KOFUKUの家から

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南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

バランス

2012-12-10 | KOFUKU日記


【南国の秋ももう終わりです】

実家のとなりに立つイチョウの大木の葉があと少しで全部落ちそうです。
秋も終わりなんですね。時が過ぎるのは早いです。

ひとつ前の記事で母の生死のことを書いたので
心配してくださった方もいて申し訳ありませんでした。
今はまだ大丈夫です。
私の場合、何事も後からくるタイプなので(;´∀`)
ただ今回は先にわかった時間の分だけ落ち着かないのです。
そんなですから、今はただ時を過ごすことを大切にしています。




【冬はあったかいところでゆったりまったりがいいね】


7日夕方の三陸沖地震、揺れた地域の皆様、大変でしたね。
ちょうど生放送のニュースを見ていて、揺れ始めから地震だと分かり、
地震のあった地方の皆さんと一緒に揺れをともに体感していました。

311の時、私は東京に住んでいたので、瞬く間にあの日のことを思いだし、
ものすごく緊張し、恐怖がこみ上げて、本当に揺れているように恐ろしかった。
311を体験したちわわンずも駆け寄って来てバッグに駆け上り震えていました。

TV画面の「津波!避難!」の赤文字、
「命を第一に!」「大震災を思い出してください!」響くアナウンサーの声。

怖かった。
被災地の方々の恐怖は察するにあまりあるほどです。
移住した揺れない土地に住んでいる私ですらフラッシュバックして
恐怖から熱が出てしまい、しばらく寝込んでしまいましたから。
でも、あのアナウンスは人を救えると思う。
人は死を感じなくては本気で逃げない、そんな気がする。

あの日のあの揺れ。私の住むマンションの震度計は震度7をさしていました。
地盤のせいか、立地のせいかわからないけど、
とにかく建物はものすごく揺れたのです。
となりに立つスポーツジムのプールの一面のガラスが
まるで溶けた飴のようにグニャグニャと揺れていてゾッとしたのを覚えています。

運良く私は犬と貴重品だけ握って階下に逃げられたものの、
その全面ガラスの波のような様子にガラスが割るかも、
地下のスパのボイラーが爆発するかもと、逃げてきた住民の方と
皆でジムと反対側の駐車場に這うようにして逃げました。
その短い時間の中でチビ達を抱え、一瞬死を覚悟しました。

その後、揺れの凄さに階下に逃げられなかった上階に住む人たちは
何軒ものお宅が3ヶ月ほどのあいだに家を売りに出して引っ越されました。
私のアンティークの大型のガラス戸付きの本棚は地震の揺れで歪み、
ガラス戸が外せなくなってしまいました。それほどの激しい揺れでした。

命に関わる恐怖は記憶の中から簡単には消えてくれないようです。
そして、あの日のように、命が奪われずに良かった。
昨日の地震が本当に大事にならなくてよかったと思います。
これ以上揺れませんように、と祈っています。





【ちわわンずは毛糸玉が大好きデス(´∀`)】
【籠から奪ってはほどくのが楽しいみたいです】



先日、実家のシェアメイトちゃんと一緒に家族が大ファンの
関ジャニ∞さんのTV番組を観ておりましたら
カラオケの歌を機械で採点するコーナーがありました。

関ジャニさんと歌手の方と同じお歌を歌って点数を競うのですが
その対戦相手に昭和の人気歌手の方が出ておられました。
歌った曲はジャニーズの人気グループのお歌らしいですが、
そんな前の曲でもなく、今時のお歌と行ってもいい曲です(笑)

それを聞きながらシェアメイトのKちゃんが
「同じ曲なのに、なんだかものすごく違う、なんだろう?」というので、
一応歌うたいの端くれの私が気がついたことを話してみました。
音楽家ではないので、もちろん、私の勝手な解釈で、根拠はございませんが(^_^;)

それは、歌を「リズムで歌う」のか、
「フレーズ(メロディ)で歌う」のか、
と言うようなことデス。

それこそグループサウンズとか流行る前の日本の歌謡曲は
美しい歌詞があり、その歌詞にメロディを載せたものが主流でした。
まずは言葉ありき、もしくは曲と歌詞が同時に生まれるもの、そんなイメージがあります。

言葉ありきでありますゆえに、当然ながら昭和でも50年代以前は特に
歌といえば歌詞(メロディ)にポイントをおいて歌われています。

でも50年代以降のお歌というのは、リズムが主体になりつつあって
歌もそのリズムに乗って歌われているのです。
もちろん歌詞はものすごく大事だけど、フレージングよりもリズムで歌う感じ?

