ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

安保法を見据えてのベトナム寄港と踏切の安全問題のニュースを見て考える-じーじのひとりごと

2024年04月09日 | ひとりごとを書く

 2016年のブログです

 (ずいぶん前の文章ですが、その後も政府のやっていることは戦争への再軍備化だと思われるので、再録します)

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 先日、海上自衛隊の自衛艦がベトナムの港に寄港をしているニュースを見ました。

 自衛隊の艦船がベトナムに(?)、何のためなのか、よくわかりませんでした。

 安保法のせいなのでしょうか。

 当然、中国は抗議の声明を出していました。

 それらを見て、じーじは、日本を守るために、自衛隊がベトナムにまで行く必要があるのだろうか、と単純に思いました。

 そして、ひょっとすると、太平洋戦争の前にも、これと同じような光景がアジアの各地であったのかな、と想像をしました。

 ベトナムにいる日本人を守るためにという理由で、また、中国や東南アジアの国々にいる日本人を守るためにという理由で、自衛隊があちこちに派遣されるのでしょうか。

 一方で、今日のニュースで、全国に危ない踏切がいくつもあることがわかりました。

 危ないことは以前から指摘をされていても、なかなか改善をされていないようです。

 お金の問題なのでしょうか。政府の予算の使い方の問題なのでしょうか。

 自衛艦と踏切。どちらが国民にとって切実な問題なのでしょう。

 自衛艦一隻分のお金でどれだけの踏切が改善できるのでしょうか。

 じーじはただのじーじで、特別な思想信条は有していませんが、今の時代に国防費と交通安全費とどちらが大事かと聞かれれば、交通安全費と即座に答えます。

 国民の目の前の安全を守れずに、国家を守るなんて、妄言でしょう。

 国家より、大切なのは国民の命です。

 国民の命を守れない政府が国家を守れるのでしょうか。

 弱いものをきちんと守れないような政府は最悪です。

 まずは弱いものを守ってこその政府ではないのでしょうか。

 じーじのひとりごとです。     (2016.4 記)

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 2024年3月の追記です

 政府が戦争への恐怖をあおることで儲かるのはおそらく兵器屋さんだろうと思います。

 軍艦、飛行機、ミサイル、戦車、などなど、大企業が儲かるものばかりです。

 飛行機は共同開発をして、輸出までするようです。

 政府にとっては、基地の地元の国民の危険性より、政治献金をしてくれる兵器屋さんの大企業のほうが大切なのでしょう。     (2024.3 記)

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 同日の追記です

 じーじとしては、主張がぶれていないな、と思っていますが、うちの奥さんなどは、いつもかわりばえがしないわねぇ、などと厳しいことを言います。

 首尾一貫していて、す・て・き!と思ってもらえると元気が出るのですが、人生はむずかしいものです。 

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 2024年4月の追記です

 踏切での死亡事故が起こってしまいました。警報機だけでもついていれば防げたかもしれません。   

 この国は何をやっているのだろう?と思います。

 自衛艦を派遣したり、敵基地攻撃ミサイルを買うより、踏切の警報機を買いませんか。      (2024.4 記)   

     

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村上春樹 『騎士団長殺し』(第1部・第2部)2017・新潮社-その1・哀しみとユーモアと

2024年04月09日 | 村上春樹さんを読む

 2017年春のブログです

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 村上さんの 『騎士団長殺し』(第1部・第2部)(2017・新潮社)を読みました。

 これからも読後感や印象がどんどん変化すると予想するのですが、第1報をとりあえず書いてみます。

 まずは、とてもおもしろかったです。

 じーじのこころの準備不足のせいか、エンジンのかかるのが少し遅かったのですが、途中から物語に引き込まれて、土日月の3日間で読んでしまいました(もったいない!)。

 テーマは重層的で深いです。

 あまり詳しくは書きませんが、善と悪、戦争、人殺し、死者と対象喪失、こころから哀しむこと、信ずること、その他もろもろ。

 偶然でしょうが、対象喪失とこころから哀しむことのテーマが出てきました(と、いっても、じーじがそう感じているだけで、普遍的なものとはいえないのかもしれませんが…、最近、そのようなことを考えている私にとっては、意味のある偶然です)。

