人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

年齢と役柄について、コレッリ、カルーソー、パヴァロッティ・・ / Jose Cura/ about Corelli,Caruso etc..

2016-05-22 | 芸術・人生・社会について①


ホセ・クーラは、オペラ歌手としても、アーティストとして、また生き方においても、我が道をゆく人ですが、記者会見やインタビューなどでも、自分の考えを非常に率直に発言し続けています。それらを読むのは、私にとって、いつもとても面白く、いろんなことを考えさせられます。
今回は、オペラ歌手としての役柄と年齢について、また、コレッリやカルーソー、パヴァロッティ、ドミンゴなど偉大な先輩たちについてと、彼らとは違う現代のオペラ、自分自身のスタイルについて、などのテーマで語った内容を、いくつかのインタビューから抜粋して紹介します。
オペラやキャラクター、音楽と芸術に対する考え、オペラのあり方についての問題提起など、アーティストとしてのクーラの個性、ユニークさ、人間性がわかるように思います。
前回の投稿で紹介した、テアトロ・コロンでのカヴァレリア・ルスティカーナと道化師では、クーラはカヴァレリアのトゥリッドウを歌わず、道化師のカニオだけを演じました。そこには、以下に紹介するような思いがあったようです。

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――2015年5月のスペインのインタビューより
●最愛のトゥリッドゥから去る時
私の最愛のトゥリッドゥ(マスカーニのオペラ、カヴァレリア・ルスティカーナの主人公)は、私が20年間ともに歩んできた役柄だが、私は去ろうとしている。声が理由なのではなく、年齢のために。

私は老人でないが、男の子のような人間でもない。私は皮膚感覚で、少しトゥリッドゥがぴったりしなくなったと感じている。この点で、知的な正直さと自己検証がアーティストにとっては不可欠だと思っている。

マノン・レスコーのデ・グリュー、ラ・ボエームのロドルフォ、椿姫のアルフレードでも同じことが起こる。これら子どもたちのドラマは、若者の未熟な心理に合うが、50代の「オーラ」がある時、それを20歳と信じるのは難しい。

●オペラはパラドックス
オペラがパラドックスであることは事実だ。偉大なパヴァロッティ(世紀で恐らく最も美しい声)は、人生のほぼ最後まで、ラ・ボエームのロドルフォを演じた。しかし彼が歌うかどうかにこだわらない人は、素晴らしい音を楽しむだけだ。

今日、すべてはとても急進的に変わった、良くも悪くも。18や20歳の男の子になりきろうと奮闘する70歳の男性に与えられる喝采を想像してみてほしい。コミックとの境界。そこが問題だ。

●年を重ねたテノールの役は少ない
問題は、年を重ねたリアルな役柄、若いロマンチストではないテノールの役柄は、きわめて少ないことだ。オテロ、カニオ、サムソン‥ごくひと握りしかない。私の年齢の歌手に性格がマッチする役は、一般的にはバリトンだ。

女性の場合、多くのソプラノが、最後はメゾを歌う。しかし我々には素晴らしいドミンゴがいる。バリトン・ロールで経歴を広げている。
(このあとは以下のような英文が続きます)and all are tearing their hair ...(ちょっと訳しにくいです‥直訳すると「みんな髪をかきむしっている」ですが・・苦笑)



――2004年のインタビューより
●私はコレッリの大ファン
私はフランコ・コレッリの歌唱のスタイルの大ファンだ。コレッリ、デル・モナコ、カルロ・ベルゴンツィ・・驚くべき器官だった。今、誰も彼らのように歌えるとは思わない。
また、もし今、彼らのように歌うならば、ブーイングされるだろう。もしくは、傲慢のラベルを張られる。
カルーソーも、今日では、かつて彼が歌ったように歌うことはできない。これが良いことか悪いことか、私は知らない。

●歌うように指揮し、指揮するように歌う
私はいつも、歌っているように指揮をする。そして指揮しているように歌う。それは、私が指揮する時、音楽のフレージングが歌手のフレージングと同じ呼吸をもっているのが好きだからだ。
私は、音楽を杓子定規に指揮することが好きではない。私にとって、それは音楽の死を意味する。私の考えでは、歌手は楽譜上の別の五線譜だ。彼は楽譜につるされているわけでも、ピットから必死に引っぱられているわけでもない。

それは音楽的でないだけでなく、オーケストラの音楽家に対する敬意の欠如を示す。歌手は音楽家であるべきだ。バイオリニストがバイオリンを弾く音楽家であるように、歌手は咽頭を使う音楽家だ。
歌手もまた音楽家であり、そこには個々のフレージングがあり、カラーがあり‥。しかしそれは、まるで規則がないように音楽を演奏することとは無関係だ。



――2003年のインタビューより
●クーラは真面目な歌手じゃない?

