長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

そうだいのざっくり世界史 第9回『パトリキVSプレブス ローマの充実』

2010年10月21日 18時04分48秒 | ざっくり世界史
 こんばんは! そうだいです。今日はどんな日でしたか?
 いや~、行って参りました、銀座・日生劇場で上演中の舞台『カエサル』! 原作・塩野七生、演出・栗山民也、主演・松本幸四郎。
 幸四郎さん、68歳なんですよね? いやいや、若い若い! 気力の充実した壮年のカエサルを堂々と演じきっておられました。とにかく元気な幸四郎さんご本人が観られたのがとてもよかったです。
 この「ざっくり世界史」でもいつかは必ず取り上げることになるユリウス=カエサルなんですが、この舞台でも、平和好きかつ戦争好き、国民の自由を愛しつつ権力の独裁を目指すという矛盾した人物像がクローズアップされていました。こういう複雑な英雄を演じきることのできる名優もそう多くはないでしょうが、幸四郎さんは持ち前の魅力に満ちあふれた存在感でカエサルを日本で復活させていました。
 名優とは存在感なんだな、と感じる舞台でしたね。幸四郎さんの数え切れない豊富な経験によって彫りだされてきた見事な人生は、舞台と客席の距離でもはっきりと届いてくるものでした。小沢征悦さんや渡辺いっけいさん、水野美紀さんたちの演技も素晴らしいものでしたが、やっぱ別格なのよねぇ。

 さぁ、そんなカエサルを目指して、今日も今日とてローマの歴史をエーンヤコーラ。

 みなさん、「SPQR」という略語をご存じでしょうか? 実はこの4文字が、共和国時代から使用されるようになったローマという国の「紋章」というか「サイン」なんです。もともとの言葉は、
「Senatus Populusque Romanus」(セナトゥス・ポピュルスク・ロマヌス って読むのカナ~? ラテン語わかりません……)
 意味はすなわち、「元老院とローマの人民」。要するに「ローマ」という国を形作っている本質はこの2つだと言い表しているんですね。
 この「SPQR」印はローマの勢力のおよぶ地域の建造物や文書の中で無数に刻印されてきました。「ローマ」という国家自体が消滅した現在でも、イタリアのローマ市内のいたるところに「SPQR」の文字は使用されています。
 かつては演説の冒頭で「レディス・アンド・ジェントルメン」のように必ず言われていたという文句「SPQR」。今なお、世界帝国を創り上げたのはオレたちなんでぇ!というローマっ子の心意気が伝わってくる4文字です。

 さて、この「SPQR」でも並んで語られている「元老院」と「人民」。ごく簡単にいってしまうと、それぞれは身分でいう「貴族(パトリキ)」と「平民(プレブス)」ということになります。
 王国時代から、ローマの政治を担当してきたのはパトリキで構成された元老院であり、その元老院のさだめた政策にしたがってローマという国を作り、時には武器を取って兵士として闘ったのがプレブスでした。
 当時のローマでは、闘う兵士はみな、普段はそれぞれ別の職業を持って生活している健康な男子であり、専門職としての「軍人」はいなかったのです。
 必然的に、ローマの総理大臣ともいえる執政官に就任するのもパトリキ階級の人物ということが当たり前になってきていたのですが、違った身分の人々の気持ちまで考えてくれる政治家というものは、どの時代でもなかなか出てきてくれるものではないようで、共和国の発足したローマでも、さっそくパトリキ中心の政策に対してプレブスが不満をうったえるようになりました。
「元老院、元老院って言ってっけど、ほんとに戦争で戦ってんのは俺たちプレブスなんだぜ! もちっと俺たちの意見も聞けってんでぇ!」

