KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

フィルム写真と懐かしい日々

2010-01-26 | KOFUKU日記


暖かくなったり、寒くなったりのお天気が続いていますね。
先週半ばから微妙に風邪をぶり返しているあんじゅです。
皆様もどうぞお体ご自愛くださいませ。

さてお店でカンナちゃんのおばあちゃんからお借りした
古い「暮らしの手帳」をぱらぱらと読んでいたら、
カンナちゃんのお母様の幼い頃のお写真が出てきました。
しばし二人で盛り上がり、写真って大事だよね~と話しました。

今はデジカメ全盛期で、フィルムの写真は消えつつあります。
フジフイルムだってフィルム作らず化粧品作ってますもんね(^^;)

私は俳優業とそれに関わるお仕事をやってますから、
公演のポスターやパンフなど作るために写真スタジオにも良く行きます。
行きつけのスタジオもあります。でもやっぱり今はどこもデジタルです。

パシャパシャと惜しげもなく何十枚も撮って撮ってとりまくって、
きれいに写ったのをパソコンで選んで、いらないのは消す。
それでも気に入らなければ、パソコンをちょいちょいっといじれば
色や背景どころか、体型や顔まで変わりますのよ、あなた!
写真を撮れば誰だって美男美女の時代の到来です
それを写真専用プリンターで印刷すれば素敵な写真の完成!
ほんっとすごい時代になりました。
(気持ちはすでにおばーちゃんだ・笑)

けど、あたしがレトロやアンティークが好きだからか、
はたまた超アナログ人間だからなのかわかりませんが、
アタクシは「フィルム写真」が大好きです。

あ、自分ではトイカメラもしくはポラロイドいじるくらいですけどね。
一眼レフとか二眼レフとかそういうのはぜんぜん扱えないんですけどね。
でも、やっぱりフィルム写真がいいなあ、きれいだなあと思います。
撮る人の感性や技術でぜんぜん違ってきます。
何より、フィルムは一回写したら取り替えることが出来ません。
一枚、一枚、その瞬間を捉えようと丁寧にピントを合わせ
被写体に最高の速度でシャッターを切る。

一写入魂で撮るところがいいなと思います。

こないだ記事に書いた母方のおじいちゃんはカメラが趣味でした。
アサヒグラフを愛読し、大きなすっごい高いカメラを持ってて、
それで常日頃からばっしばっし写真とってくれてました。
けれど残念なことに水害の際に水濡れしてほとんど駄目になり
私の家は昔の写真がびっくりするほど残っておりません。
とっても残念です
それは仕方がないこととして、残ったわずかな写真は大事にしています。
それを考えても、古い写真っていいなあ、大事だなぁと思います。

実はうちのぴーちゃんの相棒こと相方さんもカメラが好きです。
もちろんフィルム写真。ニコンの一眼レフで写真を撮ります。
彼は俳優ですが、画家と言う肩書きも持っています。
画家さんというのは作品は写真を撮って保存するのだそうです。
現在はもっぱらぴーちゃんを撮るんですけどね(TOP写真参照・笑)

実はご近所にフィルムカメラ推奨の小さなカメラやサンがありまして
ぴーちゃんの相棒様はそちらが大変ごひいきです。
一週間に一本は撮る感じだからお店の方とも仲良しです。

その店のおじ様は穏やかで素敵なおじさまなんですが、
ご本人もフィルム写真が好きでが好きで、
フィルムカメラをなくしたくないとがんばってます。
たくさん写真を撮ってもらえるようにと現像代金も安く、
おまけにフィルムをくださったり、写真好きの集まる会なんかもやっておられて
それはそれは一生懸命です。

この店長さんいわく、「彼、いい写真とって来るんだよ」
と、ぴーちゃんのおにいちゃんはかなり筋がいいらしいです。
私も「動き出しそう」な相方さんの写真がとても気に入ってます。
写真って感じじゃなくて、動いてる気がする写真なんですよね。
やっぱ芸術家は何させてもセンスちゃいますよ。うらやましいっす。

