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未曽有の大災害から7か月がたちました。
まだどこかで愛するご家族のお迎えを待っている方もおられます。
放射能の汚染は政府の「ただちに被害はない」の言葉によって
今、まさに大きく被害が広がりつつあります。
地震もまだまだ余波が大きく、先が見えません。
被害にあわれた方、尊いいのちを奪われた方、
そして、そのご家族に一日も早く、平安のありますように。
燈火ほどでいいのです。
どうか輝く温かい心の明かりがともされますように。
心からお祈り申し上げています。
それらを思うとき、私はなんて恵まれているのだろうか。
私は早くして愛する人を失わなくてはならなかったけれど
それでも私は見送らせてもらえ、お葬式にも出してもらえた。
彼の愛した小さな命たちを今も預からせてもらっている。
悲しみで病気にはなったが、おかげで田舎の家族のもとに帰ってこられた。
これは奇跡だ。そうとしか思えない。
どうしても帰りたくて、無理をしてまで帰ってきたから
借金だけができてお金はまったく無くなった。
生活は前にもまして大変になるが、
その代り、みんなで助け合う喜びが生まれた。
ほとんどいつも寂しくて悲しくて魂はふと気を抜けば
あっという間に死にそうにはなるけれど、
それは生きているということだ。
あの人が生きていたということだ。
アイガアッタトイウコトダ。
そしてそう私が思う限り愛は続くということだ。
悲しみの向こうにあの人がいるということだ。
時々、私と同じように避難してきて、
田舎のみんなの危機感がない、ああだこうだと書いている方がいる。
その方の寂しさがわからないわけではない。
私も知らない土地に長く一人で生きる経験をたくさんしたから。
わかるが、ただ私は無性に悲しくなる。
だって覚悟をして移動してきたのではないだろうか?
それだけでも恵まれている。
だから、どうか思い起こしてほしい。
そうしたくてもできない人がいることを。
私も2か月前はそういう人間の一人だった。
お金もつてもなかった。
私の家族は貧しくて助けたくてもできなかった。
でも奇跡が起きてここにいる。
奇跡とは愛に他ならないのではなかろうか。
奇跡とはたくさんの人の愛。
天に帰ったあの人がいなかったらこの奇跡は起こらなかったろう。
たくさんの友達や愛する人々の助けがなかったらここにはいなかった。
ここにいられることが許されているのは、みんなの愛ゆえにだと思う。
私はすべての愛に感謝しています。
嘆かれている方。どうか考えてみてほしいと思います。
恐怖から遠く離れた場所で危険が少ないから移動してきたんじゃないのですか?
だったら、その場所で危機感がないのは当たり前じゃないでしょうか?
そんなこと嘆いているよりも誰かとつながる努力や
大切な家族と助け合うことを大切にしてほしいとおもう。
まだ被災地で見つからない方や、放射能や地震の中
その場にいなくてはならない人のためにも。
きっとこれからは、助け合っていかなくては生きていけなくなる。
そんな力を大切にして移住生活を温かくしていってほしいなぁ、
そう思う今日この頃です。
そんな方々の寂しさにも明かりがともりますように。
そしていつか助け合えたらと祈っています。
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