利下げは「敗北」である
一九九二年のある夜、日銀の金融政策を担当する幹部に「利下げはしないのですか」と問いかけました。その幹部は「うん」と言ったまま下を向いてしまいました。「平気でとぼける官僚と違って正直だな」と思いました。
当時、バブル崩壊後の金融引き締めが効き過ぎて景気は落ち込んでいました。日銀への圧力は強まり金融緩和は必至の情勢。幹部は表向き否定したものの完全には隠しきれなかったのです。実際、利下げは翌日実施されました。
日銀内には「利下げは敗北」とする空気が漂っていました。日銀に限らず中央銀行の最大の仕事は物価の安定です。インフレを誘発しかねない金融緩和を本能的に嫌がります。だから政治家や経済界の要求に屈した形での利下げを「負け」と感じるのです。
あの時期の空気感に照らせば今の日銀は負けっぱなしです。二〇一三年以来、大規模な金融緩和を続けているからです。
マイナス金利導入、銀行経由での国債引き受け、上場投資信託購入を通じた株価てこ入れ。日銀はあらゆる手段でお金が流れる仕組みを整えました。蛇口を開きっぱなしにしたのです。
ここまでするのは「敵」がインフレからデフレに変わったからです。インフレと向き合う中央銀行の姿は消えたのです。
だが日銀がどんなに頑張っても資金の好循環は起きません。
勢いづく投資家たち
個人も企業も昔ほどお金を使わないのです。日銀が広大な砂漠の真ん中で懸命に水をまくスプリンクラーのように見えます。
コロナ禍は乾ききった金融環境の中で起きました。政府は二〇年度だけで三回の補正予算を組み、本予算を含む歳出総額は百七十五兆円を超えました。苦境に立つ観光産業や飲食店などを救済するために支出を激増させたのです。
予算の原資は税収だけでは足りず国債でまかなっています。その国債を日銀が受け入れていることは指摘するまでもない。政府は日銀を「打ち出の小槌(こづち)」のように使っている形です。
政府が支出した莫大(ばくだい)な資金はどう使われているのでしょうか。確かに観光や飲食には流れています。さまざまな支援の仕組みを通じて中小企業にも流れたはずです。十万円の現金給付はほぼ全国民に行き渡りました。
ただこの状況下で奇妙なことも起きています。バブル崩壊以降、低迷していた株価が好調なのです。コロナ失業は十万人を突破し、一〜三月期の国内総生産(GDP)もマイナス成長が確実視されているにもかかわらずです。
政府と日銀の協力で市中に流された膨大なお金の多くは、投資に回されたと考えられています。日銀の資金循環統計によれば昨年末の国内の預貯金残高は千五十六兆円と前年末と比べ4・8%も伸びました。金融機関に預けられた資金は市場での投資に使われます。
株価が落ちれば日銀が買い支えてくれるし政府も気前よく予算をばらまいてくれる。安心感の下で勢いよく株を買う投資家たちの姿が目に浮かびます。
投機は雨雲に似ています。素早く近づき安く買いたたき、あびせ売りして逃げる。残された市場は売り一色の土砂降りに。今、日本の上空に投機の雨雲が集まっているようにみえます。暴走するマネーは企業を直撃し基盤の弱い中小から影響を受けていきます。
かつて大手を中心に経営不安に陥った金融機関の多くは公的資金の投入で立ち直りました。国民が救ったのです。恩を返すときではないでしょうか。大手金融機関は苦しむ企業に救いの手を差し伸べるべきです。それはバンカーとしての務めでもあります。
巣ごもり需要などコロナ禍を利用して幸運にも決算を伸ばした企業も、雇用を増やすなどして貢献する必要があります。
輝く民主主義の原則
国境を越え莫大な利益を上げる巨大IT企業もしっかりと税を払うべきです。彼らもコロナ禍で一層業績を伸ばしたからです。
不公平を正す仕組みをつくるのは政府の仕事です。国民は政府がきちんと仕事をしているか、公平な予算配分をしているか厳しくチェックしなければなりません。仕事が甘ければ批判の声を上げ最終的には選挙で意思を示す。災禍の中で民主主義の原則がより輝いて見えると感じています。
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