長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第33回 『モーニング苦境。 2005~07 雑想編』

2011年07月14日 22時52分51秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 ばもら~。どうもこんばんは、そうだいです。今日も暑かったですね……みなさま、体調もそこなわずにお元気でいらっしゃいますでしょうか?
 暑いは暑いんですけど、まあまあ、今のところ私の町はさほどヒドいということもなく、適度に風も吹いて適度に夕暮れ時あたりから気温がさがってくれる常識の範囲内の夏におさまっていてくれているような。これからがこえぇよ~。8月フォーウッ。
 高校球児はすげぇな、ほんと。こんな状況で全力を出し切らなきゃならんのですからね。そりゃかりんとうみたいな容貌になっちゃいますよ。燃えつきろォ~。

 話は変わるんですけど、宮尾すすむさんが亡くなられましたね。
 私、はっきり言って全盛期の宮尾さんは知りません。ギリギリ1980年代生まれだったためかTV番組の司会をバリバリやっておられた宮尾さんを観た記憶はとんとなくて、もっぱらCMに出ていた姿か、そのマネを脈絡なく突然しだす井手らっきょさんしか観たことがなかったのです。
 でも……好きだねぇ~、あの「ハイッ!」てやつ。意味ねぇ~。でもなんか真剣にやってる~。ホント好きでした。一発芸は「行為の徹底的な意味のなさ」と、「本人にしか筋の通っていないそこでそれをやる必然的な理由」という両極端な価値観が正面切ってぶつかりあうところがいいんだろうなぁ、と子供心に感じていたものです。そういう意味では「ガチョ~ン」とか「アジャパー」の系譜を継ぐ正統な「昭和最後の一発芸」だったんですねぇ。
 またお1人、昭和の「うさんくささ」を体現できる方がこの世を去ってしまいました。非常に残念です。
 いや、TVであれラジオであれ、ショウの司会者の「うさんくささ」って、すっごく大事だと思うんですよ。だいたい、観た人全員が感動できたり全員が笑えたりするエンタメなんてないんですから。観た人それぞれが信じたり疑ったりいろんなことを考えるのが「情報」の正しい受け取り方だと思うので、それを提供する顔も、観る人に注意をうながす「うさんくささ」があった方が親切だと思うんです。そういう点でも、宮尾さんのオーラには「誠意あふれるうさんくささ」があって芸能人こそ天職だったんだろうなと思うんですね。
 (顔の前や周辺で両手を高速で交差させてからビッとキメて)ハイッ、ハイッ、ハイッッッッ!! R.I.P.


 しゃてしゃて、そりでは今回も、いよいよ佳境に入ってきたような気がする「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の続きにまいるといたしましょう。
 もうね、いよいよ5年以内にせまってきましたから、2011年が。今月中には終わる……かなぁ!?

 前回はいよいよモーニング娘。の様相が変化してきた2005~07年のおもなハロプロ関連トピックをあげてみたんですけど、まずはやっぱり、モーニング娘。のメンバーの顔ぶれというおおもとの所が急激にガラガラッと変わったことがわかりますね。
 2007年5月のよっすぃ~こと4代リーダー吉澤ひとみの卒業をもって、ついにミリオンヒットを連発したころの黄金の1999~2000年に在籍していたメンバーが全員グループを去ることとなったのです。
 とは言っても、中澤・飯田・矢口といった元リーダーの面々はソロ活動を通して同じハロプロのメンバーとしてモーニング娘。とは常に近い距離の場所におり、TV番組でも当たり前のように共演している姿がしょっちゅう見受けられたので、さほどハロプロ自体がさみしくなったというイメージは持たせないものとなっていました。卒業したばかりの吉澤前リーダーと石川元エースもそれぞれ「ガッタス・ブリリャンチス(ならびに音楽ガッタス)」と「美勇伝」という形で強力に後輩たちをサポートしていました。
 こういった点から見ると、2005~07年は「新生モーニング娘。」「Berryz工房」「℃-ute」といったハロプロ次世代グループを、なっち・ごっちん・あややといったソロアイドルやモーニング娘。在籍経験者が顔となったユニットやそれら全体がシャッフルされた期間限定のスペシャルユニットが盛り立てていくという新体制ができあがった理想的な時期となっていたのです。

 だが、しかし。

 実のところ、そういったビッグな世代交代がせちがらい芸能界の中でスムースに進むはずもなく、だいたい2005年の矢口リーダーの電撃脱退あたりから加護ちゃんのハロプロ謹慎・アップフロント解雇騒動、モーニング娘。5期メンバー紺野・小川のちょっと早い卒業や藤本リーダーの電撃脱退にごっちんの不幸なハロプロ卒業(翌2005年の事務所移籍)と、ちょっと立て続けにさまざまな形での「退場劇」が演じられたことは、少なからず世間に「あぁ……ある時代が終わろうとしてんのかねェ。」というよくない空気を広げるものとなりました。

 いっぽうで7期にあたる久住さんや8期となる光井・ジュンジュン・リンリンといった新たな面々もどんどんモーニング娘。に加入していったわけなのですが、まぁ~成長しながらトップアイドルという地位を守り続けていかなくちゃならないんですから、大変なもんですよ。
 特に、1回分のオーディションがまるまる「なしよ」になった上で鳴り物入りで新エースとして登場してきた久住さんはがんばったことでしょう。

 しかし、久住さんって、圧倒的にビジュアルが「浮きます」よね……いや、これは悪いことじゃないですよ!? むしろスターの条件ですよね。
 まぁ~とにかくあの典型的な「あま~い」顔立ちが古風なんですよ。ここでいう「古風」とは、戦前の美人顔とか平安時代の美人顔とかじゃなくて、「1980年代」にもてはやされたアイドル顔って感じがするんですけど、どうでしょうか。あのたれ目が気になる気になる! どうしても目がとまってしまいます。
 映画の『フォレスト・ガンプ』みたいに、CG映像処理でおニャン子クラブの中に久住さんがまじってても違和感ないくらいですよね。

 いやぁ~その手がまだ残っていたか!という感じで、はや20名ほどの美人、個性的、さまざまな顔ぶれを数えていた中でも、さらに今までにないタイプの新エースを迎えたモーニング娘。だったわけなのですが、実のところ、ど~もこの時期での久住さんの加入は1999年でのごっちん加入ほどのセンセーショナルな効果をあげるものにはなりませんでした。
 しかしその原因は、久住さんの素質や他のメンバーたちとの相性だなんだといった1人や1つのグループの責任で語られる規模のものではなかったように思えます。久住さんと他のメンバーとの相性については、ライヴやその他の番組でのからみかたを観れば問題なぞあるはずもないことは一目瞭然ですし、久住エースをむかえての2年半の9名メンバー体制が、15年にもなろうかというモーニング娘。の歴史の中でもっとも長く固定されたものだったこともその証拠となるでしょう。だいたい久住さんの「浮き方」はグループの批判にはならないでしょう。だって「久住さんの容姿が浮かない集団」なんか、芸能界であれ普通の世界であれ当時の日本に存在していたでしょうか、いやない。
 それだけに、ソロでアニメの主人公として歌を唄うという、たとえプロのアイドルだったとしても生半可なヴィジュアルでは1秒たりとてもたないような荒行をやってのけた「月島きらり」としての活動を、久住さんがこれ以上ないようなフィット感で楽しんでいたのはまさに本領発揮というか「モーニング娘。以外にこんな仕事もあってほんとによかったね~。」というか。ヒットもしてたしねぇ。や・ら・な・い・か!

 だとしたら、この2005~07年におけるモーニング娘。の動向がいまひとつそれまでに比べてパッとしなかったのはなぜなのか。
 そりゃもうやっぱり、モーニング娘。というかハロー!プロジェクト全体が、いろんな意味でファンやお茶の間から「遠い存在」になってしまったからだったのではないでしょうか。
 いや、ハロプロはスケジュールとしてコンサートツアーやミュージカルを引き続いて精力的におこなっており、その点ではファンの期待にこたえることを決して忘れてはいませんでした。
 問題は、そのころからハロプロなりつんく♂さんなりが打ち出してきた「理念」のようなものが総じていささか大きすぎるものになったのではないかと。

 2003年ごろからハロー!プロジェクトは日本のスポーツ業界の振興にも大いに参入してくるようになり、女子サッカー日本代表「なでしこジャパン」を応援するかたちでの本格的なフットサルチームの運営や、設立したばかりのプロ野球東北楽天イーグルスの公式応援歌担当をつとめ、そうかと思えばごっちんやあややが総理大臣や外国来賓のディナー会場で歌唱したり犯罪防止キャンペーンの大使をつとめたり、2004~07年には地球温暖化・環境破壊問題を啓発するエコイベント「熱っちぃ地球を冷ますんだっ。文化祭」を大々的に主催したりして、次第に大きな「国民的アイドル」としての仕事をになうようになっていきました。
 かと思えば、2006年の暮れにはつんく♂さんが「アジアの中の日本としての新しいモーニング娘。の形を表現していきたい。」という、ちょっと唐突ともいえる発言をしており、現に翌07年にはアジア的・世界的な規模でのコンサート活動や中国人2名のメンバー加入といった新機軸をズビズバと決行していくこととなりました。

 こうなると、やってること自体に異議はないんですけど、やっぱり存在が遠くなるというか、身近なアイドルという印象はなくなってしまいますよね。
 そもそも、モーニング娘。の魅力のひとつには、特に愛情関連でのあんまりおおっぴらには言いたくない嫉妬とか未練、ストレートな怒りといった感情を正直にぶっちゃけてしまう「人の弱さ」をいとおしんで、そこから逆境をうち破っていこうと唄いあげていく赤裸々さがあったかと思うのですが、こうも国家やエコやアジアといった「まさにその通り!」な大義名分をふりかざす集まりになっちゃうとね……

 ただ、そこらへんを敏感に感じ取ったのか、モーニング娘。が2005~07年にリリースした楽曲は、ある程度は上のようなテーマにそったものもあったものの、むしろ多くは1997~98年のシンプルだった頃の原点に回帰したかのような「女のアグレッシブさ」を唄うアダルト歌謡になっています。『SEXY BOY』とか『女に幸あれ』とかは痛快なくらいに言いたいことがハッキリしている王道の「情念ソング」ですよね。湿度の差はありますけど。

 でも、そこがいかんのよ! 結局、そういったモーニング娘。とハロプロとの色の違いがどっちつかずのアイウォンチュウに見えるようになってしまったんですね。イメージがきれいに半々になってしまったので、総合的な印象がボンヤリしちゃった。

 また、引き続き悪化していたCDの売り上げ不振というところも無視できなくなっておりまして。
 2007年は、モーニング娘。にとってシングル総売り上げ枚数とオリコンチャート1位獲得回数が女性アイドルグループの中でトップとなるという記念すべき年となったのですが……まぁ実状は簡単にこれからのことを楽観視できるようなものではありませんでした。
 
 同じオリコントップでも、売り上げ枚数などでは大きな違いができていたんですね。
 まさに2000年代前半のトップ獲得が徳川幕府でいう3代将軍家光のありあまる力をもっての京都上洛だったとしたら、2007年の『歩いてる』でのトップ獲得は将軍暗殺計画のうわさとか「天誅!」とかがムンムンしていた幕末に14代将軍家茂(いえもち)が「これをやんなきゃ幕府の威信にかかわるから……」という理由でムリクリ息も絶え絶えで敢行した京都上洛だったってぐらいに落差があったんですな……って、このたとえで「そうなのかぁ!!」って納得できる方、いらっしゃる?