 まだ読んでないかたも多いと思いますので、あらすじもあえて書きません(もっとも、村上さんの小説の場合、あらすじよりは、何を感じるか、のほうが大切な気がしますが…)。

 印象としては、ねじまき鳥と海辺のカフカの延長線上にあるような感じで、深く、重い内容ですが、カフカに出てくるホシノくんのユーモアのようなものにところどころ包まれているような印象を受けます。

 深く、重い物語を少しのユーモアが救ってくれるかのようです。

 われわれの人生は死や哀しみを避けられないものですが、しかし、ユーモアや信ずるということによってなんとか生き残っていけるのかもしれません。

 さらに、読みこんでいきたいと思います。    (2017.3 記)

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 2023年6月の追記です

 哀しみや別れや死は人生において避けられないですが、それを受け容れるためには、少しのゆとりやユーモアなどが大切なのでしょうね。

 そうすることで、逃げることなく、人生のわからないことにも耐えて、生きていけるのかもしれません。

 そして、それがこころの成熟ということなのかもしれませんね。     (2023.6 記)

 

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心理臨床とイメージ・小野けい子先生・山中康裕さん-じーじのカウンセリング日記

2024年04月08日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2020年春の日記です

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 BS放送大学の、心理臨床とイメージ、を見る。

 いつも途中から見ていたので、今回は新学期ということもあり、先週の第1回から見ている。

 今日は第2回、表現療法ということで、なんとゲストが山中康裕さん。

 小野先生(大学院在学中はたいへんお世話になりました)のインタヴューがうまいこともあって、山中さんのいろいろな思い出話が展開される。

 山中さんの若い頃のエネルギッシュな様子がうかがえて、とても面白い。

 中井久夫さんや河合隼雄さんのお話も出て、勉強になる。

 時に、山中さんが逆に小野先生にインタビューをされて、小野先生もいつになくリラックスをされて、貴重なお話をされる。

 とても勉強になる番組だなと思う。

 下手な学会や研究会に出るより、ずっと勉強になる。

 みなさん、BS放送大学の、心理臨床とイメージ、はお勧めですよ!     (2020.4 記)

 

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東直己『悲鳴』2001・角川春樹事務所-東直己さんの私立探偵・畝原シリーズの第3作です

2024年04月08日 | 北海道を読む

 2023年春のブログです

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 東直己さんの小説『悲鳴』(2001・角川春樹事務所)を久しぶりに読む。

 このところ、樋口有介さんと東直己さんの小説にはまってしまい、ずっと読み続けている。

 この小説は、東さんの私立探偵・畝原シリーズの第3作。

 ご存じのかたもいらっしゃるかもしれないが、東さんにはススキノ探偵シリーズがあって、映画化もされて、それなりに知られているが、こちらの私立探偵・畝原シリーズも負けないくらいに面白い。

 舞台はやはり札幌。

 地元の元大手新聞の記者だったが、事件関係者の陰謀で誤認逮捕をされ、新聞社を解雇された中年男性が主人公。

 奥さんに逃げられ、小学生の女の子を育てながら、私立探偵をして生計を立てている。

 その畝原の正義感と、以前と変わらずに友情を示してくれる友人らの姿が読んでいてすがすがしい。

 しかし、仕事に関わって起きてくる事件はおどろおどろしていて、現代的な理解を超えたような事件の連続。

 一種の現代風俗小説のようでもある。

 第3作である『悲鳴』も同じ。

 あらすじは書かないが、差別、ホームレス、宗教、利権、腐敗、などなど、現代の闇を描く。

 一服の清涼剤は、畝原の一人娘と、畝原の友人の息子で、畝原の空手の弟子である青年の関わり。青春である。

 おどろおどろしい事件の中で、主人公の愚直さとユーモアが楽しい。

 読後感は悪くない。

 絶望を抱きそうにもなるが、生きてゆくこともよさそうとも思える。

 良質の小説ではないかと思う。    (2023.4 記)

