人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

ホセ・クーラ 道化師の解釈 "私は仮面の背後にいる" / Jose Cura / Pagliacci

2016-05-24 | オペラ・音楽の解釈


レオンカヴァッロのオペラ、道化師は、ホセ・クーラが、ヴェルディのオテロに次いで、数多く歌い、演じてきた役柄だと思います。
クーラのこのオペラと主人公のカニオへの思い入れはとてもつよく、歌手として最後に歌うのはカニオだ、と語るほどです。
いくつかのインタビューから、クーラが道化師とカニオについて語った部分を抜粋しました。
また、動画やエピソードも紹介したいと思います。

以前の投稿「カヴァレリア・ルスティカーナと道化師の演出」や、「年齢と役柄について、コレッリ、カルーソー、パヴァロッティ・・」でも、道化師の作品論、解釈や自分の思いについて語った内容を紹介しています。よろしければご覧ください。

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●私は「カニオ症候群」ではない
はじめて1996年にカニオを演じた。ほとんどの赤ん坊のように見えた。髪を白く染めていた。今また髪を染めるが、それは年寄りに見えすぎないためだ。もちろん自分のカニオは、長い間にたくさん変化してきた。

これまでのところ、私自身は「カニオ症候群」には罹ってはいない。これはコメディアンの危機に関することだ。現実の人生における仮面。それは誰にでも、しばしば起こること。そのリスクは、役者だけでない、サッカー選手にも、政治家にも、誰にでも。

私は、危険で傲慢な男たち、アルコール依存症を演じる。観客は、私が実際生活の中でもそのようだと思う。彼らは、「クーラは嫌な、傲慢で神経質な奴だ」という。しかし実際に私に会った時の印象は違う。もちろん私は、ステージ上の人物とは違う。

●マスクの下の本当の顔
オペラの後半、カニオのアリアで、彼は、自分はピエロじゃないと歌う。マスクの下、それが本当の顔だ。人は常に、自分が本当は何者であるのか、いかに仮面に屈しないか、を考えなければならない。



●ショー・ビジネスの縮図
道化師の物語は、ある意味では、ショー・ビジネスの縮図のようなものだ。若い女性を利用する老人、一緒にベッドにいけば大きなキャリアを保障するという。これは今日でも、非常に一般的だ。ショー・ビジネスの一方の側面。

他の側面もある。自分のキャリアをつくるために老人を誘惑する若い女性。キャリアのために彼を利用し、ディーヴァになった次の瞬間には、彼を捨てる。これもまた、今日も一般的なことだ。

これらはもちろん、貧しいピエロの団体から、オペラ団体、またはあらゆる重要なステータスの段階においても、共通すること。
背後にある物語は、完全に近代的で、ショー・ビジネスの明確な描写だ。



――2015年スロバキアのインタビューより
●オペラ・道化師との出会い
1995年(96年?)、コンセルトヘボウ管弦楽団とのテレビ放送のためのコンサートが最初だった。それ以来、カニオを約150回演じた。演出とセット設計もやっている。

●業界の変化、若いアーティストの苦労
音楽業界は過去10年で大きく変わった。新しい才能はたくさんあるが、若いアーティストはビジネスへの対処に苦労している。
今日、物事が異常な早さですすむために、彼らは翼をあまりに早く燃やしてしまう。

その結果、近い将来、「一流」のアーティストの不在が問題だ。
「一流」のアーティストは、ただ美しく演じる者ではない。個人のスタイルを確立する勇気があり、誇りとリスク、言うべきことをもっている者のことだ。

もしアーティストが誰からも受け入れられているなら、それは「前に進んでいない」ことを意味する。もしアーティストが何度も同じ古いことを繰り返そうとしているなら、それにお金を費やす必要はなくなる。

伝説的なミレッラ・フレーニから、プライベートレッスンを受けたことはないが、最良の方法を彼女から学んだ。ステージ上のパートナーとして間近に彼女の驚くべきテクニックを見た。最高の特権的レッスンだ。

●オペラの生き残る道は?
知的誠実さと解釈の上での誠実。常連を喜ばせるだけの解釈では、若い観客をひきつけることはできない。シリアスであることとイノベーション、困難だが根本的なことだ。

●今年一番嬉しかったことは?
初めてマーラーの交響曲第2番「復活」を指揮したこと。私は、もう一度、すぐにこのような「地球外の経験」をくり返すことが待ちきれない。

●最後に指揮するなら?
バッハのミサ曲 ロ短調 (BWV 232)を最後に指揮して、指揮者としての人生を終えることができるなら、私にとっては夢のように素晴らしい別れだ。

●歌手として最後に歌うなら?
道化師として人生を終了したい。
“Remember I that I have never been this mask, but the man behind it!”.



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クーラは2009年にニューヨークのメトロポリタンオペラで、道化師とカヴァレリア・ルスティカーナに出演しています。その時の素晴らしい観賞記が、以前オテロの時にも紹介しましたが、ニューヨーク在住のmadokakipさんのブログに掲載されています。
クーラの解釈、表現を、本当に的確につかんだレポートです。ぜひお読みください。 → ブログのリンク


またmadokakipさん選出のシーズンBest Moments Awardsにも選ばれています。 → ブログのリンク

2009年のメトロポリタンオペラでの道化師、「衣装をつけろ」をYouTubeから。音声のみ。
Jose Cura 2009 "Recitar! ... Vesti la Giubba" Pagliacci


さかのぼって若い頃の動画を。2000年頃の「もう道化師じゃない」
Jose Cura 2000 "No, pagliaccio non son!" Pagliacci


こちらは2011年、リセウ大劇場
PAGLIACCI (Liceu 2010-11) "Vesti la giubba?


DVD・ブルーレイになっている2009年のチューリッヒのカヴァ・道化師出演時にテレビが取材。舞台や化粧室の様子、公園で写真を夢中で撮ってたり、食事中気さくにインタビューに答える様子など、楽しい動画。
kulturplatz - José Cura: Tenor für alle Fälle


チューリッヒの舞台のブルーレイは、今1000円を切るお手頃価格で販売されているようです。まだご覧になっていない方はぜひ。おすすめです。


ホセ・クーラがどれほど道化師を愛しているかをうかがわせるのが、クーラの愛犬の名前。その名もカニオ。そのほかにも2匹飼育しているとFBで紹介されていました。


アーティストとしてのキャリア全体をつうじて、解釈を深め、歌い、演じてきたクーラの道化師。ぜひとも、日本でもその迫力の舞台を見せてほしいものです。ファンとしては、最後にカニオを歌う日が、まだまだ先であることを願っています。



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