確かにデジカメは便利です。本当にきれいだし。
パソコンでちゃちゃっと管理出来ちゃうし。
でも不安もある。そのうち、素顔で写真に写る人は居なくなりそうだ
今の女の子の化粧落としたら顔が変わっちゃう的なメイクとおんなじかもよ
その上、こんな風に「綺麗」と言う名の「ごまかし」が当たり前になったなら、
素顔で勝負の出来る女子も写真もこの世から消えてしまうに違いない。
(アタクシのメイク&フォトスローガン
*隠すな・変えるな・生かすんだ!笑)

けれど、フィルムカメラはそれだけで時間を価値あるものにする気がします。
取り直しの出来ない、貴重な一瞬を「あるがまま」に
「きれいに残す」って感覚がいいなぁ。
私はそう思います。


はい、ここでレトロな写真ご紹介デス



これは花の十代だった頃の「母」でございます
母は少女歌劇の舞台女優でした。
これは新しい和髪ヘアスタイルのポスターのモデルに選らばれ
撮影の前にリハーサルしてる時に撮ってもらった写真だそうです。
「前髪を切って下げる新しい結い髪のポスターでね、
素敵なお船の船室で撮ったのよ~」
と、言っていました。
そして、なんとメイクする前のすっぴんぴんの素顔だってさ
素顔、可愛く、美しく
女子はこうありたいものですね。。。。

余談ですが、うちの父は人を捕まえてじっくり眺めた挙句

「おかあさんがお前の年のときはそりゃああああ、綺麗だった…」

としみじみーとのたまいます。
わかっちゃ居るけどめっちゃむかつきます

もとい、少女らしくとっても可愛い写真だったので、
無理を言ってもらって大事にしていましたが
多分、写真が全部駄目になってしまった今では、
この写真が母の若き日の最後の一枚だと思います。
つくづく貰っといてよかったわ♪

母はこの写真でもお着物ですが、私が成人するまでは、
お出かけやなんかでおしゃれなスーツやワンピースを着る以外は
家の中でも外でも、ずっと着物ですごしていました。
ぶっちゃけ、私は実家を出るまで、着物以外の母を見たことが殆どありません。

父の実家も母の実家も薩摩藩の格式ある士族の家ですが、
明治維新以降は士族も普通に商売なども営んでおりました様です。
父の実家は本籍があるところから遠く離れた
市内の華やかな地域に店を出す、当時は地元一の呉服問屋だったそうです。
なので、着物は多分、掃いて捨てるくらいあった気がします。

家にある着物も古くはご先祖の着たであろう
3百年やそこらは経つ内掛けとかから新しいもの、
泥染めの紬やウールのアンサンブルなど普段着。
刺繍なども普通の刺繍から金箔・銀箔を巻いた糸で刺繍されたものや、
螺鈿に総絞り、西陣織、花嫁衣裳まで、綺麗なものが一杯ありました。

特に私が気に入っていたのは織られてから数百年経つ「紅絹」(もみ、と読みます)
この紅絹は薄く、薄く、バラの花びらよりも薄く、そして羽より軽いのです。
そしていったいなんで染めたのか?と思うほどに鮮やかに赤いのです。

家を出てくるとき、こういうものを少しずつ持って上京してきまして、
いつかベビーちゃんが出来たら、この紅絹を使って
着物の小物を作ってあげようと思ってこれももって来てましたが
念願かなって、うちのお姫様ぴーちゃまにお着物縫いまして、
その帯びにこの紅絹を使いました。
母が樹脂を使って作ってくれた小さな市松人形の和ちゃんも
おそろいでこの紅絹の帯をしめています。
見えるかな~?


