長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第38回 『勇躍!AKB48 2008~09 資料編』

2011年07月23日 23時25分39秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 うなぎ食べたぁ~!? どうもこんばんは、そうだいでございます。
 なんか、まだまだそんなに暑くはなっていないのですが、じわ~じわ~と気温と湿度が上がってまいりました……まいったねェこりゃ。

 アナログ放送終了なんですって。
 どぉ~オでもいいッスねぇ~!! 私もう、TVがなくなって1年がたとうかとしております。
 それ以来はずっとラジオ、特にTBSラジオのヘヴィリスナーになっているわけなのですが、私個人の今の実感としては、「TVやっぱほしい!」と「TVもういらない!」という感情を比率であらわすとだいたい1:9くらいになっていますね。
 TVって、観たい番組もあるけど、それよりもはるかに多く観なくていい番組がありますよね。そっちのほうに振り回されなくてよくなるからすっごくラクなんですよ。
 TBSラジオおもしろいですからねぇ~! もうTBSラジオとパソコン1台があったらあとはもういいや。

 1年前の私にはとても想像つかない生活でしょうなぁ。

 あっ、そういえば、こんな感じでNONBENN&DARALYと続けているこの『長岡京エイリアン』も、そろそろ来月8月で開設1周年を迎えようとしているんですよ。
 よもや、ここまで続けてきちゃうとはねぇ……思えば遠くへ来たもんだ。はひ~。

 おっと、感傷にひたっているヒマはねぇや。今日も今日とて「ざっくりすぎるアイドルグループ史」なんだずぁ~。

 今回はいよいよ! 現在のアイドルグループ界の覇王となっているAKB48、彼女たちが「あやしいアキバのアイドルグループ」から「だいたいの日本人が名前くらいは知っている国民的アイドルグループ」に急成長をとげていった2008~09年の動きを追っていきたいと思います。

 えっ? ハイご名答! 今回は資料だけ! タイトルにそうかいてあるからね。
 だって多いんですもの、情報がぁ……
 っつうことでまぁ、ズンドコいってみましょう~。


アキバから全国へ、AKB48の2008~09年

2008年
1月
・AKB48初のベストアルバムとなる『SET LIST グレイテストソングス 2006-2007』がリリースされる(オリコン最高29位)
・7thシングル『ロマンス、イラネ』がリリースされる(オリコン最高6位)
・AKB48の初の看板番組『AKB1じ59ふん!』(日本テレビ関東ローカル 毎週木曜深夜1時59分から)が放送開始となる

2月
・自身初のリメイクとなる8thシングル『桜の花びらたち2008』がリリースされる(オリコン最高10位)が、その際の特典となったスペシャルイベントへの参加条件が独占禁止法の「不公正な取引」にあたるのではないかと物議をかもし、世間のバッシングの対象となる
 ※当初、スペシャルイベントに参加するためには「初回盤にランダムについてくる特製ポスター全44種類をすべてそろえられたら」という条件が設定されていたが、最終的にイベント企画は中止となった
 ※この騒動によって、それまでのAKB48の楽曲リリースを担当していたレコード会社デフスター(ソニー系列)がレコード契約を解除する
 ※この『桜の花びらたち2008』のプロモーションビデオ(監督・高橋栄樹)から、AKB48メンバーによるセリフつきドラマが積極的に導入されていくようになる

4月
・AKB48の看板番組『AKB1じ59ふん!』が、毎週月曜深夜0時59分から放送の『AKB0じ59ふん!』にリニューアルされる(日本テレビ関東ローカル)

6月
・ネット配信限定の9thシングル『Baby!Baby!Baby!』がリリースされ、メンバー全体・個別ともに水着姿を前面に押し出したPVが撮影される

7月
・篠田麻里子(22歳)がAKB48メンバー初のソロ写真集『Pendulum』(ワニブックス)を発表する
 ※これ以降、メンバー全体のグラビア展開が雑誌・写真集・DVDなどで本格化する
・AKB48の全国展開第1弾として、名古屋・栄を拠点としたアイドルグループ「SKE48」のメンバーオーディションが開始される

9月
・メンバー板野友美(17歳)が、ギャル系ファッション雑誌『Cawaii!』(主婦の友社)の専属モデルとなる
・AKB48第2のグループ内ユニット「ノースリーブス」(チームAメンバー)の結成が発表される

10月
・7月からおこなっていたオーディションの結果、16名による名古屋・栄を拠点としたアイドルグループ「SKE48」が結成される
 ※おもなメンバーに、松井珠理奈(じゅりな 11歳)、松井玲奈(17歳)がいる(通称「松井JR」)
・レコード会社をキングレコードにうつし、移籍後初のシングルとなる10th『大声ダイヤモンド』がリリースされる(オリコン最高3位)
・『大声ダイヤモンド』の選抜メンバーに結成したばかりのSKE48から松井珠理奈が選出され、前田敦子(17歳)とのダブルセンターに抜擢される
・AKB48の看板番組『AKB0じ59ふん!』が、毎週水曜深夜0時29分からの『AKBINGO!』にリニューアル
 ※『AKBINGO!』は2010年10月から放送地域を全国に拡大しており、現在はAKB48の旗艦番組となっている
・AKB48第3のグループ内ユニット「渡り廊下走り隊」(チームBメンバー)の結成が発表される
 ※渡り廊下走り隊は2010年7月から7人組の「渡り廊下走り隊7(セブン)」に増員されている

11月
・チームAに所属していた人気メンバー中西里菜(20歳 のちのAV女優やまぐちりこ)がAKB48を卒業し、グラビアアイドルとしての活動を続ける

12月
・東京秋葉原のAKB48劇場に併設されてファンの交流の場となっていた喫茶店「48's Cafe」が、2008年いっぱいの営業をもって閉店する
(この年のNHK『紅白歌合戦』にはAKB48もハロー!プロジェクト陣営も出場しなかったが、アイドルグループとしてはPerfumeと、活動を再開したばかりの第2期SPEEDが出場していた)

2009年
3月
・メンバーの中核的存在だった大島麻衣(20歳 チームA)が選抜された最後のシングルとなる11th『10年桜』がリリースされ、AKB48としては初めて売り上げ枚数10万枚を突破する

4月
・東京NHKホールで上演されたコンサート「神公演予定」への出演をもって、大島麻衣がAKB48を卒業する
 ※その後、大島はタレント・グラビアアイドル・歌手として活動

6月
・12thシングル『涙サプライズ!』がリリースされる(オリコン最高2位)
・次期シングルの選抜メンバーをファン投票で決定するイベント「AKB48 13thシングル選抜総選挙『神様に誓ってガチです』」が開催され、チームAの前田敦子がトップ当選を果たす
・AKB48の「お姉さん」的存在と言われるアイドルグループ「SDN48」が結成される
 ※グループ名の由来は、秋葉原のAKB48劇場で「土曜日の夜(SaturDay Night)」を中心に公演をおこなっていることから

8月
・13thシングル『言い訳Maybe』がリリースされる(オリコン最高2位)
(同月にリリースされたモーニング娘。の40thシングル『なんちゃって恋愛』もオリコン最高2位だった)
(ちなみに、AKB48の首位獲得をはばんだのはSMAPの『そっと きゅっと』で、モーニング娘。の首位獲得をはばんだのは浜崎あゆみの『Surise/Sunset LOVE is ALL』だった。勝てねぇ~!!)
・日本武道館で開催されたコンサート「AKB104 選抜メンバー組閣祭り」で、AKB48史上初となるチームA・K・B・研究生の一部メンバーのシャッフル(組閣)が実施される
 ※ここで各チームに初めて「キャプテン制」が導入され、チームAキャプテンに高橋みなみ(18歳)、チームKキャプテンに秋元才加(21歳)、チームBキャプテンに柏木由紀(18歳)が就任する
・「第1回AKB48総選挙」の上位メンバーが参加した水着写真集『AKB48総選挙!水着サプライズ発表』(集英社)がリリースされ、約10万部の大ヒットとなる
 ※ヒットの原因は内容以外にも、写真集としては比較的安価(定価1000円)で、コンビニでも販売される「ムック」形式だったことが大きかった

10月
・14thシングル『RIVER』がリリースされて売り上げ約25万枚の大ヒットとなり、グループ初のオリコンチャート1位を獲得する
 ※『RIVER』の売り上げ枚数は、それまでのAKB48がリリースしたすべてのシングルの累計枚数を上回るものとなった
(同月にリリースされたモーニング娘。の41stシングル『気まぐれプリンセス』がオリコン最高4位だったため、ここにいたって、ついにAKB48がチャート順位でモーニング娘。を上回ったことになる)

12月
・NHK『紅白歌合戦』にAKB48が2年ぶり、初の単独枠での出場を果たす



第1回「AKB48 13thシングル選抜総選挙『神様に誓ってガチです』」について
・開票日 2009年7月8日
・当選者順位 1~30位
・当選者に投票された総票数 5万4026票
・立候補者 AKB48、SKE48、研修生の98名
・1位(前田敦子)の獲得票数 4630票
・最終当選者(30位)の獲得票数 1050票
・当選者の権利
 1位~12位  歌番組や音楽雑誌などのメディアで活動できる「メディア選抜」
 13位~21位 タイトル曲のレコーディングに参加できる「選抜」
 22位~30位 カップリング曲を担当できる「アンダーガールズ」
・有権者
 投票券つき12thシングル『涙サプライズ!』の購入者、ファンクラブ「柱の会」会員、
 AKB48モバイル有料会員、DMM「AKB48 LIVE ON DEMAND」の月額会員
 ※したがって、「1人1票」という制限はない


2008~09年に結成されたAKB48関連のアイドルグループ・ユニット

SKE48(2008年7月~)16~48名
 松井珠理奈(11歳)・松井玲奈(17歳) ら
 愛知県名古屋市中区栄(さかえ)のサンシャインSAKAE2階にある劇場「SUNSHINE STUDIO」(定員300名)が拠点
 チームはS・K2・E・研修生の4組に分かれている
 AKB48とは違ってメンバー全員が同じ芸能事務所「ピタゴラス・プロモーション」に所属している
 メンバーの多くが東海地方出身
 2008年7月からメンバーオーディションを実施し、16名の結成メンバー(現在のチームS)によって10月から活動を開始する
 SKE48の追加メンバーオーディションはおよそ年に1回のペースで実施されている
 2009年2月に追加加入したメンバーによって「チームK2」が発足する
 2009年8月にシングル『強き者よ』でCDデビューを果たす(オリコン最高5位)
 2010年12月に追加加入したメンバーによって「チームE」が発足する
 2011年3月にリリースした5th『バンザイVenus』が売り上げ枚数20万枚を突破し、自身初のオリコン1位を獲得する
 4日後!7月27日に6thシングル『パレオはエメラルド』がリリースされる予定

SDN48(2009年6月~)21~40名
 大堀恵(25歳 元チームK)、佐藤由加理(20歳 元チームA)、小原春香(21歳 元チームB) ら
 AKB48の「お姉さん」的存在のセクシーアイドルグループ
 AKB48在籍経験者もいるが、ほとんどのメンバーはオーディションによって新規加入している
 AKB48関連のグループでは例外的に「恋愛」と「結婚」が容認されているが、「妊娠・出産」は禁止
 メンバーの中には、AKB48のイベント運営アシスタントや研修生の講師をつとめている者もいる
 2009年6月にオーディションによって選ばれた17名とAKB48メンバーの4名によって21名体制で結成
 SDN48の追加メンバーオーディションはおよそ年に1回のペースで実施されている
 ※年齢規定は「20歳以上、上限なし」
 2011年6月現在は40名となっている(うち、AKB48在籍経験があるのは7名)
 AKB48には見られないセクシー路線の楽曲とパフォーマンス
 東京・秋葉原のAKB48劇場での公演も、夜7~8時から深夜にかけて上演される
 2010年11月にシングル『GAGAGA』でCDデビューし(オリコン最高3位)、2011年6月現在までに2枚のシングルをリリースしている