 物は言いようなんですが、こういった一連のハロプロのマクロ化とモーニング娘。の原点回帰ミクロ化という分裂現象は、「迷走」というよりも今まで「モーニング娘。=ハロー!プロジェクト」という一枚看板体質をなかなか変えられなかったアップフロントエージェンシーなりつんく♂さんなりが、CD業界の不振とともに共倒れになるのをふせぐために必死に分離してそれぞれを独立させようとした前向きな試みだったのではなかろうかと思えるんですね。
 だいたい、いくらデビュー時からず~っとトップアイドルグループとしてのひとかたならぬ修養を重ねていたとはいえ、当時のモーニング娘。に残ったうら若い5・6期メンバーにハロプロ全体を背負ってもらうことは無体な話であり、おぎゃーと生まれたばかりの7・8期の世話をすることで手一杯だった彼女たちには、とにかく「地味だ。」と言われても「最近TVで見なくなったわねぇ。」と言われても、まずファンのみなさんに満足してもらう基本的なところをおさえたプロになる修行に専念してもらう時間は不可欠なものだったのです。

 実際、2005~07年の歌番組のスタジオ収録でモーニング娘。が歌唱している映像をいくつか観てみると、ちょ~っとPVとのあいだに無視できないクオリティの差があるように見受けられるんですね。まずはライヴの経験値を重ねること。まさにこの時期、モーニング娘。はあせってツブれるか実力を積んでのちに花を咲かすかの瀬戸際に立っている時だったのです。ここはガマンだ高橋リーダー!
 この時期は大事ですよ。こういう雌伏の時期があったからこそ、モーニング娘。は2011年の今、いぶし銀の権威あるアイドルグループ王者の座をたもつことに成功しているわけなのです。

 確かに現在、世はまさにAKB48の天下に見えるようなのですが、さぁこれからどうなるのか……権力のAKB48はんと権威のモーニング娘。はん。はたして何年後かに生き残っておじゃるのはどっちでおまっしゃろなぁ?って、今度はモーニング娘。が京都の朝廷になっちった。もうむちゃくちゃです。

 最後にちょっと、AKB48の話題が出てきたのであるひとつのポイントでのモーニング娘。とAKB48とのグループの違いをあげておひらきにしたいと思います。

 AKB48といえば、いろんな局面で一般のファン層が(お金を払えば)チームの運営に直接自分たちの意志を反映させることができるという「総選挙」がよく引きあいに出されるのですが、実はモーニング娘。も、かつて一度だけファンの意見をメンバー作りに導入してみようか、という動きがあったことがありました。

 2002年10月から2003年1月にかけて行われたモーニング娘。の「LOVEオーディション2002」のことなので、今回とりあげた時期のことよりもちょっと前のことになるのですが、最終的には亀井・田中・道重にソロアイドルだったミキティのサプライズ加入という結果となったこの時のオーディションは、途中で突然降って湧いたように「ネットでの国民投票」というイベントが12月22日に開催されていました。
 これは募集開始のあとでつんく♂さんから発表された新企画だったのですが、応募者からスタッフによって選抜された10名の候補者の情報をTVで公開して、22日にインターネットを通しての一般からの人気投票を開催し、そこで得票数1位になった人物は自動的に最終選考に上がることができるという趣向になっていました。つまりは、今までつんく♂さんの直感だけで選抜されていた最終選考者枠に、初めてファンの意志が参加できる可能性が生まれたのです。

 ところが。

 予定通り2002年12月22日にネット投票が開催された結果(有効投票総数約11万票)、しっかりとトップ当選(得票数約1万8千票)を果たす候補者が生まれはしたのですが、翌月に行われたオーディション恒例の秘密の某所での泊まり込み最終選考に、くだんのトップ当選候補が参加することはありませんでした。
 結局いつものとおり、最終選考に残ったのはつんく♂さんによって選ばれた亀井・田中・道重のお3方。ちなみにネット投票では田中さんは9位、道重さんは6位。亀井さんにいたってはネット投票に参加することを拒否していました。亀井さんに限らず、応募したあとで急にTVで全国に顔が公表されることに戸惑い、あわてて投票参加を拒否した応募者は多かったようです。まぁその時点ではまるっきりのしろうとさんですからね。最終選考の結果、3人は全員6期メンバーに合格することとなりました。
 こうやって2002年のモーニング娘。オーディション幻の「国民投票」はきれいさっぱりなかったことにされてしまったのですが、いろいろ初回に不備があったらあったで次回から修正して続ければよかったものの、以降この企画はいっさい再導入されることはありませんでした。

 ここからわかることは、いくらファン第一とはいっても、あくまでも提供するまでの作業一切は「提供する側のプロ」であるところのつんく♂さんなりアップフロントなりの実績に基づいたセンスに任せてくれ!という譲れないラインがモーニング娘。にはあったということです。
 このあたりを観て「独裁だ!」と悪く言うこともできるでしょうし、そこらへんのファン層の欲求を見事にピコーンとついたのがAKB48だったのではないかと思うのですが、こういう点ひとつをとっても、まさにモーニング娘。とAKB48はお互いを常に意識しながらまったく違うエンタテインメントを志向した好対照の存在だと言えるんじゃないでしょうか。


 さて、そんなわけで次回は、いよいよアキバを拠点に本格的に始動することとなった2006~07年のAKB48についてつらつら考えてみたいと思います。今回取り上げたようなトップたる新生モーニング娘。の「トップゆえの苦悩」に対して、下から旭日の勢いでのし上がることとなったAKB48はどんな時間の中を駆け抜けていたのでしょうか。乞うごきた~い。

 え~っと、幕末だとしたらハロプロが江戸幕府でしょ? AKB48が薩摩藩でアイドリング!!!が長州藩で中野腐女シスターズが土佐藩で、あとそれから……
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第32回 『モーニング苦境。 2005~07 資料編』

2011年07月12日 22時38分52秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 みなさんこんばんは~、そうだいでございます。

 はじまって早々あやまっておきたいのですが、今回は長い!! 文章量めちゃくちゃですよ~。たぶん、『長岡京エイリアン』史上最長のひどさかと思います。
 ほんとすんません……このあっつい盛りになんでこんな重さにならなきゃならんのかと! 太平洋戦争末期の戦艦大和どころじゃありませんよ、第2次世界大戦末期のナチスドイツの幻の188トン超重戦車モイゼですよ。当時のふつうの戦車の5~6倍。輸送がたいへんすぎて実戦投入なし。自爆破棄。

 でもさぁ~、今回紹介するモーニング娘。とハロー!プロジェクトの2005~07年の歴史はどうしてもブツ切りはできないんですよ……
 ということで、世間話もカットしてチャッチャといっちゃいます!! ドド~ンといぐべや。


がんばれ! モーニング娘。ふんばりどころの2005~07年

2005年
1月
・前年9月から募集していたモーニング娘。の新エース発掘が目的の「モーニング娘。ラッキー7オーディション」の最終審査が実施され、ハロー!プロジェクトのオーディション始まって以来の「該当者なし」となる
 ※このオーディションにはのちのAKB48の梅田彩佳(15歳)、SKE48の古川愛李(15歳)らが参加しており、最終審査にはバニラビーンズのレナが双子の妹だと言いはる辻本はるか(17歳)も残っていた
・前年10月から放映されていたEPSONの写真複合機「カラリオ」のCM出演(松浦亜弥と共同)をもって、モーニング娘。の企業CMへの出演が2009年までとだえる
・モーニング娘。結成メンバーで最後の在籍者だった2代目リーダー飯田圭織(24歳)が卒業する
 ※翌2月にリリースされたモーニング娘。の新曲には参加している
 ※結成時からいた飯田の在籍期間7年5ヶ月(リーダーとしては約3年10ヶ月)は、もちろん当時のメンバー経験者の中では最長
・飯田の卒業にともない、矢口真里(22歳)が3代目リーダー、吉澤ひとみ(20歳)が3代目サブリーダーに就任する
 ※この矢口のリーダー就任により、「現サブリーダーが次期リーダーになる」という法則がはじまる

2月
・飯田リーダーが在籍している12名体制での最後のシングルとなる25th『THE マンパワー!!!』がリリースされる(オリコン最高4位)
 ※この曲は、2004年12月に創立したプロ野球東北楽天ゴールデンイーグルスの2005年公式応援歌となっているが、歌詞が一部関西弁
・あらためてモーニング娘。の新エースを発掘する「モーニング娘。オーディション2005」の募集が告知
 ※前年の「ラッキー7オーディション」にくらべて、募集対象年齢が「中学1年生~22歳」に拡大されている

4月
・エース石川、そして結果としてリーダー矢口の在籍最後のシングルとなる26th『大阪恋の歌』がリリースされる(オリコン最高2位)
・3代目リーダー矢口真里が、写真週刊誌『FRIDAY』に自身の男性俳優との交際が報道されたことによる騒動の責任をとるかたちでモーニング娘。を自主脱退する
 ※実際には問題の記事の載った『FRIDAY』が発売される前日に脱退していた
 ※正式な「卒業宣言」をとらずに即日脱退した初の例
 ※脱退後の矢口は、特に芸能活動を自粛することなくハロー!プロジェクトでのソロ活動を開始している
 ※矢口の脱退により、モーニング娘。第1~3期のメンバーは全員いなくなる
 ※一般的に広まってはいないが、この矢口の脱退から2007年までに多くのハロー!プロジェクト在籍者に突発的な卒業・脱退が相次いだことから、この一連の流れを「第2次ハローマゲドン」と解釈する声もある
・矢口の脱退にともない、吉澤ひとみが4代目リーダー、藤本美貴(20歳)が4代目サブリーダーに就任

5月
・前年の宣言どおり、エース石川梨華(20歳)がモーニング娘。を卒業する
 ※石川は以後、美勇伝としての活動に専念する
・「モーニング娘。オーディション2005」の最終審査の結果、約2万1600名の応募者の中から久住小春(くすみ こはる 13歳)が合格、追加加入する

6月
・ハロー!プロジェクト夏恒例のシャッフルユニットが発表されるが、今までのような「ほぼ総出演」の形式ではなく「選抜11名」による3ユニット構成となっている
 ※セクシーオトナジャン(藤本ら)の『オンナ、哀しい、オトナ』とエレジーズ(高橋・田中れいな ら)の『印象派ルノアールのように』とプリプリピンク(中澤裕子・飯田・保田圭ら)の『人知れず胸を奏でる夜の秋』をまとめたミニアルバムの形(オリコン最高6位)
 ※以降、ハロー!プロジェクトのシャッフルユニット企画は2009年までとだえる
・前年2004年1月のBerryz工房メンバーにならなかった残り7名のハロー!プロジェクト・キッズによる新グループ「℃-ute(キュート)」の結成が発表される

7月
・新エース久住小春が加入した10名体制での初のシングルとなる27th『色っぽい じれったい』がリリースされる(オリコン最高4位)

8月
・先月の『色っぽい じれったい』のリリースにともない、モーニング娘。としては1999年の『LOVEマシーン』の発売記念イベント以来6年ぶりとなる「発売記念東名阪握手サーキット」が実施される
 ※購入者特典としてCDに「握手会応募券」が封入されているというもの

9月
・ハロー!プロジェクトの期間限定スペシャルユニットとしては3組目となる安倍なつみ(24歳)、後藤真希(20歳)、石川梨華(20歳)、松浦亜弥(19歳)による4人組ユニット「DEF.DIVA(デフ・ディヴァ)」の結成が発表される
 ※グループ名は、英語の「DEFINITIVE」とイタリア語の「DIVA」をかけあわせた「イカす歌姫」という意味のつんく♂の造語

10月
・DEF.DIVAの1stシングル『好きすぎてバカみたい』がリリースされてオリコンチャート1位を獲得し、ハロプロ勢としては2003年4月リリースのモーニング娘。の18thシングル『AS FOR ONE DAY』以来2年半ぶりの首位となる

11月
・自身の6thアルバム『愛の第6感』(2004年12月)の収録曲『直感 時として愛は』のリメイクとなる28thシングル『直感2 逃した魚は大きいぞ!』がリリースされる(オリコン最高4位)

12月
・NHK『紅白歌合戦』に松浦亜弥、DEF.DIVA、旧メンバーも加わった19人組モーニング娘。が出場する

2006
2月
・写真週刊誌『FRIDAY』にダブルユーとして活動していた加護亜依(18歳)の喫煙写真が掲載され、事実と認めた加護は芸能活動を無期限謹慎、ダブルユーも事実上の活動終了となる

3月
・29thシングル『SEXY BOY そよ風に寄り添って』(オリコン最高4位)の累計売り上げ枚数が約4万3000枚(オリコン調べ)となり、結成以来はじめてインディーズシングル『愛の種』の手売り販売枚数だった5万枚を割りこむ
 ※以後も、CDの全体的な売り上げ不振もありモーニング娘。の売り上げ枚数は減少していく

