この投稿の少し以前(2024/07/07)の事になるが、
わが津幡町で、新関脇「大の里」の祝賀パレードが行われた。
大の里は今年5月の夏場所で幕下付け出しとしては歴代最速となる所要7場所で初優勝。
津幡町発表によれば、沿道には2万人以上が詰めかけたという。
僕も観衆の1人となった。
パレードは、当日午後4時半ごろスタート。
コースは、津幡町文化会館シグナスと町役場を結ぶ1キロ未満。
オープンカーには、主役と「二所ノ関親方」が乗り込み、
激励と応援の声、拍手に手を振り応えていた。
ここは少年時代の彼が何度も行き来した道。
きっと懐かしい顔も少なくなかったはず。
感慨を抱いたであろうことは想像に難くない。
喜びに包まれたひと時から10日余り、新関脇は苦しんでいる。
4日目を終え1勝3敗と、落胆の色(黒星先行)は明らかだ。
僕は専門家ではないが--- 腰高で動きがちぐはぐな印象。
身体の末端まで力が伝わり切らず、持ち前の馬力を活かせていないように見える。
試練の只中、暗中模索を越えた先に待つ光を掴んで欲しい。
--- さて、名古屋場所の会場となっている「愛知県体育館」は、今開催がラスト。
昭和39年(1964年)10月に開館したそこでの最初の優勝力士は横綱「大鵬」。
地元・愛知県蒲郡市出身の横綱「玉の海」の最後の優勝。
「千代の富士」と「北勝海」、同部屋横綱同士の相星優勝決定戦など、
数々の激闘が繰り広げられてきた。
上述の九重部屋全盛期、大学生の僕は名古屋の盛り場・錦三丁目でアルバイトをしていた。
当時はバブルが頂点を極める直前。
クラブ、ラウンジ、スナック、料亭などがひしめく歓楽街には、
訳の分からない金(マネー)が溢れ、連日押すな押すなのお祭り騒ぎ。
そこの夏の風物詩は、お相撲さんである。
名古屋場所開幕の少し前から、びんつけ油の匂いを纏う着流し姿の巨漢たちが、
チャリチャリと雪駄の音を立てながら闊歩した。
バイト先でも関取衆が豪遊。
勿論、彼らは財布は持たず『ごっちゃんです』の一言がお代替わり。
6桁の数字が並ぶ請求書はタニマチが引き取った。
ある日の夕方、店で掃除をしているとブラウン管に本場所の取り組みが映る。
赤房下で懸賞の束を鷲掴みしているのは、
10時間前にヘネシー3本を呑み干して帰った力士。
愛知県体育館内は、大歓声が木霊していた。
『こりゃあ、今夜も来るかもな』
カウンターの中でグラスを磨いていたバーテンが、
ため息交じりにそう呟き、酒屋に追加注文を入れた。
『あそこも随分と様変わりしているだろうな』
大の里の後ろ姿を見送りながら、僕は40年前の錦三(きんさん)を思い出していた。
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