ノースリーブス(2008年9月~)3人組
 小嶋陽菜(20歳)、高橋みなみ(17歳)、峯岸みなみ(15歳)
 AKB48第2のグループ内ユニット
 ※AKB48史上初のグループ内ユニットである「Chocolove(チョコラヴ)」は2007年のみの活動で自然消滅している
 ※チョコラヴについては「ざっくりすぎるアイドルグループ史」第34回の2007年6月の項を参照のこと
 AKB48チームAのメンバーに所属していた3名で結成される
 ※3名は2007年ごろからライヴ公演で3人組として歌唱していることが多かった
 3名とも、「渡り廊下走り隊」のメンバーと同じく芸能事務所は「プロダクション尾木」に所属している
 2008年11月にシングル『Relax!』でCDデビューを果たす(オリコン最高13位)
 3名のしっかりしたヴォーカルが特徴的
 衣装は制服ではないノースリーブのキャミソールなどで、AKB48よりもハードな曲調であることが多い
 2011年1月にリリースした1stアルバム『ノースリーブス』が、AKB48内ユニットとしては初のオリコンアルバムチャート1位を獲得する
 2011年6月にリリースした最新7thシングル『唇 触れず…』が、自身初の売り上げ枚数10万枚突破を記録する(オリコン最高3位)
 代表曲 6th『Answer』(2009年10月 オリコン最高2位)

渡り廊下走り隊7(2008年10月~)7人組
 14~16歳 渡辺麻友(14歳 センター)、平嶋夏海(16歳 リーダー) ら
 AKB48第3のグループ内ユニット
 AKB48チームBのメンバーから結成される
 牧歌的でノリの軽いアイドルソングを唄う、グループ内で比較的もっともおニャン子クラブに近いユニット
 ※秋元康の設定ではおニャン子クラブのグループ内ユニット「うしろゆびさされ組」(1985~87年)と「うしろ髪ひかれ隊」(1987~88年)の正式な妹分ユニットということになっている
 ※実際に、メンバーは全員それらと同じ「プロダクション尾木」所属で、楽曲CDも同じ「ポニーキャニオン」からリリースされている
 2008年3月にNHK教育の番組でエンディング曲『恋のチューイング』を歌唱していた3人組ユニット「お菓子なシスターズ」が母体となっている
 同年10月に加入した平嶋夏海がリーダーに就任して正式に4人編成の「渡り廊下走り隊」が発足する
 2009年1月にシングル『初恋ダッシュ』でCDデビューを果たす(オリコン最高10位)
 同年2月からの1名の追加加入により5人組となる
 2010年7月からはさらに2名が追加加入し、グループ名も「渡り廊下走り隊7(セブン)」に改称して7人組となり現在にいたる
 2011年6月までに7枚のシングルと1枚のアルバムをリリースしており、来月8月には8thシングルが発売される予定
 代表曲 4th『アッカンベー橋』(2010年3月 自身初のオリコン1位獲得)


《字数の都合上、この「ざっくりすぎるアイドルグループ史」ではAKB48関連の「期間限定・活動場所限定のグループ内ユニット」は詳しくはあつかいません。ここで名前と簡単な説明だけをあげておきます。》

ほね組(2007年)板野友美・小野恵令奈ら4名
 NHK教育の番組で『ほねほねワルツ』を歌唱

ICE(2007年)大島優子・小野恵令奈・河西智美ら5名
 秋元康プロデュースのオリジナルビデオアニメ『ICE』の声優やテーマ曲を担当

クレヨンフレンズ(2007年)大島麻衣ら4名
 アニメ『クレヨンしんちゃん』のオープニングテーマ『ユルユルでDE-O!』を歌唱

ナットウエンジェル(2009年~)宮崎美穂ら
 全国納豆協同組合連合会と提携して国民の納豆消費を推進

AKB卓球部(2009年~)8~10名
 テレビ東京で放送される「世界卓球選手権」を応援するために毎年グループから選抜

Queen&Elizabeth(2010年)板野友美・河西智美
 『仮面ライダーW』にゲスト出演した2名により結成

チームドラゴン(2010年)篠田麻里子をのぞいた「神7」と柏木由紀の7名
 アニメ『ドラゴンボール改』のエンディング曲を担当

ミニスカート(2010年)研修生のみ3名
 タカラトミーのゲーム機「プリティーリズム・ミニスカート」のPR

チームキネクト(2010年)SKE48の松井珠理奈と松井玲奈の2名
 マイクロソフトのゲーム機X-box360のアタッチメント商品「Kinect(キネクト)」のPR

野菜シスターズ(2010年~)25~30名
 カゴメの飲料「野菜1日これ1本」のPR

MINT(2010年)前田敦子・河西智美ら5名
 サイバーエージェントのインターネットサービス「アメーバピグ」との連動企画により結成

Team KISHIN(2010年)倉持明日香ら6名
 写真家・篠山紀信の企画写真集のモデルにより結成

チームPB(2010年)柏木由紀・宮澤佐江ら7名
 集英社の青年向け雑誌『週刊プレイボーイ』との連動企画

チームYJ(2010年~)峯岸みなみ ら7名
 集英社のマンガ雑誌『週刊ヤングジャンプ』との連動企画(2011年には「YJ7」としてメンバー再編成)

YM7(2011年)河西智美ら7名
 講談社のマンガ雑誌『週刊ヤングマガジン』との連動企画


 ちかれたび~。
 いやぁ、2009年には、AKB48とモーニング娘。との頂上決戦、凄絶なるアイドルグループ「夏の陣」と「冬の陣」があったんですなぁ。しらなんだしらなんだ。

 もう~、次回、次回! あれもこれも、み~んな次回ッッ!!
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第37回 『モーニング守誠。 2008~09 雑想編』

2011年07月22日 23時39分07秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 こんばんはぁ~いっと。みなさんお元気ですか? そうだいでございます。
 いやぁ~過ごしやすいね! すずしいすずしい。熱帯性のじめじめした台風の反動なんですかね。なんか、風のにおいが「夏の終わり」なんですよ。夏休みの終わりのころの「24時間日曜日の『サザエさん』以後」状態を思い出しちゃってムダにおセンチになっちまったぜい。このむなしさ。好きなんだけど別に明日から秋になるわけでもないんすよねぇ。8月はこれから。燃えるようなホッサマーがやってくんのよねぇ~!! 今のうちにこの涼しさを楽しんでおきましょう。

 ちょっとおセンチといえば、ついさっきに友人(って呼ばせて!)のブログを拝見したところ、あの、芸能人の似顔絵の表紙で有名な総合情報週刊誌『ぴあ』が今週で最終号なんだという話題が。
 『ぴあ』。お世話になったねぇ……
 私、ちょうど20世紀と21世紀をまたぐ感じで大学生の時期を過ごしたんですけど、当時はケータイもパソコンも持っていないというだいぶ遅れがちな生活をしてたんですよ。そういう私は重宝したねぇ~、『ぴあ』!
 入学してからは毎週かかさず買ってました。毎晩、眠くなるまでニヤニヤしながら『ぴあ』をながめては、

「なんだろ、この美術展? 誰だか知らないけど行ってみよう。きっとこれが芸術ってやつなんだ!」
「すげぇ! 普通の映画よりも安い料金で何本も名作が観られるんだ。東京はおそろしかとこばい。」

 などとまなこをキラッキラさせながら蛍光ペンで情報をチェックしていました。おまえはメルヘン少女か。
 思えば、パソコンを1人1台持っているのが当たり前になりつつあった(ケータイやPHSにいたっては、私以外に持っていない学生さんに会うことはありませんでした。)当時、ここまで熱心に『ぴあ』を買っていた人は少なくとも私の身のまわりにはいなくなっていましたね。所属していたサークルでも、私が買ってきた『ぴあ』をみんなで読んであーだこ-だ他愛のないフリートークを展開するというのがなんとなくの定型になっていました。
 うん。パソコンを去年ぐらいからやっと使いはじめてみてわかったんですけど、『ぴあ』の需要は私が大学生になった1990年代末期にはすでに縮小をはじめていたんですね。
 でも、私はお世話になったよ。パソコンで自分の好きな話題だけを検索していたらとうてい気づけなかったような未知の場所に行けたのも『ぴあ』のおかげ。山形からやってきた「Everyday おのぼりさん」状態だった私が東京を勉強することができたのも『ぴあ』のおかげだったのです。
 確か、三鷹かどっかの、駅からもけっこう歩かなきゃならない場所にあったコミュニティセンター(そこに着いた時、私は「東京の公民館はでげぇなやぁ~。ビルヂングみでぇな。」と喫驚したものです。)でひっそりと上映していた映画『本陣殺人事件』(監督・高林陽一 金田一先生・中尾彬)を観たのも、『ぴあ』を調べたおかげだったなぁ。私が生まれて初めて、かの名画『惑星ソラリス』を観た大森の名画座での特集上映企画を見つけたのも『ぴあ』で。あの時、映画館から帰るときに見た、夕陽に真っ赤に染まる大森の街の異様な美しさは忘れられません。

 こんな感じでえらく恩義のある『ぴあ』だったのですが、私も大学卒業の間際にぱったりと買うのをやめてしまいました。
 確か理由は、「表紙イラストの仲間由紀恵さん(だっかか誰か)が異常に似ていなく感じた」から。
 いや~……なんかショックだったのよね。たぶん、単に私の気分の問題だったのでしょうが、私の中のなにかがはじけた。

 それ以来、現在にいたるまで10年ちかく離れてしまっていたので、ここで急に「残念だなぁ!」と言うつもりはないのですが、まずは「どうもありがとう! あの時はお世話になりました。」と言わせていただきたいと思います。お疲れさぁーっした!


 さぁ、昔話はここまでにしておきまして、さっそく今回の本題である「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の続き、2008~09年におけるモーニング娘。とハロー!プロジェクトの趨勢についての雑想をつづっていきたいと思います。って、こっちも昔話じゃねぇかァ!!

 2008年以降、ハロー!プロジェクトは依然としてモーニング娘。、Berryz工房、℃-uteの3本柱にエルダークラブ(現在のM-line club)のモーニング娘。卒業メンバーといった陣容を変えずに押してはいたのですが、モーニング娘。の企業CM出演やNHK『紅白歌合戦』への出演がぱったりなくなったことなどからもわかる通り、かつてのメディア露出の多さからは比べるべくもない「静けさ」を呈するようになっていました。

 かつてハロプロは、アイドルグループの他にも卒業後のごっちんやなっち、「最後のアイドル歌手」あややといったソロアイドルで強力な顔ぶれを擁していたのですが、2008~09年のころにはごっちんはエイベックスに移籍して、なっちやあややはそれぞれの次なるステージを模索して各自が「アイドル歌手」というくくりから去っていくこととなりました。これを無理に止める筋合いは他人の誰にもないでしょう。
 問題はその後継者なのですが、彼女たちの巨大すぎる穴を埋めるには「ハロプロエッグ」のみなさんはあまりにも「エッグ」すぎ、唯一のソロアイドルとも言える真野恵里菜さんは「穴を埋めます!」といった気合いをこめてギラッ、シャキッ、ドジャ~ン!と舞台に立つといった方向の似合う人ではなかったのです。
 これをさして真野さんを「ダメだなぁ!」とか「パッとしねぇなぁ~。」と言うむきがあるのもわかりますが、真野さんのあり方は「前にグイグイ出ない」魅力というか、「前にグイグイ出ざるをえないアイドルという職業に新鮮に真剣に戸惑いながら、それでもアイドルをやっている」という未完成の美、プロフェッショナルというものを常に自問自答し続けている苦悩の美というものを体現しているアイドルのあり方なのです。
 私は真野さんを「アイドル界の徳川秀忠」と言いたい。「悩まなくてなにが後継者だ」って話なんですよ! ともすれば真野さんは現在、実につらい日々を送っておられるかも知れないのですが、ぜひともここは我慢のしどごろと考えて快活にその道を歩んでいってほしいのです。
 「ガチでナンボ」と言われているせちがらい昨今のアイドル乱世事情にヘキエキしている人々にとっては、真野さんの透明でもろい存在感は非常に貴重なアジールになっているはずです。歌の実力も着実についてますし。がんばって、ちょ~だい!