4月
・メンバーの紺野あさ美(19歳)が学業専念のために7月、小川麻琴(18歳)が語学留学のために8月にモーニング娘。を卒業することが発表される

5月
・この月から7月まで、℃-uteのインディーズシングルが4枚連続でリリースされる(7月は2枚)

6月
・紺野、小川の在籍最後のシングルとなる30th『Ambitious!野心的でいいじゃん』がリリースされる(オリコン最高4位)
・エース藤本美貴(21歳)と松浦亜弥(20歳)によるハロー!プロジェクト4組目の期間限定スペシャルユニット「GAM(ギャム)」の結成が発表される
 ※卒業後の活動を前提としたもの(ダブルユー、美勇伝)でないモーニング娘。メンバーの他ユニット活動は、カントリー娘。に参加した紺野・藤本以来2年ぶり
 ※ユニット名の「GAM」は、「Great Aya&Miki」の略と「脚のきれいな女性」の意味のスラングをかけたもの

7月
・エース久住小春が、テレビ東京の人気アニメ『きらりん☆レボリューション』で自身が演じている主人公「月島きらり」としてのソロ1stシングル『恋☆カナ』をリリースする(オリコン最高12位)
 ※久住の「月島きらり」としての声優・歌手活動はアニメ終了の2009年まで続いており、楽曲はシングル6枚、オリジナルアルバム3枚、ベストアルバム1枚をリリースしている
 ※アニメ自体の人気や『おはスタ』への出演などもあって楽曲活動は好調であり、特に3rdシングル『ハッピー☆』はオリコン最高2位を獲得している
 ※「月島きらり」としての楽曲活動にはつんく♂はかかわっていない
・モーニング娘。の第8期メンバーを募集する「モーニング娘。Happy8期オーディション」の告知が開始
・メンバー紺野あさ美が学業専念のためにモーニング娘。を卒業、ハロー!プロジェクトも卒業して芸能活動を(いったん)終了する

8月
・メンバー小川麻琴が語学留学のためにモーニング娘。を卒業し、芸能活動を休止する(ハロー!プロジェクトには引き続き在籍)
・つんく♂プロデュースによりハロプロタレントが歌・ダンス・演劇を劇場形式で公演していく『つんく♂タウン THEATER(2007年2月からは『つんく♂ THEATER』)』の旗揚げ公演が、東京・秋葉原の石丸電機2号店「SOFT 2」で上演される
 ※のちにこの『つんく♂THEATER』活動をになうこととなる女性アーティスト集団「NICE GIRL プロジェクト!」が2008年5月に発足するが、その中核的存在となるハロプロエッグ出身グループ「THE ポッシボー」はすでにこのころから活動を開始している

9月
・松浦亜弥主演の映画『スケバン刑事 コードネーム麻宮サキ』(監督・深作健太 共演・美勇伝)が公開
 ※「スケバン刑事」シリーズとしては18年ぶりの映画第3作
 ※制作した東映による300館規模での全国上映ではなく、系列シネコンでの100館規模のものだった
・映画『スケバン刑事 コードネーム麻宮サキ』の主題歌ともなったGAMの1stシングル『Thanks!』がリリースされる(オリコン最高5位)
・スペシャルユニット「DEF.DIVA」が東北楽天イーグルスの公式試合中のイベントに参加し、これがDEF.DIVAとしての最後の活動となる
 ※DEF.DIVAは東北楽天イーグルスの2006年公式応援歌も担当している
 ※ということは、松浦亜弥は個人としてとDEF.DIVAとしてとGAMとしての活動を2~3ヶ月並行しておこなっていたことになる

10月
(AKB48がシングル『会いたかった』でメジャーデビューしオリコン最高12位となる)

11月
・31stシングル『歩いてる』がモーニング娘。としては3年ぶりのオリコン1位を獲得する
 ※これによってモーニング娘。のオリコン1位獲得シングル数は10作となり、ピンク・レディーの9作を抜いて女性アイドルグループではトップとなる

12月
・「モーニング娘。Happy8期オーディション」の最終審査が実施され、約6900名の応募者の中から光井愛佳(13歳)が合格・追加加入する
 ※総応募者数が1万人をきったのは1998年の「第1回追加メンバーオーディション」以来
 ※のちのAKB48メンバーとしては2次審査に田名部生来(みく 14歳)、3次審査に柏木由紀(15歳)、最終審査に佐藤すみれ(13歳)が参加していた
・総合プロデューサーのつんく♂が、「2007年はアジアの中の日本として新しいモーニング娘。の形を表現していく。」と宣言する
・NHK『紅白歌合戦』にGAMとモーニング娘。が出演する(光井は不参加)

2007年
1月
・4代目リーダー吉澤ひとみ(22歳)の5月いっぱいでのモーニング娘。卒業が発表される
・モーニング娘。卒業メンバーの安倍なつみ(25歳)・飯田圭織(25歳)・後藤真希(21歳)と現メンバーの新垣里沙(18歳)・久住小春(14歳)による期間限定ユニット「モーニング娘。誕生10年記念隊」が結成され、1stシングル『僕らが生きる MY ASIA』がリリースされる(オリコン最高8位)
 ※「誕生10年記念隊」は9月まで活動しており、8月には2ndシングル『愛しき悪友(とも)へ』をリリース

2月
・第8期メンバー光井の加入した9名体制での32ndシングル『笑顔 YES ヌード』がリリースされる(オリコン最高4位)
・℃-uteのメジャー1stシングル『桜チラリ』がリリースされ、女性アイドルグループのデビューシングルとしては史上最高となるオリコン初登場5位を記録する

3月
・中国でのハロプロオーディションに合格するなどしていたジュンジュン(19歳 湖南省出身)とリンリン(16歳 淅江省出身)がモーニング娘。の初の留学加入を果たす
 ※便宜上、ジュンジュンとリンリンも光井と同じ「第8期メンバー」ととらえられている
・週刊誌『週刊現代』で活動謹慎中だった加護亜依(19歳)の喫煙写真がふたたび掲載され、ハロー!プロジェクトを統括する芸能事務所アップフロントエージェンシーは加護の解雇処分を発表する
 ※加護が女優・タレントとしての活動を再開するのは翌2008年の5月から

4月
・33rdシングル『悲しみトワイライト』(オリコン最高2位)のリリースによってモーニング娘。のシングル総売り上げ枚数が1108万枚を超え、ピンク・レディーの記録を抜いて女性アイドルグループではトップとなる
 ※リーダー吉澤と、結果としてエース藤本の在籍最後のシングル(ジュンジュンとリンリンはまだ不参加)
 ※このシングルからCDに「購入者限定イベント参加抽選券」が封入されるようになる
・2000年から続いていたモーニング娘。の旗艦番組『ハロー!モーニング。』が放送時間を毎週日曜昼12時30分からにずらした30分番組『ハロモニ@』に縮小リニューアルされる
 ※番組タイトル名の『ハロモニ@』は「@」を読まない
 ※もともと『ハロー!モーニング。』も30分番組だったのだが、2001年から45分、2003年から1時間番組に拡大していた

5月
・1月の宣言どおり、4代目リーダー吉澤ひとみ(22歳)がモーニング娘。を卒業する(リーダーとしての在任期間は2年1ヶ月)
 ※吉澤の卒業によって、第4期メンバーも全員モーニング娘。を去る
・吉澤の卒業にともない、藤本美貴(22歳)が5代目リーダー、高橋愛(21歳)が5代目サブリーダーに就任
・写真週刊誌『FRIDAY』に、リーダー藤本とお笑いタレントとの交際写真が掲載される

6月
・交際報道による騒動の責任をとるかたちでリーダー藤本がモーニング娘。を自主脱退する
 ※藤本はハロー!プロジェクトは卒業していないものの、翌2008年2月までのソロ活動を自粛
・藤本の脱退にともない、高橋愛が6代目リーダー、新垣里沙(19歳)が6代目サブリーダーに就任する
 ※この時点での9名体制が、2009年のエース久住の卒業までのモーニング娘。史上最長(2年半)のメンバー構成となる
・元モーニング娘。メンバーで芸能活動を休止していた紺野あさ美(20歳)の、翌7月に結成される新グループ「音楽ガッタス」メンバーとしてのハロー!プロジェクト復帰ならびに芸能活動再開が発表される

7月
・ジュンジュンとリンリンが加入した9名体制での初のシングルとなる34th『女に幸あれ』がリリースされる(オリコン最高2位)
・フットサルチーム「ガッタス・ブリリャンチスH.P.」からの選抜メンバーにハロプロエッグ4名、復帰した紺野あさ美を加えたグループ「音楽ガッタス」が結成される
・10月からの放映開始となるテレビ東京のアニメ『しゅごキャラ!』のテーマソングを担当するBerryz工房、℃-uteの選抜ユニット「Buono!(ボーノ)」の結成が発表される
(アイドリング!!!がシングル『ガンバレ乙女(笑)』でメジャーデビューしオリコン最高13位となる)

8月
・単独コンサートツアーの終了をもって、松浦亜弥と藤本美貴のスペシャルユニット「GAM」が活動を終了
 ※GAMは期間限定のスペシャルユニットとしては珍しくシングル3枚とアルバム1枚をリリースしており、プロ野球東北楽天イーグルスの2007年公式応援歌も担当している

9月
・音楽ガッタスの1stシングル『鳴り始めた恋のBell』(オリコン最高10位)がリリースされる

10月
・モーニング娘。誕生10周年を記念したベストアルバム『ALL SINGLES COMPLETE 10th ANNIVERSARY』がリリースされる(オリコン最高6位)
 ※アルバムには歴代シングルA面全曲とともに、つんく♂の書き下ろしによるハロー!プロジェクト10周年記念テーマ『HELLO TO YOU』も収録されている
・自身のライヴツアー最終日で、後藤真希(21歳)が実弟の強盗傷害罪逮捕による騒動の責任をとるかたちでハロー!プロジェクトを卒業することを電撃発表する
 ※後藤はその後芸能活動を休止し、翌2008年6月に芸能事務所をエイベックスに移籍して活動を再開
・つんく♂が歌・ダンス・演劇を劇場形式で公演していく新たな女性アーティスト集団「NICE GIRL プロジェクト!」構想を発表する
 ※NICE GIRL プロジェクト! が本格的に始動するのは翌2008年5月からだが、ハロプロエッグ出身グループ「THE ポッシボー」はこの時点でハロー!プロジェクトから移籍する
・Berryz工房、℃-uteの選抜ユニット「Buono!」の1stシングル『ホントのじぶん』がリリースされる(オリコン最高5位)
 ※Buono!の活動は、テーマソングを担当したアニメ『しゅごキャラ!』シリーズが放送終了した2010年以降も続いている

11月
・35thシングル『みかん』をリリースする(オリコン最高6位)

12月
・NHK『紅白歌合戦』にモーニング娘。、Berryz工房、℃-uteが出演し、モーニング娘。としての出演は連続10回目にして最後のものとなる(2010年までの時点)