ちょっと文章では表現が難しいですが、不思議なことに、
歌のポイントを置く部分をメロディとリズムにわけて歌うと
昔の歌が現代風に、今の歌が昭和歌謡のように聞こえてくるんザンスよ(笑)

そういうわけで、昭和のスターさんはメロディアスに歌い、
関ジャニさんはリズミックに歌ったんですね。
歌詞で歌うかリズムや音で歌うかでは、息を次ぐ場所が変わってきます。
だから同じお歌を歌っていても、全く違うイメージに聞こえたのです。

と、感じた私のお話をしたのでございます。

注)もちろん、もろもろ理論はありますが
大雑把にこんな感じって事ですけれども(・。・;


しかも、昔の歌手の皆さんは本当にお上手なので、
メロディを追っても伴奏やリズムを忘れることはないのですよねー。
味のある歌、いい歌を歌う人は、皆そうなのかもしれません。
どんなにメロディックに歌っても、ちゃんとリズムや伴奏が聞こえてきます。
反対にどんなにリズミックな方でも、歌心のある方が歌うと
ちゃんとメロディーや歌詞が伝わってくるから不思議ですねぇ。
そして、そこに流れていないハーモニーですら聞こえてくるのです。
そこが、すごいところですなぁ。


ほかの方が少年隊さんの「君だけに」を歌われましたが、
この曲なんかはこう言うのがわかりやすいのですよ~。

ほら、これってパチンって指のクラップ音が入っているでしょ?
メロディだけを追ったり音程だけを追ったりしちゃいますと、
瞬く間にこの音が聞こえてこなくなるんですよ。

上手な人が歌うとね、この音がとってもクリアに聞こえてくるんです。
なぜなら、この音が伴奏であり、ハーモニーであり、つまり曲。音楽そのものだからです。
これをね、ただの指パッチンの音だと思って歌う人はうまく歌えないのよー。
まあ、アタシの感じるところではの話ですが。

うまく言えないけど、歌ってそんな感じだと思うのですよ。
誰かにそうですよーと習ったわけじゃないけど、そんな感じ。
いい歌を歌えるかどうかは、そりゃ音程の良さとかね、
美声であるか?とかね、いろいろあるとは思いますけどもさ、
そう言うモノ以前に、「そんな感じ」ってのを感じられる
そのセンスが、どれくらい研ぎ澄まされていて、
それをそのくらい楽しめるかじゃないかと思ったりしますんですなぁ。


ぶっちゃけ、これは芝居であれ、歌であれ、ダンスであれ、
いわゆる芸術というものには、みんな共通すると思うんですけどね。
それが「才能」なんじゃない?とか、私はかんじているのですわ。
要は何事もバランス感覚がどれだけいいか、じゃないのかい?と。

そしてバランス感覚、っていうのは、思いやり感覚だと思うのよ。
他の物にどれだけ気づくことができるのか?と言うことではなかろうか?
それを感じる能力がバランス感覚、なんつってね(;´∀`)


大作曲家のチャイコフスキーはんがこういってるそうでおます。


メロディーは単独で成立するものではなく、
いつもそれに付随したハーモニーがあります。
音楽のこの二つの要素は、リズムとともに離れがたいものです。
どんなメロディックな楽想でも、
それ自体の固有のハーモニーがあり、
それにふさわしいリズムがあります。



ね、やっぱ、そんな感じでしょ?
ミュージカルやっているとね、そういう事を強く感じるんですよ。
歌を歌うって言うと、皆さん、そのメロディの音ばっかりを拾って稽古したりするけど、
特にミュージカルの曲はね、伴奏の中のリズムや音楽がその人の感情を表したり、
ここから先の運命や、相手の立場を表していたりするものなんですよ。
だから、そういう感覚を研ぎ澄まさないと歌えないものなのです。

