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松木邦裕ほか編『パーソナリティ-障害の精神分析的アプローチ-病理の理解と分析的対応の実際』2009・金剛出版

2024年10月13日 | 心理療法に学ぶ

 たぶん2017年のブログです

     *  

 精神分析家の松木邦裕さんと福井敏さん編集の『パーソナリティ-障害の精神分析的アプローチ-病理の理解と分析的対応の実際』(2009・金剛出版)を再読しました。

 この本も久しぶりです。 

 家庭裁判所にいた時、パーソナリティ障害の人との対応で苦労した時には、関連した本をよく読んで、勉強会などでも一所懸命に勉強をしていたものですが、定年後はあまりそういう人に出合うこともなくなり、しばらくは統合失調症の勉強に中心が移っていた感じでした。

 しかし、パーソナリティ障害の患者さんとの対応や援助はやはり難しい仕事であり、本書を再読しても、その感を強めました。

 印象に残ったことをいくつか。

 福井さんは、パーソナリティ障害治療の歴史を概観し、パーソナリティ障害の人は人生早期に他者に合わせ、自己感覚を失っているのではないかと述べます。

 紹介されている多数の事例はいずれも丁寧な治療ですごいですし、成人後、他者に迷惑をかけるパーソナリティ障害の人の病態の底に、表面とは違う悲しみを帯びたような傾向があることを指摘されるのはすごいと思います。

 また、松木さんは、パーソナリティ障害の人は悲哀の過程を維持できずに、行動化している病いではないかと述べます。

 ここでも、悲哀の体験の重要さが出てきましたが、悲哀をいかに体験するかは人生の大きな課題のようです。

 さらに、鈴木智美さんの事例では、治療者が生き残ることの大切さ、岩倉拓さんの事例では、治療者が患者と「共狂い」することの大切さや逆転移の大切さについて語っています。

 あるいは、日下紀子さんや早川すみ江さん、その他のかたがたの事例もすばらしくて、とても勉強になります。

 今後、さらにいい援助ができるよう、勉強と経験を積み重ねたいと思いました。            (2017?記)

     *

 2020年11月の追記です

 人生において悲哀は避けることができないことです。

 別れ、死など、いくつもの悲哀を経て、ひとはおとなになります。

 その悲哀を何らかの事情でこころからかなしめない時、ひとのこころは成熟することができずに変調をきたす、と精神分析では考えます。

 かなしい時にこころからかなしむことの大切さを改めて思います。         (2020. 11 記)

 


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