2005~07年に結成されたハロプロ系アイドルグループ

℃-ute(キュート 2005年6月~)5人組
 9~14歳 矢島舞美(13歳)、鈴木愛理(11歳) ら
 ハロー!プロジェクト・キッズのうち、Berryz工房(2004年1月~)に所属しなかったメンバー7名によって結成される
 2006年1~10月は、ハロプロエッグの1名を加えて8名で活動していた
 ※「ハロー!プロジェクト・キッズ」と「ハロプロエッグ」の違いは、「ざっくりすぎるアイドルグループ史 第29回 2003~04年資料編 2004年4月の項」を参照のこと
 2006年10月以降メンバーがじょじょに減少していき、2009年10月からは5名体制で現在にいたる
 ハロプロ随一のクオリティをほこるダンスパフォーマンス
 同年代で同じハロー!プロジェクト・キッズの出身だったBerryz工房が低年齢層向けの楽曲を唄っていたのに対し、メジャーデビューが3年遅れた℃-uteはやや大人びた印象の楽曲を唄っている
 ※「大人びた」といっても「青年期のさわやかな」という意味で、先輩にあたるモーニング娘。が得意とする「アダルト歌謡」とはまったく違う
 ※最近はBerryz工房も同年齢向けの楽曲を唄っていることが多くなり、両者の違いは楽曲の印象だけでははかれなくなってきている
 インディーズ期を含め約2年の準備期間があった℃-uteは、グループとしての統一感がすぐれている
 2006年には翌年のメジャーデビューに向けて大々的なライヴキャンペーンを実施し、5~7月にはインディーズシングルを4枚リリースしている
 翌2007年2月に1stシングル『桜キラリ』でメジャーデビューを果たし、この楽曲のオリコン初登場5位は女性アイドルグループ史上最高の記録となる
 ※ただし、すでに前年9月にDVDデビュー、10月にアルバムデビューはしていた
 メジャーデビュー以来常にオリコン10位圏内に入っている実力派だが、まだ1位を獲得したことはない
 ハロー!プロジェクト伝統のプロ野球東北楽天イーグルス公式応援歌を担当している(2008年度)
 2011年6月時点までに16枚のメジャーシングル、6枚のオリジナルアルバム(ミニを含む)、1枚のベストアルバムをリリースしている
 代表曲 10th『EVERYDAY 絶好調!!』(2009年9月 オリコン最高2位)

THE ポッシボー(2006年8月~)5人組
 13~17歳 諸塚香奈実(17歳)、秋山ゆりか(14歳)、橋本愛奈(14歳)
 つんく♂プロデュースによるNICE GIRL プロジェクト!のヴォーカルダンスエアバンド
 ライヴ活動を中心としているが、舞台に本格的なバンドセットを用意しておきながら基本的には一切生音を出さないスタイル
 メンバーはハロプロエッグ出身だが、2007年10月のNICE GIRL プロジェクト!創設にともないハロー!プロジェクトを卒業している
 ※NICE GIRL プロジェクト!では他に7人組アイドルグループ「キャナァーリ倶楽部」が活動しているが、こちらはハロプロに在籍していた経験はない
 2006年8月の「つんく♂タウン THEATER」旗揚げ公演に出演したハロプロエッグ時代の諸塚・秋山・橋本の3名によって結成され、同年10月から3名を追加した6名メンバーとなる
 2008年4月のメジャーデビュー以来何度かオリコン10位圏内を経験しているが、まだ1位を獲得したことはない
 2009年8月にメンバーの1人が卒業し(NICE GIRL プロジェクト!も卒業)、現在の5名体制となる
 2011年6月時点までに5枚のメジャーシングルと1枚のアルバムをリリースしている
 代表曲 3rd『幸せの形』(2009年1月 オリコン最高4位)

音楽ガッタス(2007年7月~)6~10人組
 吉澤ひとみ(22歳 キャプテン)、石川梨華(22歳)、里田まい(カントリー娘。 23歳)、紺野あさ美(20歳)、真野恵里菜(16歳) ら
 パワフルなカッコよさを押し出した楽曲
 2007年7月に、フットサルチーム「ガッタス・ブリリャンチス H.P.」から選抜された5名とハロプロエッグ4名、ハロプロに復帰した紺野の10名で結成される
 2007年9月に1stシングル『鳴り始めた恋のBell』でCDデビューする(オリコン最高10位)
 2008年2月に真野がソロ歌手デビューのために卒業して以降、じょじょにメンバーが減少していく(主にハロプロエッグの学業優先のため)
 2011年3月に紺野がテレビ東京アナウンサーに採用されたため卒業し、現在は6名編成となっている
 2011年6月時点までに4枚のシングル(うち1枚はコンサート会場・通信販売限定)と1枚のアルバムをリリースしている

Buono!(ボーノ 2007年7月~)3人組
 嗣永桃子(15歳 リーダー)、夏焼雅(15歳)、鈴木愛理(13歳)の3名
 Berryz工房の嗣永と夏焼、℃-uteの鈴木により結成される
 ※モーニング娘。在籍経験者のまったく参加していないハロプロ初のスペシャルユニット
 もともとテレビ東京の人気アニメ『しゅごキャラ!』シリーズのテーマを担当するために結成されたスペシャルユニットだったが、シリーズの放送が終了した2010年以降も活動が継続されている
 ほとんどの楽曲の制作につんく♂がかかわっておらず、ハロプロ勢では珍しい本格的なロック路線
 ※つんく♂色のうすい楽曲という点では、同じTVアニメタイアップの活動だった「月島きらり」としての久住小春のものと共通
 2011年6月時点までに11枚のシングル、3枚のオリジナルアルバム、1枚のベストアルバムをリリース
 代表曲 9th『Bravo☆Bravo』(2009年12月 オリコン最高4位)


 ……うぷっ。もうひどい。長すぎ晋作。
 いろいろ考えたことは、ま、また次回~。
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第31回 『出現!AKB48』

2011年07月10日 23時54分22秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 ヘヘイヘ~イ、どうもこんばんは、そうだいでございます~。
 いや~、ついに明けちゃいましたね、梅雨が! 始まっちゃいましたね、2011年のサマーが!! たいへんだーい。
 今のところは日が暮れればあるていど気温もさがって、風もふいたりしてさほどキビしいことはないのですが、これから来るであろう熱帯夜がこわいですね。

 私、今年のはじめくらいにボ~ンヤリと「あっ、これほしいなぁ。」と思っていたものがあったんですが、そう思っていたことさえとっくに忘れてしまったつい先日、ひょっこりそれを手に入れてしまいました、タダで。
 え……神さま、今さら? 
 いやいやいや、うれしいっすよ!? タダでいただいちゃったんですから文句の言いようもないんですけどぉ……すみません、ほしいナとねがっていたことさえ忘れてしまっておりました。
 ねぇ~、願い事って、忘れたころになってフッとかなうもんなんですかねぇ。ねがってみるもんですね。いや、忘れちゃうくらいの需要度のものだったんですけど……あ~、いや! 神さま取り上げないで!! 大事に使いますから!

 具体的に私が手に入れた「それ」がいったいなんなのか。
 別に金塊でもトカレフでも人間の女性型の小間使いロボットでもないごくふつうなものなので明らかにはしないのですが、思えば私、これがほしくなったのは今やっているこの「ざっくりすぎるアイドルグループ史」のしたしらべのムニエルのために無料動画サイトでいろんな映像資料を観ていた時でのことでした。
 これも、「これあげるからいい加減に終わしなはれや~。」という神さまのおぼしめしなのでしょうか。よーし、そしたら今日もがんばるぞいっと!


 前回にも予告したとおり、今回は2000年代中盤、2005~07年ごろに誕生したアイドルグループの「ハロー!プロジェクト以外編」をやりたいと思います。ということは……あの今をときめくグループもいよいよお出ましってワケなのね! ひょぉお~。

 紹介する前に言っておきますと、私の印象としましては、2000年のSPEEDの一時解散以来、ほとんど敵ナシの状態で日本の女性アイドル界を牽引してきたモーニング娘。とハロー!プロジェクト陣営だったわけなのですが、ついにそこに追いつけ追いこせといういきおいで他勢力が伸びてきたのがまさにこの時期だったんじゃなかろうかと思うんですね。
 「アイドルグループ」、もしくはもっとアーティストっぽいイメージを持ってもらいたい場合には「ヴォーカルダンスグループ」というジャンルで結成されたグループはそれまでにも星の数ほどいたのですが、残念ながらさまざまな事情のために、当時のヒットチャートをにぎわすことなく消え去っていくパターンがほとんどでした。世間の需要や事務所の営業方針、グループ内のいざこざにメンバー個人の先行き不安感などといろんな理由はあったのでしょうが、いちばん大きかったのはCD業界全体の売り上げ不振だったのではないでしょうか。ケータイ電話の着うた配信やインターネット配信などの普及により、わざわざお店に行って1000円やら3000円やらを払ってCDを買わずともよい時代がやって来て、かつての1990年代のミリオンセラーだらけの活況はどこへやら、あの王者モーニング娘。さえもが2001年の1stベストアルバム以降は100万枚を超える売り上げを記録することがかなわない状況になっていたのです。

 しかし、今回紹介する2005年以降に登場したグループのほとんどは、それから現在の2011年にいたるまで現役で活躍しているんですねェ~。
 つまりは、この時期以降のアイドルグループは(おそらくハロプロもそうだったのでしょうが)、今までそこさえしっかりしていれば大丈夫という指標になっていた「CD売り上げ」ではない、それ以外のセールスポイントをもって世間の荒波に乗り出していく必要に迫られていたのですね。

 キーワードは、「薄く広くの時代は終わった。これからは濃くせまく」!!


9nine(ナイン 2006年2月~)5人組
 14~16歳 西脇彩華(さいか 14歳)、佐武宇綺(さたけ うき 14歳) ら
 1990年代後半のかおりを残す正統派ヴォーカルダンスグループ
 もともとは9人組だった
 2007年1月に川島海荷(うみか 13歳)が加入するなど、メンバーの入れ替わりがはげしいグループ
 ※そのため、グループ結成から5年たっているのにもかかわらずメンバーが全員10代
 ※結成当初から残っているのは西脇(現リーダー)と佐武の2名のみ
 ※リーダー西脇は、Perfumeのあーちゃんこと西脇綾香の実妹
 2010年7月に所属事務所によって決行された「合宿審査」により、メンバーが9人から5人に選抜されて現在にいたる
 メンバーの個人活動にも積極的で、特に川島はTVドラマ『ブラッディ・マンディ』や『怪物くん』などで女優としてブレイクしている
 2011年6月までに6枚のシングルと2枚のアルバムをリリースしているが、ブレイクはこれから?(今までの楽曲のオリコン最高位は22位)

中野腐女シスターズ(2006年9月~)4~8人組
 20~25歳 乾曜子(いぬい ようこ 25歳 リーダー)ら
 ライヴ活動を中心とした史上初の「ヲタクアイドルグループ」
 正式なグループ名は「中野腐女子シスターズ」だったが、2010年4月から「中野腐女シスターズ」に改称
 ※「腐女子」とは、おたくな趣味がこうじたあまり女性として腐ってしまった方々のことをさす
 キャッチフレーズは「腐ってナンボ」「ワン腐オール・オール腐ワン」で、グループの公式ブログは「腐ログ」
 東京・中野のショッピングセンタービル「中野ブロードウェイ」を拠点としている
 インターネットテレビの番組企画でお笑い芸人・はなわの総合プロデュースにより6人組で結成される
 番組の収録を兼ねたライヴイベントを1~2ヶ月に1回のペースで結成時から続けている(現在は東京・渋谷のライヴハウスshibuya O-EASTでの上演が多い)
 メンバー全員に専門のおたく属性がある
 顔と体格がうり二つな美少年アイドルグループ「腐男塾」(こちらもはなわプロデュース)がいる
 メンバーの入れ替わりがはげしく、結成当初から在籍しているのはリーダーの乾(コスプレおたく)と京本有加(20歳 爬虫類おたく)と浦えりか(20歳 プロレスおたく)の3名
 グラビアアイドル・モデル・歌手・AV女優などとメンバーの個人活動も多彩で、所属芸能事務所も別々
 結成時には類家明日香(21歳 ガンプラおたく)や南波杏(22歳 ゲームおたく)が在籍していた
 結成1ヶ月後の10月から、現キャプテンの喜屋武ちあき(20歳 アニメおたく)ら2名が加入し8名となる
 ※喜屋武は結成メンバーになる予定だったのだが、スケジュールの都合により翌月からの加入になった
 2007年1~2月には乾・浦・京本・喜屋武の4名で活動していた
 2007年3月から虎南有香(18歳 ファッションおたく)とスザンヌ(21歳 健康おたく)が加入し6名となる
 ※スザンヌは翌2008年3月に卒業
 2008年7月に着うた配信で歌手デビューし、翌9月には「腐男塾」として1stシングル『男坂』をリリースする(オリコン最高12位)
 ※中野腐女シスターズとしてのCDデビューは2010年1月の『Honey Bee~』
 2008年11月に原田まりる(23歳 マンガおたく)、さらに翌12月に1名が加入し7名となる
 2009年11月にメンバー1名が卒業し、翌2010年4月に瀬口かな(19歳 超常現象おたく)が加入したことによって現在の7名編成となる
 2011年6月時点までに中野腐女シスターズとしては1枚、腐男塾としては5枚のシングルと1枚のアルバム、両グループ合同のアルバムを1枚リリースしているが……ブレイクはこれから?
 今週じゃん! 2011年7月16日のライヴイベントをもってリーダー乾が卒業する

