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存在と本質について 感想

2023-06-03 16:18:01 | 日記

存在と本質から見る中世の形而上学(本間裕之)https://www.youtube.com/watch?v=wEQCaZb2kVY&t=1151s

ユーチューブで上の動画を見た感想です。直接、動画の内容と一致しないですが、漠然とこうなんだろうなと思っていたことを、少し、まとめてみました。

 存在と本質では、言葉の意味は違うように思う。存在は、あるということ。本質は、物事の核心、その物事がまさにそうだと言える性質だと思う。存在はあるということだが、何があるのかを考えると、そこには本質がからんでくる。存在は一つしかないと考えると、本質と言う言葉の意味も通常使っている意味とは違った感じになるだろう。世界に存在する物や物事は、実は一つしかなくて、世界には区分なんてなく世界そのものが存在するだけで、個物なんてものはない。こう考えると、そこの本質は、世界そのもの区分がないただ存在することになるだろう。

 世界の中には、いろんな物や物事があると考えると、個々のものが存在している。個々の物や物事があると考えると、個々を区分することが必要になる。動物と人は違うとか、人は動物の一種で、猿と人は違うとか、存在する物についての種名や名前が必要になるだろう。そうすると、名前に相応しているものは何か、それが本質になる。

 本質が定まれば、定義されると、そこに物が存在することになる。そう考えると、存在と本質は同じ物であり、物事の表裏、見方の違い、表現の違いのように思う。

 存在と本質が違うと考えると、本質は概念やイデア、形相なのだろうと思う。概念、イデア、形相が先にあって、そこに存在を与える一神教の神がいる。この考え方は、ユダヤ、キリスト教と相性が良いように思う。ただ、イデア論を信じることが出来る人であれば問題ないが、本質は存在と別にあると考えることは難しい。

 唯物論的な考え方に慣れていると、物があって、名前があって、正しく名前を呼ぶことが出来るなら、その物の本質をその人は理解していることになるだろう。物を名前で呼ぶことが出来るということは、物の存在を信じていて、また本質を理解していることになると思う。分ける意味はないように思う。本質があるが、存在がないもの、空想上の物だとか、歴史上の出来事とかこの場合の存在は、実在ではないとも言えるが、出来事は実在のとりようによっては実在であるし、空想上の存在も実在ではないがある意味で存在している。例えばアニメのキャラクターとか、ポケモンとかは現実に見ることもできるが空想ではある。本質があるものは、何らかの意味で存在がある。どんな意味でも存在しないものは、本質もないだろうと思う。

 

 

 

 


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