つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

ラスト・アドベンチャー。

2022年06月18日 12時58分58秒 | 手すさびにて候。
                     
諸説あるが、歴史上初めて世界一周を達成したのは、
「フェルディナンド・マゼラン艦隊」とされる。

1519年にスペインを旅立ち、大西洋を横断。
南米大陸南端の「マゼラン海峡」を発見して太平洋へ漕ぎ出し、フィリピンに到達。
インド洋を越え、喜望峰を回ってアフリカ大陸沿いを北上。
1522年、スペインへ帰着。
費やした月日は丸3年。
出帆時、5隻だった艦隊(総員237名)は、1隻(生存者18名)になっていた。

そんな命がけで過酷な旅から350余年後、一冊の本が出版された。
「ジュール・ベルヌ」著『八十日間世界一周』。
ある英国貴族が船や鉄道を駆使して躍動する冒険小説は大ヒット。
2人の可憐な挑戦者を生んだ。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第二百三弾「ラスト・アドベンチャー」。



挑戦者の1人は「ネリー・ブライ」25歳。

五大湖の畔、アメリカ北東部・ペンシルバニア州の名士の家に生まれたが、
幼い頃に父を失くし、以降は貧しい生活を余儀なくされた。

20歳の時、新聞への投書がキッカケとなり、記者として働くようになる。
行動的で負けず嫌い、コミュ力、周囲への適応力に優れている彼女は、
貧困や社会問題についての記事を扱った。
そのペンが評判を呼び、キャリアアップ。
多くの読者を抱える「ニューヨーク・ワールド」紙へ移籍。
ちなみに当時の同紙社長は、今や報道の権威である「ピューリッツアー」が務めていた。
そこで彼女は“黒い噂”が絶えない精神病院への潜入取材を行い、非人道的な実態を暴露。
一躍ジャーナリズムのスターとなる。

そして、女傑は驚くべき企画を立案。
「小説の記録を塗り替えましょう!」
「ピューリッツアー」に、そう言って詰め寄った。



もう1人の挑戦者は「エリザベス・ビスランド」28歳。

メキシコ湾を望むアメリカ南部・ルイジアナ州の大農園主の娘として誕生。
祖先は英国貴族へつながる血筋で、容姿端麗。
自他ともに認める深窓の令嬢だったが、
南北戦争によって全財産を失い、赤貧に洗われた。

自活の道を拓いたのは、ペン。
10代にして新聞へ投稿した自作詩が認められ、ニューオーリンズの日刊紙に職を得る。
同僚には「ラフカディオ・ハーン」--- 後の「小泉八雲」がいた。
やがてニューヨークに移り、雑誌『コスモポリタン』の記者に就任。
控えめで知的、文学に造詣が深かった彼女は、
素養を活かした書評やエッセイ、特集記事などを編んでいた。

そして、青天の霹靂。
ライバル社の企画に便乗する決断をした『コスモポリタン』は、
対抗馬として、彼女に白羽の矢を立てたのである。

うら若き女性が、独りで船と鉄道を乗り継いでゆく24,899マイルの旅。
未だ誰も成し遂げていないのだから、安全が担保されている訳ではない。
充分な困難と危険が予測された。
--- だが、2人は互いに背を向けてニューヨークを発つ。
大西洋横断~東廻りルートを選んだのは「ネリー・ブライ」。
アメリカ横断~太平洋横断の西廻りルートは「エリザベス・ビスランド」。
1889年11月14日の事だった。

企画元の新聞社は煽り記事を掲載。
動向を日替わりで逐一伝え、豪華な景品をぶら下げ、どちらが勝つかを予想させた。
大衆にとっては格好のギャンブルになったのである。
レースは概ね「接戦」。
ニューヨーク到着は同日の時間差で決まると見られていて、
カネを賭けている野次馬は大いに盛り上がった。

全米の耳目を集めた世界一周タイムレース。
結局、軍配は「ネリー・ブライ」に挙がる。
記録72日と6時間11分。
「エリザベス・ビズランド」は、それから遅れること4日。
76日19時間30分でニューヨーク港へ下り立った。

勝敗の明暗は分かれたが、両者共に「八十日未満のゴール」。
それは、19世紀末の世界情勢を現していた。
すなわち、科学技術と産業が発展し、
また、欧米の植民地・支配地が世界中に展開。
それらを結ぶ陸海の交通網が整備されたのである。

人々は、最早アラウンド・ザ・ワールドが「冒険や絵空事ではない」と知り、
大旅行時代の幕が開いた。
                         
コメント (2)
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