アイドリング!!!(2006年10月~)9~20名
 12~21歳 遠藤舞(18歳 現リーダー)ら
 フジテレビの専属アイドルグループ
 「現在進行形で成長しているアイドルグループ」と「ならし運転」の2つの意味をかけたグループ名
 すでに芸能事務所に所属しているタレントを対象にしたオーディションをおこない、合格した9名で結成
 ※そのため、アイドリング!!!のメンバーが所属している芸能事務所は個人個人でちがっている
 ※現在も在籍している結成メンバーはリーダー遠藤、外岡えりか(とのおか 15歳)、横山ルリカ(15歳)ら5名
 フジテレビの衛星放送事業とインターネット配信事業を担当した吉田正樹(47歳)がゼネラルプロデューサーをつとめていた
 ※吉田は主にウッチャンナンチャンやネプチューンの人気番組を制作した敏腕プロデューサーだったが、2009年にフジテレビを退職してワタナベエンターテインメント(ナベプロ)会長に就任している
 看板番組である『アイドリング!!!』(毎週平日深夜1時ごろCS「フジテレビ ONE」で放送)は2006年10月から続いている長寿番組
 「フジテレビ ONE」の他にもネット配信の「フジテレビ On Demand」でもレギュラー放送を持っている
 地上波フジテレビでは、2007年1月から看板番組『アイドリング!!!日記』(毎週木曜深夜2時ごろ)を開始しており、現在は同じ時間帯に放送している『フジテレビからの~!』にメイン出演している(共同司会・アンタッチャブル山崎弘也)
 アイドリング!!!のレギュラー番組スタッフには、同じフジテレビの『夕焼けニャンニャン』や『DAIBAッテキ!!』にかかわった経験のある人材が多い
 レギュラー番組は深夜放送だが、収録したものを編集なしで放送する「撮って出し」形式の番組なので、生放送だった過去のフジテレビアイドル番組の雰囲気を継承している
 番組ではパイ投げ、ADに履いていた靴のにおいをかがれるなどの身体を張った企画も積極的にこなす
 フジテレビつながりで直接の先輩にあたるおニャン子クラブやチェキッ娘の元メンバーとの共演も多い
 メンバーのナンバー呼称は「~号」となっており、現在は26号までが存在している
 ※2011年6月時点までに6名のメンバーが卒業・脱退しているため、現在は20名で活動している
 2007年4月にまずネット配信で歌手デビューしており、同年7月にCDデビューしている
 2011年6月までに15枚のシングルと4枚のアルバムをリリースしており、今月7月には16thシングルが発売される予定
 ※CDデビュー時からオリコントップ10位以内の常連となっているが、近年じょじょにトップに迫りつつある(自身の1位獲得はまだない)
 2008年4月から新メンバーの加入がはじまり、2010年4月の第4期メンバー加入をもって現在にいたる
 同輩のアイドルグループでは番組で共演したAKB48やよしもとグラビアエージェンシー(YGA)と交流あり
 2009年1~4月にはAKB48とのコラボレーションユニット「AKBアイドリング!!!」も結成していた
 代表曲 15th『やらかいはぁと』(2011年3月 オリコン最高4位)

バニラビーンズ(2007年7月~)デュオ
 キノコカットのレナと外ハネカットのリサ(ともに年齢非公開)
 ※レナの双子の妹だとされている辻本はるかは1987年生まれ
 レナは1999年からモーニング娘。の追加オーディションの常連になっており、特に2004年の『ラッキー7オーディション』では最終審査にまで残っている
 レナはAKB48のオーディションにも応募しているが書類審査で落とされている
 ※これらのオーディション経歴は、双子の妹のはずの辻本はるかの経歴といっしょ
 リサは本物のセレブリティのお嬢様らしい
 身長はレナが166cm、リサが172cmというモデル体型
 そのモデル体型のためか、楽曲CDの購入者特典に「握手」とともに「ビンタ」があるのが恒例
 1960~70年代風の衣装と北欧ポップ風のさわやかな楽曲
 2007年7月のデンマーク日本大使館でのライヴにより活動を開始する
 結成時はレナとモデルの弓月まいあ(19歳)のデュオだったが、2008年3月にまいあが脱退してリサが加入し現在にいたる
 ※まいあは直後にアイドリング!!!に加入したが、わずか1ヶ月後の2008年5月に脱退して芸能界も引退
 路上にとめたトラックの荷台にもうけたビニール張りスペースで生活するなどのイベントが話題となる
 東京・新宿ロフトプラスワンでのトークショーも人気があり、ミュージシャンの小西康陽、プロインタヴュアーの吉田豪、南海キャンディーズの山里亮太などと交流がある
 レナは本格的なアイドルおたくで、同輩のアイドルグループでは中野腐女シスターズ、DANCEROID、東京女子流と親交がある
 新潟のロコドル「ねぎっこ」と同じタワーレコードのアイドルレーベル「T-Palette」に所属している
 2011年6月時点までに12枚のシングル(うち7枚がネット配信)と2枚のオリジナルアルバム(ミニをふくむ)をリリースしているが……ブレイクはこれから?
 2011年7月には待望の2ndオリジナルフルアルバム『バニラビーンズ2』をリリースする予定

sherry(シェリー 2009年1月~)3人組
 鈴木螢(22歳)、黒木晴香(22歳)、片岡春香(23歳)
 アダルトな雰囲気のセクシーヴォーカルダンスグループ
 もともとは2007年8月に結成された6人組アイドルグループ「CASSIS(カシス)」だった
 2009年1月にメンバーが1名脱退してグループ名を「シェリー」に改称する
 2010年1月から3人組となる
 カシス時代は2枚、シェリーになってからは3枚のシングルをリリースしているがブレイクはこれから?

楊玲&楊晶(ヤンリン&ヤンジン 2007年8月~)デュオ
 中国人の双子姉妹・楊玲(19歳)と楊晶(19歳)で結成
 2003年に母国で「J&L Angels」としてデビューしており、女子十二楽坊とともに活動していた
 2007年8月から「ヤンリン&ヤンジン」として日本に進出する
 2009年8月に他の日本人2人と結成した史上初のくのいちアイドルグループ「桜組」として再デビュー
 ※桜組時代はヤンリンは「桜紅丸」、ヤンジンは「桜蘭丸」として活動
 忍者ふうのアクションを得意とするライヴを中心におこなっていた
 2009~10年に出演したミネラルウォーター「クリクラ」のCMでつとに有名
 2010年3月をもって桜組は解散
 他のメンバー2人は芸能界を引退しているが、ヤンリンとヤンジンは帰国して「BENYRAN(ベニラン)」として活動している
 ヤンリン&ヤンジン時代に1枚、桜組時代に3枚、BENYRANになってからは1枚の楽曲を発表している
 ※有名な『クリクラ体操』(2010年1月)はネット配信限定


 まぁ~こんな感じなんですけど、今あげたグループのうち、現時点ではCDヒットチャートの世界でハロー!プロジェクトと争う存在になることができているのはアイドリング!!!だけのようです。
 アイドリング!!!は「親」こそあの悲劇のチェキッ娘と同じフジテレビなのですが、今回は親御さんの力の入れ方がまるで違っていました。CS放送とネット配信という2大事業のマスコット的存在になりおおせたアイドリング!!!。ドリームキャストとともに散っていったお姉さんのかたきを討つことはできるのか!?
 しかし、全国的な知名度こそまだないものの、定期的なライヴ活動やトークショーなどで会場を訪れるファンには絶大な人気を得ている中野腐女シスターズやバニラビーンズは、結成から5年がたとうとしている現在もアイドルグループのマニアックな1分野をになう重要な存在になっています。
 まぁ……「クリクラ体操」の2人も、あのCMでは圧倒的にマニアックな雰囲気と漠然とした不安感を世間に与えてくれましたよね。
 ナインははっきり言ってかなり「古色蒼然」としたグループなのですが、川島さんをはじめとした若いメンバーの将来性がとにかく魅力です。

 さぁ、いよいよこのときがやって来てまいりました。

 2005年7月、かつてあのおニャン子クラブを世に出した放送作家陣の主要メンバーであり、そのいっぽうで「作詞家」という形でも彼女たちの爆発的ブームの屋台骨となり、ついには人気メンバーの高井麻巳子さんを奥さんにしてしまったという秋元康(49歳)が、みずから総合プロデュースを手掛けるアイドルグループを結成するための大規模なオーディションの告知を開始しました。
 告知開始から3ヶ月後。まったくのしろうともすでに芸能活動を開始していた子も集まって始まったオーディションの結果、7924名の応募者の中から24名の合格者によって新たなるアイドルグループが結成されることとなりました。

 それこそが!! AKB48(エーケービーフォーティーエイト)だったのですよぉ~い。

 いやー……ついにここまできたね。
 2ヶ月かかりました。感慨深いですねェ~。最初の「かしまし娘」の活動開始は1956年ですから、50年の歴史をたどってきたわけなのね。そりゃあ2ヶ月はかかるわな。

 ともあれ、こうして2005年の10月に24名で結成されたAKB48だったのですが、さっそく翌11月には、モーニング娘。の多くの楽曲のダンス振り付けを担当していることで有名な振り付け師・夏まゆみを迎えての1ヶ月間の集中トレーニングを受け、12月からは東京・秋葉原のドンキホーテ秋葉原店の8階に開設された定員250名の常設ライヴ会場「AKB48劇場」でのライヴ活動を開始するはこびとなりました。ちなみに、本格的に劇場での活動を開始することとなった実質上の結成メンバーは20名になっています。合格した者全員が舞台に立つことはできなかった……きびしい世界ね~!
 この時の結成メンバーで現在も在籍しているのは、小嶋陽菜(17歳)、板野友美(14歳)、高橋みなみ(14歳)、前田敦子(14歳)、平嶋夏海(13歳)、峯岸みなみ(13歳)の6名です。
 5年前に20名いたメンバーが今は6名ですか。しかし、その6名が今でもAKB48の中核をになう存在になっていることは言うまでもないでしょう。

 さて、このあと翌2006年2月に『桜の花びらたち』でインディーズデビューしていくAKB48なのですが、まだまだ2005年の段階では知る人ぞ知る、どころか、知っているほうが「なんで?」なくらいの小さな存在だったのです。このライヴ活動からファンである方がいたとしたら、そりゃもう「青田買い」どころか「なにもないサラ地買い」ぐらいの話だったのではないでしょうか。それがまさか、2011年にこんなことになってるとはねぇ。ノストラダムスもビックリよ。

 AKB48が活動を開始した2005年の時点では、今回あげたアイドルグループはどれも存在しておらず、ずいぶん落ち着いたとは言っても、まだまだハロプロのひとり勝ちは続いている状態でした。
 さぁ~ここからどんな感じで日本のアイドルグループシーンがいい感じにごっちゃごちゃになっていくというのでありんしょうか!?

