花の公園・俳句 ing

日本は素晴しい花の国。美しい花々と公園、四季折々の風景を記録したいと思います。我流の俳句は06年3月12日からです。

シャルドネ種を持ち帰った伯爵

2023年04月30日 10時32分25秒 | ばら     
アプリコットがかかる黄色のカップ咲きのバラ、
コント・ドゥ・シャンパーニュ 
Comte des Champagne (Shrub. English Rose) 。

ハニーやムスクの混じる複雑な中度の香りがあります。
四季咲きです。

別名に • AUSufo  • Coniston 
    • Comtes des Champagne

シャンパーニュ伯ティボー4世 Count Thibaut IV de Champagne (1222~ 1253、兼 ナバラ国王テオバルド1世 Teobaldo I de Navarra として1234~ 1253) はバロン十字軍 (1239-41) の第1陣主力として出陣しました。この十字軍は戦いではなく交渉によってエルサレム王国の領土を最大規模まで回復し、第1回十字軍以来の成功を収めました。

また伯は詩人王と呼ばれるほどの才能に恵まれ、作詩が500以上、作曲が400以上あったとされ、詩は現在でも約60篇ほど残っているそうです。
フランス王妃ブランシュとの恋は有名で、彼女に宛てた詩が多く、仏王ルイ8世が急死した時には伯による暗殺の噂さえ立ったそうです。

テタンジェTaittinger 社HPによると、ティボー4世は十字軍の帰途、当時キリスト教の世界にはまだ知られていなかったダマスクローズと、シャルドネの先祖となるぶどうの新品種という、2つの宝を東洋から持ち帰ったのでした。
そして1952年、シャンパーニュ・テタンジェ社は、代々のシャンパーニュ伯爵、特にティボー4世への敬意を表して、最高級品 「コント・ド・シャンパーニュ・ ブラン・ド・ブラン」 を製造発売しました。


なおナバラ国とはスペイン北東部のフランス国境にあったバスク人の国で、11世紀には強勢を誇ったそうです。1234年に男系が絶え、シャンパーニュ伯ティボー4世が母方の縁で王位を相続しました。その後1515年にアラゴン王フェルナンドの征服により、ピレネー南部はアラゴン (スペイン) 領となりました。

欧州では古くから女子の相続権が認められており、結婚・相続によって王位・爵位や領地が移動することがよくあるようです。日本や中国、イスラムではそういう慣習は無いようですので、それこそ文化の違いは大きいということでしょう。

また、紛らわしいことにティボー4世ブロワ伯 Thibaut IV de Blois (1090/1095? - 1152)という人物がいて、この人はシャルトル伯(在位:1102 –1152)、そしてシャンパーニュ伯 (ティボー2世、在位:1125 – 1152) も兼ねました。シャンパーニュ伯ティボー4世の先祖になるわけです。

作出者 イギリス オースティン 
     David C. H. Austin (1926-2018)  1992年。
販売者 イギリスで David Austin Roses Limited
                   2001年。
   (埼玉県菖蒲町 実野里フェイバリットガーデン
         2009年5月16日、2011年5月28日)
   (神奈川県川崎市 生田緑地バラ苑
               2018年5月14日)

   ◆梅・さくら・ばらなど花品種と 「公園ランキング」 の
    私のホームページはこちら→  「花の公園 花リスト」 
   ◆このブログの検索ウインドウが左上にあります。
    「このブログ内で」を選択し、短い1単語だけで検索して
     ください。 2単語以上だと機能しません。




上3枚は 実野里フェイバリットガーデン 2009年5月16日。

これは 同 2011年5月28日。


これは 生田緑地バラ苑 2018年5月14日。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 魔法の眠り薬!? アスフォ... | トップ | かわいいラグラス、ウサギの... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ばら     」カテゴリの最新記事