赤い靴で 街あるき

横浜の波止場から~♪函館に。
街の散策やキッチンの片隅から。見たり聞いたりの「ひとかけら」を綴ります。

棟方志功展

2012-09-22 | お別荘の父

昨日はドクターから外出許可をもらい、車椅子ですぐ近くにある函館美術館へ。
病人だから、パジャマにカーディガン(涼しくなりました)。ひざ掛けでOKだと
思っていましたが・・・
「失礼だから、着替えて行く」・・・。
(この律儀さ。まじめさ。残念ながら、私には遺伝してません)

前夜「明日行ってもいいですよ」と主治医が話してくれたらしく
「うれしくて眠れなかった~」と父。

地方都市のよいところでしょうか、館内がすいていて(赤字だと思いますが)
ゆっくりと見て回ることができ、父がとても喜んでいました。

この日、父がお世話になっているかたの車で来た私ですが
美術館にも同行してくださって、車椅子も押してくださいましたが
館内を見ているときは、親子二人にしてくださったりと・・・・
細やかなお心遣い。本当に本当に感謝です。

人生チャレンジ!と言いながら、親戚も知人もいない函館で20年。
少ない人数とはいえ、優しいかたに恵まれた両親です。



真夏日の連続から、いっきに秋風の吹くようになった函館。
私の故郷ではありませんが、私の大切な街になっています。


飛行機雲

2012-09-20 | お別荘の父

気温は少し下がり・・・
朝夕は北国らしい風も吹いています。

でも・・・日中はまだ暑い!

とりあえずの退院に向けて、あわただしくもうれしく
準備に取り掛かっています。



メールやコメント!本当にありがとうございます。
どんなに私が力づけてられているか!

では、感謝をエネルギー源として・・・
また頑張ります。


車椅子夫婦

2012-09-19 | お別荘の父

全国的に雨のようですが、こちら函館も雨です。

幸いそれほど強くないので助かりましたが・・・
雨の中、母と整形外科通院に。
その後、父の病院へ来ています。

父がベッドから離れてもよくなったので、車椅子で
休憩コーナーへ。
耳の遠い老夫婦なので、大きな声で話すと同室の患者さんに
迷惑がかかるので、互いの会話が通じない・・・
休憩コーナーだと、その心配がない。
車椅子を並べて仲良く(笑)話しています。

はい。あずましく!!(北海道弁)
一ヶ月ぶりに、気兼ねなく、ゆっくりと会話しています。
今その会話を聞きながら、PCに向かっています。
なんでもないことが、普通のことがこんなにも幸せなんですね。
改めてそう思います。

トップ写真は函館美術館前の彫刻です。
退院前、お天気の良い日に車椅子で父を連れていきたいと
願っています。
今回が最後となるかもしれないので・・・。

では、そろそろ二人の会話に加わることにします。


五分かゆ

2012-09-18 | お別荘の父

私の育った北海道は こんなに暑いところじゃなかったのに。
今お昼のニュース。札幌31℃。旭川32℃・・・
こちらも32℃。もっとも遅い真夏日の記録を更新したとか。
しなくっていいのですが!!

父は5分かゆランチの最中。
まもなく退院できるようで、ひとまず安心しました。
炎症反応の出る前に 退院させようということでしょうが・・・
本人はとても喜んでいます。

昨日車の中で、新国立劇場所属のバリトン歌手佐藤勝司さんの
歌う「砂山の 砂に腹ばい~♪」CDを聞き、思わず涙が・・・。
「函館の歌なんですよ」と運転してくださったかた。
「はい。石川啄木の初恋ですね」と私。

心の琴線に響くお声と調べでした。
函館でのリサイタルを聞き、父も大ファンだそうです。

さて、これからホームに戻って父が帰ってからの
ハード・ソフト両面の相談をしなければ。

皆様、ほんとうにありがとうございます。
また、時間があったら更新します。
きょうのトップ写真は 五稜郭公園近くの菩提樹。
木陰は涼しいけれど、日差しが強烈な函館です。


ギョッ!キャー!