そんなことを思いながら番組を見ておりました。

何曲か聞いたお歌の歌詞や音楽もとても素晴らしいものがありました。
いい歌はやっぱりいいですねー。


私は言霊、というものを信じています。
これは、母の影響も強いのですが、私の母は言葉のとても美しい人です。
私たちが汚い言葉を使うと「千年の恋もさめる」と言って諌める人でした。

母曰く、言葉には魂が宿る、と。
うんうん、そうね、と思うのです。

さて、言霊とはなんでしょう?
ちょっと調べてみましたよ。



言霊(ことだま)とは、一般的に日本において、言葉に宿ると
信じられている霊的な力のこと。

声に出した言葉が現実の事象に対して、何らかの影響を与えると
信じられ、良い言葉を発する良いことが起こり、不吉な言葉を
発すると悪いことが起こるとされている。

そのため、祝詞を奏上する時には、絶対に誤読がないように注意された。
今日にも残る結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものである。

日本は言霊の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸ふ国」とされた。

これは、古代において「言」と「事」が同一の概念だったことに
よるものであり、漢字が導入された当初も言と事は区別せずに
用いられている。


また、自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙げ」と言い、
それが自分の慢心によるものであった場合には、
悪い結果がもたらされると信じられた。

言霊思想は、万物に神が宿るとする単なるアニミズム的な思想という
だけではなく、心の存り様をも示すものであった。


西洋で言霊に当たるものには、霊的な力を含んだ「霊気」(プネウマ)と
いうものが新約聖書に登場する。

「風はいずこより着たりいずこに行くかを知らず。
風の吹くところいのちが生まれる。」

この「風」と表記されているるものが「プネウマ」である。

一般に音や言葉は、禍々しき魂や霊を追い払い、場を清める働きが
あるとされる。

これは東洋、西洋を問わず、祭礼や祝いなどで行われる。
神事での太鼓、カーニバルでの笛や鐘、太鼓などはその例である。

言葉も、呪文や詔としてその霊的な力が利用される。
ただし、その大本になる「こと」(事)が何であるかということは東洋、西洋で別れる。

日本人は「その実体は不可知であり、知ることは出来ないし、
また知ろうとしてもいけない」と考えていた。

言葉などは、まさに「こと」の「端」・「枝葉」でしかなく、
「こと」自体は我々には知りがたいとされた。






面白いですね。
この言葉を話すにもバランスがとても大事だと思います。

以前、私は不思議な人に会いました。
いきなりカフェの路上にあるテーブルに座った人に話しかけられてですね( ̄▽ ̄;)
非常にイケメンのナイスミドルなおじさまだったんですが。


「君、芸術家と一緒にいるでしょう?」

そのおじ様はおっしゃいました。


君は共にいる芸術家にバランスを教えなくてはならない。

(紙に頂点が下になった逆三角形を書き)

いいかい、芸術家のバランスというものは普通の人と違ってね、
こういう風に逆三角形をしているんだ。

この三角が立っているためにはバランスが重要だ。
このバランスを大切にしないと特に芸術は成り立たないんだよ。
それがハーモニーを起こすんだ。

バランスだよ、バランス。
これを忘れないようにね。

君はね、君が見放しても、神様が見放さない。
必要な人の前に置かれるんだよ。
いいかい、全てはバランスだからね。
それを支えるんだよ。」



そんな風におっしゃいまして。
訳も分からず、ハイと返事して、頭を下げて、
頭をあげたらもう目の前にいなかった( ̄▽ ̄;)


不思議だけど、本当の話。
ちょうど、毎日にすごく辛さがあった時期だったから
きっと神様が天使をよこしてくれたんだろうなー、って勝手に納得しています。


私はそういうことがよくあります。
人がなくなる前も、いきなり知らない人に教えられたりとか。
自分が迷っている時に、そういう人が目の前に現れるのですよ。
不思議だけど、本当の話。


皆さん。
全てはバランスですよ、バランス(笑)




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