私の入院歴?暇なのでお付き合いください。
はしかやおたふくかぜも記憶にないぐらいになった。
初の入院は小学校6年生の時に急性腎炎で小学校の卒業式は出れず(小学校中退かな なーんて)
中学校の入学式は行って、その後5月まで出席できず(this is a panは習ってないです、その所為で英語は苦手 うそですが)
その後は何とか普通かな
1985年に右ひざの半月板損傷で入院 当時としては画期的な内視鏡で処置してもらったが出血多量で結構長めに入院していた。
私は柔道をしていたことで整形外科の入院が何度と続いた。その間(1987年3月に)結婚したのだが同じ病院に入ったこともあり、お代わりは?と聞かれると「結婚した」「子どもが生まれた」とかと整形外科だけでも6回ほど入院した。
29歳の時に扁桃腺で熱がかなりの頻度ででるので市民病院にかかって切除をお願いしたがアレルギーがかなりきついのでうちではできないと言われて、整形外科でお世話になっている病院で切除となったのだが麻酔が効きにくいので全身麻酔になるし、癒着が激しくてまたも出血多量で全部取り切らずで中止となった。
その時に同じ日に扁桃腺を切除した10歳若い女性が3日後にはカレーヌードルを食べていた、その頃は私はやっとおもゆ なのにー これは一生忘れないかも
1990年に下の娘が生まれたのだが半年ちょっとで出張に1週間程度行くことがあったのだが帰ってくると顔見て泣くので出張とかはいややなーと思っていたら転勤を言われて、迷わず退職しました。
次の勤め先は小さい電気設計の会社に行くことにした。
その面接のときに風疹に罹っていたのが少し後にわかった。
かなり熱は出るが薬としたはないと聞いたのだが妻から死んだ魚の目と言われし、先生がこんなに悪くなるのなら入院してもらべきだったと後で言う。
肝臓系の数値がかなり高くてほんとにしんどかった。
この会社に入社するときから妻に3年したら独立すると話していて、スキルアップと取引先の確保などをして3年と4か月で独立
やりだした時に家族でオーストラリアに旅行(当時は弟が仕事でオーストラリアに住んでいたので)
しかし、1997年には結核で隔離入院 退院の翌日から仕事していた。
翌年に当時の従業員さんが結核になり、ある会社から出入り禁止となった(今はお取引させてもらっている)
その後は頑張って社屋も立てたのだがさらなる拡張(別のところに土地を購入)をいうときに(2007年6月)心筋梗塞で短い間ですが死んで電撃で生き返りました。(ICUに入ってました)
その頃は既に海上釣堀にはまっていて、電脳爆釣団に入れてもらったっりおうみ楽釣会を立ち上げたりと仕事以外も好調でした。
結核から10年後でした。
それから何度もカテーテル検査後に処置してもらってますが1本の冠動脈は入れるところがないほど詰まっていてこの1本に関してバイパスが出来ないとのこと
っで今回の入院となりました。
今回は前日入院で翌日1番ですので今はひまー
もうすぐシャワーだそうですので いったんはおしまいです。
すいません、しょうむないことにお付き合いいただいて
窓からの風景1
窓からの風景2
釣行記を読んでいたところの入院記事。
あまりの違いにびっくりです。
それにしても、数々の入院歴。
恐れ入ます。
ちなみに私は、中一の時に虫垂炎で数日。
10年くらい前に、親不知の抜歯で3日間。
人生で2回です。
これから先は分かりませんが・・・。
とにかく、しっかりと治療をされて元気な復帰を祈念しております。
お大事に・・・。
多分ですが入院は20回に近いのではと思います。
身体はあまり強くなかったです。
高校入学時は60kなかったです。
それでも卒業時間には80kほどでした。
仕事をしだしたら現役時代の70kになりましたが
今もその頃の仲間とかは付き合っています。
長くなるので、頑張って治してサカナ釣りに復帰しますねー