 

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チューリップの国旗とチューリップの国歌の夢を見た-じーじのじいじ日記・セレクト

2024年04月07日 | じいじ日記を書く

 2023年12月のブログです

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 お昼寝をしていたら、とても楽しい夢を見た。

 日の丸がチューリップの図柄(!)の国旗にかわり、国歌が君が代にかわってチューリップの歌(!)になるというもの。すごいでしょう!

 夢の中では、小学校の入学式で、新入生がチューリップの花を持ち、チューリップの国旗に向かって、チューリップの国歌を元気に歌っていた。

 日の丸・君が代の強制が厭で、自分の子どもたちの入学式と卒業式は全部欠席したじーじだが(子どもたち、ごめん)、こういう入学式や卒業式なら列席してみたい。

 孫娘たちが学生のうちに実現しないかな?

 そうしたら、じーじもぜひ出席させてもらって、チューリップの歌を大声で歌いたい(?)。

 そもそも、日の丸はもとより、菊や桜の図柄だと、なんとなくキナ臭いイメージがつきまとう。

 その点、チューリップはいい。

 チューリップといえばオランダだが、日本が文明開化をしたのはオランダの蘭学によるところが大きく、学問や思想の自由を表現すると思う。

 加えて、チューリップの歌の、どの花見てもきれいだな、というフレーズは、国民の平等と人権を表現すると思う。

 さすがはじーじ、いい夢を見る。

 日頃、フロイトさんのまねをして、夢の研究をしている成果が出たのかもしれない。

 こんないい夢が実現するといいな。     (2023.12 記)

 

 

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2歳の孫娘の保育園デビューにおける小さくてもとっても大きな大冒険!-遊ぶことのちから

2024年04月07日 | 遊ぶことのちからを考える

 2016年、下の孫娘が2歳、上の孫娘が5歳の時のブログです

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 車で1時間ほど離れた町に住んでいる孫娘たちが遊びに来ました。

 2人とも元気いっぱいです。

 2歳になる下の孫娘はこの4月に保育園に入園しました。

 いよいよ保育園デビューです。

 年少さんのさらに一つ下のチョー年少ぐみで、「こあらぐみ」というのだそうです(とてもかわいいネーミングですね。園長せんせいの「あそびごころ」がひかります)。

 最初は、おうちがいい!、と下の孫娘は泣き叫んだようですが、今では笑顔で通園バスに乗って保育園に通っているようです。

 我が家に来ると、下の孫娘は覚えたての「チューリップ」のうたを大声で歌って、なにやら自慢げです。

 さらには、お絵かきを始めて、画用紙に大きなまるを描いては、でかい!といい、小さなまるを描いては、ちっちゃい!とお話しています。

 あっというまに、お話ができるようになって、じーじもばーばもびっくりぽん!です。

 また、上の孫娘はそのそばで、マイペースでジバニャンやプリキュアのぬり絵をしています。

 ついこないだまではかなりはみ出して塗っていたのが、ずいぶん上手になりました。

 孫娘たちの成長は本当にすごいです。

 子どもの持っているエネルギーをひしひしと感じます。

 年寄りはどんどん置いていかれるのみです。

 しかし、それが世のならい。仕方のないことですね。

 じーじも、孫娘たちからエネルギーをいっぱいもらって、せいぜい無理をせずに、頑張ることにしましょう。     (2016.  5 記)

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 2024年春の追記です

 今頃、気がついたのですが、この時、下の孫娘が自慢げに歌っていたのがチューリップの歌でした。

 チューリップの歌はじーじも大好きで、花の名前を覚えるのだけは苦手(?)なじーじもチューリップの花ならなんとかわかります。

 以前、チューリップの花が国旗になり、チューリップの歌が国歌になる夢を見たことがあって、ブログに書いたことがありますので、あとで再録します。   (2024.4 記)

