暖かくなったり、寒くなったりのお天気が続いていますね。
先週半ばから微妙に風邪をぶり返しているあんじゅです。
皆様もどうぞお体ご自愛くださいませ。
さてお店でカンナちゃんのおばあちゃんからお借りした
古い「暮らしの手帳」をぱらぱらと読んでいたら、
カンナちゃんのお母様の幼い頃のお写真が出てきました。
しばし二人で盛り上がり、写真って大事だよね~と話しました。
今はデジカメ全盛期で、フィルムの写真は消えつつあります。
フジフイルムだってフィルム作らず化粧品作ってますもんね(^^;)
私は俳優業とそれに関わるお仕事をやってますから、
公演のポスターやパンフなど作るために写真スタジオにも良く行きます。
行きつけのスタジオもあります。でもやっぱり今はどこもデジタルです。
パシャパシャと惜しげもなく何十枚も撮って撮ってとりまくって、
きれいに写ったのをパソコンで選んで、いらないのは消す。
それでも気に入らなければ、パソコンをちょいちょいっといじれば
色や背景どころか、体型や顔まで変わりますのよ、あなた!
写真を撮れば誰だって美男美女の時代の到来です
それを写真専用プリンターで印刷すれば素敵な写真の完成!
ほんっとすごい時代になりました。
(気持ちはすでにおばーちゃんだ・笑)
けど、あたしがレトロやアンティークが好きだからか、
はたまた超アナログ人間だからなのかわかりませんが、
アタクシは「フィルム写真」が大好きです。
あ、自分ではトイカメラもしくはポラロイドいじるくらいですけどね。
一眼レフとか二眼レフとかそういうのはぜんぜん扱えないんですけどね。
でも、やっぱりフィルム写真がいいなあ、きれいだなあと思います。
撮る人の感性や技術でぜんぜん違ってきます。
何より、フィルムは一回写したら取り替えることが出来ません。
一枚、一枚、その瞬間を捉えようと丁寧にピントを合わせ
被写体に最高の速度でシャッターを切る。
一写入魂で撮るところがいいなと思います。
こないだ記事に書いた母方のおじいちゃんはカメラが趣味でした。
アサヒグラフを愛読し、大きなすっごい高いカメラを持ってて、
それで常日頃からばっしばっし写真とってくれてました。
けれど残念なことに水害の際に水濡れしてほとんど駄目になり
私の家は昔の写真がびっくりするほど残っておりません。
とっても残念です
それは仕方がないこととして、残ったわずかな写真は大事にしています。
それを考えても、古い写真っていいなあ、大事だなぁと思います。
実はうちのぴーちゃんの相棒こと相方さんもカメラが好きです。
もちろんフィルム写真。ニコンの一眼レフで写真を撮ります。
彼は俳優ですが、画家と言う肩書きも持っています。
画家さんというのは作品は写真を撮って保存するのだそうです。
現在はもっぱらぴーちゃんを撮るんですけどね(TOP写真参照・笑)
実はご近所にフィルムカメラ推奨の小さなカメラやサンがありまして
ぴーちゃんの相棒様はそちらが大変ごひいきです。
一週間に一本は撮る感じだからお店の方とも仲良しです。
その店のおじ様は穏やかで素敵なおじさまなんですが、
ご本人もフィルム写真が好きでが好きで、
フィルムカメラをなくしたくないとがんばってます。
たくさん写真を撮ってもらえるようにと現像代金も安く、
おまけにフィルムをくださったり、写真好きの集まる会なんかもやっておられて
それはそれは一生懸命です。
この店長さんいわく、「彼、いい写真とって来るんだよ」
と、ぴーちゃんのおにいちゃんはかなり筋がいいらしいです。
私も「動き出しそう」な相方さんの写真がとても気に入ってます。