≪お振袖ぴーちゃん≫

≪母作のちびちび和ちゃん≫

もちろん、私が物心付いてから家で触れた着物のはすべて母の手縫いです。
母は和裁も洋裁もする人だったので、着物は一晩で縫いあがってました。
髪飾りも何もかも、母のつまみ細工と家に伝わる
金銀や螺鈿、珊瑚の細工をしたかんざしなどでした。
古い金の板で細工されたかんざしは歩くとしゃらしゃら音がして綺麗でした。

骨董品がごっそりと置いてあって何ちゃって古美術ショップ(笑)
みたいな家だったので(写真参照・笑)置いてあるものも古いものだったし、
友達がくると写真のように着物を着ちゃったりなんかしてすごしてました。
みんなも時代劇宜しく楽しんでましたね~。
写真は着物着てはしゃぐ当時の親しい友人たちです。

相当、不思議な絵でしょ?(笑)
確かに普通家に着物はあっても裃はないわな~(^^;)

写真ではよく見えませんが後ろには装飾された馬具や蒔絵の金屏風
そしてなぜか家の中なのに人力車なんかも置いてあるんですよ。

実家を出る18才までは、私も普通に着物着て過ごしてましたしね。
冬は暖かいし、夏も絽や紗が涼しげでいいですよー。
その頃、制服以外にお洋服って殆ど持ってなかったんですもん
お洋服もよそいきのお洋服は母の若き日のシフォンのワンピとかだったし。
お着物には本当にお世話になりました。

来年は愛の同士カンナちゃんが成人式を迎えちゃうので~、
実家から振袖をあれやこれや送ってもらって、
着せ替え人形する予定ですっ
振袖もたくさんあるので、どれを着せようか迷います(^^)
カンナちゃんは身長があってとても美しいので大柄が映えるだろうなぁ。
わ~~~~い!今から楽しみだぁ~!
その時になりましたら写真アップしたいと思います!
今からお楽しみになさっててくださいね~
ラッキーなことに妹たちは170センチはある方ばかりなので
カンナちゃんにぴったりのサイズがありますでしょう(^^)
妹は「黒地に赤の花柄」がいいよ~、といってたんですが~、
私は紫の絞りのフジの花模様もいいなあとか思っちゃったりしてっ
ああ、妄想が広がるわ~

とにもかくにも、写真に着物、古いもの万歳です
皆様もたまには写真を眺めたり、着物着てみたり、いかがでしょ?

ちなみに最後にご紹介するのは「弟」の写真(笑)
可愛いでしょ!

(実は後ろに立っているのはあたし。二人とも母の縫った振袖を着ています。)


実はこれ、弟が3歳のときのものです。
他のサイトでも妹が公開してたんでここでも~。
(弟よ、すまん。でも可愛いしいいよね?笑)

先日、上京した妹が7歳の七五三参りのとき、妹と仲良かった弟は
(学芸会で舞台に立つ姉に客席から、
「お姉ちゃん一番可愛い!隣の女の子、○ス!」
と声をかけるほど・笑)
「どーしても、どーしてもお姉ちゃんと一緒にあの綺麗なのを着る!」
と聞かず、負けて着せました(^^;)
実はこの弟は男の子の格好をしているのに6年生まで普通に女の子に間違われており、
7歳までは男の子だと思われていなかったと言う過去があります(笑)

でもちゃんと5歳のお祝いはご近所で一番の豪華な染め抜きの幟とこいのぼりを立て、
ご近所には超豪華な祝い菓子(確か練りきりの鯉や鶴亀が入っていた)を配り、
惜しげもなく時代物の西陣だったか、なんだったかを母が袴に仕立て
それは立派な羽織袴の正装で神社に参拝したのでありました。