   

 

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山秋真『ためされた地方自治-原発の代理戦争にゆれた能登半島・珠洲市民の13年』2007・桂書房

2024年04月06日 | 随筆を読む

 2024年4月のブログです

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 山秋真さんの『ためされた地方自治-原発の代理戦争にゆれた能登半島・珠洲市民の13年』(2007・桂書房)を読む。

 今年3月、TBS「報道特集」の能登半島地震の特集番組を見ていたら、久しぶりに金平茂紀さんが出ていて、地元の人から珠洲岸発の話を取材していた。

 珠洲原発?

 じーじはうかつにも全く知らなかった。

 調べてみると、1980年代に能登半島の珠洲に北陸電力・関西電力・中部電力が原発を作る計画を発表、反対派と賛成派が激しく争ったが、2003年に電力3社が撤退を表明したという。

 この間、新潟の巻原発計画では、住民投票の末に反対派が勝利し、東北電力は撤退をしている(じーじも組合の役員をしている時だったので、こっそりと原発反対のビラ配りにいったりした)。

 珠洲原発計画では、賛成派の選挙違反や土地の不正売買などがあり、地元の人たちは大変だったようで、それらの様子を山秋さんはていねいに取材されている。

 結局、電力3社が途中で撤退して、原発は中止となったが、この間の争いで、賛成派も反対派も双方が傷ついたさまが痛ましい。

 そして、今年1月の能登半島地震。

 震源地は珠洲市で、もし、原発ができていたらと思うと、想像するのも怖い。

 やはり、地震が多発する日本には原発は無理なのではないか。

 山秋さんは、この珠洲原発闘争のあと、山口県上関町の祝島でも原発計画反対の取材をし、それを『原発をつくらせない人びと-祝島から未来へ』(2012・岩波新書)にまとめている(じーじの拙い感想文があるので、よかったら読んでみてください)。

 力のある、現場中心のルポライターさんで、今後も楽しみな人である。    (2024.4 記)

 

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椎名誠『三匹のかいじゅう』2013・集英社-三匹の孫かいじゅうとシーナじいじいの物語です

2024年04月05日 | シーナさんを読む

 2019年のブログです

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 椎名誠さんの『三匹のかいじゅう』(2013・集英社)を再読しました。

 シーナじいじいの孫物語シリーズの第三作。

 シーナさんの息子さんの岳くん家族が、第三子を日本で出産するためにアメリカから来日、その前後のシーナさんのじいじいぶりが描かれます。

 おもしろいです。とてもおもしろいです。

 じーじにも心当たりがあるようなできごともあって、思わず笑ってしまいます。

 頻繁に笑ってしまい、この本も電車の中で読むのは危ない本だと思いました。

 第三子は無事に生まれ、琉太くんと名づけられます。

 そして、風太くん、海ちゃん、琉太くんの三匹のかいじゅう相手にシーナじいじいの奮闘が始まります。

 しかし、2011年3月11日の東日本大震災があり、その後、原発事故が起こります。

 シーナじいじいは孫たちへの放射能汚染を心配してみんなで沖縄に一時避難、その後、岳くん家族のアメリカへの帰国も考えながらの日々となります。

 楽しいながらも、癌発問題や日本の歪んだ社会事情を背景にして、シーナじいじいは時に怒りながら、孫たちにはとても優しく、楽しく孫育てを行ない、その光景は読んでいてもうれしいものです。

 シーナじいじいの怒りが正当だけに、孫たちへの愛情は際立ち、じーじも正義感の強いじーじになりたいなと思わせられます。

 決して甘いだけではない、いい小説です。

 最後、一番上の風太くんがシーナさんの書いた孫物語第一作『大きな約束』を読むようになるところで物語は終わます。

 続きが楽しみな、上質の小説だと思いました。     (2019.4 記)