 そうした状況の中で、前回に取り上げた「第1次ラティウム戦争」も後半にさしかかった紀元前494年。度重なる戦争に疲れ切ったプレブスのストレスがついに爆発してしまいました。
 兵士としていつものように戦争に行くはずだったプレブスが、こぞってローマの聖なる山「モンテサクロ」に引きこもるというストライキを決行したのです。
 これにはさすがの元老院も頭を下げざるをえませんでした。兵士がいないのでは戦争もへったくれもありません。プレブスの要求を呑んで和解することとなりました。
 プレブスの要求とは、自分たち平民の中から選出した「護民官(トゥリブヌス・プレビス)」を政治に参加させること。護民官は、元老院の決定した政策を拒否することができる要職で、執政官の決定も拒否することができるんだから大役です。
 この「聖山(モンテサクロ)事件」をきっかけに、ともすればパトリキ中心になりがちだったローマ共和国の政治にプレブスが加わっていくようになったのです。

 この流れの中でさらに重要なのが、第1次ラティウム戦争も集結してから半世紀たち、ようやくローマの国作りも落ち着いてきた紀元前450年に制定された「12表法」です。
 「12表法」が重要なのは、ローマ史上初めて作成された「成文法」であること。つまり、「字になっている法律」だということなんです。内容自体は古くから守られていたローマの伝統的な法律がまとめられているだけなので、特に目新しいものではありません。
 つまり、これまでは法律を知っている人から次の人への「口伝え」だけで継承されていたローマの法律が、12枚の銅板を読むことで、字が読める人なら誰でも理解できるようになったのです。これはもんのスゴいことですよ!
 今で言う「情報の開示」ということでしょうか。それまでパトリキだけで独占されていた法律の知識がプレブスにも解放されるようになり、プレブスの政治参加ボルテージは上がりっぱなしになりました。

 こうして、ローマ政治でのプレブスの重要度の拡大は進んでいき、「12表法」の1世紀後の紀元前367年に制定された「リキニウス・セクスティウス法」で2人いる執政官のうち1人は必ずプレブス出身であることが定められ、さらにそののちの紀元前287年に制定された「ホルテンシウス法」ではついに、プレブスだけの集まり「平民会」が、元老院と同様にローマの法律を制定できる権利を持つようになったのです。

 まぁ、こういった感じでローマ共和国の国内政治は安定していくことになり、イタリア半島の中部にあるちっぽけな都市国家であることに違いはないものの、国民のやる気アップによりしだいに国力を充実させていったローマは、イタリア半島を代表する国家になっていったのです。
 でもなんか、こうして見るとまさに「民主主義バンザイ」って流れで、とてもこの国が「帝国」になるようには思えないんだけどなぁ……歴史って不思議ですね。

 ところが、国内ではこうした実りある成長をとげていたローマ共和国も、国外ではある重大な問題に直面していました。
 エトルリア人とのかねあい? いやいや、そんなこともふっとんじゃうような新たな問題だったのです。もう、ラテン人だエトルリア人だといがみあってる場合じゃなかった!

 以下、次回。いち、にい、さんガリア!
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そうだいのざっくり世界史 第8回『レギッルス湖畔の合戦』

2010年10月20日 22時23分51秒 | ざっくり世界史
 こんばんは、そうだいです。今日は天気わるかったですねぇ。大雨ってわけでもなかったんですが、ずっとさめざめした雰囲気の日でした。でもそれはそれで、よし!
 実は今日のうちから、明日に銀座の日生劇場に観に行く予定のお芝居『カエサル』が楽しみでワックワクしてるんですよ。
 『カエサル』! 原作・塩野七生、演出・栗山民也、主演・松本幸四郎!
 もともとは、この公演に出演している役者の永栄正顕さんと共演したつながりでお誘いをもらった経緯があったんですが、カエサルよ、カエサル!
 まっさに、今わたくしがやっている「ざっくり世界史」に関連しまくりではないですか。もうちょっとしたら出てくるんですよ、カエサルさんが! こりゃ必見だわ。
 しかも、かの大女優であらせられる小島聖さんも高橋惠子さんも出演されるという……素晴らしい。これを観ずして2010年は締めくくられません。ちと早すぎるか?
 じゃあ、そんなこんなで今日もいってみましょう、カエサルさんの時代まであと450年! いつになったらたどりつけるんだよ……

