祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を現す
おごれる人も久からず ただ春の夜の夢の如し
猛き者も遂には滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ
天竺の寺院の鐘の音色は 万物流転の節回しだ
朝に咲き夕べに散る沙羅の花は 非情の定めよ
どれほど栄えようと 所詮は短い春のまどろみ
いつか終わる隆盛は 風に舞う塵のように儚い
思へばこの世は常の住み家に非ず
草葉に置く白露 水に宿る月より尚怪し
金谷に花を詠じ 榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲に隠れり
人間五十年 化天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり
一度生を享け 滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ
現世はまったく無常なものだ
例えるなら草の滴や 水面に映る月より空しい
かつて栄華を極めた王朝も 風の彼方に立ち消え
南楼で月を愛でていた友も いなくなってしまった
人間界の50年など天上の時に比べれば 夢幻も同然
生れ出て滅びを免れるものなどあるはずもないのが道理
それは世の常と知りながら 時折無念に思えてしまうのだ
(※黒太字:原典/赤太字:りくすけ現代意訳)
冒頭は名文と言っていい。
また「織田信長」が好んだとされる「敦盛(あつもり)」の一節は有名だ。
『平家物語』に描かれているのは、歴史が織り成す人間模様。
保元の乱・平治の乱の勝者「平氏」と、敗者「源氏」の明暗。
治承の乱・寿永の乱で主客転倒する有様。
没落の道を辿る貴族階級。
台頭する新興勢力、武士。
それら栄枯盛衰の故事来歴を広めたのは、日本のトルバトールだった。
ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第百九十一弾は「女琵琶法師」。
琵琶法師の種類は大きく2つに分類される。
楽器演奏のみの「器楽」。
琵琶を伴奏に経文や語りを交えた「声楽」。
平安・鎌倉時代に成立したとされる後者は、
諸国を巡り、辻々で『平家物語』を吟じた。
その多くは盲目の遊行僧「座頭」だが、
「瞽女(ごぜ)」と呼ばれた盲目の女旅芸人もいた。
各地を旅しながら語り物や歌い物を披露する様子は絵巻物に描かれ、
江戸時代まではほぼ全国的に活躍。
農閑期の娯楽として歓迎された一方、
現代の倫理観からすれば「暗部」も内包している。
彼女たちは「芸能に従事する遊女」でもあった。
反面、来訪すると縁起が良いとされたともいう。
身分制度が厳しく、定住を基本とする農村などの共同体では、
自由に行動する旅芸人は、異端。
人々は、稀人に生業・産育・治病などの吉兆を見た。
「瞽女さん」は畏敬と侮蔑がない交ぜとなった存在、
清濁併せ持つ不思議な存在だったのではないだろうか。
いずれ今は昔である。
平家物語より「祇園精舎」 / 筑前琵琶 川村旭芳
りくすけさんのブログ、特に「不定期イラスト連載」は、新しい知識を吹き込む良いきっかけになり、興味深く拝読しています。
「瞽女(ごぜ)」のことも、何となく聞いたことがあるといった程度の知識しかありませんでしたが、ネット検索して、表面的薄っぺらながらも知識を自身に吹き込みました。
次回作、楽しみにしています。
では、また。
毎度お伝えし変わり映え有りませんが、
拙ブログをキッカケに
新たな発見・思考が生まれたなら
大変嬉しく思います。
今後もどうぞよしなに。
さて今投稿を書くにあたり新潟上越高田に
「瞽女ミュージアム」がある事を知りました。
幸い津幡町からは程々の距離。
雪とオミクロン、仕事の状況を睨みつつ
近々訪問したいと目論んでおります。
では、また。