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 2021年秋の追記です

 2年ぶりに再読をしました。じーじにしてはかなり早い再読です。

 いい小説ですね。さすがのじーじでもあらすじは覚えていましたが、シーナさんの文章がいいです。

 読んでいて、とても幸せな気分になれる小説です。おいしいビールが呑めそうです。     (2021.9 記)

 

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相田信男『実践・精神分析的精神療法-個人療法そして集団療法』2006・金剛出版-精神科病院での実践に学ぶ

2024年04月04日 | 精神療法に学ぶ

 2020年春のブログです

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 相田信男さんの『実践・精神分析的精神療法-個人療法そして集団療法』(2006・金剛出版)を読みました。

 相田さんは精神科医で群馬県にある精神科病院の院長先生、そして慶応大学医学部の講師、さらに精神分析協会正会員というかた。

 じーじはお名前を知っている程度でしたが(相田さん、ごめんなさい)、去年秋の札幌での精神分析学会の分科会でみっちりとお話をお聞きして、すごいちからのあるかただなと驚きました。

 若手治療者のケース検討会の助言者をされたのですが、お話が的確で正確、かつわかりやすい語りで、本当に勉強になりました。

 そして、その相田さんの本を読んでみたくなり、今回、本書を読みました。

 この本もすごい本で、相田さんは正直に飾りなく、さまざまな事柄を率直に語っていらっしゃいます。

 例によって、印象に残ったことを一つ、二つ。

 まずは、精神科病院での集団療法の実践。

 一見、スタッフと患者さんの普通の話し合いのように見えるのですが、そこで集団療法的な味付けをするのは、その困難さがわたしのような未熟者にも多少ともわかるので、すばらしいなあ、と感嘆させられます。

 できるところから、できることから、集団療法をやっていくという姿勢がすごいです。

 二つめは、夫婦療法の時に、ビデオの電池が切れた際のエピソード。

 それまですごい夫婦喧嘩を展開していたご夫婦が、電池交換の時だけ喧嘩が止まり、ビデオが再びまわり始めると、また激しい夫婦喧嘩が再開した事例をひいて、ビデオと治療者の似た関係を考察されます。

 少し遊びごころもあって、興味深いです。

 さらに、小此木啓吾さんとの対談は、精神分析や集団療法について、わかりやすく語られていて、勉強になります。

 いい指導者といい本に出合えて、幸せだなと思いました。    (2020.4 記) 

 

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坂本直行『雪原の足あと』1965・茗溪堂-直行さんの画文集を姿勢正しく(?)読む

2024年04月04日 | 北海道を読む

 2020年4月のブログです

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 坂本直行さんの画文集『雪原の足あと』(1965・茗溪堂)を読む。

 ふだん読書の時は座椅子に寝っ転がって読んでいるので、大きな本は敬遠気味だが(直行さん、ごめんなさい)、今回は姿勢正しく直行さんの大判の本を読む。

 直行さんが原野での開墾生活をやめて、画業一本になってからの本で、山歩きの話や開墾生活の思い出が語られ、それに山や花の絵が添えられている。

 とても贅沢な本で、六花亭の包装紙で有名なきれいな花々や六花の森の売店の絵葉書などでしか見れなかったすばらしい山の絵が、大判の本の中にいっぱいだ。

 見ていると気持ちがすがすがしくなってくる。

 こころが疲れた時などには、ぜひ眺めたいと思う。

 今後は姿勢正しく(?)、直行さんの本を読んでいきたい。    (2020.4 記)

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 2024年春の追記です

 今も直行さんのこの本は、姿勢正しく読みたい、と思っているが、たまには寝っ転がって読んでみたい(?)、ような気もする。

 この本も文庫本で出てくれると、六花亭のおせんべい(そんなのあったかな?)をポリポリかじりながら、寝転んで読めそうだ(!)。

 山渓さん、頑張ってね(?)。  

 と、ここまで書いて、念のため、調べてみたら、去年にもう文庫本が出ていた(直行さん、山渓さん、ごめんなさい)。

 これは買うしかないね(!)。     (2024.4 記)

