明日(2022/08/15)は「終戦の日」。
日本では、この日に第二次大戦が終結した印象かもしれないが、
実際の流れは概ね次の通り。
今から77年前の今日(8/14)ポツダム宣言を受諾。
翌日(8/15)米・英・中・ソに対し無条件降伏したことを公表。
月を跨いで(9/2)降伏文書に調印。
国際法上はここで交戦状態が解消した。
--- つまり「終戦の日」は「玉音放送」に起因しているのである。
昭和20年8月15日・正午。
冒頭、日本放送協会のアナウンサーによる通告があり、聴衆に起立を求めた。
続いて、情報局総裁が、天皇の肉声(玉音)による朗読だと説明。
国歌「君が代」の演奏に続き、およそ4分あまり、昭和天皇の朗読が放送された。

上掲画像は、以前「れきしる」にて撮影させてもらった古いラジオ。
正面スピーカー下に、小さく「コンサートーン」のブランド名。
(メーカーはタイガー電機か?)
内部の造りは実にシンプル、大きな真空管が見て取れる。
キャビネットは、おそらくベニヤ板製。
年式不明ながら、物資が不足していた時代のものと推察した。
もう少し、推察にお付き合い願いたい。
終戦を国民に伝える手段としてラジオが選ばれたのは、なぜだろう。
1つは「聴取習慣が根付いていて、影響力が大きかった」
開戦以来、ラジオは戦争を伝え続けてきた。
放送局は国営のみで、統制・扇動は大本営のやりたい放題。
受信機は安価ではなく普及台数は分からないが、
国民は戦況を知りたくて所有者の元に集まりスピーカーの前に陣取った。
実際のリスナー数は、聴取契約者の数以上だと思う。
1つは「準備の簡便さと、スピード」
玉音盤(レコード)の録音なら、短時間で、少人数で、密室で行える。
皇居に外部から人を招き入れる必要もない。
大勢は敗北を受け容れたが、根強い反対意見が燻り不穏な雰囲気。
いらぬ危険を避ける意味もあった。
そして電波に乗ってしまえば、不特定多数へ一斉に伝達できる。
1つは「玉音/生声のインパクト」。
他にも考えられるが、上記3つが主な理由ではないだろうか。

--- さて、幸いと言うべきだろう。
石川県は空襲の被害を免れた。
福井県は、軍港のある敦賀が日本海側としては初の空襲を受け、
福井市も2万戸を超える家屋が焼け、合計2000名近くが亡くなった。
富山県は、富山市が大空襲によって市街地のほぼ100%を焼失。
死者は3000名、負傷者は8000名以上を数えた。
そのナパームの火矢が巻き起こす紅蓮の炎は、津幡町からも望見できたという。
防空壕跡、軍隊駐屯地跡、砲台跡といった戦争遺跡は、わが津幡町にはない。
きっと戦時中は上掲画像のようなラッパスピーカーから、
「空襲警報」が鳴る場面があったと想像するが。
撮影場所は、町中の小高い丘・大西山。
かつて木造の「津幡尋常高等小学校」が建っていた当時、
校舎に隣接して「防空監視哨」が設置されていたという。
監視対象は「B-29」。
双眼鏡や音により敵機来襲を察知したら、連絡電話などで軍管区司令部に情報を伝達。
軍の担当官がどの地域が危ないか判断し警報を発令。
そのメモが放送局に待機するアナウンサーに渡され、電波に乗る。
空襲警報、警戒警報は、当時「情報放送」と呼ばれていた。
命を脅かす危機の動向を伝えるという点では、
現代の災害緊急情報放送の原型ともいえる。
<最後に>
明日「終戦の日」は、今回の続篇らしき投稿を予定している。
不定期イラスト連載「徒花か、魁か」。
よろしかったら覗いてやってくださいませ。