幼い頃から耳に親しんできた歌、曲は心の底深く沈んでいて、時折思いがけない時に口を突いて出てくることがある。
私の子どもの頃の歌と言えば童謡とか小学唱歌のようなものだが、今思うと古さを感じさせるものばかりだった。特に文部省唱歌は、歌詞が古めかしい文語調のものもあれば、漢語交じりのものもあった。それでも何となく分かったように歌っていたのは、文語文や漢語が今よりもずっと身近にあった時代のせいだろうか。
童謡は今風に言えば子どもの歌になるが、童謡と子どもの歌は詞やメロディー、リズムなどがずいぶん違っているように思う。。童謡は概して歌詞は簡単で、メロディーは単調なものが多く、リズムは変化が乏しかったようだ。もっともこれは、音楽に関しては非常に乏しい知識しか持ち合わせていない私の印象だから外れているかもしれない。息子達が幼い頃の子どもの歌をテレビなどで聞くと、例えば息子達が気に入っていた「おもちゃのチャチャチャ」などは私の子どもの頃に口ずさんでいた童謡とはまったく異質のものだと思った。
難しい詞のものを鵜呑みにして覚えたせいか、意味を取り違えたり、いつまでたっても分からないままのものもあった。いくつか挙げてみよう。
「浦島太郎」はとても人気があって、しょっちゅうラジオから流れていたように思うし、私も歌詞は全部覚えていた。今でも所々歯が抜けたようにはなっているが、何とか口ずさむことができる。その終わり近くに「かえってみれば こはいかに、もといたいえもむらもなく」という一節があった。この「こはいかに」(これはどうしたことか)は「恐い蟹」と勘違いしていた。なぜ帰ってみれば怖い蟹がいるのか、そのあたりは疑問に思わずに歌っていた。
「赤とんぼ」もよく歌ったが、その2番の「15でねえやは嫁にいき」は今とは違ってさして不思議にも思わなかった。しかし1番の「夕焼け小焼けの赤とんぼ おわれて見たのはいつの日か」の「おわれて」は「追われて」のように思い、文法的にはまったくおかしいのに、赤とんぼを追っているようにイメージしていた。今でも赤とんぼを見ると「追われて」のような感じで口ずさんでしまう。
小学校も中学年の頃だったか、「箱根の山」という歌を習った。歌詞の1番は「箱根の山は天下の険 函谷関も物ならず」、2番は「箱根の山は天下の阻 蜀の桟道数ならず」といささか夜郎自大的なところはあるが、なかなか勇壮な曲のものだったから好きで、2番しかなかったし繰り返しもあったから全部覚えた。しかし1番と2番の出だしで分かるように文語調で、漢語も多く使われていた。だから「一夫関に当たるや万夫も開くなし」など本当にはっきりと意味が分かっていたのか怪しいもので、特に繰り返しの中にある「羊腸の小径は苔滑らか」は分からなかった。しかも正しい歌い方ではなかったのだろうが「ようちょの」というように覚えたものだからなおさらだった。「羊腸」が曲がりくねった険しい山道を言うことは後になって知った。
中国の子ども達も歌う「故郷(ふるさと)」の2番の「いかにおわす父母 つつがなきや友垣」も古めかしい表現だが、これも愛唱した。友垣は友達のことだと最初に教えられたのか理解はしていたが、普通の会話で「友垣」などは使わないから、うっかりすると「つつがなきや友達」と言ってしまいそうだった。
これは童謡でも唱歌でもない「君が代」のことだが、今でこそ「君が代は」の「君」はあなたのことだとか、日本人皆のことだとか「解釈」されてはいるが、昔は厳然として疑う余地もなく「天皇」を意味していた。だから「君が代」は「天皇陛下の御世」であることは疑う者などはいなかった。この歌詞は今の小中学生にとって、さらには高校生にとってさえも意味を理解できにくいものらしい。当時でも「さざれ石の巌となりて」は難解だった。もちろん「さざれ石」は小さい石のことだとか「さざれ石の巌となりて」はどういうことを意味しているのかは教えられていた。しかし歌うと分かるのだが、メロディーが「さざれ」と「石の」の間で切れて息を継がなければならない。だから「千代に八千代にさざれ」となってわけが分からなくなってしまった。だいたい「きいみいがあようわ」と始まるのも、最後に「こおけえの むうすうまああで」と終わるのも間延びした感じでスマートではない。荘重さが理解できない奴、非国民との誹りを受けそうだが曲としては好きではない。
あれこれ思い出してみたが、この歳になるとやはり昔の歌は懐かしい。懐かしいと言うのはただ歌そのものだけでなく、その歌の背景や雰囲気が感じられるからだ。例えば「あの町この町日が暮れる 日が暮れる 今きたこの道かえりゃんせ かえりゃんせ」などは、幼い頃の夕暮れの街の雰囲気、時には空気の香りまでを感じてしまう。
このような昔の童謡や唱歌には今も歌われるものもあるが、子ども達によって歌い継がれていくというほどのことはない。だから今の子ども達が中高年者になる頃には遠い忘却の彼方に消えてしまっているだろう。ではその頃には今の子どもの歌のどれくらいが、懐かしさを感じながら思い出され、口ずさまれるのだろうか。次々にめぐるましく変わりながら、しかも視覚や動作を伴って子ども達に与えられているたくさんの歌のどれくらいが「あの頃」を思い出させるものになるのだろう。
http://classic-midi.com/midi_player/uta/uta_sosyun.htm
