つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

北陸は憂いながらも、生きている。

2024年01月20日 21時02分21秒 | 日記
                            
最大震度7を観測した「令和6年能登半島地震」の発災から20日あまりが経った。
この間、滲む涙を何度拭ったことだろう。
未だ悲しみは深く、落ち着かない日々が続いている。
           
石川県によると、全壊や半壊、一部破損を含む住宅被害棟数は、
2024年1月20日現在で3万1659棟。
自治体別では、七尾市で8342棟、能登町で5000棟、
志賀町で3454棟、金沢市で3034棟など。
これまで集計が追いつかず「多数」となっていた奥能登・輪島市は、
少なくとも870棟が被害を受けたと明らかに。
珠洲市は引き続き「多数」となったまま。
被害の全容は明らかになっておらず、住宅被害の数字は今後大きくなってゆく。



わが津幡町も無縁ではない。
実数は不明ながら、各所で建物の損壊が見受けられる。
また、地盤の液状化によると思われる地盤沈下や隆起も少なくない。



上掲2つの画像は、いづれもご近所で撮影したスナップだが、
隣接の内灘町、かほく市の一部では、より多大な被害が出た。
ビルの1階部分が地中に沈み込んでいたり、アスファルトがめくれ上がっていたり、
まるで町全体が歪んでしまったような箇所がある。
地震による影響は、石川県内だけに留まらず富山県~新潟県と広範囲に及び、
手酷い場所の復旧は時間を要する。
ただ、強調しておきたいのは、北陸が「全滅した訳ではない」ということ。
昨今の報道では、健在地の旅行キャンセルなど風評被害が出ていると聞く。
不安に感じる人心は如何ともしがたいが、僕たちはここで生きているのだ。
                       

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