Q、オペラファンの中には”ホセ・クーラは真面目な歌手ではない”と言っているが知っているか?
A、聞いている。
しかし本物のオペラファンがそう考えているとは信じていない。単に保守的な人々のいうことだ。彼らは、ステージ上で楽しみ、笑い、良いムードをつくる人は真面目な音楽家とみなすことができない。
歌う時には、常に苦しみ、ハイノートの前には冷や汗をかき、葬式にでもいるかのようにふるまわなければならない‥。
全くナンセンスだ。

私はこういう人間。他人の好みのために変えるつもりはない。しかしクラシック音楽への私のアプローチが、全員に受けるわけではないことを私は理解し、完全に受け入れる。これが人生。全ての人に受ける必要はない。

Q、あなたはドミンゴのような服装をしないが?
A、彼らは伝説的歌手であり、尊敬しているが、彼らの世代は私の父と同じ年齢。別の考え方をするのは自然だ。父はスーツとネクタイで旅行する。彼らの世代の感覚だ。

Q、しかしオペラはむしろ古い世代のエンターテインメントでは?
A、オペラに行く人の誤解だ。クラシック音楽を聴くことは、年齢に関係なくすばらしい。
状況によってはドレススーツも着るが、自分らしくないので、いつもそうすることはできない。偽善とコミュニケーションは両立しない。

Q、あなたな楽天家と思われているが?
A、バレエ・ダンサーが跳躍する時、全ての筋肉は緊張しているが、顔は笑顔だ。観客は簡単なことなのだと思うが、実は違う。アーティストの任務は、観客を楽しませ、良い時間をもつことだ。



●私にとって、指揮は、オペラ歌手のルーチンから脱出する重要な機会を与えてくれる。好む好まざるにかかわらず、80年間のオペラ公演中、75%が同じレパートリーだ。だからルーチンに陥りやすく、新鮮さを失いかねない。

●日頃の私は、とても思案がちで、平和的な人間だ。51歳になった(当時=1962年生まれ)。年老いてはいないが、もう若くはない一定の年齢になった時、思慮深く、知恵をもつことは、人生において到達すべき、最も美しいことの1つだと思う。



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役柄と年齢、オペラのパラドックスについてのクーラの意見には、いろいろ異論反論があることと思います。特にオペラの場合は、役柄には、何よりも、それに合った声とテクニックが優先だという考え方があるでしょうし、役の年齢設定と同じ年齢の歌手ではとても歌いこなせない役柄も多いのだと思います。でも、ヴェルディが椿姫のキャスティングに、ベテランではなく若い歌手をつよく希望したという話を聞いたことがありますが、舞台芸術であるオペラにおいては、当然、視覚的要素がますます必要とされてきているのは、最近の動向でも明白です。

同時にクーラが主張しているのは、単なる年齢、単なる視覚的要素ではなく、キャラクターの心理的リアリズムなのだと思います。
前の投稿の「カヴァレリア・ルスティカーナと道化師の演出」を読んでいただいた方には、クーラが、主人公の心情と社会背景を掘り下げて演じ続けてきたことがわかると思います。

リアリズムにもとづき、現代社会に生きる、知的に誠実なオペラをつくる。先人たちをリスペクトしつつ、自分らしく、堅苦しくなく、観客とともに、自分自身もクラシック音楽を楽しむ――クーラの音楽と人生へのアプローチは、一貫しているように思います。

最後に、コレッリのファンだというクーラが、1997年にウィーンでコレッリを囲むコンサートに出演した際の動画をYoutubeから紹介します。

ジョコンダより
JOSE CURA "Cielo e mare" La Gioconda (Ponchielli)


アンドレア・シェニエより
Jose Cura "Come un bel dì di maggio" Andrea Chénier


はじめてドイツ語で歌う、といってます。
Jose Cura "Du bist meine Sonne" (Franz Lehár)


最後に、テノール5人でコレッリを囲んで。でも残念ながら、コレッリは歌おうとはしませんでした。
Galouzine,Dvorsky,Saifert,Gedda,Jose Cura And Corelli
Concert with 5 tenors and Corelli 1997






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