http://www5b.biglobe.ne.jp/~pst/douyou-syouka/
私の子どもの頃の歌と言えば童謡とか小学唱歌のようなものだが、今思うと古さを感じさせるものばかりだった。特に文部省唱歌は、歌詞が古めかしい文語調のものもあれば、漢語交じりのものもあった。それでも何となく分かったように歌っていたのは、文語文や漢語が今よりもずっと身近にあった時代のせいだろうか。
童謡は今風に言えば子どもの歌になるが、童謡と子どもの歌は詞やメロディー、リズムなどがずいぶん違っているように思う。。童謡は概して歌詞は簡単で、メロディーは単調なものが多く、リズムは変化が乏しかったようだ。もっともこれは、音楽に関しては非常に乏しい知識しか持ち合わせていない私の印象だから外れているかもしれない。息子達が幼い頃の子どもの歌をテレビなどで聞くと、例えば息子達が気に入っていた「おもちゃのチャチャチャ」などは私の子どもの頃に口ずさんでいた童謡とはまったく異質のものだと思った。
難しい詞のものを鵜呑みにして覚えたせいか、意味を取り違えたり、いつまでたっても分からないままのものもあった。いくつか挙げてみよう。
「浦島太郎」はとても人気があって、しょっちゅうラジオから流れていたように思うし、私も歌詞は全部覚えていた。今でも所々歯が抜けたようにはなっているが、何とか口ずさむことができる。その終わり近くに「かえってみれば こはいかに、もといたいえもむらもなく」という一節があった。この「こはいかに」(これはどうしたことか)は「恐い蟹」と勘違いしていた。なぜ帰ってみれば怖い蟹がいるのか、そのあたりは疑問に思わずに歌っていた。
「赤とんぼ」もよく歌ったが、その2番の「15でねえやは嫁にいき」は今とは違ってさして不思議にも思わなかった。しかし1番の「夕焼け小焼けの赤とんぼ おわれて見たのはいつの日か」の「おわれて」は「追われて」のように思い、文法的にはまったくおかしいのに、赤とんぼを追っているようにイメージしていた。今でも赤とんぼを見ると「追われて」のような感じで口ずさんでしまう。
小学校も中学年の頃だったか、「箱根の山」という歌を習った。歌詞の1番は「箱根の山は天下の険 函谷関も物ならず」、2番は「箱根の山は天下の阻 蜀の桟道数ならず」といささか夜郎自大的なところはあるが、なかなか勇壮な曲のものだったから好きで、2番しかなかったし繰り返しもあったから全部覚えた。しかし1番と2番の出だしで分かるように文語調で、漢語も多く使われていた。だから「一夫関に当たるや万夫も開くなし」など本当にはっきりと意味が分かっていたのか怪しいもので、特に繰り返しの中にある「羊腸の小径は苔滑らか」は分からなかった。しかも正しい歌い方ではなかったのだろうが「ようちょの」というように覚えたものだからなおさらだった。「羊腸」が曲がりくねった険しい山道を言うことは後になって知った。
中国の子ども達も歌う「故郷(ふるさと)」の2番の「いかにおわす父母 つつがなきや友垣」も古めかしい表現だが、これも愛唱した。友垣は友達のことだと最初に教えられたのか理解はしていたが、普通の会話で「友垣」などは使わないから、うっかりすると「つつがなきや友達」と言ってしまいそうだった。
これは童謡でも唱歌でもない「君が代」のことだが、今でこそ「君が代は」の「君」はあなたのことだとか、日本人皆のことだとか「解釈」されてはいるが、昔は厳然として疑う余地もなく「天皇」を意味していた。だから「君が代」は「天皇陛下の御世」であることは疑う者などはいなかった。この歌詞は今の小中学生にとって、さらには高校生にとってさえも意味を理解できにくいものらしい。当時でも「さざれ石の巌となりて」は難解だった。もちろん「さざれ石」は小さい石のことだとか「さざれ石の巌となりて」はどういうことを意味しているのかは教えられていた。しかし歌うと分かるのだが、メロディーが「さざれ」と「石の」の間で切れて息を継がなければならない。だから「千代に八千代にさざれ」となってわけが分からなくなってしまった。だいたい「きいみいがあようわ」と始まるのも、最後に「こおけえの むうすうまああで」と終わるのも間延びした感じでスマートではない。荘重さが理解できない奴、非国民との誹りを受けそうだが曲としては好きではない。
あれこれ思い出してみたが、この歳になるとやはり昔の歌は懐かしい。懐かしいと言うのはただ歌そのものだけでなく、その歌の背景や雰囲気が感じられるからだ。例えば「あの町この町日が暮れる 日が暮れる 今きたこの道かえりゃんせ かえりゃんせ」などは、幼い頃の夕暮れの街の雰囲気、時には空気の香りまでを感じてしまう。
このような昔の童謡や唱歌には今も歌われるものもあるが、子ども達によって歌い継がれていくというほどのことはない。だから今の子ども達が中高年者になる頃には遠い忘却の彼方に消えてしまっているだろう。ではその頃には今の子どもの歌のどれくらいが、懐かしさを感じながら思い出され、口ずさまれるのだろうか。次々にめぐるましく変わりながら、しかも視覚や動作を伴って子ども達に与えられているたくさんの歌のどれくらいが「あの頃」を思い出させるものになるのだろう。
http://classic-midi.com/midi_player/uta/uta_sosyun.htm
http://www5b.biglobe.ne.jp/~pst/douyou-syouka/