 

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中井久夫『精神科治療の覚書』1982・日本評論社-中井さんの名著に細やかさやていねいさを学ぶ

2024年04月03日 | 中井久夫さんを読む

 2024年4月のブログです

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 中井久夫さんの『精神科治療の覚書』(1982・日本評論社)をかなり久しぶりに読む。

 中井さんの名著なのに、再読がすっかり遅くなった。反省。

 中井さんが日々の精神科治療で経験されたことをすごく細やかに、ていねいに記されていて、勉強になる。

 真摯な精神科医はこんなにもいろいろなことを考えて治療をされているのか、と本当に感心させられる。

 それでいて、そこから患者さん中心の精神医学が立ち上がってくるさまが見えてくるようですごい。

 例は違うかもしれないが、松田道夫さんの『育児の百科』を思い出す。

 松田さんも、子どもの症状をていねいに細やかに記して、そこから親ごさんが安心できるような情報を導き出すが、そこがそっくりな印象を受ける。

 患者さんや家族を大切にする大家は分野が違っても、同じような作業をされているのかもしれないなあ、と思ったりする。

 もう一つびっくりしたのが(一回読んでいて、今ごろ、びっくりした、もないが…)、この本で中井さんがすでに「ハムレットの原理」に触れている点。

 患者さんの話を「聴く」ということは、その訴えに関して、中立的な「開かれた」態度を維持すること、「開かれた」ということはハムレットがホレイショにいうせりふ「天と地の間には…どんなことでもありうる」という態度、と述べられていて、19世紀のある治療者(誰かな?)が「ハムレットの原理」と名づけている、と紹介されている。

 この「ハムレットの原理」を中井さんは患者さんに「ホレイショの原則」と呼んでいたらしいし、じーじの考えではこれはわからないことにすぐに結論を出さずに耐えて考え続けることでもあると思う。

 今頃、中井さんの先見の明に触れられて、お粗末なじーじだが、勉強の楽しさを十分に味わえた1か月であった。      (2024.4 記)

 

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喜多由布子『知床の少女』2007・講談社-北のじーじとばーばの知恵に学ぶ

2024年04月03日 | 北海道を読む

 2020年春のブログです

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 喜多由布子さんの小説『知床の少女』(2007・講談社)をしばらくぶりに読みました。

 いい小説です。

 涙もろいじーじは、終わりのほうは、涙じわーんで読んでしまいました。

 高校受験に失敗をして、浪人中の女の子が主人公。

 家庭不和もあって、精神的に余裕がなくなっています。

 そんな女の子に、札幌に住むじーじが遊びに来ることをすすめます(いいじーじですね)。

 そして、じーじのはからいで知床で水産工場を営む、さくらばあ、というばーばのところに。

 そこで、働く人たちとの生活の中で、女の子は本当にだいじなことはなにかを学んでいきます。

 飾りはないけど、質素で純朴な人たち。

 厳しいけれど、こころ温かい人々とのやりとりの中で、女の子は都会では見失われている大切なものに気づいていきます。

 いわば、梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』の北海道版みたいな素敵な小説です。

 明るいだけでなく、哀しみもあるところが北海道らしいのかもしれません。

 喜多さんの文章はシンプルだけど、力強く、そして、美しい日本語で読みやすく、あっという間に読んでしまいました。

 いい小説が読めて、今、しあわせな瞬間を味わっています。

 明日からまた頑張ろうという勇気をもらえたような気がします。    (2020.4 記)

 

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ふきのとうを眺めながらの里山カウンセリングは、こころももこもこ元気になります

2024年04月02日 | カウンセリングをする

 こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で,じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや里山カウンセリング,海岸カウンセリングと訪問カウンセリングを新潟市と北海道東川町(夏期)でたまにやっています。

