きのう(2023/01/29)日曜日は、とあるイベントの運営で仕事に出かけた。
出発時刻は午前7時半。
それまでに家事諸々を済ませようと、起床したのは夜明け前の午前4時。
天気予報を見ると、弱い雪が一日中降る見込みとのこと。
それは、今どきの日常であり珍しいことではない。
「異変」に気が付いたのは、出勤の身支度を整え始めた頃。
--- 「明るい」のだ。
外に出て、僕は驚いてしまった。
何と空は青一色。
光が世界を包んでいた。
一面に垂れこめる鉛色の雲を見慣れた目には、やけに眩しく鮮やかに映り、
まるで世界に「希望」が溢れているかのような錯覚に囚われた。
闇を駆逐する朝日は常に美しいものだが、
昼尚暗い真冬の北陸のそれは、神々しくすら感じる。
『なるほど太陽を拝みたくなるのも無理はないな』
と、妙に納得してしまったのである。
古代、人は人智を超えた自然・自然現象に対し、尊敬や畏怖を抱いてきた。
特に、農耕を営むようになって以降、
五穀の成長を左右し、豊穣をもたらす「太陽」は重要な存在。
日本、ギリシャ、ペルシャ、ケルト、メソポタミア、エジプト等々---。
「太陽神」が登場する神話を持つ国・地域は少なくなく、洋の東西を問わない。
さて、今回を含め最近の投稿を見返してみると、雪景色ばかり。
まあ冬なのだから致し方ないが、タマには違うものをと考え、
イベント会場に飾られていた色紙を撮影。
故「田中角栄」氏の筆による日中国交正常化を記念した一枚。
「一九七ニ年 九月二十六日 北京にて」。
戦後、日本は1949年に成立していた「中華人民共和国」を、
アメリカに追随して承認せず、台湾の「中華民国」を正当な政権としていた。
朝鮮戦争の勃発を受け、アメリカは日本を西側陣営に組み込むため、
サンフランシスコ講和会議を召集。
同時に「日米安全保障条約」を。
翌年、台湾政府との間で「日華平和条約」を締結。
1950年代から政経分離の原則により大陸との民間貿易が始まるも、
東西冷戦下に於いて、政治的に国交のない状態が長く放置された。
歴史が動いたのは1972年9月25日。
時の総理大臣「田中角栄」が「大平正芳」外務大臣らと共に訪中。
「中華人民共和国」の「周恩来」国務院総理、
「姫鵬飛」外交部長らと国交正常化に関する協議を行った。
そして、数度に渡る首脳間の会談を経て「日中共同声明」が署名された。
前掲、当事者が書いた色紙によれば、
その時、秋の気配が深まる北京の空は晴れ渡っていた。
--- 今からほゞ半世紀前の出来事である。
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