 時は紀元前509年。イタリア半島中部にある小さな都市国家・ローマ王国。7代国王・タルクィニウス傲慢王による度重なる対外遠征への負担に耐えられなくなったローマ国民は、ついにクーデターを決行してタルクィニウスを追放してしまいます。
 これによって、およそ250年間続いたローマ王国は消滅し、国民によって選挙で選ばれた2人の執政官(コンスル)が統治するローマ共和国が誕生したわけなんですが、ここには、ただ国のかたちが変わっただけという説明ではすまされない事情がからんでいました。
 それが、ラテン人とエトルリア人との民族問題だったのです。
 当時、ローマ国民の多くはラテン人でしたが、イタリア半島中部で最も繁栄していた民族はエトルリア人だったのです。エトルリア人は古代ギリシア文明の流れもくむ先進的な文化をようしており、ローマの人々に水道橋・城壁などの高度な建築技術をもたらしたのもエトルリア人でした。
 やがてエトルリア人はローマの政治にも関わっていくようになり、いつしかローマの国王までもがエトルリア人になるようになっていました。
 もっとも、最後のタルクィニウス王が追放された直接の原因は彼の暴政によるものだったのですが、エトルリア人の国王がラテン人の国民に追い出されたというニュースは、ローマを囲むようにしてイタリア半島全体に分布していた多くのエトルリア人の都市国家に微妙な影響を与えることになりました。

「ラテン人、ちょっと、調子にのってんじゃねぇ?」

 当然のように、ローマ共和国と周辺のエトルリア人国家との関係は雲行きが怪しくなり、ローマ国内にいたエトルリア人も戦乱のにおいを敏感に感じ取って国外にのがれるようになってしまいました。
 あやうし、生まれたてのローマ共和国! 復讐に燃えるタルクィニウスが同族であるエトルリア人国家にローマ攻撃を呼びかける。さて、その結果は?

 結果として、ローマ共和国はタルクィニウスの人望のなさに助けられることとなりました。タルクィニウスの呼びかけにエトルリア人国家が今イチのってこなかったのです。
 タルクィニウスが追放されたのは紀元前509年でしたが、彼がエトルリア人諸国家の支援を得て始めた「第1次ラティウム戦争」の開戦は、11年後の紀元前498年を待たなければならなかったのです。
 まぁ、それもそうですよね……もともとタルクィニウスがローマ国民に嫌われた理由は、強引なまでにまわりの国家への戦争を続けていたからだったのです。同じエトルリア人のよしみとはいえ、たとえ手助けして国王に復帰させても、その恩を忘れてすぐ自分の国に攻め込んで来かねない狂犬に力を貸すものはあまりいなかったでしょう。11年。本格的な戦争が始まるまでのこのブランクは、ローマ共和国にとって態勢をととのえる願ってもない猶予期間となったのです。
 ぼちぼち、そんな感じの低いテンションで始まったエトルリア人の周辺国家とローマ共和国との第1次ラティウム戦争(「ラティウム」とは、要するにローマを含めたイタリア半島中部の地方名です)だったのですが、そんな状態でタルクィニウスが黙っているはずがありません。

「ええい、もうよい! ワシみずからが先陣に立つ! 軍隊かせ!」

 とばかりに、エトルリア人国家の1つであるトゥスクルム王国の軍隊を借りてローマに仕掛けたのが、第1次ラティウム戦争最大の決戦ともいえる、紀元前496年の「レギッルス湖畔の合戦」だったのです。
 レギッルス湖は、ローマの30キロほど東の地にありました。その湖畔で、戦争好きのタルクィニウス率いる軍勢と新鋭のローマ共和国軍が激突することとなったのです。さぁ、どっちが勝つか!?
 ローマの運命を左右したこの決戦なのですが、残念ながら紀元前5世紀の出来事だったため(日本は弥生時代!)、具体的な日時や軍勢同士の規模ははっきりとしていません。ただし、タルクィニウスが戦場に現れると聞いて、対するローマ軍の戦意も高まったことは間違いありません。