 さて、ハロプロのソロアイドルについてはここまでにしておきまして、ここからはモーニング娘。の話であります。

 2007年にはからずも連続してしまった吉澤リーダーの卒業と藤本リーダーの脱退、そして新たに加入した光井愛佳・ジュンジュン・リンリンの第8期メンバーによって、モーニング娘。は以前にも増して21世紀初頭の「黄金期」のかおりを少なくした独自色を強めるグループに変容していきました。
 その2007年のなかばからほぼ2009年いっぱいまで続いた9名体制が、モーニング娘。史上最長の顔ぶれとなっていたことは前回にも触れたのですが、この「2年半ずっとメンバーがいっしょ」という選択にこめられたものは、まさに「キャンディーズ型からピンク・レディー型」への変身を通じて、彼女たちなりのアイドルグループとしての「誠」を頑として守り抜いていくという鋼のような決意だったのではないでしょうか。
 ここでの「誠」とは、今までも、そしてこれからも自分たちのパフォーマンスを観ようとしてくれる人たちに、その期待以上のものをご覧に入れてやるゼ!と立ち向かっていく「誠意」です。う~ん、ロマンだ!

 それまでのモーニング娘。は、必ず1年に1回は誰かが卒業するか誰かが加入するという、モーニング娘。そのもののアーティストとしてのクオリティとは別のところでの話題性を打ち出すやり方で世間の耳目を集めていました。もちろん、つんく♂さんの作詞家・作曲家としての資質も言わずもがなではあるのですが、むしろ「総合プロデューサーつんく♂」としての真骨頂は、新メンバーを入れて現役メンバーを成長させ、そんな現役メンバーにならって新メンバーも成長していく物語を継ぎ足していくタイミングセンスにあったような気がします。こういった定期的な「若返り」があるということは、言い換えればモーニング娘。の「中身」がいつまでたっても成熟しない「成長のリセット」が繰り返されていた、ということになります。
 この、「アイドルグループの成長をひとつのドラマとして提供する」やり方は、時代や人数こそ違うものの、あのアイドルグループの祖ともいえるキャンディーズの、無名からみるみるうちに成長してビッグアーティストになっていき、そしてグループの成熟をもって解散とするやり方を踏襲したものだったのです。

 しっかし! 2007年のなかばからメンバーを固定させたモーニング娘。は、当然のごとく着実にグループとしての成長を開始してゆくこととなりました。これはつまり、モーニング娘。の中で当たり前となっていた「成長のリセット」がなくなり、そのままズンズンと歌唱力やダンスパフォーマンスといった部分でのレベルが上昇してゆき、ビッグアーティストとしての「本物の」魅力をつけていく形態にかわったことを意味します。そして時は動き出す! ウリイィィィィャアァ!!
 ここで忘れてならないのは、モーニング娘。メンバー中屈指のベテラン(といっても20代前半)、2008年11月の時点でそれまでの在籍最長記録保持者だった2代目リーダー飯田圭織の7年3ヶ月を超えたツートップ、高橋愛と新垣里沙の2人が、2008年8月に放送された日本テレビの大型特別ドラマで、他ならぬ「ピンク・レディー」の役を演じていたということです! これ以上にわかりやすい意思表示はありませんやねぇ。

 ピンク・レディーといえば、「キャンディーズ型」、つまり自身の成長物語から生まれる感動をファンとともに分かちあっていくタイプとはまったく違った、圧倒的に独特な歌詞世界や他に類を見ないダンス、力強いヴォーカルなどでファンをグイグイとみずからの世界に引き込んでゆく「最初から完成された作品のクオリティ先行型」の最たるアイドルグループでした。
 つまりは、結成以来実に10年の長きにわたって「キャンディーズ型」を繰り返していたモーニング娘。が、ここにきてついに「ピンク・レディー型」に移行していく実力を発揮するにいたったことの象徴が、この「モーニング娘。によるピンク・レディーの再演」だったのです。まぁ、黙って再演させるほどピンク・レディーのお2人も老いていなかったわけなのですが。

 成長ドラマの舞台から、実力本位のプロ集団へ。この大きな方針転換がつんく♂さんの判断によるものだったことは言うまでもないのでしょうが、彼にそれを決めさせたことに当時のメンバーの実力が大きく関わっていたことは間違いないでしょう。上が実力本位と決めたとしても、肝心のグループにその力がなければどうしようもないからなのです。
 でも、当時のモーニング娘。はすごかった。なんといっても、リーダーの高橋さんの歌唱力と、汗だくでみせるパフォーマンスの美しさは本物なんですよ。

 2001年の加入当初、まだTV番組での露出も多かった時期での第5期メンバーおひろめがあった時、私はまだおさない高橋さんを観て、
「なんだか、えんどうまめみたいな顔の娘ッコが入ってきたなぁ……大丈夫かな?」
 と感じてしまいました。
 2007年の急な5代目リーダー就任の報を聞いても、
「え、高橋愛ちゃんがリーダーなのか。ミキティの後だからなおさら大変だろうなぁ。」
 といらぬ心配をかけていたものです。

 しかし。高橋さんの実力は本物だ。
 今まではモーニング娘。のメンバー10名ほどが持ち回りで曲を唄っていても、それぞれの声のくせや高低によって誰が唄っているのかをなんとかさぐり当てることはできました。
 ところが、どこを高橋さんが唄っているのかを判断する手がかりは、くせや高低ではありません。

 「声に芯があるかどうか」! 芯があったら、たやすくねじ曲がりそうにない強さがあったら高橋さん。

 はっきり言えばごっちんやミキティのようなわかりやすい華やかさや特徴はないのですが、高橋さんの歌唱の安定力はすでにアイドルの範疇を軽く凌駕しています。
 高橋さんのパフォーマンスは、激しいダンスも一瞬の軽いしぐさも、呼吸の取り方も汗のかき方さえもが彼女の歌声に説得力をあたえる血肉となっています。どれも邪魔にならない。っていうか、それらはすべて「歌手・高橋愛」のコントロール下におかれている武器なのであって、それらのぶれによって本体である歌声がおろそかになることなどありえないような気がしてくるのです。この安定感たるやもう、死線をかいくぐってきた一流のサムライのそれに近いと! いや、サムライに会ったことはないんですけど。
 言ってみれば、高橋愛さんは「アイドル界の近藤勇」なのね。こんなたとえばっかですみません!
 とりあえず最初に目立つのは他のメンバーだったとしても、最終的にいちばんグループにとって必要な頼れるリーダーが高橋さんなんですよ。

 そういえば、振り返ってみるとなっちに始まりごっちん、石川さんと歴代それぞれの時代でモーニング娘。の「エース」ともくされるメンバーはいたわけなのですが、グループの中で正式に決定されている「リーダー」でもありながら「エース」にも数えられていた方は、5代目リーダーのミキティと6代目現リーダーの高橋さんしかいません。そのミキティが突如としてグループを去ってしまった以上、この難局を打開できるお人は高橋さんしかいなかったというわけなのです。

 やたらメンバー全員をベタぼめしてもしょうがないので高橋さんだけにしてしまうのですが、この2008~09年の時期のモーニング娘。は、メディア露出を少なくした分、なおさらコンサートでのクオリティが上がったような気がします。
 黄金期に比べると「なんだかパッとしない。」「落ち着きすぎ。」と言われる当時の楽曲も、それはそれでストイックにハロプロの「アダルト歌謡部門」をになっていったことのあらわれであり、第一それなりの実力がともなっていなければとうていサマにならないレベルの高さの楽曲の連続であったことは確かです。
 つまり、かつての黄金期をふまえて成長を続けるモーニング娘。は、今さら『LOVEマシーン』や『恋愛レボリューション21』と同じ路線の歌に取り組む必要はなくなっていたのです。

 そういった、とびきりブッ飛んだモーニング娘。の新曲が聴けなくてさみしいのならば、コンサート会場に行ってそれらの名曲を唄う彼女たちを観に行けばよいのです。こういった意味でも、モーニング娘。は完全にTVの露出度やCD新曲の売れ行きに一喜一憂する存在ではなくなっていたのだと、あたくしは思うんだにゃー。コンサートに行けば会える。これこそが現役であることの最高のすばらしさです。
 私はこういった点では、音楽の方向性はまったく違いますが、モーニング娘。は現在の安室奈美恵さんに近い選択をしたような気がします。最大公約数の人々に薄く広く人気を得る時期はもう必要ではない、みたいな決然たる表情がかいま見えるんだなぁ。

 とまぁ、鍛えあげる日本刀のようにどんどんレベルを上げていった当時のモーニング娘。だったわけなのですが、2009年の終わりに起きたエース久住小春さんの卒業によって、リーダー高橋というかなめは押さえつつも、再びモーニング娘。は流動を始めていくこととなります。
 こうなるとねぇ。やっぱり現在のモーニング娘。とAKB48とが、同じアイドルグループとは言いつつも、いずれが優れているとか劣っていると議論できる関係では土台ないんだってことがわかりますよねぇ。闘っているフィールドがまるで違うんですな。「ライオンとトラ、強いのはどっち?」みたいな話なんですよ。


 さぁ~そんなわけで、みずからいくさ場を変えるようなかたちを選んだモーニング娘。だったわけなのですが、トップを得る回数こそ少なくなったものの、依然として他のアイドルグループからはひとつ頭の抜きんでた存在ではあり続けていました。しかし、そのバランスももはや累卵の危うきにあり。
 かろうじてPerfume が最初にその牙城を奪う栄誉にあずかったのですが、2008~09年にはついに! さきほども名前の出たAKB48が本格的に全国の注目をあび、モーニング娘。の次の時代をになうアイドルグループと呼ばれていくこととなります。

 っつうことで次回は、AKB48が単なる「アキバのおたくアイドルグループ」というカラを破って、まさに2011年現在につながる知名度を手に入れることとなった「AKB48の2008~09年」にうつりたいと思いま~す。
 いやぁ~、ここまできちゃいましたねぇ! ゴールまであと少し。がんばっちゃうぞ~。7月中には終わらないかもしんないけど。


 ……別に『しょうがない夢追い人』が1位でなくてもいいと思うんですけどね……もっと他にあるでしょ!?
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第36回 『モーニング守誠。 2008~09 資料編』

2011年07月20日 23時44分53秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 ばばばばば。どうもきょんばんは~、そうだいでございます。蒸すわぁ~。
 台風が近づいてるんですか……ねぇ? でも、関東に上陸することはないとか。超大型とか言われてはいるんですが、大丈夫なのかしら。

 いやいや、でもそんなことよりも、私にとってはもっと重大なニュースがありました。
 ひとつは「よしおさん、さようなら~!!」、そしてもうひとつは「親友に第1子が。いらっしゃ~い!!」