 また,メールカウンセリングや面会交流の相談・援助も時々やっています。

 公園カウンセリングや里山カウンセリング,海岸カウンセリングは,屋外で行なう個人カウンセリングや親子・夫婦の家族カウンセリング,子どもさんの遊戯療法などで,お近くの公園や自然の中で,ゆっくりとご自分やご家族のことなどを考えてみます。

 料金・時間は1回50分3,000円で,隔週1回,あるいは,月1回などで行ないます。

 訪問カウンセリングは,屋内で行なう個人カウンセリングや家族カウンセリング,子どもさんの遊戯療法などで,ご自宅やお近くの屋内施設で,じっくりとご自分やご家族のことなどを考えてみます。

 料金・時間などは公園カウンセリングと同じです。

 メールカウンセリングは,メールによるカウンセリングや心理相談で,2週間に1往信で行ない,1往信700円です。

 面会交流の相談・援助は,相談はご自宅などで行ない,1回50分3,000円,援助はお近くの公園や遊戯施設,あるいはご自宅などで行ない,1回60分6,000円です。

 カウンセリング,相談・援助とも土日祝日をのぞく平日の午前10時~午後3時にやっています(すみません、年寄りなもので、夕方や週末のお仕事が難しくなってきました)。

 じーじのカウンセリングは,赤ちゃんや子どもさんがご一緒でもだいじょうぶなカウンセリングですので,お気軽にご利用ください。そういう意味では,深くはないけれども,現実の生活を大切にしたカウンセリングになるのではないかと考えています。

 料金は,低めに設定させていただいていますが,月収15万円未満のかたや特別なご事情のあるかたは,さらに相談をさせていただきますので,ご遠慮なくお問い合せください。

 ちなみに,消費税には反対なのと,計算がややこしいので,いただきません。

 お問い合わせ,ご予約は,メール yuwa0421family@gmail.com までご連絡ください。

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 駅の近くに部屋を借りて本格的にカウンセリングルームを運営するような臨床心理士さんとは違って、じーじは近くの公園や海岸、河川敷などでカウンセリングをしています。 

 子どもさんを遊ばせながら、ちょっとだけ悩みごとを聞いてもらえればいいんですー、というお母さんや悩み多き若者(?)などがじーじのクライエントさんには多いです(じいじいやばあばあのみなさんもお断りはしませんが(?)、尊敬すべき先輩たちのみなさんですから、できるだけご自分で解決しましょうね)。

 おこづかいを貯めて(?)、お気軽に、遠慮せずに、ご利用ください。

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 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人・個人開業)のご紹介

 1954年、北海道生まれ  

 1977年、家庭裁判所調査官として司法臨床に従事  

 2014年、放送大学大学院(臨床心理学プログラム)修了  

 2017年、臨床心理士

 個人開業で、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の相談・援助などを研究

 精神分析学会、遊戯療法学会会員

 論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006、『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011、『遊戯療法学研究』)ほか 

 新潟市西区・北海道東川町(夏期)

 連絡先 メール  yuwa0421family@gmail.com    

 

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河合俊雄「最終講義-発達障害の心理療法と物語の縁起」2023・河合隼雄財団

2024年04月02日 | ユング心理学に学ぶ

 2023年4月のブログです

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 河合俊雄さんの「最終講義-発達障害の心理療法と物語の縁起」(2023・河合隼雄財団)のビデオを観る。

 文字通り、河合さんの京都大学での最終講義。

 ご自分が大学院生の時に担当をした小学校低学年の発達障害の男の子のプレイセラピーの事例検討を通じて、発達障害の心理療法について論じる。

 これがすごい。

 当時のケースを40年後の今の河合さんがコメントをしていくのだが、そのコメントの数と奥深さがすばらしい。

 じーじは家裁調査官の時に、先輩から、仮説は少なくとも三つ以上持ちなさい、と教わったが、河合さんはケースの仮説を十も二十も提示して、その有効性を検証する。さすがだ。

