赤い靴で 街あるき

横浜の波止場から~♪函館に。
街の散策やキッチンの片隅から。見たり聞いたりの「ひとかけら」を綴ります。

「あつこ」さん

2012-04-06 | 昔話



    

異~人さんに連れられていいちゃった~

赤い靴。久しぶりに戻ってまいりました。

・・・って・・・
前回が白雪姫&眠り姫の童話編。今回は童謡編か?(笑)

↓前回コメントをいただいていた「くろまめ」さん。
レスをせずにごめんなさい。
せめてものお詫びに、たぶん懐かしい教会幼稚園を・・・↑。

この写真に比べると少なくなっているとはいえ、今もまだ雪が
残っていると思います。
残雪の中の入園式はそろそろかしら?それとも終わったかな?

3月・4月。旅立ち。そして新たなスタートを切る季節ですね。
AKBの前田敦子ちゃんもご卒業したし
そんなスタートの季節に、新しいカテゴリーを加えてみました。
<赤い靴の昔話>・・・昔話?後ろ向きなアタシ??(笑)

いえいえ、ちょっと思い出したことなどをパタパタと書いてみようかなと
思いまして。

で・・・本日のお題。「あつこ」さん。
高校時代の家庭科の時間。バアチャン先生の一言で笑った話です。
バアチャンと言っても、当然定年前。そんなお年寄りではなかったはず。
ただね、高校生から見たら自分の親以上の年代はバアチャンでした。
(先生、ごめんなさい

クラスに「敦子さん」がいました。
何かの時お名前の字を説明するのに彼女が「なべぶたの・・・」と言いかけると
すかさず先生が「敦盛の敦ですね」と言ったのです。
そう。平敦盛の敦・・・。どうということはありません。
でも、なぜか当時16歳の私たちは「さすが年寄りの言うことは違う!」と
思ったんでしょうねぇ。
ご本人の敦子さんも交えて「わぁ~敦盛のアツだって~」と授業終了後に
笑って盛り上がったのです。

今なら「AKBの前田敦子のあつです」って言うのでしょうか?
そのご本人に「敦盛のあつですね?」と言っても「はぁ??」
ドラマ出演でもしない限りわからないでしょうね。絶対に。

前田敦子ちゃんの卒業からこんな思い出話がころころ出てきてしまう。
これはかなりのバアチャンかも(AKB世代から見れば確かにバアチャン!)
はい。それなりの歴史(?)は語らなければなりません。

そうそう・・・家庭科のその先生は悲しい歴史を語ってくださいました。

学校をお辞めになるときのこと。
「主人は戦死しました。今日帰るか明日帰ってくるか・・・
そう思いながらの日々でした。みなさん、戦争は絶対にいけません」
そんな趣旨の別れの言葉を聞いたのは3月だったはず。
ざわざわとした体育館に小柄で静かな雰囲気の先生の凛と響いたお声を
思い出します。

男子校といえるほど女子生徒の少なかった高校での家庭科教師。
家庭科履修も当時は女子のみだったので、今思えば校内でのお立場は
地味だったのではないかしら?

                   

ある日の調理実習。1グループ4人での作業でその日はハンバーグでしたが
付け合せのマッシュポテトを作る時に「その粉がない~」と言い出した
チームが出現。(私のチームではない)

「えっ?さっきの粉?ハンバーグの種に入れたよ」とそのチーム。

パン粉と間違えてマッシュポテトフレイクをハンバーグ種に入れたらしい。

慣れない子たちがする作業。おイモを茹でてマッシュしたのでは時間内に
できないと判断した先生がマッシュポテトの粉を使うようにしてくださったの
でしょう。
しかし、おバカな16才はそんな好意も無駄(笑)
先生は「中に入っていても毒じゃないから大丈夫でしょう」と笑っていました。

当時マッシュポテトフレイクを授業で使うのは斬新(?)だったかも
しれません。
そしてそんな生徒の失敗を楽しんでいらした遊び心のあるかただったのかも。
私が入っていた華道部は外からの先生がいらして教えてくださいましたが
顧問はその先生だったので、もっとお話ししていたら・・・と・・・後悔も。

さて・・・「あつこさん」にまつわる昔話をもう一つ。
お名前を読んでもらえない「あつこ」さんもいました。
「温子」さんです。
「ぬくこ・おんこ・うんこって呼ばれて・・・浅野温子が出てきてから誰でも読める
ようになったの。だからあの人には感謝してるわ」と、卒業して20年経ったころ
笑いながら話していたことがありました。

そう・・・浅野温子さんが出てくる前の高校時代だったし・・・
調理実習室にまだ電子レンジが出現する前ですから・・・かなり昔!(爆)

そんなこんな昔のあれこれを、思い出した時に
このカテゴリーでぽつりぽつりと綴っていこうと思っています。