つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

詩と反逆とボヘミアンラプソディ。

2021年11月14日 19時56分56秒 | 手すさびにて候。
                    
極端な言い方をすれば、生きるために「文字」は不要かもしれない。

今、キーボードを叩いている僕自身も、拙ブログをご覧の皆さんも、
文字を組み立てた「文章」を読み、思考している。
だが、たとえそうした行為が皆無だったとしても営みは可能だ。
意思の疎通を図ったり、感情を表す「言葉」や「ジェスチャー」。
順序や価値、規格を定め、分配の基準となる「数」。
これだけあれば集団生活は成り立つ。
文字は「絶対条件ではない」のだ。

実は、世界で文字化された言語は少数派。
彼女が属した民族も「無文字言語」の長い歴史を紡いできた。

ほんの手すさび 手慰み
不定期イラスト連載 第百八十七弾「詩人・パプーシャ」。



現在の「ポーランド共和国」にあたる地域が分割統治され、
地図上から国名が消えていた1910年頃。
馬車を連ね旅するジプシー(※)のコミュニティで、
年若い女性が、新たな命を産み落とした。
母親が娘に付けた名は「パプーシャ(人形)」という。

少女になった「パプーシャ」は、ある日、幼馴染と出かけた森で、
偶然、泥棒が木のウロに隠した盗品を見つけた。
彼女は指輪やナイフよりも、その「包み紙」に惹きつけられる。
そこには不思議な記号---「文字」が印刷されていた。

文字を持たず、口承を旨とするジプシー社会。
大人たちは、文字を「不浄なもの」と忌み嫌ったが、
しなやかな感性と旺盛な好奇心を持つ少女は、違った。
文字に美しさを見出し、途方もない魅力を感じてしまった。
「パプーシャ」は、町の白人に読み書きを教えて欲しいと頼み込んだ。

時が流れ、名前のように愛らしく成長した15の春。
彼女は、義父の兄から結婚を申し込まれる。
血の繋がりはないとはいえ相手は叔父。
しかも遥かに年上の男からの求婚である。
「パプーシャ」は激しく拒むも、願いは却下。
花嫁は、頬を涙で濡らし、婚礼衣装を破瓜の血汐で染めた。

やがて、彼女は折に触れ、こっそり文字を綴るように。

口伝えされてきた歌や説話、伝説。
民族が連綿と育んできた世界観、自然観、歴史観。
自身が見たもの、聞いたもの、感じたこと。
それらを題材にした「詩」のような手控えは日々の記録であり、
知の欲求を満たす行為であり、心を保つ現実逃避だったのかもしれない。

そして、受難の扉が開く。

周囲と溶け込まず、定住しない。
芸能、占い、季節工などで生計を立てながらの旅暮らし。
浅黒い肌のジプシー達は、それまでもヨーロッパ社会の中で疎まれてきたが、
1939年、ドイツのポーランド侵攻を境に激しい迫害にさらされる。
「人種優生思想」を唱えるナチスは、ジプシーを「劣等人種集団」として、
絶滅収容所へ送り込み、大戦中に、全ヨーロッパに於ける1/4を虐殺したといわれる。

【ああ、わたしのお星さま
 夜明け前のあなたは明るく光る
 ドイツ人の目を見えなくして!
 彼らの前の道を曲げて!
 彼らに正しい道を見せないで!
 彼らに間違った道を示して!
 ユダヤとジプシーの子らが生きていられるように。】

(作:パプーシャ 訳:武井摩利/「血の涙」より抜粋引用)

鉄と火薬の嵐が過ぎ去った数年後、
「パプーシャ」たちのコミュニティに、一人のよそ者がやって来た。
その男--- 作家で詩人の「イェジ・フィツォフスキ」は、
彼女の才能に気付き、彼女の詩集を出版。
大きな注目と称賛を集める。

【あなたが知って、覚えているように、
 ジプシーのゆりかごから育ち、
 すべてについてあなたに書いた、
 ひとりのジプシー娘のことを。】

(作:パプーシャ 訳:武井摩利/「私は貧しいジプシー女」より抜粋引用)

--- しかし、これが仇となった。

“放浪をやめて定住せよ!”
“国家のために働け!”
ソ連の衛星国となった時のポーランド政権は、
ジプシーの自由を奪い、枠に嵌めようとした。
史上初のジプシー詩人は、恰好のプロパガンダ素材。
異文化の懸け橋として、同化政策の成功例として利用した。