 まさに去る者あれば来る者ありでございます。
 原田芳雄さんはもういろんな時代のいろんな映画に出ていらっしゃるので、どれが代表作かと考えることさえ意味がないような気がしてくるんですよね。若い芳雄さんもいいし、最近の枯れたようで枯れてない、俗人のようで俗人じゃない老人を演じている芳雄さんも独特の味わいがありました。山形県出身の私としてはどうしてもNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』(1987年)の名ライヴァルキャラ「最上義光(よしあき)」役が思い出されるのですが、史実に合っているのか、これがNHKの大河ドラマなのか、そもそもこの人が戦国大名を演じようとしているのかどうか、そこらへんの一切を疑うことをまるでアホらしく感じさせてしまう、あの圧倒的な「どこからどう見ても原田芳雄」感には心底驚嘆したものです。どの時代のどんな役をやっても、善人はもちろんいくら悪人をやっても、必ず芳雄さんという人間の地のあたたかみが、セリフを言った後に相手の反応をちゃんと見つめる視線からにじみ出てきちゃうんですね。「憎めない人」とはこういう人のことなのかとしょっちゅう魅了されていました。合唱。

 んで、それに哀しんでいるヒマもなく、私の同年の親友に第1子が誕生したとのメールが。おめでとう!!
 2日も陣痛が続いたらしくて。大変だったね……男にゃあ想像もつかない命のやりとりですよね。
 お子に早く会いたいねぇ~。子どもに気に入られるためだったら犯罪以外のことならなんでもやるっていうのが私のポリッシーなんですよ。

 だって、次の時代をになう人には笑顔でいてほしいじゃねぇか。

 ……って、ウッソ~! ウッソ~! ただかわいいのが好きなだけなんですよ!! きゃわいい~きゃわいい~、イィ~っヒッヒッヒッヒ。※


 さぁ、こんな命の卒業と加入が絶え間なく続いている現世の中で、今日も今日とて「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の続きに入っていきたいと思います。
 前回からついに2008~09年に入ってきましてね、いよいよこの長い旅路のゴールも近づいてきた……らしいのですが、なんかますます情報量が多くなってきてゴールの「ゴ」の字も見えてきやしません。
 7月中に終わるかどうか……とにかく突っ走るのみですが、たぶんある瞬間に「あれっ、もうなくなっちゃった?」とぱったり終わるんでしょうなぁ。それはそれでややさみしい気もするのですが、も~うこんな調べもの調べものの日々はいい加減おしまいにさせていただきたいと! しんどいんだからしんどいんだから。「ブログって……こんなんだっけ。」とハッと気づく瞬間が自分でいちばん恐いんだから!
 でも、出てくる人出てくる人みんなかわいいからやっちゃうんだよねェ~。きゃわいい~きゃわいい~、イィ~っヒッヒッヒッヒ。(※にもどる)

 今回は同じ2008~09年でも、「王者」モーニング娘。とハロー!プロジェクトの流れを取り上げてみたいと思います。なにかと「落ち目」だ「パッとしない」だなどとくだらない言説の的となっていた当時のみなさんだったのですが、具体的に彼女たちはどのような路をあゆんでいたのでしょうか。
 じゃあ~いってみよう、高橋愛ひきいる「守誠のアイドルグループ」モーニング娘。の章にろっくお~ん。


これぞ王道・モーニング娘。いぶし銀の2008~09年

2008年
3月
・ハロプロエッグ所属で音楽ガッタスメンバーの真野恵里菜(16歳)がソロ歌手デビューのために音楽ガッタス、ハロプロエッグを卒業する

4月
・36thシングル『リゾナントブルー』が日韓同時でリリースされる(オリコン最高3位)
 ※韓国は金大中大統領政権の「文化開放政策」によって1998年から日本文化(映画・音楽・マンガなど)の輸入解禁を始めており、日本の音楽CDの輸入販売は2004年から解禁されていた
・ハロプロ関西の所属タレント4名によってアイドルグループ「SI☆NA(シーナ)」が結成される
 ※「ハロプロ関西」は芸能事務所アップフロントグループの関西エリア支部「アップフロント関西」のタレント養成部門で、関東のハロプロにおけるハロプロエッグのようなもの
 ※SI☆NAはおもに関西地区でのライヴ活動を精力的におこなっていたが、CDをリリースすることなく2011年4月に解散する

5月
・この月から翌6月にかけて、モーニング娘。初の本格的海外コンサートが台湾・韓国・中国で上演される(ツアーではない)

6月
・同年8月に東京・新宿コマ劇場で公演されるモーニング娘。と宝塚歌劇団との合同ミュージカル『シンデレラ』の宣伝のためにスペシャルユニット「High-King(ハイキング)」が結成され、1stシングル『C/C(シンデレラ・コンプレックス)』をリリースする(オリコン最高6位)
 ※High-King のメンバー構成は、モーニング娘。の高橋愛(21歳)と田中れいな(18歳)、Berryz工房キャプテンの清水佐紀(16歳)、℃-uteリーダーの矢島舞美(16歳)、ハロプロエッグの前田憂佳(13歳 のちのスマイレージ)の5名
 ※High-King は当初は期間限定結成の予定だったが、現在までコンサートなどでの活動を継続している
・真野恵里菜がインディーズ1stシングル『マノピアノ』でソロ歌手デビューする
 ※真野は翌2009年3月のメジャーデビューまでに3枚のインディーズシングルを発表
 ※真野は翌2009年6月の単独コンサートまでに、モーニング娘。やBerryz工房、℃-uteなどのコンサートに出演している
 ※真野の楽曲をつんく♂がプロデュースすることはほとんどなく、作詞はベテラン作詞家の三浦徳子(よしこ)、作曲は主にシャ乱Qのはたけ、たいせい、『愛は勝つ』で有名なKANが担当している
・前年から芸能活動を休止していた後藤真希(22歳)が芸能事務所をエイベックス・エンタテインメントに移籍して活動を再開する
・ニュージーランドに語学留学をしていた元モーニング娘。5期メンバーの小川麻琴(20歳)が帰国し、ハロプロでの芸能活動を再開する

7月
(テクノアイドルグループPerfume がシングル『love the world』で自身初のオリコン1位を獲得する)

9月
・モーニング娘。としては2枚目のカヴァーシングルとなる37thシングル『ペッパー警部』がリリースされる(オリコン最高3位)
 ※前月8月に放送された日本テレビの開局55周年記念特別ドラマ『ヒットメーカー阿久悠物語』(監督・金子修介 主演・田辺誠一)には、モーニング娘。の高橋愛と新垣里沙がピンク・レディーの役で出演
 ※ちなみのこの『ヒットメーカー阿久悠物語』には、℃-uteの鈴木愛理も桜田淳子役として出演している
・モーニング娘。の看板番組『ハロモニ@』(テレビ東京 毎週日曜昼12時30分から)が放送を終了し、2000年4月以来8年間続いていた旗艦番組『ハロー!モーニング。』の歴史に終止符がうたれる
 ※モーニング娘。の看板番組はその他にテレビ東京深夜枠のものがあり、そちらは現在放送中の『ハロプロ!TIME』(毎週木曜深夜1時から)にいたるまで継続されている

2009年
2月
・38thシングル『泣いちゃうかも』をリリースする(オリコン最高3位)

3月
・ハロー!プロジェクトの年長タレントグループ「エルダークラブ」全員のハロー!プロジェクト卒業が発表
 ※エルダークラブはハロプロメンバーの人数が増加した2006年に発足したくくりで、当初はモーニング娘。卒業メンバー、ココナッツ娘。メンバー、カントリー娘。メンバー、太陽とシスコムーン、メロン記念日、美勇伝、音楽ガッタス、後藤真希、松浦亜弥が所属していた
 ※エルダークラブにたいして、現役モーニング娘。メンバー、Berryz工房、℃-ute、真野恵里菜、ハロプロエッグは「ワンダフルハーツ」に所属していた
 ※これ以降はワンダフルハーツの所属メンバーがそのままハロプロのメンバーをさすということになる
 ※とは言っても、エルダークラブがアップフロントグループから離脱したわけではないので、コンサートなどでの共演は基本的にさほど変わらず続いている
・真野恵里菜が1stシングル『乙女の祈り』でメジャーデビューする(オリコン最高3位)
 ※真野は2011年6月時点までに10枚のシングルと2枚のアルバムをリリースしているが、オリコンチャート最高順位はこの時の3位となっている

4月
・先月にハロー!プロジェクトを卒業したモーニング娘。卒業メンバーと音楽ガッタスの16名が所属するファンクラブ「M-line club」が発足する
 ※2011年6月時点で所属しているのはモーニング娘。卒業メンバーの11名のみ
・ハロプロエッグから選抜された和田彩花(14歳)ら4名による新アイドルグループ「スマイレージ」の結成が発表される
 ※翌2010年3月までスマイレージは4枚のインディーズシングルを発表するが、所属はハロプロエッグのままとなっている

5月
・39thシングル『しょうがない夢追い人』がオリコン1位を獲得する
 ※2011年6月時点ではモーニング娘。最後のオリコン1位獲得作品となっており、女性アイドルグループ史上最多のシングル1位獲得数を更新している(11作)
 ※この作品の1位獲得によって、モーニング娘。第1~8期の歴代メンバー25名全員がオリコン1位を経験したことになる

6月
・ハロー!プロジェクトの夏恒例企画だったシャッフルユニットが4年ぶりに再開され、モーニング娘。、Berryz工房、℃-ute、真野恵里菜、ハロプロエッグをシャッフルした「タンポポ♯(シャープ)」、「プッチモニV」、「新ミニモニ。」、「ZYX-α」、「続・美勇伝」が結成される
 ※同時に、「あぁ!」からリーダー田中れいなが卒業し、かわりにハロプロエッグの佐保明梨(14歳)が加入して夏焼雅(16歳 Berryz工房)が2代目リーダーとなった「第2期あぁ!」が発表される
 ※第2期あぁ!のメンバー佐保は2011年4月にあぁ!とハロプロエッグを卒業し、5月に結成されたアイドルグループ「アップアップガールズ(仮)」のメンバーになっている

7月
・モーニング娘。がアメリカ・ロサンゼルスで開催された「アニメエキスポ2009」でコンサートを上演する
・モーニング娘。が矢口真里とともにテレビ東京の「地上デジタル放送化推進キャンペーン」のTVCMに出演する(自身の楽曲宣伝以外では4年半ぶりのCM出演)
・前月に結成されたシャッフルユニット5組と第2期あぁ!とHigh-King が参加したカヴァーアルバム『チャンプル1 ハッピーマリッジソングカバー集』がリリースされる(オリコン最高37位)
 ※『チャンプル1』はオリジナル曲のないカヴァー曲集で、結婚式で唄われることの多い『てんとう虫のサンバ』『ダイアモンド』『世界は二人のために』『秋桜(コスモス)』などの名曲が収録されている
 ※このアルバムに参加した7組のユニットはすべて、現在もコンサートなどで組まれて活動している
・ハロプロ関西のSI☆NAが、メンバー山田菜々(17歳)の卒業(ハロプロ関西も)により3人組となる
 ※山田はのちにNMB48メンバーとなっている

8月
・40thシングル『なんちゃって恋愛』をリリースする(オリコン最高2位)
・元モーニング娘。メンバーの「モーニング娘。OG」としてのグループ活動が増え始める
 ※メンバー構成は中澤裕子・飯田圭織・安倍なつみ・矢口真里・保田圭・吉澤ひとみ・石川梨華の7名

9月
・モーニング娘。のエース久住小春(17歳)が、12月でのモーニング娘。およびハロー!プロジェクトの卒業を発表する

10月
・エース久住小春の在籍最後のシングルとなる41st『気まぐれプリンセス』をリリース(オリコン最高4位)

12月
・宣言どおり、エース久住小春がモーニング娘。およびハロー!プロジェクトを卒業して芸能活動を休止する
 ※これによって、2011年6月までの時点ではモーニング娘。史上最も長く続いた(2年半)リーダー高橋愛・エース久住小春の9名体制が終結する
 ※久住は翌2010年7月からM-line club に所属して芸能活動を再開している


