つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

性と生。~ 蜜のあはれ。

2021年10月03日 06時30分00秒 | 手すさびにて候。
                 
「泉鏡花(いずみ・きょうか)」。
「徳田秋声(とくだ・しゅうせい)」。
「室生犀星(むろお・さいせい)」。

皆、近代文学史に名前を残す作家であり、
皆、同時期、同じ町に生まれたことから“金沢三文豪”と呼ばれている。
今回はその中から「室生犀星」作品を取り上げてみたい。

「室生犀星」--- 本名「室生照道(てるみち)」は、
明治22年(1889年)、石川県・金沢市に生まれた。
父方は、加賀藩の足軽頭を務めた家柄。
母は、その家に仕えていた女中。
彼は私生児だった。

生まれてすぐに「室生家」に養子に出され、
心に暗い影を落とす少年の励みとなったのは、文学だった。
金沢地方裁判所で下働きとして務める傍ら、諸先輩の手ほどきを受け、
俳句や詩に目覚め、新聞や雑誌に投稿するようになり徐々に才能が開花。
20歳で上京を果たし、文筆で身を立てようとするも事はうまく運ばない。
養父の支えを当てにせざるを得ず、仕方なく上京と帰郷を繰り返す。
そんな煩悶の中で生まれたのが、
有名な「小景異情(しょうけいいじょう)」である。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや うらぶれて異土(いど)の乞食(かたい)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて 遠きみやこに かへらばや
遠きみやこに かへらばや

詩、小説、随筆・評論--- 。
多彩な作品群で近代文学を牽引し、多大な影響を残した「室生犀星」。
その最晩年に著したのが、小説「蜜のあはれ」である。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第百八十四弾は「赤井赤子」。



小説「蜜のあはれ」は“地の文”--- 説明や情景描写の類が一切ない。
登場人物たちが交わす言葉のやり取り---“台詞”のみに終始する。
また、起承転結に腐心しておらず、ドラマチックな展開に乏しい。
ヤマやオチのない異色作ゆえに、読後の評価は割れるだろう。
さらに男目線の筆致は、女性読者に敬遠されるかもしれない。
--- まあ、物事は往々にして好き嫌いが分かれるものだ。

ちなみに、僕(りくすけ)は好感を抱いている。
確かに、最初は取っつき難さを覚えたが、
冒頭を何度か繰り返して読むうち脳が慣れ、
会話劇の場面構築ができるようになり、作品の幻想世界を味わった。

登場人物は何人かいるが、メインキャストは2人だけ。

@「赤井赤子(あかい・あかこ)」
 人間に変化(へんげ)する能力を持つ金魚。
 金魚年齢3歳。人間年齢17~20歳。
 ウソ泣きで取り入ったり、
 電車でナンパされたり、
 金品を強請(ねだ)ったりする。
 瞳が大きく面立ちは派手、ゆるふわワガママボディ。
 おそらく「あざとかわいい」美人さん。
 着飾って街に出かけるなどして、自由気儘に生を謳歌している。

@「上山(かみやま)」。
 赤子の飼い主で彼女を溺愛する70歳の老作家。
 TPOをわきまえた常識人ながら、
 一方、自らの欲望に忠実。
 老いてなお心の奥でくすぶる愛欲を、創作の糧にしている。

粗筋も紹介したいと考えないではないが、それは止めておく。
何しろ前述したとおり、要約可能なストーリーがないのだ。
ある時は人間に姿を変え、ある時は金魚の姿で戯れる赤子と老作家。
彼らが繰り広げる不可思議で官能的な会話を楽しむのが賞味方か。
--- 幾つか抜粋してみよう。
時間と都合が許すなら、
ゆっくり2度以上繰り返して読むのをおススメする。

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赤子「あたいね、おじさまのお腹のうえを
   ちょろちょろ泳いでいってあげるし、
   あんよのふとももの上にも乗ってあげてもいいわ、
   お背中からのぼって髪の中にもぐりこんで、顔にも泳いでいって、
   おくちのところにしばらくとまっていてもいいのよ、
   そしたらおじさま、キスが出来るじゃないの、
   あたい、大きい眼を一杯にひらいて唇をうんとひらくわ、
   あたいの唇は大きいし、のめのめがあるし、ちからもあるわよ。」
上山「しまいに過(あやま)ってきみを呑みこんでしまったらどうなる、
   それが一大事件だ。」
赤子「そしたらお腹の中をひとまわりして、
   また上唇のうえにもどって出てくるわよ、
   金魚ですもの、ねばり気のあるところでは、
   あたいのからだはどんなに小さくも伸び縮みすることが出来るし、
   早く泳ぐこともできるのよ。
   どう、お腹のうえを泳いであげたら、
   おじさまはくすぐったくなり嬉しくなるでしょう。」
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赤子「金魚は生涯可愛がられることしか、皆さんから貰ってないもの、
   金魚を見て怒る人もまた憎む人もいないわ、
   金魚は愛されているだけなのよ、
   おじさまも、それだけは頭に入れて置いて
   あたいをいじめたり、怒らせたりしちゃだめよ。」
上山「判った、きみはえらい金魚だ、
   娼婦であるが心理学者でもある金魚だ。」
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赤子「あたい、せいぜい美しい眼をして見せ、
   おじさまをとろりとさせてあげるわ。」
上山「きみは人間に化けられないか。」
赤子「毎日化けているじゃないの、これより化けようがないじゃないの。」
上山「もっと美しい女になって、見せてほしいんだ。」
赤子「おじさまはどうして、そんなに年じゅう女おんなって、
   女がお好きなの。」
上山「女のきらいな男なんてものは、世界に一人もいはしないよ、
   女がきらいだという男に会ったことがない。」
赤子「だっておじさまのような、お年になっても、
   まだ、そんなに女が好きだなんていうのは、
   少し異常じゃないかしら。」
上山「人間は七十になっても、生きているあいだ、
   性欲も、感覚も豊富にあるもんなんだよ、
   それを正直に言い現わすか、
   匿(かく)しているかの違いがあるだけだ、」
           <中略>
  「おじさんもね、七十くらいのジジイを少年の時分に見ていて、
   あんな奴、もう半分くたばってやがると、
   蹴飛ばしてやりたいような気になって見ていたがね、
   それがさ、七十になってみると人間のみずみずしさに至っては、
   まるで驚いて自分を見直すくらいになっているんだ。」

(※原典には「 」前の名前は入っていない。
  抜粋引用の為、読みやすさを考慮して付加)
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「上山」は「室生犀星」自身を投影していると言われる。
文豪の創作モチベーションの1つは「性」。
そして、性は「生」につながるのかもしれない。

僕は、まだ五十路を歩んでいる。
そろそろ終盤に差し掛かってはいるが。
もし七十に足を踏み入れるまで生きられたとしたら、
「上山」(=犀星)のような瑞々しさを保っているのだろうか。
                 

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