中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

ノラや

2011-06-10 08:44:18 | 身辺雑記

 内田百『ノラや』(中公文庫)の中の冒頭の作品の『彼は猫である』は、ふとしたことから野良猫の子供を飼いはじめたいきさつが描かれていて、猫好きにとってはとても面白い随筆だ。軽妙な随筆である『阿房列車』シリーズで知られた作者のこの作品も、随所にユーモラスな記述があって楽しい。野良猫だからノラと名付けた猫との出会いは、冒頭にこう記されている。

 

 「うちの庭に野良猫がゐて段段おなかが大きくなると思ったら、どこかで子供を生んだらしい。何匹ゐたか知らないが、その中の一匹がいつも親猫にくっ附いて歩き、お勝手の物置で親子向き合った儘居眠りをしてゐたり、欠伸をしたり、何となく私共の目に馴染みができた」。

 

  その子猫が百先生の夫人が水を汲んでいるときにちょっかいをかけ、夫人が追い払おうとすると勢い余って庭の水甕の中に飛び込んでしまう。このあたりの描写も面白いのだが、「猫は濡れるのはきらひだから、お見舞いに御飯でもやれ」と百先生が言ったのが始まりで毎日餌をやるようになり、子猫はしだいに馴れてくる。

 

 「もうすっかり乳離れはしてゐる様で、あまり親猫の後を追っ掛けない。親猫の方はその内に又次の子が出来かかってゐる様子で、彼をうるさがり出した。どうか何分共よろしくお願ひ申しますと口に出しては云はなかったが、さう云ふ風にどこかへ行ってしまった」。

 

   夫妻はこの子猫を飼ってやろうと相談し、「前後の成り行き止むを得ないから、野良猫を野良猫として飼ってやらう。座敷には決して入れない事にすればいいだらう、と云ふ事になった」。座敷には赤ひげや目白などの小鳥を飼っているので、猫を入れるわけには行かないのだ。飼う以上は名前があったほうがいいということで、野良猫なのでノラとした。

  飼うことに決めてからのノラの様子の描写はなかなか面白く、ノラのかわいい仕草が目に浮かぶような、まことに愉快な語り口が随所にあって、さすがに随筆の達人だと思わせる。これに続く表題作の『ノラや』にもノラの生活ぶりが描かれているが、ノラはすっかり家族の一員のようになり、夫妻も愛情が湧いてきたようだ。とりわけ夫人は可愛がったようで、 

「私がこっちにゐる時、お勝手で何か云ってゐる様だから、声を掛けて、だれか来てゐるのかと聞くと、ノラと話しをしてゐるところだと云ふ。

 『いい子だ、いい子だ、ノラちゃんは』

 少し節をつけてそんな事を云ひながら、お勝手から廊下の方を歩き廻り、間境の襖を開けて、『はい、今日は』と云ひながら猫の顔を私の方へ向ける。ノラは抱かさった儘、家内の前掛けの上で、先の少し曲がった尻尾を揉む様にしたり、尻尾全体で前掛けをぽんぽん叩いたりする」。

 

  夫人の優しい様子や、書かれてはいないが百先生の笑顔、ノラの愛らしい仕草が彷彿とする。後にノラは家を出ていったまま行方不明になってしまうのだが、百先生はこのときの情景を思い返し、「ノラは全く合点の行かぬ顔をして抱かれてゐた。その様子の可愛さ。思ひ出せば矢張り堪らない」と書いている。 (続)