 ヒートアップしたまま、2011年も目前となった「ざっくりすぎるアイドルグループ史」は、つっづく~!
 あっちいあっちい!!
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第30回 『モーニング模索。 2003~04 雑想編』

2011年07月08日 23時45分39秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 どうも~こんばんはーい。そうだいです。いやぁもう、今日はふだん飲まない本物のコーヒーやビールを飲んだりしてもう大変よ。ウイ~古典的技法でヒック。

 今日は東京は練馬・小竹向原で上演している、元祖演劇乃素いき座のお芝居『阿房列車(あほうれっしゃ)』(演出・土井通肇 作・平田オリザ)を観てきました。いき座さんのお芝居は去年にも同じ小竹向原の劇場・アトリエ春風舎で拝見しております。
 それで劇場の場所はおぼえていたんですけど、予定よりも1時間も早く到着してしまったので、近所の落ち着いた雰囲気の喫茶店でなれない本格コーヒーをいただくことにしたんですね。
 で、誰が見てるわけでもないのに無理してミルクも砂糖も入れずにブラックのグァテマラを「うぅ……にがい。」と思いながら平然としているつもりの顔で堪能していたのですが、そうしているうちに、先客だった70歳ほどの上品な老夫婦と同年輩のカウンターのマスターがおたがいにケータイ電話を持ち寄って向かい合いながら、
「あれ? 認識できませんだって。おかしいなぁ。」
「そっち、ちゃんと受信してますよね? もうちょっと待ったほうがいいのかなぁ。」
 と四苦八苦しているご様子になったので、赤外線送受信のことならまかせろ!と障子紙級のあつさのケータイ操作知識をひけらかして私は3人の輪に飛び込んでしまいました。
「あの、それはもうちょっと近づけないといけないんですよ。ちょっと失敬。」
 老夫婦の奥様からケータイを拝借した私がマスターのケータイとつき合わせて再チャレンジしたところ、みごとアドレスの交換は大成功。
「イヤ~、私も原理はよくわからないんですけどね、ハハハのハ~。」
 といい気分になって、その後は初対面の人生の大先輩お3方と楽しいひとときを過ごし、予定の時間になってからは「にがかったよ~、おいしかったけど……」とつぶやきながら劇場に向かいました。
 そしたらさぁ! 観たお芝居も、初対面の老夫婦と若い人(役者さんは私の親友です)が列車の中で会話をするっていうシチュエーションでやんの。なんなの、コレ!? 誰が喜ぶ「奇遇」なんだこれは。私がちょっとびっくりしてるだけじゃないの。神様もヒマねぇ~!

 お芝居が終わったあとは、いき座さんからお客さんにふるまわれたビールなどをいただいて千葉に帰りました。独特の時間が流れるいき座さんならではのお芝居もよかったですけど、またいい遠出になりました。へんな日だったなぁ。


 で、家に帰ったらこんなニュースが。

《佐藤健と共演のチャンス! 実写版『るろうに剣心』がエキストラ出演者を募集中》(Yahoo!JAPANニュース 7月6日の記事より)

 俳優・佐藤健(22歳)主演で漫画家・和月伸宏(41歳)の人気作品『るろうに剣心 ―明治剣客浪漫譚―』(1994~99年連載)が実写映画化されるにあたり、ボランティアエキストラを一般公募している。今年7月下旬から10月末まで関西・中国・四国地方で撮影が行われる予定で、年齢・性別不問で映画作りに参加したい人を募集中だ。
 主人公・緋村剣心を演じる佐藤健は「原作のファンの方の思いを胸に、心して挑みます。」と作品に対する意欲をみせ、精いっぱい作品と向き合う姿勢だ。監督はNHK大河ドラマ『龍馬伝』『ハゲタカ』を手掛けた大友啓史(45歳)。ワーナー・ブラザース映画の製作で公開は2012年を予定している。
 ボランティアエキストラとして参加したい人は、月刊デ☆ビューのWEBサイト「WEBデ☆ビュー」、公式携帯サイト「デビューしようよ」に掲載されている応募要項をチェックしよう。


 今かよ!! いや、絶対に観に行きますけど。
 エキストラ募集のところに興味をもったわけじゃなくて(西日本を旅できるのはひかれるけど)、私、『るろうに剣心』が大好きなんですね。実は今やってる『ざっくりすぎるアイドルグループ史』が終わって一息ついたら、そのへんもからめたアレをやろうかな、とか思ってたりしちゃったりなんかしちゃってたりしてチョンチョン! そしたらこの話題ですよ。
 気になるなぁ。大友監督がやるってことは、やっぱり原色あざやかな『ジャンプ』の大ヒットマンガらしからぬホコリっぽい画面になるのかしら。
 しかし、「岡田以蔵」の役をやった佐藤さんが剣心役とは。だったら佐藤さんは鵜堂刃衛の役をやるのがスジ……じゃないっすね。
 そういえば、岡田以蔵のほうは『龍馬伝』の佐藤さんだの『龍馬におまかせ!』の反町隆史アニキだったりと話題が定期的にありますが、緋村剣心のモデルになったという伝説の志士・河上彦斎(げんさい)のほうはあんまり役者さんにめぐまれていないような……
 最近でいうと、『龍馬伝』と同じNHK大河ドラマでありながらホコリが全然舞っていなかった『新選組!』に、「佐久間象山を斬る」というだけのワンポイントリリーフで高杉亘さんが演じている彦斎さんが出てきたのですが、キャスティングのスタッフさんの肥後モッコスに対する敬意がなかったのか、本来150cmほどの小柄な色白の男だったという彦斎を、身の丈185cmで低音ヴォイスのきいたダンディな殺し屋ふうの高杉さんが演じるというむちゃくちゃな人選になっていました。いや、そりゃ人斬りだけどさぁ! 象山暗殺のもようもぜんっぜん史実と違っていたし。

 もうちょっと「幕末人斬り四天王」のひとりと畏れられる河上彦斎をフィーチャーしてよ! と感じていたので、彦斎本人ではないにしろ、今回の『るろうに剣心』には奮起していただきたいと。
 
 河上彦斎と言えば、『銀魂』にも彦斎をモデルにしたキャラクターが登場しますよねぇ。こっちもいい味出してるんですけど。
 名前は「河上万斉(ばんさい)」っていってね、江戸時代からチョクで21世紀になったような架空の日本で展開される『銀魂』ワールドでは、裏の顔は江戸幕府転覆をねらうテロリストでありながら、おもて向きは大江戸アイドル界の売れっ子プロデューサー「つんぽ」として活躍してるっていう設定なんですって。おもちろいね~。


 ……え? 「つんぽ」? 「つんく♂」?

 おおぉオウうぅいイィ~っっっっっと!!

 やばいやばい、危うくこのまま幕末の話題で今回の『長岡京エイリアン』を進めていってしまうところでした。今は幕末の話をしてる場合じゃないんだ、アイドルだよアイドル! アイドルの歴史!!


 え~、とまぁ長すぎる前フリはここまでにしておきまして、ここからは前回にビロ~ンとならべた「モーニング娘。2003~04年のあゆみ」についていろいろ感じたことをつづっていきたいと思います。たいへんおまんたせいたしました。

 2003~04年のモーニング娘。の流れを一言で言い表すのならば、「モーニング娘。以後を見据えたハロー!プロジェクトの試行錯誤」ということになるかと思います。
 ここで私が言った「モーニング娘。以後」の「モーニング娘。」とは、今現在も現役バリバリ第一線で活躍している高橋愛リーダーのモーニング娘。のことではありません。

 こんなわけのわからん言い方をすると、「何いってんだ? ついにそうだいも夏本番前に暑さが脳髄にキたか。」とお思いになるかもしれませんが、私がいいたいのは、1997年に結成された、もともと「安倍なつみのソロ活動をサポートするために用意されたアイドルグループ」としてのモーニング娘。が、ついに2003~04年にいたって終焉をむかえる時がやってきたんじゃないかということなんですね。
 つんく♂プロデュース楽曲のレベルの高さや時代のニーズにフィットした存在感、そして希代のスターごっちんの加入というさまざまなプラス要素によってヒットチャートトップの常連、平成アイドル界復活の功労者にして第一人者という地位にいつづけることのできたモーニング娘。だったのですが、そうして「トップアイドルであることが当たり前の状態になったモーニング娘。」をめざして、大変な倍率のオーディションに合格して加入を果たした新メンバーが増えていき、もともといた「トップアイドルにのぼりつめる苦労を味わった」初期メンバーがそれぞれのこれからを模索してグループを去っていくことによって、モーニング娘。という変わらない看板のある遊園地の「中身」はまったく違うものになっていっていたのです。

 モーニング娘。ほどの歴史のあるグループだと、よく「『LOVEマシーン』のころが一番よかった。」とか、「歌やダンスのレベルがむちゃくちゃ高い今のモー娘。が最高に決まってるだろ!」というああだこうだの議論がなされることがありますが、これはもう人それぞれの好みの問題になってまして、結論の出ないものであることは当然なんですね。そりゃもう、「人生経験の豊富さからくる声の味わい」という部分では、ある程度ふつうの世間で生きてから芸能界に飛びこみ、無名の衣装1着ずつ支給で仕事は現地集合現地解散の待遇からあれよあれよとスターダムにまでのしあがっていった初期メンバーに利があるかもしれないし、「ダンスや歌のうまさ、容姿のかわいさ」という点では、倍率1万人やら2万人というとてつもない関門を超えてきた、そしてそこから「日本一のアイドルグループ」という現在のモーニング娘。の超過密スケジュールが待っている世界に入って10代の貴重な時間のほとんど全部をエンタテインメントのためにささげた第4期以降のメンバーに利があるとも言えるわけなのです。要するに「観覧車」と「フジヤマ」のどっちがいい?って話なんですよ。私はどっちも好き!

 そんな意味で、今までのアイドルグループならばヒットチャートも安定してきて円満なまま解散、という流れになるべき時期が来たのが2003~04年のモーニング娘。だったのではないかと思うんですね。モーニング娘。の初代エースと言われたなっちが卒業したのが2004年の1月ですから、だいたい結成から正味6年のあゆみをもって、前期のモーニング娘。はひとつのピリオドを迎えたといってよいでしょう。しかし、実際にはドバドバと新しい血が入ってきた2003年くらいの時点で、グループはじゅうぶんに変わっていました。もちろん、まだ結成メンバーの飯田圭織さんはリーダーとして残っているわけなのですが、全体的な雰囲気では第4期のチャーミー石川さん、第5期の高橋愛さん、第6期のミキティと田中れいなさんがグループの新しい顔となっていたのです。
 余談ですが、私はモーニング娘。のメンバーの中では、この第6期に加入したある人のことがいちばん好きです。この「ざっくりすぎるアイドルグループ史」に私情ははさみたくないので(この企画自体が私情そのものじゃねぇか!というツッコミはあまんじて受けることにいたしまして)あまり強調して取り上げたくはないのですが、

 かわいい~っっっっ!! 八重歯! その笑ったときにゆがむ口と八重歯がサイコー!
 えっ、血液型、私とおんなじなの? じゃ、じゃじゃじゃじゃあ、わた、わた、私とその、「ゆ・け・つ」ができるってわけなのね!? イ~ッヒッヒッヒッヒ。血が足りなくなったらいつでも呼んでください~。

 ……大変失礼いたしました。こういうことばっかり言ってるから「変人の血液型だ。」って言われるのよね。
 残念ながらその彼女、去年の12月にもうモーニング娘。を卒業して芸能活動もいったん休止してらっしゃるらしいんですね。時すでに遅し。実に無念です。


 話を元に戻しまして、本来いままでのアイドル界の趨勢の法則ならば、そんな大ブレイクしたモーニング娘。なきあとのハロー!プロジェクトは、全体的に人気も落ち着いていって他のアイドルグループにトップの地位を明け渡して消えていく、というのが常でした。
 しかし。ハロプロはここで「モーニング娘。」という看板をおろすことをせずに、それでいながらまったく違った新しい人材をどんどん取り入れていくことでトップであり続ける努力にいどむという史上初のこころみを始めたのです。

 ここで私が注目したいのが、なっち卒業の後にリリースされたモーニング娘。23枚目のシングル『女子かしまし物語』(2004年7月)です。
 この曲は辻ちゃん加護ちゃん在籍最後のシングルでもあるのですが、結成から7年の歳月がたとうかとしているこの時期になって、突然降って湧いたように制作されたモーニング娘。の「自己紹介ソング」だったのです。

 「自己紹介ソング」とは、歌詞の中でグループに在籍しているメンバーの名前や特徴などを紹介している歌で、まさにメンバーが複数いるアイドルグループならではの伝統ともいえる楽曲です。
 自己紹介ソングの歴史は、すでに女性アイドルグループの世界ではそのパイオニアとも言えるキャンディーズの時代から始まっており、有名なところをずらずら~っとならべますと、

