★結局、安倍・菅政権は公務員と政策で渡り合うことができず、情実的人事権の行使と偏った政治主導で霞が関全体をゆがめたのだろう。安倍政権の時には経産省の役人が官邸を取り巻き、官邸官僚という言葉まで生まれた。それまで霞が関全体で幅を利かせていた財務省が経産省の後塵(こうじん)を拝することになるという霞が関の珍事は既に常識になった。一方、同政権下では官房長官・菅義偉の情報網が政権維持に功を奏す。今度は官邸ポリスという情報をコントロールして政権を維持する手法が用いられていると小説という形での暴露があった。今もそれが続いているのだろう。
★98年、ノーパンしゃぶしゃぶ事件といわれた大蔵省接待汚職事件は公務員の矜持(きょうじ)が問われた。銀行からの接待に鼻の下を伸ばした大蔵高級官僚は大いに接待されたが当時、この店のコースは1万9980円。銀行の担当者は領収書が切れればといくらでも接待した。結果、官僚7人(大蔵省4人、大蔵省出身の証券取引等監視委員会の委員1人、日銀1人、大蔵省OBの公団理事)の逮捕・起訴に発展。起訴された官僚7人は、執行猶予付きの有罪判決が確定した。この責任を取り当時の大蔵相・三塚博と日銀総裁・松下康雄が引責辞任した。また大蔵省は財金分離が進み財務省と金融庁が生まれ解体された。
★憲法15条第2項の「すべて公務員は全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない」は当然ながら、国家公務員法96条では「すべて職員は、国民全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務しなければならない」とされている。またこの事件をきっかけに2000年に生まれた政令「国家公務員倫理規程」の2条では、国家公務員が職務上で関わる8つの事業者・個人を「利害関係者」と厳密に位置づけ、当時はコーヒー1杯飲むのにも官僚は律したが、20年たつと、特定の議員や親族のためにだけ勤務する公務員が増えたということになろうか。これだけの規定があるにもかかわらず、守れない官僚に同情する必要があるだろうか。情けない。(K)※敬称略
菅首相が山田内閣広報官を処分しない理由に「女性」を強調! 女性問題を悪用し「飲み会を断らない」不正官僚を守る態度こそ性差別だ
首相官邸HPより
こんな処遇で許されていいのか──。昨日24日、総務省の高級官僚たちが菅義偉首相の長男である菅正剛氏ら東北新社の幹部と違法会食を繰り返していた問題で、政府は谷脇康彦・総務審議官ら11人を減給や戒告の懲戒処分とすると発表。しかし、その一方で、一晩で7万円を超える接待を受けていた山田真貴子・内閣広報官は「厳重注意」となり、給与の10分の2の3カ月分を自主返納するだけで「続投」させるというのだ。山田内閣広報官の月額は117万5000円だというから、返納額は70万5000円となる。
山田氏が接待を受けたのは総務省の総務審議官時代だが、現在は特別職の国家公務員であるために処分の対象外となったというが、そんな馬鹿な話があるか。
ご存知のとおり、山田内閣広報官は総理大臣会見でも司会進行役として現場を取り仕切っているだけでなく、菅首相の右腕として重要政策の広報を担う人物であり、何より国民からの信頼が担保されなければならない要職に就いている。にもかかわらず、今回、山田氏は当初「菅総理の長男と会食した明確な記憶はない」と否定しておきながら、追い詰められてようやく「接待を受けた」と認めた。つまり、国民の信頼を真正面から裏切ってみせたのだ。
しかも、多くの国民が「7万円もの接待を受けておいて忘れることなんてあるのか」とツッコミを入れる事態となったが、当の山田氏自身は総務省の調査の際、〈7万円超という金額について、それほど高額ではなかったはず、などと不満を示した〉(朝日新聞24日付)という。
違法接待を受けておいてこんな態度をとること自体が信じられないが、こうした国民を裏切ったことに無反省な態度は、本日25日おこなわれた衆院予算委員会での参考人招致でもあらわになった。
参考人として山田内閣広報官が招致されたことを受け、「衆議院インターネット審議中継」はアクセスが集中し配信が一時ストップするなど注目度の高さをうかがわせたが、そこで山田内閣広報官は絶句するような答弁を繰り返した。
たとえば、立憲民主党の今井雅人衆院議員が“会食時に同席していた正剛氏が菅首相の長男だと認識していたのか”といった質問を投げかけたが、山田内閣広報官は「認識していたのかな、とは思う。(会食の席は)横並びだったと思うので、お話しもしておりません。どういう方がいたかについて、にわかにちょっと思い出せなかった」などと答弁。これには今井議員も「そこに首相の息子がいたかどうかわからないなんてことがあるのか」と疑義を呈したが、山田内閣広報官はこう言い返したのだ。
「私自身、仕事、プライベートでも、お会いする方がどういった方のご子息であるかとかは、あまりお付き合いに関係がないと思っている」
「(菅氏の長男の同席は)私にとって大きな事実だったかというと、必ずしもそうではないのではないかと思う」