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★<東京新聞社説>週のはじめに考える 住宅供給という社会保障

2024年02月11日 09時01分54秒 | ●YAMACHANの雑記帳
自然災害は「衣・食・住」と、それを支える「職」という生活基盤を一気に喪失させます。能登半島地震は私たちに、その恐ろしさをあらためて実感させました。生存を脅かす住宅の喪失は災害時に限りません。2008年、リーマン・ショック後の経済危機で多くの派遣労働者らが派遣切りに遭い、失業しました。

◆人間の生存権そのもの

 深刻だったのは失業に伴い職場が用意した寮からも追い出されたことです。その年末、市民団体などが東京・日比谷公園に設置した「年越し派遣村」に約500人の失業者が集まり、派遣切りの苦境が可視化されました。失業しても住まいがあれば、派遣村はできなかったかもしれません。職を失うと住む家も失う現実は憲法が保障する居住する権利、生存権をも踏みにじりました。欧州では住宅は国民の安全や健康を守る社会保障と位置付けられ戦災復興期を含めて政府などが公的住宅を整備してきました。国民側にも住宅の確保は基本的人権という思いがあり、市民運動を通して政府を後押ししています。日本でも戦後、公的住宅は整備されてきましたが、自力で確保が困難な人のための住宅確保は、今も十分とはいえません。住宅は年金、医療・介護、子育て支援、福祉サービスなど政府が責任を持つべき社会保障政策ではなく、個人の問題として考えられがちです。経済政策として持ち家が推奨されたこともあり、「公共財」という意識は希薄です。しかし、こう考えてみてはどうでしょう。低廉な賃貸住宅があれば、ほかの社会保障同様、年金で暮らす高齢者や非正規で働く人の生活を支えることができます。住宅に対する不安は、若い世代に子どもを産み、育てることをためらわせ、少子化の要因にもなっているのではないでしょうか。
誰もが安心して住めるよう住宅を確保することは、政府や自治体が責任を持つ福祉という観点が不可欠ですが、日本の住宅政策から抜け落ちているのが現実です。実は日本には戦後の混乱期、住宅が社会保障政策になったかもしれない分岐点がありました。1951年、厚生省(現・厚生労働省)は低廉な公的住宅を建設するため「厚生住宅法案」をまとめていました。住居に困っている人を対象にした住宅だけでなく生活支援をも含む福祉政策でした。
その動きに対抗したのが建設省(現・国土交通省)。中所得層向けに住宅供給を促進する「公営住宅法案」をつくり、住宅産業への支援に傾いていきます。
 両省の激しい駆け引きを経て、建設省の公営住宅法案に軍配を上げたのが、後に首相となる田中角栄氏=写真=でした。自ら推す建設省の案を、厚生省が口出ししづらい議員立法で法案化し、成立させたといわれています。
 公営住宅法は、厚生省案を一部盛り込み、憲法25条が保障する「健康で文化的な最低限度の生活を営む」権利である生存権の実現を目的としてはいますが、社会保障政策としての理念は、時代の地層に埋もれてしまったのです。その後、田中氏は不動産・建設業界との連携を強め、民間による土地・住宅開発を推し進めます。それは「日本列島改造論」へとつながっていきますが、列島改造論は不動産業界の土地買い占めで地価高騰を招き、庶民の住宅確保はますます遠のいていきました。今でも住宅費は教育費と並び、家計には大きな負担のままです。失業者や高齢者、障害者、低所得者らなら、なおさらでしょう。少子高齢化が進み、住宅確保が難しい高齢の単身世帯も増加します。賃金が上がらない現役世代の状況も同じでしょう。住宅政策を社会保障政策として考えなければならない時代にきています。

◆誰ひとり取り残さない

 国交省、厚労省、法務省は合同で有識者検討会を開き、高齢者ら支援を要する人の住宅確保のあり方に関する報告書を昨年12月に発表しました。注目すべきは国交、厚労両省が72年前の対立を超え、連携を模索し始めたことです。報告書は政府に対し、入居の相談から住宅の確保、入居後の支援まで一体的な取り組みを自治体や経済団体などと協力して進めるよう求めています。縦割り行政の弊害を排し、生活困窮者に社会保障として住宅を供給することが生存権という憲法理念の実現であるとの意識を社会全体で共有できれば、誰ひとり取り残さない社会の実現に一歩近づけると思うのです。

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