 当時のイタリア半島で行われていた戦争のかたちは、青銅でできた鎧と大きな楯、そして槍で武装した「重装歩兵」が主戦力となるものでした。だいたいあとは、似たような武装をした兵士が馬に乗った「騎兵」部隊がそれをサポートするという編成です。
 重装歩兵の戦法は、軍隊がひとかたまりになって楯を前面にズラっとならべて身を守りながら、槍を突きだして相手に突進していくという「ファランクス戦法」。「ファランクス」とは「丸太」のことです。丸太のように勢いよく前方に激突する超シンプルなやり方! これは1000年ほど前の古代ギリシア時代から伝わっていたヨーロッパ伝統の戦法です。現代日本の私たちが想像するとしたら、ジュラルミンの楯をたてていっせいに前進する警察の機動隊のイメージが最もそれに近いでしょうか。
 おそらく、どちらの軍勢も似たような戦法をとったと思われるレギッルス湖畔の合戦だったのですが、互角にやりあっていた戦況も、しだいに戦争経験の豊富なタルクィニウスの方に有利に動いていきます。
 重装歩兵のファランクス戦法の弱点は、前面以外の方向からの反撃に対応できないところにありました。軍隊がひとかたまりなので、陣形を変えるのに時間がかかるのです。
 それを突いたタルクィニウスは、素早くローマ軍の後方にまわって奇襲をかけ、ローマの執政官も経験したことのある将軍を討ち取ったのです。

「よっしゃあ! 見たか若僧ども、ダテに戦争ばっかやってきたわけじゃないんじゃあ!」
「んだとぉ! じゃこっちも奇襲でぇ!!」

 戦争上手なタルクィニウスでしたが、対する若いローマ軍も、戦場での対応は早かった。今度はローマ軍の大将だった独裁官(ディクタトル)・ポストゥミウスが、親衛隊の精鋭をタルクィニウス軍に潜入させ、タルクィニウスとともに軍隊を指揮していたトゥスクルム王国の王子を討ち取ってしまったのです。

「あっ、大変だぁ! おらが王国の王子様がおっ死んじまっただ!」

 よそもののタルクィニウスよりもトゥスクルム軍の兵士にとって大事だった王子が殺されたことにより、タルクィニウスの軍は総崩れ。こうむった損害も大きかったものの、ローマ軍はからくもこの合戦でタルクィニウスを撃退することに成功したのです。
 自らの力で「王」を捨てたローマの人々は、逆に「王」が強い影響力を持っていることを逆手にとった作戦でこの合戦に勝利したわけだったのです。反則スレスレだけど、かしこい!
 さすがにここでの敗戦にガックリきたタルクィニウスは、翌年の紀元前495年に異国の地で死去。彼の引き起こした第1次ラティウム戦争も、紀元前493年にローマ共和国と周辺のエトルリア人国家との和睦という形でいったんは終息しました。

 こうして当面の危機を脱することに成功したローマ共和国だったのですが、休む間もなく今度は、中から外から新たな問題が……
 新生したローマの受難の時期は続きます。がんばれローマ、負けるなローマ!
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そうだいのざっくり世界史 第7回『ローマ共和国誕生』

2010年10月19日 22時43分42秒 | ざっくり世界史
 どうもこんばんは、そうだいです。
 いやぁ、終わりました、終わってしまいました、10月のアトリエ公演が。今月の公演は、私にとって本当に重大なものとなりました。
 どう重大なのかは昨日までさんざん言ってきたのでもう言わないのですが、そういった嵐のような日々がひとまずは終わりました。今はどことなくほっとしたような、心にぽっかり穴があいたような気持ちになっています。
 ほんとに、今回ばかりはまわりの人たちにかなりのムリを通してしまいましたよ! 迷惑かけたね……
 もちろん、昨日ですべてが終わったわけでもなんでもないのですが、正直なところ、まずはゆっくりと休みたい。

 さて、ふと落ち着いてみると、何かを忘れているような……あれ、今回のブログのタイトルって、なんだっけ。
 ……え?「ざっくり世界史」?
 あぁあぁあぁ!! しまった、完っ全に忘れてたよ! そうそう、ヨーロッパ帝国の歴史を追ってるシリーズがあったんだよね! 芝居の公演中にはこれをやろうっていう。
 今月にかぎって、やれるわけがなかった……
 毎日の更新もとどこおるような状況の中で、のんびりと歴史の世界にひたれるほど、私も超人ではなかったのです。平々ぼんぼ~ん。

 つぅことでまぁ、まるまる1週間くらい遅れちゃったけど、久しぶりに始めてみっか、ヨーロッパの歴史へのタイムトリップ!

