『 一点の 偽りもなく 青田あり 』
作者「山口 誓子(やまぐち・せいし)」は、京都出身の俳人。
季語は「青田」。
イネの葉先が風に揺れ、見渡す限り広がる青々とした水田。
その草原のような美しさに感動して詠んだ歌だという。
今朝、散歩中に青田を眺めていると、稲の花が咲いていることに気付く。
籾の中から出ているのが雄しべ。
雌しべは籾の中にあり、外からは見えない。
咲いている時間はわずか1時間ほど。
この短時間に受粉を終える。
雌しべに付いた花粉は、すぐに花粉管を伸ばし受精を行い、
終わるとすぐに閉じてしまう。
だから稲の花に出会えたのは、ある意味ラッキーだったかもしれない。
--- さて、根元の水が見えないほど葉を伸ばした稲田を、
「緑田」ではなく「青田」とするのは、奇妙な気もする。
歩を進めるうち、他の似た好例を見かけた。
熟す前のまだ固い柿の実は「緑柿」ではなく「青柿」。
夏の季語でもある。
色の名前は単体でも使い、「~い」で終わる形容詞としても使う。
考えてみると、それに相応しい色は「4つ」しかない。
即ち「赤」「青」「黒」「白」。
「赤い帯」「青い帯」「黒い帯」「白い帯」とは言うが、
「緑い帯」「黄い帯」とは言わない。
対になる表現、重複する表現(副詞)に当て嵌まるのも「4大色」。
紅白、白黒、赤々と、青々と、白々(しらじら)と、黒々と--- 。
こうした特別性から、古い日本語における色の表現は、
「4大色に限られていたのではないか」と推測されるそうだ。
平安期以前、和歌においては「あを」が青いものにも、緑のものにも用いられている。
つまり「青は緑を含む広範囲をカバーしていた」のだ。
ちなみに紫色や灰色も「あを」の一部だったという。
その長い歴史的な背景から、僕らの生活の中にも混用は少なくない。
進めを示す緑の信号は「青信号」。
緑色の葉のことを「青葉」。
緑色の野菜を「青菜」。
緑色の虫は「青虫」。
正しいか間違っているかと問われれば、間違いだ。
しかし、日本人の歴史的な色彩感覚の名残と考えれば愛しい。
鷹揚さも心地いいと感じるのは、僕が古い人間だからだろうか。
--- などと思いを巡らせて振り返った空は、
青々として実に美しかった。