たった一枚の写真だけれど、思いではくるくるよみがえりますね。

しかしまあ、こうやって書きますとね、読んでる人から
「あんた、貧乏言うてるけどホンマかいな?」
と言う声が聞こえてきそうですよね~

そうなんですよ、こういうものをですね、
つまりは家柄とか、プライドとか、家にあるものとか?
お父様がいつまでも手放せず、ずっと維持していたので
その為にうちは大層貧乏だったのでありますよ。
だってお金ないのに季節のイベントごとに全財産や借金したお金、
つぎ込んでまでやるんだもの。そりゃ、お金なくなるってね(^^;)
なんといいますか、栄華を背負ってましたもの。。。

いやいや、でもそんな頓珍漢なおとうちゃんだったから
ものすごく善い物に囲まれて暮らせたわけです。
普通に壁に狩野永徳や光琳の掛け軸とかかかってましたもん。
おかげで美に目覚めました。

お父様、とりあえず、ありがとうございます

醤油、甘いか、しょっぱいか

2010-01-21 | KOFUKU日記


今夜はりんごジャムパンを食したあんじゅです。

私の中で「味音痴?」と思ってしまう人というのは
お醤油やお味噌や素材の味を単純に「甘い」とか
「辛い」とかだけで表現する人を指すかもしれない。

いや、だからってですね
「味の洪水や~!
とか言わんでよろし、と思うほうでもある(笑)

私は生粋の九州人。そして食べるの大好き。
仕事柄、日本全国の全都道府県に行っているので、
結構地方の味も知っている方だと思う。
日本はなんて美食の国なんだ~と心底思う。

でも、
「九州のご飯以上に美味しいものあんの~?」
と、言い放てるほど「九州の味」LOVE

先日、我が家の家族が始めて上京してきました。
その際、今はなんせ「ど貧乏」ゆえに
たいしたお世話はしてやれなかったのだが、
それでも喜んでくれて、お礼に何か送ってくれると言う。
そこでリクエストしたのが「地元のお醤油」だった。

唐突だが私は卵が好きである。
卵かけご飯や玉子焼きがとても好きだ。
それだけでご馳走なので、他には何もいらない。
調味料はお醤油のみ。
好みの問題なのでお好きな方の批判なんてする気も何もないが
でも砂糖入れた玉子焼きなんてあたしの食生活には邪道なのよ(笑)
お醤油のみの玉子焼き万歳!である。

ところが上京してから、いや、日本全国各地に移り住んでから、
その食事の味を左右する「お醤油」や「塩」「味噌」の味が
各地で違いすぎることに結構ショックだった
特に岐阜県に住んでいた時は味の違いにあり得ない位驚いた。

そしてせめて玉子焼きくらいはと思って一生懸命作ったが
決してあたしの好きな味にならなかった。
そして長い年月、私は自分の中の大好きな玉子焼きと出会えていなかった。
そんな時、妹と弟が「これは旨い!」と言う一押しのお醤油を送ってくれると言う。
ものすごく嬉しかった


うちは現在は故あって本当に貧しいが、ずっとそうだったわけでない。
あたしが8歳くらいまでは人もうらやむお金持ちであった(笑)
マジで水曜日はシェルと言う地元に当時は一軒しかなかった
本格的なフランス料理レストランでの食事と決まっていた。
4歳にして「スープはコンソメ・ジュリアンにしてね
とかのたまっちゃうお譲ちゃんだったりした。
当時日本で一番のマンモス小学校にいたが、
節分の折には父が3300人分の節分用の豆を寄付していた。
そのくらいは裕福だったので、多分、
食べ物も美味しいものを食べさせてもらったと思う。

さらにその頃はもう居なかったおばーちゃんが
鹿児島でも群を抜いた大店の高級乾物屋の超お嬢様であったため、
代々、出汁と調味料にはうるさかった。
だって出しの味のしない味噌汁なんて、味噌汁じゃないべさ?って感じ?

