なぜロシアはウクライナ侵攻という暴挙に出たのか? その背景をめぐる基礎知識をまとめた。
▼ウクライナ ロシアと欧州の間に位置し、ソ連崩壊に伴い1991年に独立した。共和制。面積は約60万3700平方キロで、日本の約1・6倍。人口は約4300万人。民族はウクライナ人が約8割、ほかにロシア人、ベラルーシ人、モルドバ人など。公用語はウクライナ語で、ロシア語も東部や南部を中心に広く話される。通貨はフリヴニャ(UAH)。「欧州の穀倉」「欧州のパンかご」と呼ばれる農業大国で、国土の約7割が農地。主な輸出品は小麦やトウモロコシなどの穀物、鉄鋼・鉄製品など。IT産業も発達している。
▼歴史 ウクライナもロシアもかつてはソ連の15共和国の1つだったが、さらに歴史をさかのぼると、より密接な関係がうかがえる。ウクライナ、ロシア、親ロ派のベラルーシは、9~13世紀にこの地域にあったキエフ大公国(キエフ・ルーシ)が起源。「ロシア」も「ルーシ」からきている。ロシアのプーチン大統領は昨夏、「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性」という論文を発表し、両国は1つの民族と述べるなど、同じルーツを持つ“兄弟国”との主張を続けている。
▼NATOの東方拡大 冷戦時代にソ連に対抗するためにつくられた西側の軍事同盟、北大西洋条約機構(NATO)は、ソ連崩壊前は加盟国が16だったが、ソ連崩壊後、東欧など旧東側の各国が次々に加盟し、現在は30カ国にまで拡大している。ロシア(特にモスクワ)から見れば、ウクライナやベラルーシは地理的に、NATOや欧州連合(EU)との緩衝地帯であり、プーチン氏はNATOの東方拡大にいらだち、強く警戒。ウクライナのNATO入りは絶対に容認できない一線(レッドライン)と考えている。今回の侵攻でもウクライナに対し、非武装化やNATO加盟断念を意味する中立化などを強硬に求めている。
▼クリミア併合と東部の内戦 独立後のウクライナは、親欧米派と親ロ派による対立が続いた。大混乱となった04年大統領選では親欧米派によるオレンジ革命が起き、親欧米派のユシチェンコ氏が当選。10年の大統領選では親ロ派のヤヌコーヴィチ氏が当選し、EUとの政治・貿易協定を見送ると大規模な反政府運動が起き、14年にヤヌコーヴィチ政権が崩壊した。プーチン氏はすぐに、戦略的に重要な要衝であるウクライナ南部のクリミア半島に軍を派遣し一方的に併合、実効支配した。
ほぼ同時期に、ロシア系市民が多い東部のドンバス地域では、ロシアを後ろ盾にした親ロ派の分離主義勢力が抗議行動を起こし、「ドネツク人民共和国」、「ルガンスク人民共和国」を自称して独立を宣言し、内戦が始まった。14~15年に「ミンスク合意」という停戦協定がまとまったが戦闘は断続的に続き、これまで1万数千人の死者を出している。ミンスク合意には、東部の親ロ派勢力に幅広い自治権を認める内容がある。ロシアには、これがウクライナのNATO入りの妨害になるとの狙いもあったとの見方もあり、履行を求めた。ウクライナは、武力を背景にした不平等な内容などとし、履行を受け入れ難かった。
▼ゼレンスキー大統領 19年大統領選で政治経験のないコメディアンのゼレンスキー氏が、NATO加盟、東部の内戦終結や汚職の根絶などを掲げて当選したが、支持率は低下していった。そうした中、米国では21年1月にバイデン大統領が就任。ゼレンスキー氏は、NATOやEUへの加盟に向けて動きつつ、10月には東部の親ロ派勢力への攻撃にドローンを使用した。
ロシアは昨年の春と10~11月ごろ以降、ウクライナ国境付近に軍を増強。12月には、米国とNATOに、ウクライナなどへのNATO不拡大の確約などを求めたが、米国などは拒否。プーチン氏は2月21日、親ロ派の2つの「共和国」の独立を承認、軍の派遣を命じた。ウクライナ侵攻を始めた24日の演説では、米国などを「うその帝国」と呼び、「NATOがウクライナに拡大することは、受け入れ難い」「隣の歴史的領土に、反ロシアがつくられようとしている」「我々にとって、民族としての歴史的未来に関わる問題」「我々はウクライナの非軍事化と非ナチ化を目指す」「(侵攻は)ウクライナを人質にし、我々に対し利用しようとする者から、ロシアを守るためだ」などと持論を展開し、侵攻を正当化しようとした。
「政権交代のため共産党を含めた野党共闘が必要だ」
「毎日」政治プレミア 志位委員長語る
日本共産党の志位和夫委員長はインターネット版「毎日新聞」7日付の「政治プレミア」に登場し、政権交代のためには共産党を含めた野党共闘が必要だと主張し、野党共闘をめぐる論点について語りました。
志位氏は「岸田政権の本質からいって政権交代はどうしても必要だ」と述べ、夏の参院選で「自公政権に厳しい審判を下し、政権交代の足がかりにする結果を出さなければならない。そのためには野党共闘が必要だ」と強調しました。
志位氏は、昨年の衆院選での野党共闘について、野党共闘で候補を一本化した小選挙区のうち59選挙区で勝利し、そのうち56選挙区では小選挙区の野党候補の得票が野党5党の比例票の合計を上回ったと指摘。「4党の結束で4党の力以上に票が出た。この事実が野党共闘の効果を物語っている。野党共闘をしたから票が逃げたという見方はあたらない」と主張しました。
連合を一色と見てはいない
志位氏は、連合の芳野友子会長の「共産党との共闘はできない」との発言について、根拠のない非難は看過できないとしつつ、「連合を一色とは見ていない。連合の流れのなかには私たちと協力関係にある方々もいるし、協力している地域もある」と述べました。
国民民主党が2022年度予算案に賛成したことについて志位氏は「(本予算は)自公政権のありとあらゆることがパッケージで詰まっている。賛成は政府・与党に白紙委任状を与えたことになる」と批判。「国民民主党との共闘の条件はなくなった」と語りました。
志位氏は、衆院選で立憲民主党と合意した「限定的閣外からの協力」について、「現状では、お互いに一番これが合理的な方法ということで到達した結論」としたうえで、「『限定的』とは市民連合と野党4党で結んだ20項目の共通政策で協力するという意味だ」と説明。「20項目には現在の政治を根幹から変える重要な政策が多く入っている。そうした内容の実現のために協力するというとても合理的な内容だ」と強調しました。
資本主義内で民主的な改革
志位氏は綱領に書かれている「民主連合政府」について、「日本の民主主義的改革をすすめるために追求している政権は民主連合政府だ」と指摘。その改革の中心を、国民多数の合意で日米安保条約を解消し、日米友好条約を結び、対等・平等・友好の日米関係をつくること、大企業の民主的規制によって国民の暮らしと権利を守る「ルールある経済社会」にしていくこと、憲法に基づいて自由と民主主義、人権を充実、開花させること―として「資本主義の枠内の民主的な改革だ」と述べました。
天皇の制度について「民主連合政府としては、天皇条項も含めて、日本国憲法のすべての条項を厳格に守る。天皇は『国政に関する権能を有しない』とした憲法4条を厳格に守り、天皇の政治利用を許さない」と語りました。
志位氏は、野党共闘は安保法制の廃止など緊急の課題の実現をめざすもので、「民主連合政府の実現は、それとは段階の違うものとして追求する」と強調しました。