中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

人相書き

2007-10-13 09:04:11 | 身辺雑記
  「チカン追放」のポスターから連想したことなのだが、よく新聞に事件の犯人の人相書きが載っていることがある。目撃者の記憶に基づいて作成したものや、監視カメラの画像から復元したものなどがあるが、当然のことながら多くは何やら曖昧な感じで、これで犯人についての通報があるのかなと思ってしまう。しかし中には捕らえてみると人相書きにそっくりだったということもあるらしい。アメリカの犯罪映画などを見ると、似顔絵を描く専門家が被害者や目撃者の証言で精密な似顔絵を作っていく場面が出てくるし、日本の警察にもそのような専門家はいるようだ。

 時代劇を見ると、街の高札に「上州無宿 忠治」などとお尋ね者の似顔絵が貼ってあったり、奉行所の役人が目撃者の話を聞きながら、筆でさらさらと似顔絵を描いていく場面が出てくる。その似顔絵はその時代劇に出てくるお尋ね者や犯人役の俳優そっくりに描かれているのはご愛嬌で、実際にはそううまくはいかないだろう。そのせいかたいていは、目立つところに黒子や痣、刀の切り傷などがあることになっている。実際にお尋ね者の顔の人相書きなどがあったのだろうか。実物を見たことがないので分からない。

 インタネットで調べてみたら、徳島県立文書館のホームページに、同館に保存されている、幕末に徳島藩内の村々に回達された、「大塩平八郎の乱」の首謀者達の人相書きが紹介されている。人相書きと言っても似顔絵はなく、それぞれの特徴を示したものである。たとえば首謀者の1人の近藤梶五郎という人物の人相書きはこうなっている。
 
 年齢四十歳斗顔丸キ赤黒キ方背低キ方眼丸ク常躰月代角抜有之薄菊目石有之

 「斗」は「ばかり」と読む。「方」は「ほう」、「常躰」は口語文体の1つで「である」だそうだ。「角抜」は月代(さかやき)の形か。「薄菊目石有之」は「薄いあばたがある」ということだろう。

 ずいぶん簡単なものだが、これではよく似た者はいくらでもいたのではないだろうか。当時の日本人は細く釣り上がった目が多かったようだから、丸い目は特徴になったのか。あばたなどは現在ではまず見られることはないが、かつては天然痘に罹る者は多く、助かっても顔にあばた(痘痕)が残った。だからこの近藤梶五郎なる人物の特徴も当時としてはさして珍しいものではなかっただろう。

 中心人物の大塩平八郎の人相書きはもう少し詳しいが、「鍬形付甲着用黒キ陣羽織」とあって、逃亡した者が蜂起当時の甲や陣羽織を着けているはずもなく、「其余着用不分ラ」(そのほかに着ているものは分からない)と付け加えているのは可笑しい。彼は最後には大坂での潜伏先が見つかって火薬で自殺したが、この人相書きは役に立ったのだろうか。

 自分の顔は、朝夕の洗面の時に少なくとも1日に2回は見ている。それで自分の人相、風体の人相書きを作ってみるとどうなるのだろうかと思ったが、私の描写力の貧困さもあるためか、自分の特徴を表現するのは難しいことが分かった。だいたいこのようなことになる、

 年齢70歳ばかり。身長160センチ余り、中肉。やや猫背。脚は短い。頭髪はほぼ白く、前から見るといわゆる「富士額」。後ろから見るとかなり薄い。顔の肌は艶がありところどころに染みがある。目は一重まぶたで細く、目尻はやや下がっている。下まぶたの下部には小皺がある。眼鏡を常用している。唇は厚くも薄くもない。鼻はやや高いが先は尖っていない。耳は長く耳たぶは厚く大きい、いわゆる「福耳」。ひげを生やしていて、白い髭(くちひげ)は白いが、人中の上の毛だけは黒い。鬚(あごひげ)は長さ1センチあまりで白い。髯(ほおひげ)は濃くない。

 ざっとこんなところだが、この記述を見た専門家はだいたい私のものに近い似顔絵が作れるのだろうか。あるいは人相書きとして通用するだろうか。

 しげしげとではないにしても、毎日見慣れている自分の顔でも表現するのは難しい。仮に何かの事件の目撃者になったとしても、そばを通り過ぎて行った車のナンバーを記憶するのさえ覚束ないくらいだから、とても正確に犯人の特徴など捉えることはできないだろう。犯人がじっと動かないことなどはないし、まして薄暗かったり離れていてはとても分かるものではない。特徴だけを捉えればいいのかも知れないが、私のようにごくありふれた顔ではそれも簡単ではない。だからと言って安心して悪事をしでかす気はもちろんない。

 暇がたっぷりある独居生活は他愛もないことを考えさせるものだが、閑居して不善をなすよりはましか。