昔、かつおぶしを枕崎から背負子背負って売りに来る
行商の可愛いおばーちゃんたちから買っていた頃は
母が毎日しゃかしゃかとかつおぶしをかいて、
煮干の頭とはらわたを取り、どっちもわさっと片手に握り
そのままなべに放り込んで出汁をとった。
そうでなくてはうちのお味噌汁は成り立たなかったのだ。

一緒に暮らしてた母方のじーちゃんは、関西が長かったので
関西風の出汁のとり方がとても上手かった。
お正月にニシンや青い魚を巻き込んだ昆布巻きを煮てくれるんだが
昆布の出しだけでとろけるまでに煮込んだ昆布巻きは絶品だった。
このおじいちゃんは食べるのが好きで作るのも好きだった。
ぼんたん漬け(ボンタンと言うみかんの砂糖漬け)や金柑煮、
果てには原っぱに行って葉っぱを取ってきて薬草茶なども作っていた。
一緒にバラの花びらのお砂糖漬けとか、リキュールボンボンとかも作った。
この人もまた変わった美味しいものを教えてくれたと思う。

このおじいちゃんもまた人生がとっても面白くて
戦時中は日本で2番目に大きな竹製品を扱う会社の社長で、
当時は全日本軍の半分の竹製品を納めていたそうだ。
店は神戸に本社があり、中国北京にもお店があった。
だから母は幼少期を北京で過ごしている。
ついでにおじいちゃんは中国語、ロシア語、ドイツ語がしゃべれた。
中国語にいたっては、中国人並みで、実はシベリア抑留者だが
ロシア語が話せたので看守と仲良くなり、自分の隊全員を逃がしてもらった。
だが他の人は次々と日本人とわかり捕まってしまった。
しかし、じいちゃんはまんまと中国人になりすまし
3年を中国人として暮らして、お金をためて日本に帰ってきた。
私は中国語が好きで、昔よくテレビの語学講座を見ていたら、
ある日、じいちゃんが来て、途中に流れる中国語の歌を一緒に歌った。
マジで中国人だった。その後、テレビの質問に中国語で答えていた。
今もよく民芸店などで扱っている、孟宗竹の節を使った
お漬物などの入れ物はわたしのおじいちゃんの特許である。
昔はお漬物など樽で売られていて重くて持ち運びに不便だったのだそうだが、
ある日、蛇の目傘に竹の節が使われていることを見て、
竹の節を入れ物にすることを思いついたのだそうだ。
写真となぜかこけしつくりが趣味のかなり面白い人だった。

話がそれてしまったが、その様な味にこだわってくれるお家だったので
父(九州濃い味)、母(関西風出汁味)と味の大きな違いはあったが
おかげさまで「ものを美味しく食べる」事にたけているんじゃないかと思う。

ちなみに醤油を送ってくれる妹も弟も料理上手である。
弟はある有名焼肉店の店長代理もしてたくらいで手先も器用。
母がとても高齢で産んだ為、働く姉と老齢の母に代わって
もうずいぶん昔から厨房にたっている。
当時はもう貧乏だったから食材の無駄ない工夫や調理も上手い。
妹は私たち上の姉が家を出た16才のときからずっと
料理や家事をして親の面倒を見ながら弟を学校にやった。
私も出来るだけの援助はしてきたが、
一緒に暮らしていた彼女は本当に大変だったと思う。
私が今あるのはこの人たちの頑張りのおかげなのだ。
ありがたや、ありがたや。

さて7年前、急に一人になって実家に帰ったときも
この弟がいろいろとご飯を作ってくれた。
当時はまだ甥っ子が2歳半でちいさかったので
大人の食事を作りながら「あいつが好きだからねぇ」と言いつつ、
甥っ子用のおかずを同時に作る弟に「出来る主婦」をみた(笑)
先日きた時も弟が食事を作ってくれて、カンナちゃんはかなり感動していた。
何もしてくれなくても料理してくれたら幸せかも~と思わせる料理である。
弟の作るものはかなり美味しい。そして見た目がきれいなのだ。
多分、これは母方のおじに似てるんだな。
しんちゃんという母の亡くなった弟は、
霊能者でお料理が趣味で上手だった(笑)
いろいろと美味しいものを作っては食べさせてくれたが、
何より思い出に残ってるのは盛り付けが美しかったこと。
これは母も上手なんだが、私は残念ながら似なかった。。。。
でも弟はそのテクをDNAで継いでいると見た。

先日、その二人お墨付きのお醤油が届いた。
じゃじゃーんこちらです!



