びに行くとかいろいろだと思う。

こういったことは他人様から観れば、精神病んでるていうか、ちょっと危ない感じに映るのだと思うし、
近隣の方にご迷惑かけることもあるし、何か言われることもあるのかもしれないけど、
それでも無視したらいけない気がする。
それを出来る時間を大事にしていくことってものすごく大切だと経験してきて思う。

だってそれは作り上げてきたものを壊され、それをすべて拾って、
一から組み立てなおして、明日に向かって自分で動かす為に魂が自然とやっていることだと思うから。
じっくりと向き合って行きたいと思っている。

しかし「最愛」という人の死を10年ほどで3度も繰り返せば、それなりの対応力はつくものか。
今回は変に無理をすることも、悲しみに落ち込みすぎることもなく、ジタバタせずにいられている。
他人様からどう映るかはわからないけれど。
それは諦めたのでもなく、何もしないのでもなく、ただただちゃんとこの流れを受け止めようと思って過ごしている。
ある意味、いまこそ確かに私は動いているのだという実感みたいなものもある。
だから魂も肉体も決して死んではいない。
それが分かっているから、自分では大丈夫だと思っている。

動けずにはいるが、その分、確かな思いも気持ちもちゃんと胸の奥底にある。
ただ時は一瞬も私の中でとどまってはくれないだけでね。
否、自分があるところから動けずにいるだけなんだろうな。
それもちゃんとわかってる。
けれども、それがどうしようもない時というのも間違いなく存在することも私は身をもって知っている。

実際に人というのはそんなに単純ではないのよ。私はそう思う。
いま「おかれた場所で咲きなさい」という本でちょっとしたブームになっている
シスター渡辺和子さんは昔は自分にも人にも厳しい方だったけれど、
50歳代でうつ病にかかられて死と向き合われた。
復帰された時、「私は人間は気持ちがあればやれるもので、
できないのは努力が足りないからだ、と思っていたが、病を得て、
人間には自分の意思でどうにもならない時や事柄があるのだと知りました。
私は感謝だの人間関係だの語ってきたけれど、自分のエゴばかりで世の中を判断していて、
実は何もわかっていなかった。なんと傲慢で思いやりと優しさのない人間だったことだろう」
と書かれていたことを思い出す。

かくいう私もそうだった。
何もないところから気力と努力と根性だけで身を立ててきた私には特にそれしか方法が見えなかった。
でも今は違う。
3度の愛する人の死はそう言った間違いを経験を通し人割と深く教えてくれた。
今は私もシスター渡辺と同じことを強く感じる。

人は自分が頑張っていて、それができているとき、特にそう思ってしまうんだろう。
「できないのはその人に本気の思いがないからです。やりたい人はどんな状況だってやるんですよ。」と。
これはよく目にし、耳にする言葉。確かにそれは間違ってはいない。
確かにその言葉が当てはまる人はいる。できるのにやらない人はそうだろう。
それに、何よりもそうできれば何よりいいし、そうありたいものだ。
けれどやっぱりそれは、そうできる状況と気持ちがあってこそなんだと思う。

自分の過去から判断していえば、そう人に言える人というのは、
その時は多分「本気」の正体を実際はあんまり分かっていない。
シンプルで、それでいて複雑な人の心を「本気」では理解できていないし、知らないから言えるんだろうなと思う。
結局、そちら側の環境しか知らないままモノを言ってしまっているのだ。
自分のなかの正義と信念をもって誠実に。だから悪いともいえない。
ただそれは、多分、本気のどん底と言うのも知らないし、
本気のこの世の地獄も、そこにいる人の本気の悲しみにも寄り添えていないということだと思う。

確かにそれらをこなす本気というのもあるが、物事には反面が必ずある。
それらをさせない本気もあるということを知らない、つまり解らないから言ってしまえるのだ。
「本気が足りない」なんて。
まあ、仕方ない、何度も言うが、それが若さというもの(笑)
(たぶん魂が)若いうちは希望に向かってしか未来が見えないモノなんだろうなー、って思う、
自分を振り返ってみても。
後ろ向きの経験に、未来の種や答えが入っていることを気づけるまでには、
きっとそれなりの時間と経験がいるんだと思う。

事実、ほとんどの人はイノチをかけるような経験なんてのは、なかなかしないし出会うもんじゃないし。
そういう条件が揃うのもまた珍しいのだから、理解できないなんて至極当たり前なんだろう
私のような死と隣り合わせみたいな環境が極く希なわけでね。
そんな自分ですら、なかなか理解できなかった。そんなもんだから仕方ない。
なんてねー、偉そうなことを思ってみたりね(^◇^;)
でも、本当にそうだと思う今日この頃。

