花の公園・俳句 ing

日本は素晴しい花の国。美しい花々と公園、四季折々の風景を記録したいと思います。我流の俳句は06年3月12日からです。

長寿姫伝説の 後瀬山椿

2010年01月16日 08時59分11秒 | サザンカ・椿 
白の大輪ラッパ咲きの椿、中部後瀬山 (ちゅうぶのちせやま)。
若狭の散歩道 によると、小浜市街の南にそそり立つ山を後瀬山 (のちせやま)
といい、枕草子に 「山はみかさ山・おくら山・のちせ山…」 と並び称される名山だ
そうで、歌にも詠まれています。

      「後瀬山のちも逢はむと思へこそ
            死ぬべきものを今日までも生けれ」 大伴家持 

この後瀬山は別に白椿山とも呼ばれる椿の名所だそうです。    
若狭小浜への気まま旅  に八百比丘尼 (やおびくに、はっぴゃくびくに?) の
不老長寿伝説が紹介されています。要約すると、 
斉明天皇の白雉五年 (654年) 若狭国祖荒礎命の末流、勢村 (現在の小浜市
勢) の高橋長者権田太夫の家に生まれた娘は16才の時、父の高橋長者が
竜宮でのおみやげという 「人魚の肉」 を食べたところ不老長寿となり、幾才
になっても年老いることなく16才頃の若々しさと美貌気品を保ったそうです。
120才の時、髪を剃り比丘尼姿となって諸国行脚の旅に出かけ、後花園天皇
宝徳元年 (1449年) 7月故郷の若狭国に帰り、後瀬山中の神明社の傍らに
庵を建て住居とされ、800才で逝去。
後の人々は、姫を八百比丘尼、または八百姫、長寿の姫と尊称し、姫がこと
のほか椿の花を愛し入定洞入口に椿を植えていかれたので、玉椿の姫とも
申し上げたということです。

ありふれた椿と思いましたが、そんな伝説を秘めていたとは思いも寄りません
でした。
中部後瀬山はこの後瀬山の白椿とよく似ているということなのでしょう。
       (埼玉県川口市 花と緑の振興センター 100104)

                
      
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