裏切り者の烙印を押された「パプーシャ」は、
同胞から批判を浴び、追放され、精神を病み、ペンを折る。
読み書きを覚えたことを後悔しながら、孤独な晩年を過ごしたという。

【いつだって飢えて いつだって貧しく
 旅する道は 悲しみに満ちている
 とがった石ころが はだしの足を刺す
 弾が飛び交い 耳元を銃声がかすめる
 すべてのジプシーよ 私のもとへおいで
 走っておいで 大きな焚火が輝く森へ
 そして私の歌を歌おう
 あらゆる場所から ジプシーが集ってくる
 私の言葉を聞き 私の言葉にこたえるために】

(作:パプーシャ 訳:武井摩利/題不明、映画ストーリー採録より引用)



今回取り上げた女性はポーランドで映画化されている。
日本でも「パプーシャの黒い瞳」として2015年~各地で上映。
モノクロ映像美が際立つ作品とのこと。
ご覧になった方もいるだろうが、僕は未鑑賞である。
投稿にあたり、公開を記念し配給元が発行した詩集
「パプーシャ その詩の世界」を参考にさせてもらった。

(※)gypsy( ジプシー )
   主にヨーロッパで生活している移動型民族を指してきた。
   複数の共同体に別れ、自称はそれぞれあるものの統一の呼称は確立されていない。
   近年は差別的表現ともされるが、本投稿は原典に従った。
                     

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4 コメント

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Zhen様へ。 (りくすけ)
2021-11-16 06:21:53
コメントありがとうございます。

僕もヨーロッパ旅行した時、
ローマの玄関口「テルミニ駅」で、
ロマらしき少年スリ集団に襲われ、
物を盗られそうになりました。
些細な経験談です。

そんなネガティブに感じる彼らの懐に、
しかも情報が少ない70数年前に飛び込み、
パプーシャを見い出した人物、
「イェジ・フィツォフスキ」(ポーランド人)は、
ある意味、変人だったのかもしれません。

思い起こせば、
貴ブログの「Go to West!」で
“ロマもホロコーストの対象となった”
“それは歴史に埋もれている”との件を読み、
ロバ車で廃品回収をする親子の画像を見た事が、
今回の投稿の遠因になっている気がします。

では、また。
返信する
りくすけさんへ (Zhen)
2021-11-15 22:50:28
こんばんは

日本を始め東アジア、東南アジアには、ロマ族の人はほとんどいないので、良い部分(音楽、舞踊などの芸能に優れていること)だけが、見えてしまうのかもしれませんね。

一方、ヨーロッパを旅した人、生活している人からは、ネガティブな面を耳にすることばかりです。

欧州人とは異なる文化、習慣などを持ち、同化を拒んだことも原因なんでしょうね。

ちなみに弊ブログ
Go to West ! 第7回 / シャフリサーブス
Go to West ! 第9回 / サマルカンド
の中で、僅かですが触れています。

では、また。
返信する
玲子H様へ。 (りくすけ)
2021-11-15 10:51:37
コメントありがとうございます。

ジプシー(ロマ)の民の活動域は、
欧州~中東~中央アジアと広範囲のようですね。
以前、ルーマニア人の知り合いが同じように彼らを指して
「衛生的ではない」
「汚れ仕事をしている」
「装飾品を沢山身に着けている」
「音楽は素晴らしい」
と言っていたことを思い出しました。

パプーシャさんは1987年没。
今もポーランドにコミュニティがあるか否かは
存じ上げません。

日本にいると実感に乏しく、
つい悲劇の歴史を下地にして美化しがちですが、
現実は色々あるようですね。

では、また。
返信する
Mrs (玲子H)
2021-11-15 08:23:05
りくすけ様、こんばんは
ポーランドにもジプシーのコミュニティがあるのは知りませんでした。ルーマニアにはお金持ちのジプシーが金銀かざりたてた、すごーい寺院のような家を建てています。それも数軒ではなく。
英国やアイルランドのジプシーは、素晴らしいキャンパーやキャラバンをどこでも空き地に止めて人々のひんしゅくをかっています。彼らには衛生観念がありません。でも一組のすごいミュージシャンには感動します。彼らはルーマニアから来ています。
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