2009年に誕生したハロー!プロジェクトのアイドルグループ

スマイレージ(別表記「S/mileage」 2009年4月~)4人組
 13~14歳 和田彩花(14歳 リーダー)、前田憂佳(14歳)ら
 ハロプロエッグ出身のアイドルグループ
 グループ名の由来は、「スマイルをマイレージのようにためる」と「スマイルのエイジ(世代)」をかけたもの
 キャッチフレーズは「日本一スカートの短いアイドルグループ」
 どんな衣装でも必ずミニスカで、4人の脚線美をアピールしたコミカルなダンスが特徴的
 同年代の女子の日常をおもしろおかしくつづった歌詞と軽快なリズムが楽曲の魅力
 2009年につんく♂の提唱によりハロプロエッグの中から結成される
 2009年はモーニング娘。やBerryz工房、℃-uteなどのコンサートに参加しており、真野恵里菜のバックダンサーもつとめていた
 2010年2月につんく♂が提示した、「1ヶ月で1万人の笑顔写真を集めて笑顔のモザイクアートを作ったらメジャーデビュー」というミッションを成功させる(実際に集まったのは1万6000人分だった)
 2010年3月にハロプロエッグを卒業し、5月に1stシングル『夢見る15歳(フィフティーン)』でメジャーデビューを果たす(オリコン最高5位)
 メジャーデビュー以来オリコンシングルチャート10位内の常連になっているが、いまだ4位以上にランクインした経験はない
 2010年10~11月には東京・名古屋・大阪・横浜で初のライヴツアーをおこなう
 2011年5月に追加メンバーオーディションの実施が発表され、同年秋に新メンバーが加入する予定
 来月8月に6thシングルがリリースされる予定


 こんな感じでしょうか~。
 アダルト一直線のモーニング娘。におだやか一直線の真野さんということで、なにかと落ち着いた印象の多いそのころのハロプロ陣営だったのですが、後半にいよいよはっちゃけ一直線のスマイレージが登場してまいりましたねぇ! でも、若いからって生足の出しすぎは身体に毒よ。

 具体的なつれづれについては、まった次回で~す。

 真野さんって、現在のアイドル界でも屈指の美形というか、「男前」ですよね……ほめてんのよ!?
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第35回 『沸騰!第5次モーニング包囲網。 2008~09』

2011年07月18日 23時21分49秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 おうおうおうおうっ、邪魔するぜいっ。失礼いたします、そうだいでございます。
 いやー、なんか相当に危険な台風が近づいているようで。まぁ今日のところは特に影響のない暑い1日だったのですが。
 まぁ気温が下がってくれるのはありがたいんですが、極端な環境の変化は体調に気をつけないとねぇ。

 最近は近所の道端をうろついている野良猫が暑さで目に見えて激ヤセしており、日影の「すずしいポイント」を手足をめいっぱいに広げて寝そべりながら道行く人たちをにらんで、
「この場所は誰にもゆずらねぇ! ニャー! なんかくれ。」
 とがんばっている子もいたりして、「すさんだ世の中になったもんだ。」と感じていたのですが、台風になったらなったでそりゃ野良猫にとっちゃあ一大事ですよね。生物のいかんを問わず、フリーは大変だよぉ。


 そんじゃねぇ、今日もいっちゃいましょうか、えっちらおっちらと。とてつもない台風が来る前に、こっちの「嵐のような時代」にふれてみよう!

 さぁ、いよいよ絶対強者不在の戦国時代となってきたアイドルグループ界、2008~09年の動きを追ってみたいと思います。
 モーニング娘。ひきいるハロー!プロジェクトとAKB48軍団はそれぞれまた次回にあらためてやることにいたしまして、今回はそれ以外の方々を見ていくことにしますね~。
 ほんじゃおぱっ、おぱっ、おっぱじめていきますか! 現在とほぼ地続きのつながりになっているプチ過去に、た~いむすり~っぴゃ。


Perfume(パフューム 2000年~)3人組
 あ~ちゃん、かしゆか、のっち
 ※リーダーは決まっていないが、基本的にあ~ちゃんがグループの意志をとりまとめていることが多い
 広島出身の元祖ロコドル
 3人が中学3年生になった2003年4月に芸能事務所アミューズに所属し、活動の拠点を東京にうつす
 アミューズ所属を契機に、グループ名表記を「ぱふゅ~む」から「Perfume」にあらためる
 2003年8月にリリースしたインディーズシングルから、テクノポップユニット「capsule(カプセル)」の中田ヤスタカ(23歳)が楽曲プロデュースを手がけるようになって現在にいたる
 ※広島時代をふくめて5枚のインディーズシングルを発表している
 本格的なテクノポップ楽曲を歌唱しているが、プロデューサーの中田はメンバーの歌声も音源のひとつとして収録しているため、ライヴ歌唱では再現不可能な音声加工を施されていることも多い
 ※そのため、「口パク」であることが前提となっているライヴパフォーマンスも多い
 クールなテクノ楽曲と、歌以外での天真爛漫な3人の雰囲気とのギャップがたまらないグループ
 2005年9月に1stシングル『リニアモーターガール』でメジャーデビューし、2006年の暮れごろからネット上で配信された楽曲が話題となる
 2007年9月にリリースされた5thシングル『ポリリズム』がはじめてオリコンチャート10位内にランクインし(最高7位)、2008年7月の7thシングル『love the world』で自身初の1位を獲得する
 ※ハロー!プロジェクト陣営以外の女性アイドルグループによるオリコン1位獲得は、1998年のSPEED以来10年ぶりのことだった
 2008年以降は2010年までNHK『紅白歌合戦』に連続出場を果たしており、その他にもTV番組やCMへの出演などによって全国的な知名度を得るようになる
 2011年6月までに13枚のシングルと2枚のオリジナルアルバム、1枚のベストアルバムをリリース

恵比寿マスカッツ(2008年4月~)25名
 蒼井そら(25歳 初代リーダー)、麻美ゆま(21歳 2代目リーダー)、吉沢明歩(24歳)、Rio(21歳) ら
 テレビ東京の深夜バラエティ番組『マスカット』シリーズ(毎週月曜深夜2時)のレギュラーアシスタント陣により結成
 ※現在はシリーズ第4作『おねだりマスカットDX!』(放送時間は毎週水曜深夜2時20分からに変更)に出演している
 メンバーはAV女優かグラビアアイドルで構成されている
 グループ名の「恵比寿」は、番組の総合演出を手がけるマッコイ斎藤(38歳)の制作会社が東京・恵比寿にあるからという理由で、特に恵比寿を拠点に活動しているわけではない
 ※マッコイ斎藤は『マスカット』シリーズの他には『とんねるずのみなさんのおかげでした』の演出も担当
 約半年に1回の割合で、番組改編にあわせてメンバーの大幅な加入・卒業がおこなわれる
 いったん卒業したメンバーが再びOGとして復帰する場合も多く、2011年6月時点でのメンバー数は25名
 ※そのうち、番組第1作『おねがい!マスカット』から参加している第1期メンバーはは9名
 初代リーダーの蒼井は2010年3月に卒業(現在はOGメンバーとして復帰している)
 結成当初は単なる番組レギュラー出演者の集まりだったが、2010年ごろから本格的な歌手グループとしての活動を開始する
 2011年6月時点までに4枚のシングルと1枚のアルバムをリリースしている
 2011年5月から開始された初の全国ツアーは10月に終了する予定
 代表曲 1st『バナナ・マンゴー・ハイスクール』(2010年2月 オリコン最高8位)

ももいろクローバーZ(2008年5月~)5人組
 12~15歳 百田夏菜子(ももた かなこ 13歳 リーダー)ら
 2011年4月までのグループ名は「ももいろクローバー」だった
 芸能事務所「スターダストプロモーション」の芸能ジュニア部門に所属していた女性タレントによって6名で結成される
 結成当初からメンバーの異動が多く、一時期は9名で活動していた
 結成メンバーで現在も所属しているのは百田、高城れに(14歳)、玉井詩織(12歳)の3名
 ライヴ活動を積極的におこなっており、キャッチフレーズは「今、会えるアイドル」
 ファンとの握手会、ハイタッチ会、抽選撮影会もライヴと同時に開催している
 インディーズシングル2枚をリリースし、2010年5月に1stシングル『行くぜっ!怪盗少女』(オリコン最高3位)でメジャーデビューを果たす
 メジャーデビュー以降は作曲家の前山田健一(28歳)がプロデュースを手がけている
 ※前山田はアニメ関連楽曲の制作を中心に活躍しており、作曲家として有名になる以前からニコニコ動画投稿者「ヒャダイン」として知られていた
 ※前山田は楽曲プロデュースの他、歌手「ヒャダイン」としても活動している
 メジャーデビュー以降はアニメ調で激しいリズムの楽曲とアクロバティックなダンスが持ち味となっている
 楽曲は常にオリコンチャート10位以内に入っているが、まだ1位を獲得したことはない
 2011年4月のメンバー早見あかり(16歳)の脱退をもって現在の5名体制となる
 2011年7月までに5枚のシングルをリリースしており、27日には待望の1stアルバムが発表される予定

YGA(よしもとグラビアエージェンシー 2008年7月~)10名
 17~21歳 谷侑加子(17歳 センター)ら
 よしもとクリエイティブ・エージェンシー(旧・吉本興業)のグラビアアイドルグループ
 2008年7月に東京・新宿の専用劇場「ルミネ the よしもと」の設立7周年を記念して結成され、東京を拠点に活動している
 「よしもと内の架空のグラビアアイドル事務所」という設定で、南海キャンディースの山里亮太(31歳)が社長、ハイキングウォーキングの鈴木Q太郎(34歳)がスーパーバイザーを務めている
 結成当初は吉本新喜劇の女優やよしもと所属の女芸人がメンバーとなったパロディ企画だったが、翌2009年8月にメンバーが全員グラビアアイドルとなってからは本格的アイドルグループとして活動
 月1回のペースでルミネ the よしもとや秋葉原の石丸電気などでのライヴをおこなっている
 メンバーの追加加入と卒業が定期的におこなわれており、現在は第2~6期メンバーが所属している
 2011年6月までに4枚のシングルCDと多くのグラビアDVDをリリースしており、シングルはじょじょにチャート順位を上げてきている
 代表曲 4th『情熱ヒロイン』(2011年6月 オリコン最高5位)

アフィリア・サーガ・イースト(2008年11月~)12名
 全国に展開しているカフェ&レストラン「アフィリア・グループ」から結成されたアイドルグループ
 カフェ&レストラン&バーを経営している池袋・上野・六本木店で働いている「魔法っ子メイド」従業員がメンバーとなっている
 グループのコンセプトは「学院」ということになっており、メンバーの入学・卒業もひんぱんにおこなわれている(現在のメンバーは12名)
 メンバーに関する詳細情報は非公表で、名前も「アヤミ・チェルシー・スノウ」や「ミィナ・M・フラーチェ」などとステキな感じになっている
 ライヴ活動の他に、ネットラジオやスカパー!チャンネルなどでレギュラー番組を持っている
 5枚のシングル(つんく♂作曲もあり)と1枚のアルバムをリリースしているが……ブレイクはこれから?