 そして、発達障害については、世間的には訓練や教育が有効で、心理療法には否定的な空気がある中で、河合さんは心理療法の有効性を強く示唆する。

 訓練や教育だけでは解決できないような、子どもの深い部分での障害を、プレイセラピーの中で、子どもの物語の変容を通じて変えていく手だてを示す(これで合っていると思うけど…)。

 治療者が子どものこころの世界に降りていき、くたくたになりながらもつきあい、子どもが自然と変わる様子が示され、興味深い。

 しかも、今の河合さんから見たすばらしいコメントと解説が添えられるので、観ているわれわれは素敵な劇を見ているような印象を受けて、感動的にすら思える。

 ちからのある臨床家というのは本当にすごいなあ、と感心させられる。

 今回は山王教育研究所のご紹介でこのビデオを拝見したが、ご配慮に感謝したい。

 もっともっと勉強を深めて、臨床のちからをつけていきたいと思う。    (2023.4 記)

 

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村上春樹『職業としての小説家』2015・スイッチパブリッシング-小説家としての覚悟を語る+追記です

2024年04月02日 | 村上春樹さんを読む

 2015年のブログです

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 村上さんの『職業としての小説家』(2015・スイッチパブリッシング)を読みました(なぜかマックス・ウェーバーさんの『職業としての学問』を思い出したのですが,あまり関係はないのかな?)。

 とても刺激的な本です。

 小説家としての村上さんの覚悟が述べられていると思います。

 もちろん,村上さんのことですから,押しつけはしていませんが…。

 正直に,ご自分の立場,考え,小説の書き方,体の鍛え方(長編小説を書くには体力も大切らしいです)などが述べられています。

 意外だったのは(意外でもないか?),小説を書き上げると最初に奥さんに読んでもらうということ。

 よくエッセイなどで,奥さんが怒ってる時には小さくなってやりすごすしかない,などと書いているので心配をしていましたが,なんだ!仲よし夫婦なんですね。よかった,よかった。

 よき伴侶を得ることがよい小説を書く条件の一つであることがわかりました。

 冗談はさておき,もう一つ印象に残ったのが,何かをするときに,「楽しいかどうか」が大切であるということ,これも重要な指摘だと思いました。

 精神分析家のウィニコットさんは,遊びの中にこそ創造はある,遊びの中にしか創造はない,というようなことを述べていますが,共通するところではないでしょうか。

 さらに深く読み込んでいきたい一冊だなと思いました。   (2015 記)

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 2019年春の追記です

 4年ぶりに再読をしました。

 やはりとってもいい本です。

 村上さんが小説や人生や社会について、かなり真面目に、真剣に語っている本だと思います。

 今回も印象に残ったのは、生きることや仕事をすることが「楽しいかどうか」ということ。

 どうせいろいろとある人生だから、できるだけ楽しんで生きようよ、とおっしゃっているかのように聞こえます。

 一つ発見をしたのは、村上さんが河合隼雄さんと対談をするきっかけが、村上さんの奥さんが河合さんのファンだったということ。

 奥さんの導きで村上さんは河合さんと深いお付き合いをされたわけですから、村上さんの奥さんは偉大ですね(やはり女性のほうが偉いのかもしれません(?))。

 と、冗談はさておき(半分本気ですが…)、他にも村上文学に関する興味あるお話がいっぱい書かれています。

 次は4年といわず、もう少し早めにまた味わいたいなと思いました。   (2019.4 記)

     *

 2024年3月の追記です

 5年ぶりに再読をしました。

 今回、印象に残ったのは、村上さんも、結論を急ぎすぎないほうがいい、と述べている点。

 あまりにも早急に「白か黒か」という判断を求めすぎている、と書いています。

 そして、誰もがコメンテーターや評論家みたいになってしまったら、世の中はぎすぎすした、ゆとりのないもの、あるいは、とても危ういものになってしまう、と述べています。

 これは、わからないことに耐えることの大切さ、と同意でしょう。

 さすがは、村上さん、です。   (2024.3 記)

 

 

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