でもそれでいいとおもう。それはそれで必要な考えなのだから。
この世になくてはならないし、大事なものなのよ。
それを経験しないとわからないこともあるから。
いまの私にはもう必要ないだけで。って、最近本当にそう感じている。




《日向ぼっこが気持ちいい季節ですね》




さて、亡くなった母は身も心も美しい人だった。
亡くなってからこっち、知らず知らずにずっと母を思っている。
母の胎内から出でて、彼女の乳をもらい、彼女の生き方を幼い日々の世界のすべてとしてきた私は、
間違いなく彼女の一部であり、彼女は私の一部であって、聖域だった。
大人になって、社会に出て、外から母を見た時、何よりその美しさを知った。
それはこの世ではできて当たり前ではなかった。
博愛の人だった母は、常に弱きものに寄り添い、涙し、共に笑い、すべてを分かち合える人だった。
母は敬愛する、最愛の家族だった。

そんな母の生き方を想うとき、私は自分のこれからを知らず内に考える。
一人、二人と最愛の人が遠く旅立つ度に自分はどうあるべきか考えたけれど今回も静かに深く考えている。
私は比較的、やりたいことや目的や好きなこと、自分の才能といったものが昔からある程度はっきりしている。
それに添うようにして生きてきたと言ってもよいと思う。

どの願いも私の環境ではまず叶わないような事ばかりだったから、
如何にそれを叶えて実行できるかを考えてやってきた。
自分の才能と相談しながら努力をし、常に周りの人に感謝をし、
ただの思い付きで突っ走らないように、とにかく考えて動くことを考えてきた。
なぜなら、私は自分も当然ながら幸せになりたかったが、それと同じか
それ以上に周りの人に幸せになってもらいたい、とずっと思い、今もそう思っているから。

それは母の生きざまの影響がほんとに大きい。
それまでに羨むほどの心の持ち主だったからだ。
いま人生の半分に手が届きそうなところまで来て、愛する人々、母を見送り、なお思う。
私は母のごとく生きたいのだな、と。
真似をしたい、というのではなく、結局自分の選び望む生き方のなかに母がある、ということだ。
だが残念ながら私は母のようには出来ていない。
ただただエゴの強い、至らない人間だ。
母が生きていれば、そんなことないがね、と言ってくれるだろうけども。

でも母を見送って本当に思った。今こそ光の道を継ぐときなんだ、と。
今まで、いろんな人や物事をプロデュースする立場にあったけれど、
いまこそ私は私を創っていきたいと思っている。
めぐまれて文章を書く機会をいただいているのだけど、
今ほんとに自分の生きる道に沿うもの、
私が美しいと思う世界をまっすぐを書いていきたいと思う。


私はできる限り、弱きもの小さき者の心に寄り添っていきたい。
何気ない毎日の中の、人間が生きる日々の、ふとした瞬間を描きたい。
生まれた人すべてが持っている普遍的な世界を描きたい。
0歳から向こうに行くまでのどんな人をもが理解できるようなシンプルなものを書きたい。
ただただ人が抱く愛の姿をかきたい。

昔、私が主演を務めた児童向けの作品を観に来てくださった、あるおば様がこう言ってくださったことがある。

「福ちゃん、あたしは今まで息子が出た作品をたくさん観たけど、いつもよくわからなかったの。
でも今日のお芝居は本当によくわかって、とっても面白かったがよ」

実はこの一言こそが私の後押しをしてくれた大きな言葉だったのですよね。
これを輝く瞳で私の手を握り締め、笑顔で興奮して言うのを聞いたとき、
私は赤ちゃんでもおばあちゃんでもどこか一箇所でいい理解できて
泣いたり笑ったりできる作品を作りたい、と心に決めたのでした。
この一言があったから頑張れた。だから死ぬまで大事にしたいなって。
小難しかったり、アートっぽかったり、そういうのはやってくれる人がいっぱいいるから。
私は死ぬまでそれをやっていきたいなって思っています。

たとえ、誰に見せなくとも、公演を打っていなくてもいいんですよ。
けれど、誰かに必要な時に、それが私一人があれば、
即座に無償で「芝居」の力を差し出せるように在りたいのです。
これが、いま自分がなりたいと思う俳優の形なんです。


井上ひさし先生の言葉ではありませんが
「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをおもしろく
おもしろいことをまじめに まじめなことをゆかいに ゆかいなことをいっそうゆかいに」
書いていきたいなって思うのです。