ぱすぽ☆(2009年1月~)10人組
 14~18歳 根岸愛(16歳 キャプテン)、藤本有紀美(16歳 チーフパーサー) ら
 若槻千夏・木下優樹奈らが所属する芸能事務所「プラチナムプロダクション」の新人育成部門「プラチナム・パスポート」に所属している女性アイドルによって結成される
 コンセプトは「みんなでつくるアイドルユニット」、「十人十色」
 グループメンバーとファンがブログやTwitterで議論しながら活動方針を決定していくスタイル
 活動の世界観が「空の旅」で統一されており、使用される用語も「メンバー=クルー」「リーダー=キャプテン」「ファン=パッセンジャー」「ライヴ=フライト」となっている
 メンバーは基本的にフライトアテンダントを意識した衣装を着ていて、キャリーバッグを使ったダンスも披露
 2009年1月に候補メンバー19名の体制で活動を開始し、ライヴや2回の選考会をへて同年6月に現在の10名となる
 結成当初からライヴ活動や演劇公演を積極的におこなっている
 2010年9月には中国・上海万博で初の海外ライヴを上演している
 1980年代洋楽ロック調の軽快な楽曲
 インディーズ時代に4枚のシングルと1枚のアルバムをリリースしている
 2011年5月にメジャー1stシングル『少女飛行』をリリースして初登場1位を記録する(初週での売り上げ枚数は約4万3000枚)
 ※女性アイドルグループのデビュー曲のオリコンチャート初登場順位としては史上最高となる(それまでの最高記録は2007年2月の℃-uteの初登場5位)
 ※初登場1位ではないが、女性歌手グループのデビュー曲がオリコンチャート1位を記録したものとしては、あみんの『待つわ』(1982年7月 登場6週目で1位)とkiroroの『長い間』(1998年1月 登場9週目で1位)がある
 ※1位を獲得した翌週には順位が100位圏外に急落しており、話題性を獲得するために事務所がファンに複数枚購入を呼びかけていたことが物議をかもす
 来月2011年8月には2ndシングルがリリースされる予定だが……どうなる?

Tomaton'Pine(トマトゥンパイン 2009年4月~)3人組
 18~21歳 小池唯(18歳)ら
 メンバー個人のグラビアアイドルや女優としての活動も重視しているグループ
 2009年4月に、講談社『週刊ヤングマガジン』主催の「ミスマガジン2008」の受賞経験者である小池と奏木純(かなき じゅん 18歳)によってデュオとして結成される
 小池と奏木が同じ生年月日だったため、2人の誕生日である4月4日にインディーズCDをリリースしてデビューする
 同年の夏ごろから奏木が学業優先のために芸能活動を休止したため、デュオとしての活動は3ヶ月たらずで終了する
 翌2010年5月の奏木の正式脱退により、小池に新メンバーの草野日菜子(21歳)と和田えりか(18歳)が加入した3人組体制となって現在にいたる
 2011年3月にメジャーデビューをはたし、来月8月には2ndシングルがリリースされる予定だが……ブレイクはこれから?
 結成から所属している小池は、スーパー戦隊シリーズの最新作である『海賊戦隊ゴーカイジャー』(2011年~)にゴーカイピンク役で出演しブレイクしている
 現在は脱退した奏木純も芸能活動を再開している

bump.y(バンピー 2009年10月~)5人組
 10~18歳 桜庭ななみ(17歳)ら
 メンバー全員が個人の女優としての活動に重点を置いている「女優による歌手グループ」
 「でこぼこ」という意味のグループ名の通り、結成時からメンバーの年齢差が大きい
 実の姉妹である宮武美桜(13歳)と祭(10歳)が所属している
 TBSのネット配信ドラマ『bump.y』に出演していた6人の女優によって結成される
 結成当初は6人組として活動していたが、2010年ごろにメンバーの1名が学業優先のために芸能活動を休止したため5人組体制となって現在にいたる
 ライヴ活動の他にbump.yとしての演劇公演もおこなっている
 2011年6月時点までに3枚のシングルと1枚のカヴァーアルバムをリリースしているが……ブレイクはこれから?(オリコン最高30位)

DANCEROID(ダンスロイド 2009年10月~)4人組
 18~20歳 いとくとら(「いくら」と読む 20歳 リーダー)ら
 史上初の本格的ネットアイドルグループ
 ※「個人で活動するネットアイドル」自体は1996年ごろから存在が認知されている
 ※「ネットアイドル」とは、「専用サイト」を持って「自身の写真・画像を公開」して「一定の認知を受けている」、インターネット上を中心に芸能活動を行うアイドルのこと
 ニコニコ動画の「踊ってみた」カテゴリで活動している
 動画投稿以外にも、ライヴ活動やイベント出演を精力的におこなう
 2008年ごろからすでにソロ動画投稿を始めていたネットアイドルたちが集まってグループを結成
 結成当初は3人組だったが、メンバーの加入・脱退を繰り返して2011年7月からは4人組となっている
 メンバーの愛川こずえ(18歳)はアイドル好きを公言しており(特にハロー!プロジェクト陣営)、同年輩のアイドルグループでは中野腐女シスターズやバニラビーンズと交流がある
 2011年6月時点までに3枚のダンスDVDと1枚のアルバムCDをリリースしている


 ぜい、ぜい、ぜい……こんなもんかしらね。

 相変わらず「包囲網」のていをなしていない方々をムリヤリひっくるめて扱わせていただいているのですが、ついに包囲開始10年にしてやっと! ハロプロを超えてオリコン1位を獲得するアイドルグループが登場してまいりましたよ~。
 その栄誉に輝いたのは、AKB……じゃなくて! パフュームだったんですね~。

 パフュームの魅力はなんなのかと考えてみますと、それはもう3人の天性のものとしか言いようのない「ふんわり感」なのではないでしょうか。

 なにもアイドルの世界に限ったことではないのですが、プロフェッショナルとは自分の仕事に誇りを持ち、それが評価されることを無上の喜びとして、そのためならどんな努力も惜しまない人種であると思います。
 その一環として、時代によってその差はあるものの、美人だったりかわいかったりする女の子たちが汗水を流して歌やダンスのレッスンをかさね、それがうまくいかなかった時もうまくいった時も惜しみなく涙を流して感情をあらわす、といった姿をファンに提供することさえも立派な「プロとしてのアイドルの伝統コンテンツ」となっていきました。本人たちがどこまでそれを「武器」として認識しているのかは別としまして。
 そして、21世紀に入ってくるとアイドルグループのお仕事の中心は「歌を唄ったレコード(CD)の販売」から大きく「ファンの目の前でライヴをやる」のほうへと動いていき、あのAKB48の総選挙を見てもわかるように、「アイドルはファンの目の前で感情をあらわにして自分を主張してナンボ!」という風潮はいやましに増していくこととなり、その結果として世間の人々は……

 飽きた。

 ままま! 全国民がそうなったら2011年のAKB48天下は来なかったわけなので、正確には「加入だの卒業だの、汗だの涙だのに飽きてきた層がじょじょに増えてきた」と。で、そこを実に見事にさらっていったのがパフュームだったんじゃなかろうかと思うんですね、あたしゃ。

 パフュームには加入も卒業もありません。音楽性を変えようとしてヘンな方向に行くこともありません。競争意識を持つ必要などまったくなく、かといって単なる「仲良しクラブ」であるわけでもない非常に希有な空間に浮遊し続けているのがパフュームの魅力なのです。
 おそらくこれは、楽曲プロデュースはすべてを中田ヤスタカさんにゆだねておきながら、「パフュームがパフュームであること」に関しては他人の干渉を一切許さない、もしかしたら「時の流れ」にさえ介在させるスキを与えていないかのような3人独特の強力な「バミューダトライアングル」的結界が形成されていることに起因しているようなのです。こういうところの強さは実に広島っ子らしいと思うんですよねぇ!

 とにかくパフュームのあり方は、現在おおいにはやっているアイドルグループの全ての「ネガ」になっているのです。自分たちの楽曲への過剰なこだわりもなく、熱狂もなく、変化も起伏もなく不変の存在であるパフューム。その存在は太陽の光が強ければ強いほどその色を濃くしてゆく影のように、お寿司がおいしければおいしいほどほしくなる渋いお茶のようにますます存在感を高めていくのです。もう『ドラえもん』とか『サザエさん』の域ですよね……『水戸黄門』は終わっちゃうけど。

 それ以外のアイドルグループのみなさんも、2011年に入ってもまだまだ活躍している、というか現在になっていよいよノッてきたという勢いになっている感じですよね。

 しっかしまぁ……前回にもやったように、「握手券」だの「撮影券」だの「複数枚購入」だのといったセールス法は2006年ごろにAKB48が始めたのが最初ではあったのですが、ももいろクローバー(Z)さんやぱすぽ☆さんもよくやるよねぇ~。
 繰り返しますが、こういったいわゆる「AKB商法」はファンにとって大いにその意味があることだから成立することなのです。ぱすぽ☆のオリコン1位獲得も、事務所の戦略ということよりも、この不景気の世の中でも彼女たちのためにそれだけのことをしようとするファンがいた事実に注目するべきかと思います。

 でも、ぱすぽ☆のみなさんも大変ですよ……だって1stシングルの『少女飛行』には、中身がおんなじなのにジャケット写真が違う11種類のヴァージョンがあって、それを全部あわせた限定BOX(300セット販売)を購入した人は、自分の指定したメンバーと5分間話ができる権利がもらえたんですって。
 5分間×300人! でもこれ、メンバーの方は選ばれても選ばれなくてもどっちみちタイヘンだよねぇ。

 このへんは本当にガチというかガテン系といった感じの身体を張った仕事が目立つのですが、Tomaton'Pine や bump.y のように個人活動と並行したあり方の「各メンバーの成長の場」としてのアイドルグループや、恵比寿マスカッツやアフィリア・サーガ・イーストといった「企画もの」としてのアイドルグループも、みんながみんな地道なライヴ活動をちゃんと積極的にやっているのが21世紀ならではの特徴的ですね。昔はレコードやCDのリリースついでにちょっとイベント、といった程度だったのですがね~。ご苦労様でございます!
 bump.y はまさに女優グループといったおもむきで、りきんだ主張のない控えめで清純な空気感が独自の色となっていますね。かつての菅野美穂さんや上戸彩さん、瀧本美織さんや川島海荷さんのような方がグループからどう出てくるのか? もう時間の問題でしょうか。
 恵比寿マスカッツさんは今年なんと全国ツアーをやってるんだってんだからてえしたもんだよ。AVの歴史も1980年の誕生からはや30年。来るところまで来たねェ。

 YGAはかつて「企画もの」だったグループがよしもと色に頼らない本格路線に転向するといった道をたどったわけなのですが、こちらもそれまでのグラビアアイドルグループの、「グラビアのついでにちょっと歌でも。」という雰囲気とは一線を画した本気っぷりがじょじょに人気を伸ばしてきています。この方々も熱心にライヴをやっとりますよね。

 こうやって全体的に見渡してみますと、21世紀に入ってからAKB48軍団の始めた「ガチを見せるアイドル」「近いアイドル」といったあたりの影響を、全体的にそもそも体質からして違うグループまでもが色濃く受けていることが見えてくるかと思います。これはまさに2011年現在までに続いている流れです。
 応援しているグループが目の前で唄い踊ってくれるというのは素直にうれしいことなのですが、それとそのグループが全国的な知名度を得るということは次元のまったく違うことなんですよね。そういう意味でも、デビューにして堂々の1位をとったという「重み」を背負うことになってしまったぱすぽ☆が、これからどんな動きを見せるのかが非常に気になります。「ファン」と「世間」とのねじれという乱気流(タービュランス)の中でどんなフライトを見せてくれるのかしらん。うまくねぇ~!!