写真って感じじゃなくて、動いてる気がする写真なんですよね。
やっぱ芸術家は何させてもセンスちゃいますよ。うらやましいっす。
確かにデジカメは便利です。本当にきれいだし。
パソコンでちゃちゃっと管理出来ちゃうし。
でも不安もある。そのうち、素顔で写真に写る人は居なくなりそうだ
今の女の子の化粧落としたら顔が変わっちゃう的なメイクとおんなじかもよ
その上、こんな風に「綺麗」と言う名の「ごまかし」が当たり前になったなら、
素顔で勝負の出来る女子も写真もこの世から消えてしまうに違いない。
(アタクシのメイク&フォトスローガン
*隠すな・変えるな・生かすんだ!笑)
けれど、フィルムカメラはそれだけで時間を価値あるものにする気がします。
取り直しの出来ない、貴重な一瞬を「あるがまま」に
「きれいに残す」って感覚がいいなぁ。
私はそう思います。
はい、ここでレトロな写真ご紹介デス
これは花の十代だった頃の「母」でございます
母は少女歌劇の舞台女優でした。
これは新しい和髪ヘアスタイルのポスターのモデルに選らばれ
撮影の前にリハーサルしてる時に撮ってもらった写真だそうです。
「前髪を切って下げる新しい結い髪のポスターでね、
素敵なお船の船室で撮ったのよ~」
と、言っていました。
そして、なんとメイクする前のすっぴんぴんの素顔だってさ
素顔、可愛く、美しく
女子はこうありたいものですね。。。。
余談ですが、うちの父は人を捕まえてじっくり眺めた挙句
「おかあさんがお前の年のときはそりゃああああ、綺麗だった…」
としみじみーとのたまいます。
わかっちゃ居るけどめっちゃむかつきます
もとい、少女らしくとっても可愛い写真だったので、
無理を言ってもらって大事にしていましたが
多分、写真が全部駄目になってしまった今では、
この写真が母の若き日の最後の一枚だと思います。
つくづく貰っといてよかったわ♪
母はこの写真でもお着物ですが、私が成人するまでは、
お出かけやなんかでおしゃれなスーツやワンピースを着る以外は
家の中でも外でも、ずっと着物ですごしていました。
ぶっちゃけ、私は実家を出るまで、着物以外の母を見たことが殆どありません。
父の実家も母の実家も薩摩藩の格式ある士族の家ですが、
明治維新以降は士族も普通に商売なども営んでおりました様です。
父の実家は本籍があるところから遠く離れた
市内の華やかな地域に店を出す、当時は地元一の呉服問屋だったそうです。
なので、着物は多分、掃いて捨てるくらいあった気がします。
家にある着物も古くはご先祖の着たであろう
3百年やそこらは経つ内掛けとかから新しいもの、
泥染めの紬やウールのアンサンブルなど普段着。
刺繍なども普通の刺繍から金箔・銀箔を巻いた糸で刺繍されたものや、
螺鈿に総絞り、西陣織、花嫁衣裳まで、綺麗なものが一杯ありました。
特に私が気に入っていたのは織られてから数百年経つ「紅絹」(もみ、と読みます)
この紅絹は薄く、薄く、バラの花びらよりも薄く、そして羽より軽いのです。
そしていったいなんで染めたのか?と思うほどに鮮やかに赤いのです。
家を出てくるとき、こういうものを少しずつ持って上京してきまして、
いつかベビーちゃんが出来たら、この紅絹を使って
着物の小物を作ってあげようと思ってこれももって来てましたが
念願かなって、うちのお姫様ぴーちゃまにお着物縫いまして、
その帯びにこの紅絹を使いました。
母が樹脂を使って作ってくれた小さな市松人形の和ちゃんも
おそろいでこの紅絹の帯をしめています。
見えるかな~?