丁子屋さん(マルチョウ)のお醤油さんたちである。
わーい!わーい!
早速、洗足のお店に空き瓶と友に持っていくことに。
お世話になった長谷川先生とカンナちゃんには分けてあげなきゃ~。

しかし、ここでしばし悩む。。。。
ううう、いったいどれを上げればよいのかしらん???

そこで丁子屋さんのHPに飛んでみた。
それぞれのお醤油の特徴を読む。

フムフム、なるほど。

そして、一番甘みの少ないお醤油「むらさき」を持って行くことに。
東京のお醤油に慣れている人には、一番食べやすいかもと思ったのだ。

そしてお店にて初開封~~~~~^^
あああ、お醤油の美味しいにほひ~。

そして、カンナちゃんに味見をしてもらう。
カンナちゃん、ひとなめして叫ぶ。

「味がある!

カンナさん、さすがです。いいこと、おっしゃる!
食べるの大好きと言う人にありがちな質より量のお方ではありませんでした。

そうなんです。鹿児島のお醤油は「甘い」のではなく
「味」つまり「旨み」があるのです。
カンナちゃんはお醤油に味があると思ったのは初めてだそうです。

むらさきは一番鹿児島特有の旨みが少ないタイプですから
今度は昔ながらのお醤油「つる」をお分けしたいと思っております。
どんな反応があるか今から楽しみであります。

あ、その後に早速お醤油で玉子焼きと焼きそばを作って食べました(^^)
非常に美味しかったです。懐かしい味でした。
早く「つる」で作りたいですね~。

故郷があるっていいですね。
懐かしい味とともに、いつもそこに誰かが居るんですよね。
懐かしい風景があります。いいものです。

今日はお醤油の美味しい話から、懐かしい人にも会えました。
おいしいお醤油をありがとう。

ああ、明日は卵かけご飯しよ。

トウシューズ

2010-01-21 | 夢の街手しごと工房
うちにはお姫様が居ます。
「ぴーちゃん」って言うんですけどね。
チワワのお嬢さんなんですけどね。
このところ、洗足のおうちに行ってから更にお嬢様ぶりは加速しております。
ほんとにすぐご近所に雅子様のご実家「小和田邸」があるんですが、
小和田様の雅子様か、夢の街のぴーちゃまかって位の姫っぷりです(笑)

この方です。試作品のニットトウシューズ着用中(笑)
マレーネ・ディートリッヒもびっくりの美脚ですな。


この人、小さい頃からご使用の身の回り品は「自分のもの」でないと気に入らず、
犬なんて何でもいいでしょ、と対応される方は最初から無視。
ご飯もご自分のお茶碗とお箸にて半分までは食べさせてもらわなくちゃ嫌(^^;)
食べものもすべてお口のサイズに合わせて小さくしないと駄目。
お食事はあたたかくないと駄目で、冷えているものなんて見向きもしません。
飲み水ですら夏は冷たく、冬あたたかくないと飲まないんですよ。
うん、ホット飲むんです。このひとは(^^;)
お使いになるお布団も何もかも家中で一番良いものでないと気に入らず…
もちろん、「お手」なんてわんこのする事はするわけがございませんです。

その「お姫さま」っぷりはかなりのものでしたが、
最近、更に筋金入りだとわかりました(笑)

