中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

秋の夕暮れ

2007-10-08 09:54:57 | 身辺雑記
 このところ日が落ちると急に暗くなってくるようになった。「秋の日は釣瓶落とし」と言うとおりだ。

  「秋の日は釣瓶落とし」と言うと、私くらいの年齢の者にはよく理解できる喩で、「近頃は本当に秋の日は釣瓶落としですね」などと会話の中に出したりする。上手い表現だとも思う。私の中高生の頃に家に水道がなく、共同の井戸が使われていたが、井戸には蓋がしてあり手動のポンプで水を汲み出していて釣瓶はなかった。どこかで釣瓶は見たことはあるが使ったことはないと思う。しかし、釣瓶を引き上げる時の濡れた太い縄の感触と汲み上げるときの水の重さ、空になった釣瓶を落としたときの水音などが何かしら記憶の底に残っているようなので、どこかで使ったことがあったのかも知れない。経験の有無はともかくとして、釣瓶を操作くらいは知っていたから、「釣瓶落とし」の喩も理解できた。

 今では釣瓶はもちろん日常的に使っている井戸は、とりわけ都会ではほとんどなくなったから、「秋の日は釣瓶落とし」は若い世代の人達にはすぐには分かりにくいだろう。表現としては分かっても、具体的なことはイメージできない人が多いのではないだろうか。そうなると有名な加賀の千代女の「朝顔に釣瓶取られて貰い水」もその情景が分からず、句そのものもぴんと来ないのかも知れない。

 高校3年生の孫娘はよく本を読みいろいろと知っているので、電話して聞いてみたが、「何それ?」という返答だった。釣瓶は知っているかと聞くと「つるべえ?」と聞き返したので思わず笑ってしまった。関西で人気のある落語家の笑福亭鶴瓶と思ったらしい。加賀の千代女も「習ったことがない」と言った。「秋の日は釣瓶落とし」は辞書で調べておおきよと言って電話を切ったが、やはりそうなのだな無理もないと思った。

 50歳前後の卒業生達が集まった会で同じことを訪ねてみたが、さすがに意味は知っていたが、釣瓶はやはり見たことがないと言った。

 残暑の厳しい時は昼間に吸収した熱が道路などから発散するから、日が落ちても空気は熱かった。しかしこの頃は暗くなると空気は涼しくなって快い。今度こそ秋が来たと思う。

 17:12

 暮れてきた稲田の間の小道では稲藁を燃やしている男性と、犬の散歩をさせている婦人とが立ち話をしていた。空気が澄んでいるからか、離れていても話し声が聞こえてきた。穏やかな秋の夕暮れのひと時。


  17:52

  18:00

宵の明星が輝き始めた。
  18:04

  18:16

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