そのためにも母のような真の捧げる人生を選び喜べる人間でありたい、と。
本当の意味で自然と人と共鳴して生きていきたい。

とはいえ、今の私は誰とも接していないし、実際接したいと思っていないから、きっと不思議に思われるかもしれないけど。
そのこと、この3年かけて、よく考えたんです。で、わかったんです。
私はただ人とかかわりあいたくない、というのではないんですよ。決してそうではないんです。
事実、相方さんたちがいなくなって、友人も近くにいなくなって、
仕事からも遠く離れて、そのうえ病持ちで、犬や猫がいて、
如何に男手なしで、人の手助けなしで生活していくことが大変か痛感してます。

でも、一人になってつくづく思ったんですが、どうしてもこれ以上に
人やその気持ちを自分の寂しさや大変さに利用するのは嫌なんです。
そんな風に考えなくても友達じゃないの、と周りは言ってくれるのでしょうけど。
嫌というほど、これからの人生を考えろとか、新しい出会いとか言われるんですけど。
私はそんな簡単に次に行ける程、軽く人を愛してこなかったから、そうはいかないんですよ。
どうしても嫌なんですね。自分の状態とか考えるにつけ、そう思うんです。
今の状態で人に関われば、どうしても手を借りてしまうことになっちゃうなぁ、って思うし。
それはもう、最小限にとどめておきたいんです。
だったらできる限り、一人で孤独と向き合いたいというか、そこから生まれる広い愛を育てていきたいというかね。
エゴだとは分かっているのですが。今はどうしてもそうしたいと思っているんです。

そうしているもう一つの理由は、自分の気持ちいいところに収まりたくないということもあります。
別に変に我慢の修行みたいなのを自分に課したいとかでなくてね。
自分はこれまで多くの人とかかわる仕事をしてきて、共に何かを作り上げるのがお仕事でした。
その為には仲良くやるっていうのは本当に重要で、実際に人と交わることは得意な方だと思う。
だから、人と関われば関わるだけ嘘つけちゃうと思うんですよ、私は。
嘘というか、相手に合わせてしまえるから。それをしたくないというか。
いつも魂を捧げる人でありたい。カッコ良く言えば。
そんな思いが強くあるんです。

ながくなっちゃいました。(いつもか^^;)



映画にもなったのでご存知の方もいるかもしれませんが、太宰治の「パンドラの匣」という作品があります。
先日、母を想い、過去を思い返し、先を見つめながら、この作品を思い返していました。
この作品の一番最後の部分が、今の自分の気持ちにとても共鳴していたからです。
その部分とは次のように描かれています。


*********************************

献身とは、ただ、やたらに絶望的な感傷でわが身を殺す事では決してない。
大違いである。
献身とは、わが身を、最も華やかに永遠に生かす事である。
人間は、この純粋の献身に依ってのみ不滅である。
しかし献身には、何の身支度も要らない。
今日ただいま、このままの姿で、いっさいを捧ささげたてまつるべきである。
鍬くわとる者は、鍬とった野良姿のらすがたのままで、献身すべきだ。
自分の姿を、いつわってはいけない。献身には猶予がゆるされない。
人間の時々刻々が、献身でなければならぬ。
いかにして見事に献身すべきやなどと、工夫をこらすのは、最も無意味な事である、
と力強く、諄々じゅんじゅんと説いている。
聞きながら僕は、何度も赤面した。僕は今まで、自分を新しい男だ新しい男だと、少し宣伝しすぎたようだ。
献身の身支度に凝り過ぎた。お化粧にこだわっていたところが、あったように思われる。
新しい男の看板は、この辺で、いさぎよく撤回しよう。僕の周囲は、もう、僕と同じくらいに明るくなっている。
全くこれまで、僕たちの現れるところ、つねに、ひとりでに明るく華やかになって行ったじゃないか。
あとはもう何も言わず、早くもなく、おそくもなく、極めてあたりまえの歩調でまっすぐに歩いて行こう。
この道は、どこへつづいているのか。
それは、伸びて行く植物の蔓つるに聞いたほうがよい。蔓は答えるだろう。

「私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽が当るようです。」

(太宰治「パンドラの匣」より抜粋)

*********************************



ここからは母のごとく「人間の刻々が献身」となる様な生き方をしようと決めている。
私は太宰も作品の中で言っているが見事であるべきことに費やす猶予はないという言葉に深く共鳴するから。
心配はない。人生の指針も目標も使命も学びも全部、これまで日々とその生き方の中に或る。
新たな学びもそこに続く毎日のなかにこそあるのだ。
それをまっすぐ生きることで光に導かれていく、と今はちゃんとわかっている。
だから伸びていく植物の蔓のようにいよう。
向かった場所に必ず答えはあるのだから。

(9月に書いた記事)

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