 1ヶ月前にやった「ざっくり世界史」シリーズなんですが、これは、ヨーロッパにおける「帝国」の歴史を少しずつ時間の流れにそってひもといていき、最終的には、そうだいが愛してやまない「神聖ローマ帝国」がどうしてそんなに素晴らしいのかを説明してみるまでいってよう、という企画でした。
 先月は6回までやりまして、時間でいうと紀元前16世紀から紀元前509年まで進めてきました。1000年分よ! 進めるよねぇ~。それでまだ「帝国」の「て」の字も出てきてないんだもの……道は遠いぜ。
 たぶんに伝説的な要素も多かった古代のローマ王国だったのですが、今回あたりからボチボチ現実の歴史らしいにおいがしだしてくるんですね。
 物語は、最初のローマ王国が崩壊した紀元前509年からふたたび始まります。

 その年、戦争好きだったローマ王国7代国王タルクィニウス=スペルブス(傲慢王)とその息子の横暴に耐えられなくなったローマ国民は、遠征によりタルクィニウスが不在だったタイミングで蜂起し、そのまま彼をローマから追放してしまいます。
 このクーデターの指揮をとったのは、それまでタルクィニウスの側近として長らくつき従ってきた貴族(パトリキ)のルキウス=ブルートゥスでした。
 国王としての権力を拡大しようとしていたタルクィニウスは在位中に、ローマ国内にいる有力なパトリキの多くを殺害・処分していましたが、ルキウスの兄弟もその例外ではありませんでした。
 しかし、ルキウスだけは、おろかなフリをしてタルクィニウスのお気に入りになって生き延びていたのです! 役者だぜルキウス。ちなみに、ルキウス=ブルートゥスの「ブルートゥス」はタルクィニウスにつけられた名前で、なんと「アホ」という意味なのだそうです。それがルキウスの活躍によって名誉ある名前となり、「ブルートゥス、お前もか」と言われる人物も登場してくるわけなんですが、それはまだまだ450年ほどあとのお話。はてしねぇ!
 さて、そんな苦労人ルキウスなんですが、クーデターとその後の活躍は「アホ」とはほど遠いあざやかさでした。
 まずは、強力な権力を持っていた「国王」という存在をすみやかに廃止し、それに代わる「執政官(しっせいかん コンスル)」による政治を開始したのです。
 コンスルとは、現代の日本での国会にあたる「民会」の中で、選挙によって2人選ばれるローマの最高権力者です。あの塩野七生大先生の言葉を借りれば、「総理大臣兼防衛大臣兼統合参謀本部長」ということになります。ま、要するに政治と軍隊の両方を指揮できる、普通に言う「王様」や「将軍様」とおんなじ権力を持っているわけなんですね。
 ただし重要なのは、「任期が1年」であることと「2人いること」。
 実は、選挙で選ばれていたのはそれ以前の「ローマ国王」もそうだったのですが、いったん国王になるとその強大な権力は死ぬまでその1人だけのものでした。
 その危険さをまさに身にしみて感じていたルキウスは、最高権力を時間持ち回りでさらに常に2人で分け合うという制度にしたのです。
 またルキウスたちは、外国の侵攻や疫病の流行、はたまた内乱の発生などの非常事態に対応するために、執政官が指名できる臨時の「独裁官(ディクタトル)」という官職も設定しました。
 これは文字通り、決断を迅速にするために1人ですべての権力を行使できるという執政官以上の役職なんですが、そのために任期は、さらに短い「就任から半年間」になっています。
 そんなわけで、国王の追放後、ローマの初代執政官にはルキウスと、タルクィニウスの息子に妻を手込めにされてしまいクーデターに参加したコッラティヌスというパトリキが選出されることとなりました。(厳密に言うと当時は「プラエトル」という職名で「コンスル」ではなかったのですが、権力の内容はまったく同じです。)

