津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回は、以下の2本。
【深まる、秋と思慮。】
10月の声を聞いた途端、めっきり涼しくなった。
汗を拭うハンドタオルが手放せなかった頃は、今は昔。
拙ブログをご覧の皆さま、気温の変化に体調を崩したりせぬようご自愛ください。
津幡町ふるさと歴史館「れきしる」前で撮影した「曼珠沙華」。
夏、地上部を枯らして休眠しているが、
秋、暑さが落ち着いてきたなと思うとまず花を咲かせる。
冬、葉だけになって春を待つ。
葬式花(そうしきばな)、墓花(はかばな)、死人花(しびとばな)、
地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)---。
不吉な別名を持つ花の姿は、妖しくも美しい。
この花を見かけると僕は「山口百恵」さんの歌を思い出す。
涙にならない悲しみのある事を知ったのは ついこの頃
形にならない幸福(しあわせ)が何故かしら重いのも そうこの頃
あなたへの手紙 最後の一行 思いつかない
どこでけじめをつけましょ
窓辺の花が咲いた時 はかなく花が散った時
いいえ あなたに愛された時
マンジューシャカ 恋する女は
マンジューシャカ 罪作り
白い花さえ 真紅(まっか)に染める
(作詞:阿木耀子/作曲:宇崎竜童/「曼珠沙華(マンジュ―シャカ)」’78)
リリース当時、僕は坊主頭の中学1年生。
歌に潜む意味を満足に読み取れなかった。
しかし、恋や愛は好き嫌いで二分できるような単純な感情ではなく、
複雑な理由が絡み合うものだと彼女のアルトボイスが教えてくれた。
そして、その情念を可視化した一つが紅い曼珠沙華なのだと思った。
ご近所のイチョウが色づき、枝には銀杏が鈴生り。
樹の下に身を置くと独特の芳香に包まれ、秋の訪れを実感する。
イチョウも急な季節替わりに慌てていたりしないだろうか。
並木前の道路は交互通行。
工事が始まってもうかれこれ3ヶ月あまりになるだろうか。
歪みは今年元日に発生した能登半島地震に起因すると推測。
町内各所で地盤沈下や隆起、消雪装置の修繕などが見受けられる。
住吉橋傍では災害復旧護岸工事の真っ最中。
水害の怖ろしさは、昨年・7月にわが津幡町を襲った豪雨、
先日の能登豪雨が記憶に新しいところ。
能登北部が記録的な大雨にみまわれたのは9月21日。
2週間が経過し男女14人の死亡が確認された。
輪島市で10人、珠洲市で3人、能登町で1人。
人命損失に加え、人心の疲弊・地域が負うダメージを考えると遣り切れない。
【判明、内弁慶(筋金入り)。】
ハナシはガラリと変わり、極めて私的な話題。
今投稿のちょうど3ヶ月前に紹介した二代目愛犬「うみのすけ」だ。
猛暑をものともせずメキメキと成長し、体重倍増。
健康なのは大変結構なのだが---。
涼しくなってきたので、散歩に連れ出すもやる気ゼロ。
外に出るや否や、地面に寝転んで強行にストライキ。
室内では良く走り回るくせに、外では梃子でも動かない。
一緒に連れ立って歩くことを楽しみにしていたのだが、
願いは叶わないかもしれない。
まあ致し方なし、彼の個性だ。
<津幡短信 vol.124>
銀杏の実が黄色くなってきていますね。うらやましい。イギリスには銀杏の木は街路樹でも植えられていますが実はなりません。もちろん雌雄別の木ですが、それだけではなく寒さのせいかと思います。
イタリアでは街路樹のイチョウの木に沢山の実をつけているのを見ました。あの実が落ちると臭いんですが中の種が美味しいんですよね。
小学校6年生の輪島の洪水の後、学校が流されて山辺のお寺で勉強していました。そのお寺の境内に巨大な銀杏の木があり、ま黄色の葉とあの沢山の実が忘れられません。
貴ブログ記事「1955年の水害」を拝読し、
当時の混乱を想像していると、
子供たちが机を並べる寺社境内の大イチョウは、
さぞ印象的だったことと思います。
今回の災害に関する報道で耳にするのが、
奥能登の河川は細い流れが多く大雨量に弱い。
地理的な要因はあるでしょうが、
昨今の異常気象を見るにつけ、
環境破壊の危険を感じます。
銀杏の実、美味しいですよね。
乾煎りして塩を塗したそれは、秋の味覚です。
では、また。