2012-09-17 | お別荘の父

知り合いのかたと一緒に病院へきました。
そのかたが父のお守りを(笑)してくださってる間に
愚娘はこうしてPCに。

父は元気です。3分かゆでも口から食物を摂取する
ことがどんなに大事なことか・・・・
しみじみ思います。
この元気な時間ができるだけ多くありますように。
そう祈っています。

トップ写真は 前回来たときに遭遇したもの。
ホームの玄関を出ようとすると、足元に!!
危うく踏むところでした。
(反応の遅い老人だと絶対に踏んでました)

トンボ・蝶も苦手なアタシ。
ひたすら驚きながらも デジカメケースと
比較してみました。

   

おっ・・・・父が呼んでいるようです。
では、また。


ありがとうございます

2012-09-16 | お別荘の父

父のお別荘で、今朝の記事を(笑)読んでいます。

無事到着しました。
父は何とか3分かゆを口にできたようです。
皆様の祈りのおかげ。ありがとうございます。

また炎症反応が出ると、絶食点滴に戻るのですが
とりあえず・・口から食・・。ほっとしました。
本人の意識もしっかりして、うれしそうによくしゃべります。

これから母のいるホームへ。
取り急ぎ、ご報告です。


お願い・・・

2012-09-16 | お別荘の父

これから羽田に向かいます。

縁起でもないと笑われそうですが・・・・
人生何があるかわからない。
航空機事故だって、絶対に起こらないとはいえません。

万が一の時・・・
両親はマスコミのかっこうの餌食。悲劇の両親ですから。
もちろん、夫も!!

万が一の場合。このブログは絶対に公開しないこと。
それが私のお願いです。

両親・夫を守ってください。

無事着陸したら・・・病院PCで笑いながらこの記事を
消去します


怒り(糠?暖簾?)

2012-09-14 | お別荘の父

横浜へ戻ったら、この怒りをブログにぶちまけよう!
そう思いながら、函館を後にしたのですが・・・
怒りと悲しみが混乱。文章を綴ることが出来ませんでしたが
少し落ち着いた今。やっと、記事にできそうです。

横浜へ戻る11日。
母と一緒に父の病院へ行くために、タクシーの待つホーム玄関へ
移動していると・・・・
ホームの看護師さんが「お早うございます。ごめんなさい。
お忙しいでしょうから、動きながら聞いてください」と、話し始めた。

「昨日、○○さん(父のこと)のところへ行ってきましたが
泣いていました。循環器の先生がきて<○○さんの心臓は
持って3年。短ければ1年と言われた>・・・と」
「えっ!?そんなことがあったんですか?」
「やっぱり知りませんでしたか。私もびっくりしたんですが
娘さんの前で先生が言ったのか・・気になって」
「いいえ。消化器の担当医には癌のことは言わないでと
言ってあるけれど、循環器の先生が??。
わかりました。ありがとう。これから病院へ行くので、確認して
みますが、本当なら、とんでもないことです」

母が元気なら二人で怒りを共有できるが、今の母が知れば
悲しむだけ。母には言えない。
そう思いながら、父のところへ。でも、循環器の先生のことは
何も言わない。ただ、母を見て涙を流す。

やっぱり・・・。私たちには(特に母が可愛そうで)言えないのか。

看護師長が不在だったので、副師長にこの件を訪ねてみると
「確認してみます」とナースステーションに戻った後「循環器の先生が
きたという話はない」とのこと。

なにげなく父に聞くと「白衣じゃなく青い服の研修医たちを連れて
担当医(ここの循環器に通院していた)が来た」
父の意識ははっきりしている。ホームの看護師も「ご自分の症状や
検査項目や順序も覚えているから、事実だと思います」と
言っていた。