 これが! あの「ローマ帝国」のもととなった前段階の国家・ローマ共和国の誕生です。

 世界史の教科書などでは「共和制ローマ」や「古代ローマ共和国」と表記されることが多いのですが(18世紀と19世紀それぞれに「ローマ共和国」という別の国家が生まれているため)、「共和制ローマ」ってもったいぶって言うのも、わざわざ「古代」をつけて古くさくするのもあんまり好きじゃないんで、この「ざっくり世界史」では、「ローマ共和国」で通させていただきます。ほんとにざっくり……

 さてさて、こうやって成立したローマ共和国だったんですが、これで追放された戦争好きなタルクィニウス王が黙っているわけもなく、タルクィニウスと同種の民族であるローマ周辺のエトルリア人諸国家の動きも不穏だ(ローマ国民自体はラテン人)……
 これから起きるであろう共和国の危機をどうやって打開していけばいいのか?

 ローマ共和国、誕生した瞬間から、なかなかキビしい状況となっております……どうする、どうなる!?

 
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いよいよ最後!

2010年10月18日 11時45分17秒 | 日記
 こんにちは! そうだいこと、中村岳人です。
 さーてね、前回までズルズルと続いていた「怨霊グータンヌーボ」もついに終わりまして。その間は、わたくし個人の生活でも激動の毎日が過ぎていきました。

 そして今日の夜、そういった一連の流れの区切りとなる時がやってきます。

 そう言っちゃうとなんともおおげさなんですが、要するに、私が役者として出演する最後の公演の最終回が上演されるんです。
 のっけから不吉なことを言うようでナンなんですが、私やそれ以外の劇団員が、家から公演のあるアトリエに行く途上で事故にあったり、お昼ご飯で食中毒でも起こさない限り、最終回はおそらく予定通りに上演されるでしょう。
 私はこれまで、三条会という劇団でおよそ十年間、みんなと一緒にどこかの場所に無事に集まって、作品を上演するということを続けていたわけなんですが、よく考えるとものすごい奇跡であるような気がしてきました。
 いや、そんなこと言い出したら、演劇に関わらずなんでも、誰かと共に仕事を続けるということは奇跡の連続ということになっちゃうんですが、今、私は、私にとってのこの十年間が奇跡だったように思えて仕方がありません。

 出会いも奇跡、あの時一緒にできたことも奇跡、一緒に見たものも奇跡。

 でも、しみじみするのは早すぎる! 当然ながら、私がこの世からおさらばするということでもないし、ましてや今現在、私にはもう一回だけ、役者となることのできる舞台が残っています。
 他の劇団のみんなと、いいお芝居になるようにがんばらんばいかん!
 これまで当たり前のようにやっていた本番の時間が、今日も当たり前のように静かにせまってきています。

 ところで今、私の部屋の中では、今回の公演で多くの親しい方たちからいただいた数々のお花が、ところせましと咲きほこっています。
 公演終了後にいただいて家に持って帰るまでは、なにかと運ぶのが重かったりするお花の贈り物なのですが、私は本当に、この花束という形のプレゼントが大好きです。
 薔薇や百合。花ざかりのむせかえるような甘い香りにつつまれて目覚める朝はいつでもいいものですね。幸せだなぁ~オイ!