 っつーことで! 次回はそんな乱世の中を雄々しく生き抜いていこうと奮闘した「王者」モーニング娘。とハロー!プロジェクトに焦点をあてていきたいと思います。パフュームだAKB48だと言われていたそのころ、チャンピオンはどう苦悩し、どう決断して自身の活路を見出していったのでしょうか。
 そんじゃま、今回はぁこれまでっ。バーイニ~っ(知らないのに使ってます)。
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第34回 『蠢動!AKB48 2006~07』

2011年07月16日 23時58分31秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 ど~もこんばんはー。そうだいです。みなさん、楽しく夏をお過ごしでしょうか? あたしゃもう、家が暑くて暑くてしんどうございます。労働意欲がさほどあるわけでもないのに、節電しつつも一応はクーラーのきいてある仕事場が恋しくなる季節ですなぁ。
 うちの昭和型扇風機はまさにフル回転の状態です。これがもし壊れたら、それはすぐさま私の死そのものを意味します。運命共同体っていうやつですね。頼んだぜ相棒、「サンヨー ダイナミック・ウインズ」!!

 なんかね~、ここ数日ず~っと毎日のように「アジの南蛮漬け」を食べてるんですよ。やっぱ夏バテなのかなぁ、アジの南蛮漬けしか食べる気がしねぇよ~。
 魚ブームがなかなか去らないんですねぇ。そこに来て最近の「汚染牛肉」問題ですからねぇ。
 自主退避区域が8月に縮小されるとか、じょじょにいいニュースも届くようになっているんですけど、やっぱり、3月の影響を色濃く残したまま夏はやって来ましたねェ。
 まぁ「魚肉は大丈夫だ!」ということもなかなか言い切れないところはあるんですが、もうオッサンになって重いものもしょっちゅう食べられなくなってきたので、もうしばらくは魚でいきたいですね~。
 さかなさかなさかな~ですよ。今も、うるめいわしの煮干しをかじりながら画面に向かっております。水と酢と塩と愛があれば生きてけるだろ。いえ~。


 そんじゃまぁー今回もこんな感じでね、さっそく「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の続きにはいっていきたいと思います。
 いよいよ! いよいよAKB48に本格的にふれていく時がやってまいりましたよ~。もうシリーズも34回かい。そろそろゴールも見えてきたかナ?

 今回は、2005年の後半に結成されて東京・秋葉原の専用のAKB48劇場(「劇場」は「シアター」と読みます)での毎日の精力的なライヴ公演を始めていくこととなったAKB48、その後の「全国的にブレイクするまで」となる2006~07年の動向を見ていきたいと思います。
 まずはじゃらじゃら~っといつものように年表にしてみることにいたしましょう。
 こんなかーんじっ!


AKB48「謎のアキバ系アイドルグループ」の時代

2006年
1月
・AKB48劇場に併設されていた喫茶店「48's Cafe」(2008年いっぱいまで営業)に勤務していた篠田麻里子(19歳)が秋元康の直接スカウトによりチームAに所属する
 ※篠田は最初の結成メンバーオーディションに参加していたが不合格になっていた

2月
・AKB48劇場での定期公演で、開始3ヶ月目にして初めて客席満員(キャパシティ250人)を記録する
・インディーズ1stシングル『桜の花びらたち』がリリースされる
 ※この次にリリースされた『スカート、ひらり』もあわせて、インディーズ時代の楽曲はAKB48チームAのメンバーが歌唱している
 ※同時に、ジャケット写真が違うだけの20枚BOXも500セット限定で販売され(価格2万6000円)、購入者は指定したAKB48メンバーとのツーショット写真撮影ができた
・AKB48メンバーと直接会話できるテレビ電話サービス(NTTドコモ)が開設される(翌2007年9月まで)
 ※『桜の花びらたち』はNTTドコモのテレビ電話のCMソングにもなっていた
・第2期追加オーディションが実施され(応募者総数約1万2000名)、大島優子(17歳)、秋元才加(さやか 17歳)、宮澤佐江(15歳)、河西智美(14歳)、小野恵令奈(えれな 12歳)らが合格する
 ※大島は子役、ジュニアアイドル(昔でいうチャイドル)としてすでに7歳のころから芸能経験があり、アイドルグループ「Doll's Vox」(ドールズボックス 2005年)のメンバーでもあった
 ※ドールズボックス時代にはのちのアイドリング!!!の横山ルリカと同期で、2009年の期間限定の選抜合同グループ「AKBアイドリング!!!」でも再び共演している

4月
・第2期生が所属するAKB48チームK(結成当初17名)が正式に発足し、主に大島がセンターをつとめる
・テレビ朝日の深夜バラエティ番組『三竹占い』のアシスタントとしてAKB48メンバーが初のTVレギュラー出演を果たす

6月
・インディーズ2ndシングル『スカート、ひらり』がリリースされる
 ※シングルの購入者特典は、「AKB48メンバーといく花やしきツアー」招待抽選券(300人)
・AKB48がインディーズ音楽グループとしては異例の音楽番組『ミュージックステーション』(テレビ朝日)初出演を果たす

9月
(東京・中野ブロードウェイを拠点としたライヴ活動中心のヲタクアイドルグループ「中野腐女子シスターズ」が結成される)

10月
・AKB48のメジャーデビューシングル『会いたかった』がリリースされる(オリコン最高12位)
 ※チームAとKの中から選ばれたメンバーが楽曲を歌唱する「選抜メンバー制度」が初めて導入される
・ファンクラブイベントでAKB48メンバー自身が出店で食べ物などを販売する「AKB秋祭り」が開催される
(フジテレビ専属のアイドルグループ「アイドリング!!!」が結成される)

11月
・AKB48による劇場以外での初のコンサートが東京・新宿の日本青年館ホール(キャパシティ1360人)で上演される

12月
・第3期追加オーディションが実施され(応募者総数約1万3000名)、渡辺麻友(12歳)、柏木由紀(15歳)らが合格する
 ※ここでの渡辺の加入をもって、いわゆるAKB48の「神7(かみせぶん)」が全員出そろったことになる
 ※柏木はかつて「モーニング娘。Happy8期オーディション」(2006年)にも参加しており、3次選考まで進んでいた

2007年
1月
・メジャー2ndシングル『制服が邪魔をする』がリリースされる(オリコン最高7位)
 ※現在のAKB48の楽曲のほとんどを担当している作曲家・井上ヨシマサ(41歳)が初めて手がけたAKB48作品
 ※井上は1980年代後半からアイドル歌手の作曲を始めており、小泉今日子・浅香唯・渡辺美奈代・中山美穂らの楽曲を担当

3~4月
・AKB48による初の全国コンサートツアーが東京・大阪・名古屋・福岡の4大都市で上演される

4月
・メジャー3rdシングル『軽蔑していた愛情』がリリースされる(オリコン最高8位)
 ※シングルの購入特典は、同年9月に開催される「AKB48メンバーの水泳大会」の観覧抽選券(170人)
(同月にリリースされたモーニング娘。の33rdシングル『悲しみトワイライト』はオリコン最高2位)
・前年に加入した第3期生によるAKB48チームB(結成当初16名)が正式に発足する

5月
・第4期追加オーディションが実施され、これ以降は合格者は「研修生」という待遇となってから各チームに昇格するという制度となった
 ※以後、約半年に1回のペースで定期的に研修生が追加されていくこととなる(2011年6月時点で最新の研修生メンバーは第12期生)

6月
・チームAの中西里菜(19歳 のちのAV女優やまぐちりこ)とチームKの秋元才加(18歳)と宮澤佐江(16歳)の3人組による、AKB48史上初のグループ内ユニット「Chocolove(チョコラヴ)」が結成される
 ※チョコラヴは2007年に2枚のシングルと1枚のアルバムをリリースする(オリコン最高18位)などして活動していたがそれ以後は活動を休止し、2008年11月にメンバーの中西がAKB48を卒業したために自然消滅している

7月
・メジャー4thシングル『BINGO!』がリリースされる(オリコン最高6位)
 ※チームBの渡辺麻友が選抜メンバーとして楽曲に参加した初のシングル
(同月にリリースされたモーニング娘。の34thシングル『女に幸あれ』はオリコン最高2位)
・この頃から、AKB48の人気メンバーのホリプロ、太田プロなど大手芸能事務所各社への移籍が始まる

8月
・メジャー5thシングル『僕の太陽』がリリースされる(オリコン最高6位)
・『週刊プレイボーイ』(集英社)と『週刊ビッグコミック・スピリッツ』(小学館)のグラビアページで、AKB48が結成以来初めて水着グラビアを披露する

9月
・AKB48が中国・北京で開催された「日中文化人懇談会2007」に招聘され、初の海外ライヴを上演する

10月
・メジャー6thシングル『夕陽を見ているか?』がリリースされる(オリコン最高10位)
・AKB48にとって初の冠番組となるラジオレギュラー『AKB48 明日までもうちょっと。』が放送開始となる(毎週月曜日夜23時35分から)

12月
・NHK『紅白歌合戦』に「アキバ枠」としてAKB48が初出場(2010年までの時点では、AKB48とモーニング娘。がどちらも出場した最初で最後の紅白)

※AKB48が約20億円の赤字をかかえている、などのネガティヴな噂が流れる
※いわゆる「AKB48商法」が世間のバッシングの対象となり、翌2008年2月にリリースされた8thシングル『桜の花びらたち2008』の販売方法をめぐるトラブルにより、AKB48の楽曲リリースを担当していたレコード会社デフスター(ソニー系列)はレコード契約を解除、AKB48は同年10月にリリースされた10thシングル『大声ダイヤモンド』からキングレコードに移籍することとなる


 まぁ~こんな感じですか。

 2005年の暮れの時点では20名だったAKB48ですが、2007年の暮れには50名を超える大所帯になっちゃいましたね。
 AKB48は定期的に約半年に1回の割合で追加オーディションを実施してメンバーを増加させていて、第4回からは合格者は「研修生」という枠におかれることとなり、そこから不定期にチームA・K・Bなどに昇格していくというシステムになっています。また、すでに結成から半年とたっていない2006年3月の時点で初の「卒業生」が出ていたり、素行不良などの理由から「脱退」処分となるメンバーもいたりして、AKB48は常にメンバー構成が流動的なアイドルグループとなっているんですね。
 ちなみにAKB48といえば有名なのが「恋愛禁止」というグループ規則なのですが、これはまぁ「職業アイドル」伝統の建て前のようなもので、さほどの厳密さは全国的にブレイクする時期以前には求められていなかったらしく、むしろ、「AKB48の品位をけがす」「ファンを失望させる」「グループ内の和を乱す」という点での行いを問題視する、いわばメンバー個人個人に組織的でプロフェッショナルな意識を要求するものとなっていたようです。カッチリしてるなぁ。

 ところで、AKB48の「48」という数字なのですが、これは別に「48名のメンバーによるアイドルグループである」という意味ではなく、総合プロデューサーである秋元康さんがグループメンバーの所属を芸能事務所「office48(オフィスフォーティエイト)」に依頼したときに、事務所社長の要請から社名の「48」をそのままくっつけただけなのだったとか。じゃあ「office48」の「48」の由来はなんジャラホイといいますと、これは社長のお名前が「芝(しば 48)」さんだったからだったのです。なんたる奇縁!!
 ただ、もともと「50名前後の大人数アイドルグループ」を構想していた秋元さんの意志にも沿ったものだったし、今から考えるとミョ~に「AKB48」というネーミングがダサくもなくおぼえにくくもなく絶妙なものに見えてくるのだから、世の中の「縁」というものは実に不思議なものです。


 さて、この時期のAKB48の成長ぶりを見てみると、現在の全国的な大ブレイクもまったく理にかなったことだと言える、過去のアイドルグループにはなかなか見られなかった「3つのエネルギー源」があったのではなかろうかと考えられます。
 