おそらく、消化器のナースステーションを通さず、研修医を連れて
自分の患者を<サンプル>として、見せたのだろう。
確かに父の心臓は癌手術はもちろん、胆のう炎の手術もできないほど
弱っている。でも、それを本人に告げる必要はないだろう!
86才まで生きたのだから、あと1年でも3年でもいいと思っての
発言か??
それが患者の心身にどんな影響を与えるかの想像もできない
ドクターらしい。

でも、ここで戦っても仕方がない。この国で「先生」と呼ばれている種族は
人間に対する考え方やセンスの違う人が多い。
日本語が通じない人も多い(もちろん全てではありませんが)。
仮にその張本人に私が詰め寄っても、馬の耳に念仏。糠に釘。
暖簾に(白衣)に腕押し。
そして、今日は母がいる。タクシー&車椅子の移動はかなりの負担になっている。
糠や暖簾と戦う時間はないのです。

こうなったら、あくまでも父の聞き違い。勘違いと思わせるしかない。
「お父さん、循環器の先生も言ったと思うけれど、お父さんの心臓は
大事にすれば長く持つんだって。でも、無理をすると3年ももたないん
だって。だから退院したら、絶対に無理をしないでね」

そんな会話をするうちに、胃カメラ検査へ。

幸い結果は○。胃カメラの後で父がだいぶ疲れていたし、あまりこの件を聞き出すのも
逆効果だと思い、流動食がOKになったと知ってから、私たちはホームへ戻った。
教えてくれたホームの看護師さんにも「同じことを父が言ったら、先生は
無理をしたら持たないと言ってたよ。○○さんの聞き違いだと大嘘をついてほしい」
そうお願いしておいた。

たった1つラッキーだったのは、私が横浜に戻る前にこの件を知ったこと。
戻った後なら・・・そう思うと、ぞっとする。

そして、今日。「タオルケットがほしい」という父からの電話を受けて
母が頼んで持っていってくれた方からの話では・・・
「元気でした。循環器の先生が来て、大丈夫だと言ったそうです」

私からの話を、副師長から消化器担当医が聞き、循環器担当医に
話したのか?・・・それで??
父の妄想ではなく、やはり事実だったのですね。

夫が「その医者、ちゃんと上手く話せたのかな?」
う~~ん。医者兼作家は沢山いるけれど、医者兼役者はいないものねぇ。
まぁ、とりあえず信じて父が元気になったようなので・・・
振り上げた拳は降ろします。

でも、拳はそのまま。
戦いませんが、拳はしっかりと握り覚えておきます。
そして・・・・いつかどこかで・・・・。

トップ写真は、観光名所五稜郭タワーです。
これを撮っていて、展望台が五稜郭の形だと
初めて気づきました。


横浜からです。

2012-09-13 | お別荘の父

一昨日横浜に戻ってきました。
帰宅した日、そして昨日。緊張と疲れからか
不安定な精神状態で何も手に付かず・・・
泣き、そして寝ていました。

両親の部屋で、母の隣のベッドでよく寝ていた
はずなのですが・・・

またすぐに両親のもとへ向かいますが、自分の
心身のバランスの為に、今回戻って良かったと
思っています。

86才という父の年齢。
そして、今まで元気でいてくれたこと。
それを思うと、癌も、残り少ない余命も、私は冷静に
受けとめることができました。

今、私の心配は癌ではなく、父の「胆石胆のう炎」です。
心臓が弱っているので、胆のう炎の手術ができない。
食事をとると炎症反応が上がるので
先月18日以来、ほぼ絶食状態・・・・
抗生物質の効果で今月4日からやっと流動食になり、
翌日はおかゆ。
6日に点滴がはずれると聞き、喜んだのですが・・・
5日の夜に、下痢・出血。
胃潰瘍からの出血なので(転移ではない)その処置。
そして輸血。
再び、点滴のみの日々となりました。

昨日「流動食になった。この後はおかゆになりそう。
退院が早くなるかもしれない」と 携帯から連絡してきたが
今日は 何もなし。
母のところへも、朝7時頃に連絡があったけれど、食事の
ことは何も言わなかったようです。
また、炎症反応が出て、絶食になっているのか??

