東京都心のオアシスである都立日比谷公園(千代田区)の再整備に伴い、園内に並ぶ約200基の「思い出ベンチ」の撤去が始まった。「ここで愛を育み…」「青年期の思い出が一杯です」―。背もたれ部分のプレートには、約20年前に都への寄付に応じた人たちの思い思いのメッセージが刻まれている。管理事務所は撤去はバリアフリー計画の一環とし、理解を求めている。(奥村圭吾)
◆開園100年記念事業で募った約200基
ようやく秋らしくなってきた9月下旬、園内の大噴水周辺や緑道のわきに点在するベンチでは、親子連れやサラリーマンらが静かなひとときを過ごしていた。
「小学一年生の遠足が日比谷公園でした。あれから七十数年、何十回来たことでしょう」。背もたれに付けられた真ちゅう製のプレート(幅15センチ、高さ5.5センチ)には、愛する人との思い出や、公園への感謝の気持ちが実名で彫られている。
「あなたとのお散歩が忘れられない。かわいく賢いムパタ、10年間の想い出をありがとう」。亡き愛犬への言葉のほか、園内の市政会館に本社があった時事通信社などの企業から寄せられたメッセージもある。
思い出ベンチは、都が開園100年記念事業として2003~08年、装飾の有無で1基15万円か20万円の寄付とプレートのメッセージを募った。園内には老朽化で撤去された1基を除き202基あり、今月25日から第2花壇周辺の55基の撤去工事が始まった。再生整備事業を終える33年までに全て撤去される。
管理する都東部公園緑地事務所は8月から、撤去したベンチのプレートを寄付者に返却するため、郵送や電話で連絡を取っている。寄付者からは「再設置できないのか」「ベンチごともらえないか」などと惜しむ声が上がったという。
一方、当初設定した7年の耐用年数を過ぎた場合は撤去も想定して募集された経緯もあり、「思ったよりも長く残ってよかった」という声もあった。
◆公園整備のあり方、考えるきっかけに
日比谷公園で計10年勤め、管理所長だった高橋裕一さん(74)は「銀座にデートに訪れたカップルや昼休憩のサラリーマン、写真愛好家らに広く親しまれてきた。ベンチには公園を愛した人たちの熱い思いがぎっしり詰まっており、このまま撤去されてしまうのは忍びない」と残念がる。
再生整備を巡っては、園内の歴史的な施設の存廃や樹木の移植などの課題もあり、「景観などが様変わりしてしまわないか」と不安を抱く利用者もいる。
高橋さんは「今のままの日比谷公園が好きな人も多く、大規模な再整備は都民や利用者が望んでいるものなのか」と問いかけ、言った。「ベンチのことが公園整備のあり方をみんなで考え直すきっかけになれば」
日比谷公園と再生整備計画 1903(明治36)年、陸軍の練兵場跡地に日本初の洋風近代式公園として開園。設計は林学博士の本多静六。16万平方メートルの敷地内に日比谷公会堂や大音楽堂(野音)のほか、花壇やテニスコートなどがある。都は2021年7月に「都立日比谷公園再生整備計画」を策定。開園130周年となる33年を完成目標に段階的に各エリアを整備する。23年9月に着工した第2花壇周辺は、現状の段差や柵を取り払い、誰でも自由に入れる芝庭広場にする。24年3月以降は大噴水と小音楽堂の工事や、老朽化した大音楽堂の解体なども予定している。
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