ぴー様の通勤バッグはお手製でカーキの厚手柔らか素材の大型トートの中に
ビニールのコードで編んだ堅いかごバッグがセッティングされており、
まず厚手バスタオルを四つ折にして敷いて、
その上にふわふわ~のマイクロフリースのミニブランケットが
全体に敷かれておりまして、そこに入って通勤なさるわけです。

ところがある日、担いでるバッグのバランスが変。
で、中をのぞくと、お嬢様が端っこに座っている。
ええ、座ってるんですよ、この人。

ワンちゃんが座る、というのではございません。
人が座るという形状です。
つまり背中をバッグの端っこに持たれかけて、足を伸ばし、
手をひざにおいて、普通に座ってるんですよね。
おうちで壁にもたれて、足伸ばして座るでしょ?あれです。
赤ちゃんのときから、得意技で病院とかでも驚かれるんですが(^^;)

そんな狭いスペースでなんで!と思い、真ん中に寝かせようとすると
ヽ(`Д´)ノううううう!と怒る。そしてまた端に座る。

何でかな~と思い、中を探っても何も入ってない。。。。
で、数回繰り返したところで、一回姫をかばんから出して
布類をきれいにしてみることにしたら硬いビニール籠の下に、
以前いつも使用しているリードが見当たらず
代理で使ったリードがもぐりこんでいるのを発見。
それを取り除いたところ、さっさといつもの姿勢に戻られる姫。
どうやら、その金具の感触が嫌だったらしい。
けど、私がブランケットの上から触っても、
その所在はぜんぜんわからなかったんすけどね(^^;)

「あんたは豆の上に寝たお姫様か。。。」

思わず、つぶやいてしまった…。
ますますの「姫」っぷりに一抹の不安を覚える《乳母一号》です(^^;)


さて姫さまが着用しているプチ・トウシューズはあんじゅの春の新作です。
これは手紡ぎの糸で編んだもの。3センチくらいの小さな靴です。



今はカンナちゃんとそれぞれの感性で春を感じる様な
小さなオブジェや小物などを製作中です。

カンナちゃんと私、お互い好きなものなどは似ていますが
やはり表現となりますと、それぞれの作風が大きく違います。
ぜひその辺も工房のひとつの魅力として楽しんでいただければと思います。

あたくしの感覚から言わせてもらいますと、
アーティスト“kanna”の作品というのは、
全体的に見たときに個性として、どんな柔らかな作品の中にも、
一本スッと通ったラインの様な強さというか、シャープさがあります。
それは彼女の色遣いや形にも大きく表れています。
北欧やヨーロッパの色の洪水を思わせると見ていると
アールデコやモダンレトロな大正、昭和初期の日本の色使いも感じます。
アバンギャルドな風味も持ちながら、ノスタルジックで上品。
彼女の作る羊毛ドールはまた形やラインが独特で素敵です。
そこがとってもアーティスティックです。

そこへ行くと私は元来シンプルな色やものや形が好きです。
色もどっちかというと単色使いが好きだし。
色味のあるものはくすんだ色合いなど微妙な色が好きです。
レトロな昔からあるノーブルな形や美しさが好きなので、
ドイリーやレースなどのパターンを使った作品を良く作ります。
あとは懐かしさを感じるあたたかな手しごとものが専門。
子どものおもちゃや服なども昔から作っています。
あまり形や色では冒険をしませんがそこが特長とも言えるかも知れません。

カンナちゃんの作品の中に靴を置かせてもらいました(^^)


二人の共通点は「ノーブル」上品な美しさが好きであること。
女性らしさを感じるものに惹かれること。
いわゆる現代的なキャラクターやキラキラのファンシーさが苦手。
そんな感じでしょうか?(笑)

ちょっと時代遅れ?いや、良い物は変わらずに良いのよ、
って二人と一匹が作り出す世界を是非のぞきにいらしてくださいね。
ぴーちゃん姫も一緒に心よりお待ち申し上げております。