1973年12月
 キャンディーズ  『キャンディーズ』(1stアルバム『あなたに夢中 内気なキャンディーズ』の収録曲)
1979年5月
 ピンク・レディー 『ピンク・タイフーン』(12thシングル・Village Peopleの『IN THE NAVY』のカヴァー)
1986年3月
 おニャン子クラブ 『会員番号の唄』(メンバー吉沢秋絵のソロシングルのカップリング曲)
 ※それ以降、メンバーの異動にしたがって2回歌詞がリニューアルされている
1999年7月
 チェキッ娘    『チェキッ娘音頭』(1stアルバム『CXCO』の収録曲)

 っていう感じになっております。
 これまでの自己紹介ソングはおおむねアルバムの収録曲やB面あつかいになっており、唯一のA面曲である『ピンク・タイフーン』も洋楽のカヴァーだったりして、世間に出す場合はあまり目立たないかたちになっていることが多かったのですが(逆に、ファンが集結しているコンサート会場では超鉄板の盛り上げ曲となる)、モーニング娘。の自己紹介ソングである『女子かしまし物語』は堂々たるオリジナルのA面曲として世に出ることとなりました。

 しかし、これまでのグループの「顔」だったなっちが去ったあとに、なぜ?
 当時は「今ごろ自己紹介? 遅いんじゃない?」という空気もあったのですが、このタイミングでの自己紹介ソングの発表は、まさにこれから歩いていく「新たなるモーニング娘。の自己紹介ソング」なのだと解釈すれば、これまでのモーニング娘。を象徴する存在だったなっちがいなくなり、アイドルグループとしてのモーニング娘。を最初に、そしてもっともわかりやすい形で体現した辻ちゃん加護ちゃんがまだいる時期ということで、これ以上ないグッドタイミングでのものだったのです。
 アイドルグループの伝統だった「自己紹介ソング」を満を持して世に問うたことによって、1990年代の後半のにおいも色濃く受け継いでいる存在だった「ヴォーカルダンスグループ」のモーニング娘。は、「生まれながらのアイドルグループ」に転生することとなったのです。これはとりもなおさず、20世紀末から21世紀のはじめに大ブレイクしたモーニング娘。にも別れを告げるものだったわけなのですなぁ。
 そういえば、その時点でのハロー!プロジェクトの総決算ともいえる「H.P.オールスターズ」の『ALL FOR ONE & ONE FOR ALL』も、2004年に制作されたことは重大な意義があったように思えます。直後に起きたなっちの盗作騒動によって、2004年は思いがけず後味の悪い締めくくりとなってしまったのですが、まぁギリギリ間に合ったのだからよしとしましょう!

 こういった動きによって「モーニング娘。の栄光」の解体を果敢にこころみていったハロー!プロジェクトだったのですが、その一方で新しい面々を登場させていく動きも必要ではあったものの、さすがにそちらは四苦八苦というのが2003~04年の現状だったような印象が残ります。
 2002年7月の「第1次ハローマゲドン」以来、そのちょっと前に開設した小中学生のアイドル養成チーム「ハロー!プロジェクト・キッズ」のアピールを精力的におこなっていくハロプロですが、さっそく翌2003年に結成されたZYXもあぁ!も、2004年についに発足したモーニング娘。の最初の後継者ともいえるグループBerryz工房も、パーフェクト状態の前期モーニング娘。が去った巨大な穴をうめる存在にはまだ成長しきれていない状態でした。唄がうまくてもダンスが踊れても、「子どもでしょ……」という第一印象はぬぐいきれないものがあったのです。
 世に出るのが早すぎたのかなぁ。アイドルの方々をさして使う例えにしてはあまりにもグロいのですが、このころのモーニング娘。の後継者たちは、まだまだ映画版の『風の谷のナウシカ』の巨神兵のような状態だったのではないかと……われながらひでぇ言い方!

 でも、実際にBerryz工房がノッてきたのもほんとにここ数年ですよね? やっぱり時間ってものはある程度は必要なのではないかと。

 こんな感じで、ハロプロが新たな世代への転換をはかりはじめたのが2003~04年だったわけなのですが、まだまだこの苦闘はそれ以降にも続いていくこととなります。
 ただ! 最後に私が言っておきたいのは、5~6年もブレイクしたらおしまいになるのが当たり前だったアイドルグループの世界において、こここそが勝負時とふんばったハロプロの努力が現在のアイドルグループ全盛の時代につながっているというところなんですね。この時期のハロプロやモーニング娘。をさして「落ち目」と表現するのはあまりにもせつない物の見方ですよ。


 ハイッ、ということで今回も終わりまして、次回は2005~07年あたりのハロプロ以外のアイドルグループの紹介にいきたいのですが。

 ……あれ? 2005年? ということはさぁ、いよいよ今をときめくあの方々のお出ましとなるのじゃありませんこと!?
 みなさま、たびたびながらくおまんたせいたしました。苦節2ヶ月、ついに次回、秋葉原のあの方々のご登場となる……予定。
 おったのしみに~!!

 ながかぁった~、とおかぁった~でもォ~。
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第29回 『モーニング模索。 2003~04 資料編』

2011年07月07日 23時07分55秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 しゃらんら~。そうだいでございます。本日7日も、私の町は適度に風もあって過ごしやすい日となりました。でも、夜はなんだかくもっちゃうらしいんでしょ? せっかくの七夕なのにねぇ。

 七夕の話題もいいのですが、私はつい先日に星になってしまった偉大なる巨匠をしのんでしんみりとしております。


《『スケバン刑事』の和田慎二死去―漫画家たち追悼》(@nifty ニュース 2011年7月6日の記事などより)

 『スケバン刑事』などの作品で知られる漫画家・和田慎二(わだ・しんじ、本名・岩本良文=いわもと・よしふみ)が7月5日、虚血性心疾患で死去した。61歳。
 広島県生まれ。1971年、大学在学中に『別冊マーガレット』でデビュー。『超少女明日香』シリーズや『ピグマリオ』など少女漫画で活躍。テレビドラマ化、映画化もされた『スケバン刑事』は大ヒットした。現在は、『月刊ミステリーボニータ』(秋田書店)で『傀儡師(くぐつし)リン』を連載中だった。

 6日未明、ツイッター上でいち早く訃報が伝わると、後輩漫画家たちが続々とショックを露わにした。
 『サイレントメビウス』の作者・麻宮騎亜(48歳)は、そのペンネームを『スケバン刑事』の主人公・麻宮サキから取ったほどのファン。「ウソであってほしいです。本当に……」「誤報であると信じます。」とつぶやくなど、とても信じられないという様子だった。
 『HELLSING』で知られる平野耕太(37歳)も、「和田慎二先生が亡くなられたってマジか。マジかよ。」と絶句。「『超少女明日香』がすげー好きだったんだよう。」と嘆いた。
 『アニメがお仕事!』の石田敦子(47歳)は、和田の作品が漫画家としての原点だったと語る。「漫画ってこんなにおもしろいんだ!って教えてもらった初めての人です。『呪われた孤島』も『緑色の砂時計』も『愛と死の砂時計』も『銀色の髪の亜里沙』も『大逃亡』も『超少女明日香』も『パパシリーズ』もわくわくドキドキして何度も読み返して。模写もたくさんした。あの頃の『別冊マーガレット』が無ければ、漫画を読んでないだろうし描いてない。」


 早いですね。連載中の作品もあったりして、本人としても予期せぬ出来事だったのでしょうか。やっぱり第一級のプロならではの「職業病」みたいな、身体への負担も大きかったのかと。
 こんな『長岡京エイリアン』という、有名人のお名前をドバドバ出す超高校級ミーハーブログをやっておりますと、なにげなくつづった話題が現実の世界での最新ニュースと不思議なリンクのしかたをすることも多くてミョ~な気分になるのですが、やっぱり「訃報」っていうのはいやなものですよね。こればかりは天運というものですので、いかんともしがたいものがあるのですが。
 ドラマ版の『スケバン刑事』のあたりはもうすでにこの「ざっくりすぎるアイドルグループ史」でも通過したのですが(風間三姉妹)、もうちょっとしたらあやや版の映画(2006年)にいくかってところだったんですよ! 無念です。

 最新作だった作品が「未完」って、さぞ無念でしょうね……

 よし、こんなことを言っている私だっていつなんどき何が起こるかわかんないんだから、気合いを入れ直してこの「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の完結をめざして邁進するぞ!
 誰が望んでるわけでもないのですが、とにかく私が完成させないと気が済まないモードになってるんだからしょうがない。おっちぬわけにゃあいかねぇんだよう。
 いっくぞ~、ヘイ!!


 今回は2003~04年、さまざまな新局面をむかえることとなったモーニング娘。についてなんですが……

 やっぱり、この濃密な2年間を1回だけでまとめるのは無理でごんした。
 ということで、今回も「資料編」ということで、その期間に起こった主なトピックと、その中で生まれた新たなハロー!プロジェクト所属のアイドルグループの紹介だけをならべさせていただきたいと思います。

 「ゴールデン巨星」ごっちんは去りましたが、まだまだモーニング娘。にはなっちがいる、チャーミーがいる、辻ちゃん加護ちゃんがいる!
 そんな群雄割拠の2003~04年に、ターイムスリ~ップ。


モーニング娘。転機の2003~04年
2003年
1月
・前年10月から募集されていた「LOVEオーディション2002」の最終選考のもようがテレビ東京の特別番組で放送され、結果発表の直前に、すでにソロアイドルとして活躍していた藤本美貴(18歳)の「第6期」メンバーとしての加入が電撃発表される
・「LOVEオーディション2002」の結果、約1万4000名の応募者の中から道重さゆみ(14歳)、田中れいな(14歳)、亀井絵里(15歳)の3名が合格し、藤本とあわせて「第6期メンバー」となる
 ※これによってモーニング娘。は史上最多の16名となったが、第6期メンバーが参加するのは5月からで、16名で本格的に活動したのは保田圭の卒業コンサートのみ

2月
・モーニング娘。初のカヴァーシングルとなる17th『ひょっこりひょうたん島』がリリースされる(オリコン4位)

3月
・モーニング娘。のグループ内ユニット「ミニモニ。」のリーダーだった矢口がユニットを卒業し、高橋愛(17歳)が加入した「第2期」となる
 ※ミニモニ。の2代目リーダーはミカ(19歳 ココナッツ娘。)となる

4月
・保田圭在籍最後のシングルとなる18th『AS FOR ONE DAY』がリリースされオリコン1位を獲得する
 ※これ以降、モーニング娘。のオリコン1位獲得は2006年までとだえる

5月
・前年7月の宣言どおりに初代サブリーダー保田圭(23歳)がモーニング娘。を卒業し、悪化した扁桃炎の治療に専念する
・保田の卒業により、矢口真里(20歳)が2代目サブリーダーに就任する
・安倍なつみ(22歳)が歌手グループ「六文銭」(小室等が結成 1968~72年)のヴォーカルだった四角佳子とのデュエット曲『母と娘のデュエットソング』を発表する

7月
・藤本美貴ら第6期メンバーが参加した15名体制での初のシングルとなる19th『シャボン玉』がリリースされる(オリコン最高2位)
・前年2002年7月の「第1次ハローマゲドン」で予告された矢口真里とハロー!プロジェクト・キッズによるユニット「ZYX(ジックス)」が結成される
・夏恒例のハロプロシャッフルユニット企画が発表されるが、2003年からは3ユニット合同のミニアルバムという形でのリリースとなる
 ※「7AIR」の『壊れない愛がほしいの』、「SALT5」の『GET UP!ラッパー』、「11WATER」の『BE ALL RIGHT!』のオムニバス形式(オリコン最高2位)
・メンバーのエース安倍なつみの翌2004年1月でのモーニング娘。卒業が発表される

8月
・カントリー娘。の楽曲に参加するモーニング娘。メンバーが、石川梨華から紺野あさ美・藤本美貴の2名に交替する
・ZYXの1stシングル『行くZYX!FLY HIGH』がリリースされる
・安倍なつみがソロシングル『22歳の私』をリリースしオリコン最高2位のヒットとなる