 あと昨日は公演が終わってから、その回を観に来てくれた、大学時代に同じサークルだった親友・先輩のみなさんと集まって久しぶりに飲みました。楽しかったねぇ!
 大学生だったころからももう十年くらいがたちます。その間の時間をみんなそれぞれが生き抜いてきたんだなぁと、しみじみ感じ入ったひとときでした。まぁ、だいたい二十代の十年間なわけなんでね、そんなに外見が変わったとかいうことでもないんですけど!
 でもみんな、十年を生きてきただけの変化があるんだよなぁ。詳しいことは知らないわけなんだけど、いい時間の過ごし方をみんなしてきたんだなぁということだけはよくわかったのが、なによりもうれしかったです。

 さぁ、これから最終公演! まずはこれを悔いなく演じきって、明日からまたこの中村岳人の日々を生きていこうじゃないか。
 今日もまた、同い年の三十歳で見事なグラビアを見せつけてくれた井上和香さんの勇姿に気合いを入れてもらって出発しよう。ワカパイワカパイ~!
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貞子・伽椰子・富江 平成怨霊グータンヌーボ ラストダンスはわたしと

2010年10月16日 09時19分45秒 | ホラー映画関係
 おはようございます、そうだいです。ついに今日から、そうだいこと中村岳人の役者としての最後の公演がはじまりました。とはいっても、そんなこと関係なくても楽しい作品になっていることもあり、公演初日のお客様にはたいへん喜んでいただけたようです。
 よかったよかった! さぁ、2日目の今日もがんばるぞ~。

 で、その前にこっちのほうにケリをつける! と毎回言って、今日までズルズル延びてきたわけなんですが……

 『平成怨霊グータンヌーボ』最終決戦(ほんと)! 12の決戦のうち10までが終わり、現在の状況はというと、
 山村貞子3ポイント・佐伯伽椰子2ポイント・川上富江2ポイント・黒井ミサ3ポイント
 となっております!

 さぁいってみよう、第11の対決! 最もまわりの人にとって、本当にいたらイヤなのは、だぁれ?
 貞子さんは、伊豆のペンションにある呪いのビデオか、それをダビングしたものを観てしまうと呪い殺されちゃう。その呪いを解くためには、観た人がそのビデオをさらにダビングして他の人に見せなきゃならない! タチわりぃ!
 伽椰子さんは、東京にある、伽椰子さんの住んでいた家の中に入ったら呪い殺されちゃう。
 富江さんは、富江さんのことを好きになったまわりの男とその恋人やら友だちやら全員が、富江さんのために頭がおかしくなって破滅しちゃう。
 ミサさんは、ミサさんの周囲で悪事をはたらいたりミサさん本人に危害を加えようとした人全員が、ミサさんにこらしめられる。
 まぁ、これはね……伽椰子さんは「家」、富江さんとミサさんは「本人」が恐怖の起点になっているわけなんですが、貞子さんはダビングされただけの数の「ビデオ」ですからね。数えようがないほどの増殖が予想されます。ということで、アイデアの秀逸さからいっても、これは貞子さんの勝ち!

貞 「これだよ、これなんだよ、私の本当の恐ろしさは! 本人1人だけが恐いんじゃないんだからね。不幸の手紙みたいな要素を入れてるのが、まさにモダンホラーだろ?」
富 「ちっ、悪女をそのまんまホラーヒロインにした、っていう点ではあたしも新しかったのに!」
伽 「あああああ?(あっ、これで貞子さん4ポイント?)あああああ!(じゃあもうこの時点で、私と富江の優勝はないんじゃないっすか!)あ~あ。」
ミ 「この勝負、やっぱり貞子さんの勝ちなのかなぁ?」

 みなさん、おまんたせいたしました。いよいよ第12、最後の対決! 最も復活する可能性が高いのは、だぁれ?
 貞子さんは、2005年のハリウッド版『ザ・リング2』の公開が最後。やはり「ビデオ」という媒介にこだわる限りは、復活はないか?
 伽椰子さんは、2009年に国内版番外編2作とハリウッド版『呪怨3』が制作されるという活況だったが、国内版は短館上映、ハリウッド版はDVDリリースのみというさみしい限りの展開……
 富江さんは、2007年の映画第7作『富江VS富江』が最後だが、原作にある要素はすべて出尽くした感じ。これ以上原作のテイストを取り上げるとしたら、かの伊藤潤二ワールドのこと、映像化はむずかしくなるかも。
 ミサさんは、2006年の映画第4・5作『エコエコアザラク Rpage・Bpage』が最後。ミサさんは女子高生に設定変更されつつも、「女学生文化」と「制服コスプレ」がある限り時代を超えてミサさんも不滅なご様子。
 なかなかむずかしい問題ですが、やはりここは、設定のしばりが少なく話題のからめ方も自由なミサさんかな! これからまた、かわいいアイドルがミサさんをやるにちがいない。でも、佐藤嗣麻子監督が担当したようなハードな味わいの『エコエコアザラク』もまた観たいなぁ。

