中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

ある議員の引退

2007-10-24 08:42:57 | 身辺雑記
 少し前に、政権党のある衆議院議員が記者会見して、「普通の生活に戻りたいという気持ちが高まった。こういう状況で、激しい選挙戦を戦い抜くのは困難と思った」と話して、次期の衆議院議員選挙には出ない意思を表明したと言う記事を読んだ。

 年齢は52歳でまだ若い。県会議員だった父親の跡を継いで27歳で県会議員となり、その後国会議員に転身したという保守系議員によく見られる経歴だが、父親が亡くなった時と同じ年齢になったことに触れて、「同じ年齢になり、これからどのように生きていこうかと考えた」として、自分のおとなしくて受身という性格が政治家として不向きではないかと考えたという。

 これまで4期勤めたと言うことだし、政治家としては若手だから、考え抜いた末の決断だろうからその引き際は潔いとも思うけれども、「おとなしくて受身」という性格が政治家には向かないものなのだろうか。それでもそのように感じる雰囲気が政治の世界に、政権政党内にあったのだろう。実際、政治家とりわけ古いタイプの政治家のイメージは、押し出しがあってあくが強く、人を人とも思わないような、態度が大きい人物像を思い浮かべてしまうし、テレビや新聞などで見る言動も、どうも我々庶民の感覚から離れているように思われることがよくある。

 私はかつて何人かの県会議員に会ったり、見たりしたことがあるが、なぜこれほどまでに傲岸な態度がとれるのかと不思議にさえ思ったことが何度かある。そのような議員はとかく言葉遣いが横柄で品位が乏しい。市会議員クラスになると小物が精一杯ふんぞり返っているようなのもいたし、下品極まりないのもいた。それが互いに「先生」と呼び合い、人にもそう呼ばせているのはまことに見苦しく、滑稽でさえもあった。そのような県会議員などが国会議員になれば、どういう態度になるかはだいたい見当がつく。まして何期も勤めたら何様というような政治家ならぬ政治屋になることもあるだろう。「選良」などという言葉はもはや死語かと思うこともある。もちろん私自身の見聞は狭いから、議員全てがそうではないことは当然だろうし、実際、常識のある礼儀正しい、謙虚な言動、振る舞いの議員はいた。しかし残念ながらそれほど多くはなかったように思う。

 2世、3世の議員が必ずしもいけないとは言わないが、最近の国会議員には少し多過ぎるのではないか。何か「家業」になっているような気がする。まして毛並みが良いとやらで、生れた時から国会議事堂の赤絨毯の上を歩くことが期待されるようなことは疑問に思う。昔は「井戸塀」と言って、政治の世界に入ると私財を抛って、井戸と塀しか残らないなどと言われたものだが、今は何か儲かるような職業になっているのではないかと思うことがある。英国では国会議員になろうと志すと、地を這い回るようにして有権者の支持を集める活動を地道に続けなければならないと聞いたことがある。ほとんど政治の世界とは無縁で過ごし、たまたま候補者募集に応じて採用され、時の運で当選した何とかチルドレンの若者とか、家柄と親の遺した地盤で国会議員となり、党内でさしたる要職にも就いた経歴もないのに、宰相になるなどは考えられないことだろう。

 今回引退を表明した議員は、海千山千の政治家達の世界からの落ちこぼれとして、冷ややかな目で見るような同僚議員もいるかも知れない。あまりおとなし過ぎても、受身が過ぎて積極性に乏しくても国政を任せるには頼りない気がするけれども、少なくともさまざまなタイプの普通の人間が、それぞれの持ち味を出せる政治の世界であってほしいと思うのだが、これは「魑魅魍魎が跋扈する世界」とも言われる政界の現実を知らない者の、能天気なたわ言なのだろう。