9月
・モーニング娘。15名が「モーニング娘。さくら組」8名(安倍・矢口・高橋ら)と「モーニング娘。おとめ組」7名(飯田・石川・藤本ら)の2組に分割して個別のCDリリースやコンサートを上演していく計画が発表される
・「さくら組」の1stシングル『晴れ雨のちスキ』(オリコン最高2位)と「おとめ組」の1st『愛の園 Touch My Heart!』(オリコン最高3位)が同時リリースされる
・モーニング娘。の田中れいなをリーダーとした3人組ハロプロユニット「あぁ!」が結成される
・ハロー!プロジェクトの公式フットサルチーム「Gatas Brilhantes H.P.(ガッタス・ブリリャンチス・ハロー!プロジェクト)」が結成される
 ※当初はモーニング娘。・カントリー娘・メロン記念日・後藤真希・松浦亜弥が選手として参加していた
 ※2003年限定の活動予定だったが、継続されて現在まで公式試合出場を続けている

10月
・あぁ!の1stシングル『FIRST KISS』がリリースされる

11月
・20thシングル『Go Girl 恋のヴィクトリー』がリリースされる(オリコン最高4位)

2004年
1月
・安倍なつみ在籍最後のシングルとなる21st『愛あらば IT'S ALL RIGHT』がリリースされる(オリコン2位)
・エース安倍なつみ(23歳)がモーニング娘。を卒業し、これによって1997年からの結成メンバーはリーダーの飯田圭織(23歳)ただ1人となる
・メンバーの辻希美(17歳)と加護亜依(16歳)の8月でのモーニング娘。同時卒業が発表される

2月
・「さくら組」の2stシングル『さくら満開』(オリコン最高2位)と「おとめ組」の2st『友情 心のブスにはならねぇ!』(オリコン最高5位)が同時リリースされる
 ※以降、「さくら組」と「おとめ組」の新曲はリリースされていない

3月
・辻希美と加護亜依のグループ内ユニット「ダブルユー」が結成される

4月
・ココナッツ娘。のミカ(20歳)のハロプロ卒業により「第2期ミニモニ。」の活動が停止となる
・小学生~18歳の女性を対象としたハロー!プロジェクトの公式タレント研修生制度「ハロプロエッグ」の募集告知が『ハロー!モーニング』で開始される
 ※合格した時点でハロー!プロジェクトのタレントとして扱われていた「ハロー!プロジェクト・キッズ」とは違う本格的な研修制度
 ※「ハロプロキッズ」の正式名称は「ハロー!プロジェクト・キッズ」だが、「ハロプロエッグ」の正式名称は「ハロプロエッグ」

5月
・安倍なつみ卒業後の14名体制での初のシングルとなる22nd『浪漫 MY DEAR BOY』がリリースされる(オリコン最高4位)
・リーダー飯田圭織とエース石川梨華(19歳)の翌2005年でのモーニング娘。卒業が発表される(飯田は1月、石川は5月)
 ※石川梨華の「卒業宣言期間1年」は史上最長

6月
・安倍なつみの卒業後初の音楽活動となる2ndシングル『だって生きてかなくちゃ』がリリースされる(オリコン最高7位)

7月
・辻希美・加護亜依在籍最後のシングルとなる23rd『女子かしまし物語』がリリースされる(オリコン3位)
 ※『女子かしまし物語』はキャンディーズやおニャン子クラブなどの伝統を受け継ぐ「メンバー紹介ソング」

8月
・メンバー辻希美と加護亜依がモーニング娘。を卒業
 ※2人のユニット「ダブルユー」の活動は継続
 ※メンバーだった安倍・辻・加護の卒業により「さくら組」と「おとめ組」の本格的な活動は事実上終了
 ※ただし2009年までは、コンサートで「さくら組」と「おとめ組」に近いメンバー構成を再現してそれぞれの楽曲を歌唱することはあった
・応募者約1万600名の中から選ばれた32名によってハロー!プロジェクトの公式研修生制度「ハロプロエッグ」が発足する
 ※以後、ハロプロエッグは定期的に研修生を募集している
 ※合格した32名のうち、岡田唯(17歳)はその直後にユニット「美勇伝(びゆうでん)」のメンバーとなっているためハロプロエッグ扱いにはなっていない
・アテネ五輪の「なでしこジャパン」を応援するために開催された芸能人対抗フットサルトーナメント「お台場カップ」で、ハロプロのガッタス・ブリリャンチスが総合優勝を飾る
 ※このトーナメントでのフジテレビ女子アナチームからの勝利がガッタス史上初の勝ちゲーム

9月
・モーニング娘。の新エースを募集する「ラッキー7オーディション」の告知が開始される(対象年齢は今までより高めの「翌年中学校卒業見込みの14歳から20歳」)
・石川梨華とハロプロのオーディション合格者2人によるユニット「美勇伝」が結成される

10月
・安倍なつみ、後藤真希(19歳)、松浦亜弥(18歳)による期間限定ユニット「後浦なつみ(のちうらなつみ)」のシングル『恋愛戦隊シツレンジャー』がリリースされる(オリコン最高4位)

11月
・24thシングル『涙が止まらない放課後』がリリースされる(オリコン最高4位)
・ハロー!プロジェクトのアイドル総勢46名(当時)が結集した「H.P.オールスターズ」の結成が発表される
・安倍なつみが1999~2004年に発売された自身の写真集やフォトエッセイ3冊に執筆した詩が、複数の他人の作品からの盗作に当たると指摘され問題となる

12月
・「H.P.オールスターズ」のミニアルバム『ALL FOR ONE & ONE FOR ALL』がリリースされる(オリコン5位)
・安倍なつみが盗作問題の責任をとる形で2004年12月~2005年1月の活動を休止する(後浦なつみの活動も休止)
・NHK『紅白歌合戦』でモーニング娘。と辻・加護のダブルユーが共演するが、後浦なつみの出場は辞退となる(後藤と松浦はデュオとして出場)
 ※後浦なつみは翌2005年4~5月の単独ライヴツアーで復活して活動終了


2003~04年に結成されたハロー!プロジェクトのアイドルグループ

ZYX(ジックス 2003年7月~)6名 ハロー!プロジェクト内ユニット
 11~20歳
 リーダー矢口真里(20歳 モーニング娘。)、清水佐紀(12歳 のちのBerryz工房キャプテン)、矢島舞美(11歳 のちの℃-uteリーダー) ら
 2003年7月に矢口と、ハロー!プロジェクト・キッズ15名の中から選抜された精鋭5名により結成
 激しいダンスとアップテンポなダンスチューン
 結成された2003年内に2枚のシングルをリリースするが、メンバー中2名が翌2004年に結成されたBerryz工房に所属したため目立った活動はなくなる
 2006年1月のコンサート出演をもって第1期ZYXは活動を停止
 現在は2009年7月から始まった2代目リーダー新垣里沙(21歳)による第2期体制「ZYX-α(ジックスアルファ)」となっている
 ※ZYX-αは当初は8人組だったが、メンバーの卒業により2011年6月時点では6人組
 代表曲 2nd『白いTOKYO』(2003年12月 オリコン最高11位)

あぁ!(2003年9月~)3名 ハロー!プロジェクト内ユニット
 リーダー田中れいな(14歳 モーニング娘。)、夏焼雅(なつやき みやび 11歳)、鈴木愛理(9歳)
 ※のちに夏焼は「Berryz工房」、鈴木は「℃-ute」に所属
 ハロプロ史上最年少の「平均年齢11歳」ユニット
 2003年10月に1stシングル『FIRST KISS』をリリースする(オリコン最高18位)
 ※以降、「第1期あぁ!」の新曲シングルは発表されていない
 子どもがアダルトなR&Bを唄う不思議な違和感
 2006年1月のコンサート出演をもって第1期あぁ!は活動を停止
 現在は2009年7月から始まった「第2期あぁ!」となっている
 ※田中とハロプロエッグの佐保明梨(14歳)が交替し、夏焼が2代目リーダーに

W(ダブルユー 2004年3月~07年4月)モーニング娘。のグループ内デュオ
 モーニング娘。第4のグループ内ユニット
 ※モーニング娘。メンバーのみでの純粋なグループ内ユニットとしては2011年6月までの時点では最後のユニット
 リーダー辻希美(17歳)とサブリーダー加護亜依(16歳)
 辻・加護のモーニング娘。卒業宣言後に結成されており、卒業後の活動ユニットとして計画されていた
 まだモーニング娘。に在籍していた5月に1stシングル『恋のバカンス』(ザ・ピーナッツのカヴァー曲)をリリースする
 モーニング娘。卒業直後の8月に2ndシングル『あぁいいな!』をリリースして本格的なデュオ活動を開始
 2人のプリティさを前面に押し出したアイドル路線
 単独コンサートや主演ミュージカルを上演する大人気だったが、ツアー公演はおこなっていない
 2006年2月に加護が不祥事により謹慎処分となったため、予定されていた7thシングルと3rdアルバムが発売中止となりダブルユーとしての活動は停止状態となる
 2007年4月に加護がふたたびの不祥事によりハロプロ解雇となったため、ダブルユーも自動的に消滅
 代表曲 3rd『ロボキッス』(2004年10月 オリコン最高5位)

美勇伝(2004年8月~2008年6月)3人組 ハロー!プロジェクト内ユニット
 17~20歳 石川梨華(19歳 モーニング娘。)、岡田唯(17歳)、三好絵梨香(20歳)
 モーニング娘。の石川と、ハロプロオーディションの合格者だった岡田と三好で結成
 ※期間限定のものをのぞけば、2011年6月時点ではモーニング娘。メンバーが参加した最後のユニット
 石川のモーニング娘。卒業宣言後に結成されており、卒業後の活動ユニットとして計画されていた
 まだモーニング娘。に在籍していた9月に1stシングル『恋のヌケガラ』(この曲のみシャ乱Qはたけのプロデュース)をリリースする
 モーニング娘。卒業直後の2005年5月に3rdシングル『紫陽花(あじさい)アイ愛物語』をリリースして本格的なユニット活動を開始
 つんく♂得意のアダルト歌謡を唄うセクシー路線
 ハロプロアイドルには珍しく水着・バニーガール・ミニスカなど露出度の高い衣装が多かった
 2006年9月に公開された松浦亜弥主演の映画『スケバン刑事 コードネーム麻宮サキ』にも全員メイン格で出演しており、特に石川は堂々たるボンテージ姿であややとタイマンをはっている
 シンガポールと中国で海外コンサートをおこなった
 10枚のシングルと2枚のオリジナルアルバムをリリース
 2008年6月のライヴツアー「美勇伝説5 最終伝説」の終了をもって解散
 石川と三好はソロとして活躍しているが、岡田は2010年6月に芸能界を引退
 現在は2009年7月から始まった新たな3人組による第2期体制「続・美勇伝」が活動している(2010年12月からはデュオ)

Berryz工房(2004年1月~)7名
 10~13歳 清水佐紀(13歳)、嗣永桃子(12歳)、夏焼雅(12歳) ら
 ハロー!プロジェクト・キッズ15名の中から選ばれた8名で結成
 「リーダー」はおらず、それに相当する役割として清水佐紀が「キャプテン」となっている
 2005年10月にメンバー石村舞波(13歳)が卒業し芸能界を引退したのちは7名体制となっている
 低年齢ながら激しいダンスと高い歌唱力を武器とする
 学業を優先させていたため、過去は土日休日や連休中にコンサートを上演することが多かった
 ハロー!プロジェクトには珍しく、結成以来メンバーの追加加入がまったくないグループ
 アメリカ・韓国・タイでコンサートをおこなっている
 2005年ごろからオリコンチャート上位にランクインすることが多くなり、2007年にNHK『紅白歌合戦』への初出場を果たす
 ※オリコンチャート週間ランキング1位を獲得したことはまだない
 2011年6月までの時点で26枚のシングルと8枚のオリジナルアルバム(ミニを含む)をリリースしている実力派
 代表曲 22th『雄叫びボーイWAO!』(2010年3月 オリコン最高3位)


 長いよ……ほんとにすんません。

 これらにかんするつらつら考は次回で~っす。
 この頃のチャーミーさんは完全無欠にかわいいな……「同性に人気がなさそうなかわいさ」って、もしかしたらこういうものなのか。いや、石川さんは嫌われるよしもないんだろうけど。もう今から『篤姫ナンバー1』の公開が待ち遠しいです。

 それまでは、おらしなねえ! おらしなねえど!!
 
コメント
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