ミ 「最後はいただきました。日本は女子の国ですから。」
伽 「あああああ!(去年はけっこうがんばったんだけど、前作を超えようっていう意思がほとんどなかったんスよねぇ!)」
貞 「いいんだよ、続編なんか。100本の続編よりも1本の伝説だよ。」
富 「貞子さん、たまにはいいこと言うじゃない! 江頭さんみたい。」

 ついに、ついに12の対決が終わりました。結果発表の前に、そうだいからの講評。
 典型的なホラーヒロインである黒井ミサさんのことはさておき、貞子・伽椰子・富江という「平成ホラー3人娘」は、それぞれがまったく違った形の恐怖を武器にしているという、非常に興味深いユニットでした。
 貞子さんは、ギリギリまで恐怖の中心を「見せない」という恐怖。呪いのビデオの中で、映像がとぎれる直前に画面奥の井戸からチラッと見える白い手。ひたすら表情を隠しつづける長い黒髪。最後に見えるのも強烈な憎悪に満ちた眼だけ。非常に恐い存在である貞子さんの全体像をひたすら見せないことによって、観る人の想像力を利用してさらに恐くなる。
 伽椰子さんは、そんな観る人の創造力を常に上回る恐怖を「見せる」恐怖。これはいわば、シリーズ監督・清水崇の観客への挑戦状です。詳しくは言えませんが、これまでのホラー映画の作り方・怖がらせ方の定石を簡単に打ち壊すチャレンジの数々は見事な計算にもとづくものです。ただし、この高レベルの闘いを続けていくのは相当にキツい! 観客も当然ながら眼が肥えてくるし、シリーズも行き詰まるのは当然の結果です。しかし、この厳しすぎる実験の軌跡はもっと評価されてもいいものでしょう。
 富江さんは、富江さんよりも富江さんのために周囲にいるごくふつうの人々が狂っていく「日常が崩壊する」さまを描く恐怖。悪人によって人々が身を持ち崩すというスタイルを究極にまで持っていったこのシリーズも、ただアイドルがドギツいことをするキワモノ映画としておくには惜しすぎる魅力に満ちあふれたものです。
 3人の恐怖は、それぞれがこれからさらに発展していくべきものだし、それらの責任を90~00年代に背負った3人(とミサさん)は全員、平等に愛されてしかるべきキャラクターなのです。

 結果! 貞子さん4ポイント・伽椰子さん2ポイント・富江さん2ポイント・ミサさん4ポイントで、貞子さんとミサさんの同列優勝~!!

貞 「みんなよくやったよ。ミサ、お前なかなかやるな。除霊なんてみみっちいこと言ってないで、これから呑みに行くからつきあえよ。伽椰子と富江は店、手配しろ。今日はソバ焼酎がうまい店だな。」
伽 「あああああ!(もちのろんっスよ、私は最初っから、こんなことやんなくても貞子さんが最恐に決まってるだろって言ってたんスけどね!)あああああ?(ミサ、お前セーラー服だけど酒、飲めんの?)」
ミ 「大丈夫です。こう見えて、今年で50になりますんで。」
富 「ちっきしょ~、今夜は飲み明かすぞーい!」

 なんて気持ちのいい女たちなんじゃ……闘いのあとの友情が今、芽生えようとしております。
 この偉大なる「平成ホラー3人娘」に続く、新たなるホラークイーンが誕生することを切に祈りつつ、今回の「怨霊グータンヌーボ」をしめさせていただきたいと思います。

「ゲッゲッ ゲゲゲのゲ」
 おりから おけらやかえるたちが 平成ホラー3人娘とミサたちをたたえる歌を うたいはじめた……
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