≪お振袖ぴーちゃん≫
≪母作のちびちび和ちゃん≫
もちろん、私が物心付いてから家で触れた着物のはすべて母の手縫いです。
母は和裁も洋裁もする人だったので、着物は一晩で縫いあがってました。
髪飾りも何もかも、母のつまみ細工と家に伝わる
金銀や螺鈿、珊瑚の細工をしたかんざしなどでした。
古い金の板で細工されたかんざしは歩くとしゃらしゃら音がして綺麗でした。
骨董品がごっそりと置いてあって何ちゃって古美術ショップ(笑)
みたいな家だったので(写真参照・笑)置いてあるものも古いものだったし、
友達がくると写真のように着物を着ちゃったりなんかしてすごしてました。
みんなも時代劇宜しく楽しんでましたね~。
写真は着物着てはしゃぐ当時の親しい友人たちです。
相当、不思議な絵でしょ?(笑)
確かに普通家に着物はあっても裃はないわな~(^^;)
写真ではよく見えませんが後ろには装飾された馬具や蒔絵の金屏風
そしてなぜか家の中なのに人力車なんかも置いてあるんですよ。
実家を出る18才までは、私も普通に着物着て過ごしてましたしね。
冬は暖かいし、夏も絽や紗が涼しげでいいですよー。
その頃、制服以外にお洋服って殆ど持ってなかったんですもん
お洋服もよそいきのお洋服は母の若き日のシフォンのワンピとかだったし。
お着物には本当にお世話になりました。
来年は愛の同士カンナちゃんが成人式を迎えちゃうので~、
実家から振袖をあれやこれや送ってもらって、
着せ替え人形する予定ですっ
振袖もたくさんあるので、どれを着せようか迷います(^^)
カンナちゃんは身長があってとても美しいので大柄が映えるだろうなぁ。
わ~~~~い!今から楽しみだぁ~!
その時になりましたら写真アップしたいと思います!
今からお楽しみになさっててくださいね~
ラッキーなことに妹たちは170センチはある方ばかりなので
カンナちゃんにぴったりのサイズがありますでしょう(^^)
妹は「黒地に赤の花柄」がいいよ~、といってたんですが~、
私は紫の絞りのフジの花模様もいいなあとか思っちゃったりしてっ
ああ、妄想が広がるわ~
とにもかくにも、写真に着物、古いもの万歳です
皆様もたまには写真を眺めたり、着物着てみたり、いかがでしょ?
ちなみに最後にご紹介するのは「弟」の写真(笑)
可愛いでしょ!
(実は後ろに立っているのはあたし。二人とも母の縫った振袖を着ています。)
実はこれ、弟が3歳のときのものです。
他のサイトでも妹が公開してたんでここでも~。
(弟よ、すまん。でも可愛いしいいよね?笑)
先日、上京した妹が7歳の七五三参りのとき、妹と仲良かった弟は
(学芸会で舞台に立つ姉に客席から、
「お姉ちゃん一番可愛い!隣の女の子、○ス!」
と声をかけるほど・笑)
「どーしても、どーしてもお姉ちゃんと一緒にあの綺麗なのを着る!」
と聞かず、負けて着せました(^^;)
実はこの弟は男の子の格好をしているのに6年生まで普通に女の子に間違われており、
7歳までは男の子だと思われていなかったと言う過去があります(笑)
でもちゃんと5歳のお祝いはご近所で一番の豪華な染め抜きの幟とこいのぼりを立て、
ご近所には超豪華な祝い菓子(確か練りきりの鯉や鶴亀が入っていた)を配り、
惜しげもなく時代物の西陣だったか、なんだったかを母が袴に仕立て
それは立派な羽織袴の正装で神社に参拝したのでありました。
たった一枚の写真だけれど、思いではくるくるよみがえりますね。
しかしまあ、こうやって書きますとね、読んでる人から
「あんた、貧乏言うてるけどホンマかいな?」
と言う声が聞こえてきそうですよね~
そうなんですよ、こういうものをですね、
つまりは家柄とか、プライドとか、家にあるものとか?
お父様がいつまでも手放せず、ずっと維持していたので
その為にうちは大層貧乏だったのでありますよ。
だってお金ないのに季節のイベントごとに全財産や借金したお金、
つぎ込んでまでやるんだもの。そりゃ、お金なくなるってね(^^;)
なんといいますか、栄華を背負ってましたもの。。。
いやいや、でもそんな頓珍漢なおとうちゃんだったから
ものすごく善い物に囲まれて暮らせたわけです。
普通に壁に狩野永徳や光琳の掛け軸とかかかってましたもん。
おかげで美に目覚めました。
お父様、とりあえず、ありがとうございます