 すなわち、「チーム同士の激しい競争意識」、「ファンとの今までにない距離の近さ」、そして「総合プロデューサー秋元さんのガチすぎる先行投資」!! この3本柱ですよ。

 まずは「チーム同士の激しい競争意識」についてなのですが、AKB48はまだTVなどでのメディア露出が少ない初期において、拠点となるAKB48劇場での連日のライヴ公演がその存在のすべてと言っても過言でない重要度を持っていました。
 そのライヴ公演は、2005~07年の段階ではチームA・K・Bの3つが持ちまわりでそれぞれ別の公演をおこなうタイムスケジュールとなっていて、基本的にそれぞれは独立したチームとして活動していたのです。
 しかも時期をずらして結成された3つのチームはお互いに独自の空気感を持ったグループになっており、2009年におこなわれた大規模なメンバー再編成によってチームの中身がシャッフルされるまでには、同じAKB48と言ってもまるで「別のアイドルグループ」であるかのような各自の性格を持っていたのでした。

 2005年12月のシアターでの初舞台を踏んだチームAはまさにAKB48の結成メンバーであり、まったく無名でのスタートからさまざまな苦難を乗り越えて歴史をきざんできた伝説のチームとも言える立場で、以後に結成された他チームにとっても「お姉さん」のような大きな存在であり続けていました。2006年のインディーズCD2曲がチームAの歌唱によるものであったこともまったく無理からぬ話です。
 そのチームAにおくれること約5ヶ月、2006年4月に活動を開始することとなったチームKは、たかが5ヶ月されど5ヶ月、舞台経験という点で大いにチームAに差をつけられる屈辱的な立ち位置でのデビューを飾ることとなりました。交替で自分たち以上のパフォーマンスを見せつけるチームAの舞台に、どうしても自分たちとチームAとを比較して観てしまうファンの視線。チームKの公演は当初大幅な動員の減少を見せ、メンバーは非常に悔しい思いをしたといいます。
 ただ、そこから必死にチームAに追いつけ追い越せと一致団結していったのがチームKの素晴らしいところで、メンバーの結束の強さと根性は随一のものを持っていました。まさに苦労の「次女」!
 それに比べて2007年に結成されたチームBは「ちょっと年の離れた三女」といったおもむきで、そうは言っても他のチームとは1~2年の差しかないわけなのですが、彼女たちがデビューした頃にはすでに公演はチームにかかわらず連日満員という盛況ぶりになっており、ファンからも「おさない妹」の成長を見つめるかのようなあたたかい目で見守られる存在となっていました。
 しかし一方で、結成前にチームBに所属する人数が13名に減少してしまい、急遽チームAから数名がチームBに異動するという対処がなされた時、チームAではまるで誰かが左遷されるかのような重苦しい空気が流れたと言われています。いい意味でも悪い意味でも、AKB48はチームごとに完全に分化した集団になっていたんですなぁ。
 また、メジャーデビューから楽曲CDづくりの際に一貫して適用されている全チームとりまぜての「選抜メンバー制度」も、グループ全体メンバー1人1人の競争意識の向上に不可欠なシステムになっていると言えるでしょう。なんだかモンゴル帝国みたいな戦闘に明け暮れる集団に見えてきました……

 ここで注目しておきたいのは、チームKで結成当初からセンターポジションをとっていた大島優子さんの存在で、彼女の当時17歳にして芸歴10年という経験の豊かさはチームAの面々に対してもまったくひけをとらないものがありました。
 かつてまったく認知されずに消えていったアイドルグループのメンバーでもあった経歴のある大島さんは、チームKの中でも特に「上を目指していく姿勢」の中心となり得た人で、彼女たちチームKのつくり出した競争意識がAKB48全体の「切磋琢磨」の原動力ともなり、めざましい躍進の結果、現在の栄光をつかむこととなったということは間違いないでしょう。そういう意味では、大島さんがチームKに所属したことはAKB48にとって最大級の「天佑」だったのではないでしょうか。

 次に「ファンとの今までにない距離の近さ」ということなのですが、定員250名という規模のシアターでの連日公演(チケット代は1000~2000円)という段階で、すでにただのTVの中のアイドルグループとは一線を画した身近さがあったものの、ライヴ以外でのファンとの交流のしかたも大いにサービス満載なものとなっていました。
 初期ではライヴ後の「お見送り」から始まって、ひんぱんに行われる握手会やテレビ電話でのメンバーとの直接会話、ツーショット写真の撮影にメンバーのつくった焼きそばやたこ焼きが食べられる交流イベントの開催、はてはメンバーと一緒に花やしきで遊ぶバスツアーまでやるというエル・ドラドオぶり。
 もちのろん、それなりの「出費」をともなった上での現役アイドルとの常識外の近さではあったのですが、これはまさに秋葉原を中心に活動していた頃のAKB48ならではの体当たりのサービス体制でした。
 これにあわせて忘れてならないのが、アイドルだけではなく運営側とファンとの距離も非常に近いものがあったという点で、2006~07年ごろには運営者、時には秋元康おんみずからがファンとの直接対話をはかってAKB48の活動にかんする意見を聞き今後の方針を語り合うということもあったのです。それ以外にもAKB48はファンの要望に柔軟に対応したさまざまな企画を実行に移しており、ファンはただお金を払って応援するというだけではなく、まさに「AKB48というアイドルグループをつくることに貢献している」というこれまでになかった楽しみを味わうことができていたのです。
 昨今は「なんでおんなじCDを何枚も買うんだ?」や、「どうして自分の顔をおぼえているわけでもないアイドルのために何万、何十万とお金をつぎ込めるんだか……」といった、いわゆる「AKB商法」にたいする疑問や批判の声があがっていますが、これが単なる「運営者側の一方的な搾取」だけで成り立っていることなのではなく、その一方で「自分の要望をかなえてくれるAKB48だから」「お金という形でも、確かに応援しているメンバーに思いを届けることができるから」というファンの熱烈な期待があってはじめてできあがる相互関係なのだということを忘れてはいけないでしょう。そういったつながりの延長線上に、あの名高い「AKB48総選挙」もあるんじゃなかろうかと思うんです。

 ただ、現在こうやってAKB48がシアター時代を何万倍という規模で上回る人気を持つ集団になってしまった以上、今後のファンとの関係がファンの期待どおりのものになってくれるのかどうかは未知数なのですが……どうなるでしょうねェ。

 3番目の「秋元さんのガチ感」というところなのですが、これはもう、秋葉原に無名のアイドルグループのために全面昇降可能のステージと充実した音響・照明設備を持つ専用劇場をつくったり、まだインディーズの時代からシングルが深夜ドラマのテーマソングになるは天下のNTTのCMソングになるは、レギュラー出演の番組を持つは『Mステ』に出演するは。だいたい、2005年12月の初ステージの段階ですでにAKB48のためだけに11曲ものオリジナル曲を用意していたというところから、まだ50歳を前にする若さだった秋元さんの「ガチ」のほどが伝わってきます。あの『川の流れのように』の秋元さんがよ!?
 この秋元さんのただならぬ本気モードに業界は震撼し、一般にはまだまだ認知されていなかった2006年の段階でもAKB48という新人グループのステージには多くの関係者が足を運んでいたようです。まさに「ざわ、ざわ……」の空気ですね。
 要するに、同じライヴ活動中心のアイドルグループだったとしても、AKB48と中野腐女子シスターズ(現・中野腐女シスターズ)とではできることのポテンシャルが違いすぎたということなのです。いや、中野さんのほうがふつうなのよ!?
 思えば、よく「おニャン子クラブの生みの親」とも言われることの多い秋元さんなのですが、当時の実態としては「複数いる放送作家の1人」で「楽曲の作詞家」だったというだけのことで、AKB48でこそ、秋元さんは初めて「生みの親」たる総合プロデュースに全力で取り組んだのだと言えるのではないでしょうか。まさにすべてを賭けています。
 そういえば、よく見てみるとおニャン子クラブとAKB48とでは、ショートケーキとウェルダンステーキほど中身が違いますからねぇ。AKB48はあまくねぇよ。

 とにかく、「AKB商法」と言われるものだって、限定盤CDに劇場盤CDにメンバー別ポスターに特製ゆかたに、いい感じにパンツがチラッと見える(私そうだいは容認できません。)メンバー全員分のミニスカ衣装にイベントのためのプール貸し切りに果ては花やしきの貸し切りと、無名のアイドルグループには不相応すぎる異常なまでの規模の「先行投資」がなければ成立しえないものでした。そういう点では2007~08年にまことしやかに流れていた「AKB48大借金」のうわさも、秋元さんの長期的な計画の計算内の出費だと言えたのではないでしょうか。
 それまでのアイドルグループならば、「出したレコード(CD)のヒットなどで得られたもうけや知名度を使って次の仕事をスケールアップさせる」という、一歩一歩進んでいくブレイクの手順が常識だったのに対して、秋元さんのやり方は数年先の効果を見越した戦略だったというわけなのです。現在のAKB48が、活動初期の先行投資をなんなくペイできる巨大な利益と名声を手にしていることは議論を待たない事実でしょう。よっ、天才! さすがは『もしドラ』のお師匠。


 まぁこんなわけで、大いなるブレイクの可能性を秘めたまま暮れていったAKB48の2007年だったのですが、その最後の日に放送されたNHKの『紅白』でも、まだまだ「よくわかんないアキバ系のおたく向けアイドルグループ」というイメージは容易にぬぐいがたくまとわりついていました。
 その年の『紅白』はハロー!プロジェクト設立10周年ということで、ハロプロ陣営からはモーニング娘。を筆頭とした総勢46名がドド~ンと出演していたのですが、たいするAKB48の43名はしょこたんやリア=ディゾンとひとからげにされた「アキバ枠」というかたちでの出演となり、唄う歌が終わったらチャッチャと退場するというなんとも対照的なあつかいになっていました。しかも、同じアキバ枠にいたディゾンさんのあまりにもアレな歌声のために、まじめにがんばった分だけAKB48が目立たなくなるという悲劇が。ちなみに、その年の『紅白』は「白組」の勝ちでした。全員負けかよ!

 という『紅白』の待遇を見てもおわかりのように、少なくとも2007年の段階ではモーニング娘。とAKB48との関係は、全国的な知名度という点ではまだまだモーニング娘。優勢という状態が続いていたのですが、一例をあげると、当時のそれぞれの楽曲のCD売り上げ枚数ではAKB48がだいたい2万枚クラスであったのに対し、モーニング娘。は4~5万枚という実績をたもっていました。
 まぁ、「ダブルスコア」っちゃあ確かにそうなんですけど、たかだか2~3万枚という差は、追われるモーニング娘。にしても追うAKB48にしても非常に肉薄した一触即発ギリギリの関係になっていました。こりゃてえへんだ!

 こんなスリリングな状況をふまえつつ、次回からはいよいよ日本のアイドルグループ界が加熱していくこととなった2008年以降の動向に迫っていきたいと思います。
 さぁ、盛り上がってまいりました!!


《追記》
 実は今回の「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の第34回、私そうだい、文章をまるごと1回うちなおしております……最初っから最後まで。
 なんでかって? 暑さでパソコンがフリーズしちゃったからさ。そして、パソコンが古すぎてブログのバックアップ機能を反映できないからだになっていたからさ! 笑うなら笑えよ、ギャハハハ!!

 いったんは「もうアイドルグループ史自体やめにしちゃおうかなぁ……あっちいし。」というところまで自暴自棄になりかけた私だったのですが、その時、復旧したパソコンのスクリーンセイヴァーに写っている亀井絵里(モーニング娘。第6期生)さんが私にほほえみかけてこう言ってくださいました。

「もう1回うちなおせばいいんじゃないっすかぁ~? どうせヒマなんだし。あひゃひゃひゃひゃ。」

 ……もういちど、立ち上がってみるか。

 ということで、今回のブログは亀井絵里さんの笑顔なしでは完成しませんでした。ひいてはこの「ざっくりすぎるアイドルグループ史」全体も。

 今回の文章を、何度スベッてもまた再び立ち上がる勇気を失わなかったエリック亀造さんに捧げます。


 ……AKB48の話題だったんだけどね。
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