胆のう炎の症状が少しでも収まり、一度帰宅させたい。
おかゆでいいから、ちゃんと食べてもらいたい。
今の私の願いであり、祈りです。

ホームが提携しているホスピスと、在宅看護ステーションを
利用して、在宅介護の体制は大丈夫なはずだが・・・
ホスピスは緩和ケアの病院なので、胆のう炎の治療となると
一般の病院になってしまう。
なんとか自宅(ホームの自室)に戻り、そのまま緩和ケアを
受けることになってほしい。
ただただ、祈るばかりです。

「帰省しなくていいよ。そんなに来ることはないよ」
いつもそう言ってた母が、今回は「今度いつ来れる?
なるべく早くきてね」・・・
初めて聞く言葉でした。

母の性格から想像すると、自分の心細さというより
自分が動けず、見舞いに行かれないので、父が
心細くて寂しいだろう。
自分の耳が遠いので、病院やホームとの折衝ができない。
それで「早く来てほしい。長くいてほしい」

だから、なるべく早く行きます。
精神不安定な妻を暖かく迎えてくれて、また、快く送り
出してくれる夫に、感謝しながら・・・。

トップ写真は、函館の市電。
札幌の住宅地に熊出没のニュースが流れていた頃です。
「出てきた出てきた、山親爺。千秋庵の山親爺」
広告付き電車を見ていたら、そんな昔のCMソングを
思い出しました。

    

暖かなメールやコメント(非公開も含め)本当にありがとうございます。
お返事を書く余裕がなく、失礼してごめんなさい。
でも、玄関は開けておきたいので、コメント欄はそのままにしてあります。
どうぞ、我儘をお許しくださいませ。


今日も雨。

2012-09-10 | お別荘の父

昔々・・・長崎は 今日も 雨だった~という歌が
ありましたが・・・
同じ港町の函館も、雨です。

父の病院にて。買ってきたポテトサラダパンと
くるみパンのお昼を済ませて、PCに向かっています。

こんな時でも、よく知らない街でも・・・
美味しいお店を発見できるので、親不孝と言われるかも・・・

でも「それはそれ。これはこれ。」が両親の信条。
わが子を縛らず、限りなく羽ばたかせてくれる
私の両親は許してくれる。
絶対の愛情に育てられ、守られてきた娘は
アラカンの年になっても、がっつり甘えています。

「昼、何かうまいものを食べてこい」・・・
何日も食べられないのに、一切の不平も不満も
言わず、そう言ってくれる父に甘えています。
だから、サラダパンもくるみパンも美味く
いただきました。

今、父は点滴のみ。きょうは薬の服用もないようです。
「飯は出ないし、薬も出ない。だから俺は寝るわ」
そんな冗談を言って、ベッドに横になっていました。
こんなふうに父もそうですが、母も冗談好き。

病院のナースは「う○ち」を「おべん」と言ってます。
「お便出ましたか?」と聞かれた父・・・
耳が遠いので・・・「は??おでん??」
これはジョークじゃなく、本人的には大真面目。
だから、余計におかしくて。
帰宅してから、母と爆笑!!

私はこれから、おでんを食べるたびに「おでん事件」を
思い出すのでしょうねぇ。
(芥子も付いてるし・・・失礼

もう少しで、ケアマネさんと市の認定調査員が
くることになっています。
今後、介護度がどんどん上がってくるのは
明らかですが、そうとは知らない本人は
認定度を上げるための演技意欲満々です。

私は明日の夜、横浜に戻る予定です。
また、こちらに来ますが・・・・
一人になり飛行機が離陸すると、気の緩みと
どうしようもない感情が湧き出てきて
目を閉じると、涙が出てきてしまいます。

雨とともに、秋が一気にくるのが北海道です。
イチョウの木々にも、銀杏が・・・・

さて、父の病室へ戻りますね。