日経平均株価(225種)が4日、史上初めて4万円を超えた。現行の株高で、1980年代後半から1990年代初頭のバブル景気のような高揚感を感じることはできない。バブルの象徴として取り上げられるディスコ「ジュリアナ東京」で一世を風靡(ふうび)した荒木師匠こと荒木久美子さんに、当時の熱狂と今を比較してもらった。(聞き手・山田晃史)
荒木 久美子(あらき・くみこ) 愛称は荒木師匠。1991年にオープンしたディスコ「ジュリアナ東京」で、ボディコン姿に羽根扇子を振って踊る元祖扇子ギャルとして活躍し、お立ち台の女王とも呼ばれた。テレビ朝日「トゥナイト」などバラエティ番組にも数多く出演。母親と銀座のバーラウンジを20年間経営し、モテるノウハウをセミナー化。現在は婚活トレーナーを務めるほか、モデルやインフルエンサーの育成も手がける。公式ブログ「荒木師匠の修行日記」、インスタグラム公式アカウントは@arakishishou
◆アイスペールでヘネシーを回し飲みしていた客たち
―日経平均がこれまでの最高値だった1989年は私は4歳で記憶がないのですが、どんな世の中だったか教えてください。
まだ社会に出ていなかったので詳しくないですが、銀座でママをやっていた母はかなり忙しそうだった。当時働いていたイベントコンパニオンの先輩からは、ジュンコシマダとかピンキー&ダイアンとか(国内メーカーの高級ブランドである)DCブランドの10万円近くするスーツが支給されて、仕事が終わったら全部もらえたりした話を聞きました。仕事の打ち上げは船上パーティーだったり、名刺をもらったお客さんに高価なフレンチに連れてってもらえたりした時代だったようです。
―ジュリアナがオープンした91年は株価は既に下がっていましたが、熱狂は続いていたんですか。
ジュリアナはアフターバブルですね。まだ日本はそんなに景気が悪くなかった。ジュリアナのVIPのお客さんは不動産や自動車関連が多くて、セカンドVIPというのもあってサッカー選手が多かったですね。(氷を入れる容器の)アイスペールにお酒を入れて回し飲みして、最後の人がそれを頭からかぶるというのをやっていた。私はお酒を飲まないのでその場には入らないですが、中身は多分、(ブランデーの)ヘネシーとか高いお酒。狂乱の様です。
―アイスペールで回し飲みはしたことありますが、安いワインか焼酎でしか経験ありません。
ヘネシーなんてかぶるような酒ではないですよね。あとは、大きいメロンを半分に切ってヘネシーを薄めずに入れて食べるのをやっていましたね。ちょっと贅沢(ぜいたく)なデザートみたいな。高級シャンパンにイチゴを入れたりとかも。ただ、ブランドスーツが10万円くらいするのに、私が着ていた水着みたいなボディコンって1万円もしないで買えるんですよね。今思うと不景気って反映されていたのかな。
◆お立ち台は暑くて…ジュリ扇を「開発」
―バブル時代は肩パッドの入ったスーツ、ジュリアナはボディコンと羽根扇子の印象が強いです。
スーツみたいな服だと手を上げて踊ったりしにくいでしょ。踊っていると暑いからボディコンも露出が激しくなっていった。扇子も暑さ対策でしたよ。
―ジュリ扇と呼ばれた羽根扇子も師匠が発明したとか。
発明ってほどじゃないけど、扇子を持って踊ることを発案した人ってことですね。暑いお立ち台から下りて休憩しても、ジュリアナはメニューとかなくて扇(あお)げるものがない。銀座でママをしていた母が着物を着ていたので、扇子を借りて持っていったのが始まり。金と銀の扇子で和風に見えないやつだったかな。胸の谷間に挟んで、曲のトーンが落ちた時に扇いでいたら、みんなが見ていた。これはいいと思って服装に合わせた扇子を使っていたら、はやりだした。羽根扇子になったのは、ハロウィーンで悪魔の仮装した時に中国雑貨店で買った黒の羽根扇子を使ってからかな。
<1>アイスペールでヘネシーを回し飲みしていた客たち(このページ)
<2>アッシー、ミツグ…使うお金も多かったけど、給料も高かった
<3>少子化は止まらないと考えるワケ
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