古い敷き布団を捨てようかと思ったが、粗大ゴミでとか何とか手続きが煩わしいので、隣町にある布団店で打ち直してもらうことにした。この布団店には何ヶ月か前に掛け布団の打ち直しを頼んだが、その時に妻が生前にこの店を利用していたことを主人が覚えていたので、何とはなしに親しみを覚えていた。
約束した日に主人が取りに来てくれたが、出した敷布団を見ると「これは奥さんのご注文で私が作ったものです。すぐ分かりました」と懐かしそうに言った。震災前までは布団職人をしていたから、自分が作ったものはすぐに分かるのだそうだ。掛け布団の時と同じでまた妻のことが出てきたので嬉しく思ったし、「職人でしたから」という言葉にひどく親しみを感じて、夕暮れの薄闇の中で、笑顔で何度も頭を下げて帰って行く主人を見送った。
私は「職人」という言葉が好きだ。言葉というよりも職人そのものが好きだ。手先一つで物を作り上げていくその仕事にとても興味を惹かれる。職人とは「手先の技術によって物を製作することを職業とする人」(広辞苑)だが、かつては身近にいた職人も近頃ではあまり見かけなくなった。現在では手工芸品の製作者、建具作り、指物師、大工、左官、庭師などを職人と言うが、大工も「工務店」とやらになって、何となく職人と言うよりは技術者という感じになったし、左官なども必要とする建築が少なくなったのか、以前のように壁土を練っている姿を見かけない。もっとも地方に行けば伝統工芸品の製作者などの職人はまだまだ多く存在しているだろう。
藤沢周平の初期の作品である『帰郷』は、故郷の木曽福島に帰ってくる老ばくち打ちが主人公だが、その故郷の「八沢は、軒並み曲物師、塗師、指物師が並ぶ漆器の町である」とある。木曽福島(現木曽町)では今も木曽檜を用いた木工芸品や漆器を生産しているようだ。一度行って、職人の仕事を見てみたいような気持ちに駆られもする。
木曽観光協会HPより
前に若者達が宮大工の修行をしているのをテレビで見て、その志と真剣さに感動したことがあった。テレビや展覧会などで、現代の名工と呼ばれる人の作品を見ることがあるが、その精緻な技には感嘆する他はない。こうなると芸術家の範疇に入れられるようだが、やはり「職人」と呼ぶほうがふさわしいと思うし、おそらく本人もそのように思っているのではないだろうか。
私の長男は将来は建築のほうに進みたかったが、あるとき住宅の建築現場を通りかかった時に、ベニア板を大きな鋲打ち機のような道具で止める作業しているのを見て熱が冷めた。素朴な大工仕事に憧れがあったのかも知れない。それなら大工に弟子入りすればよいのにそこまでの踏ん切りはつかなかったようだ。手先仕事が好きで、ギターをやっていたので、ギター作りの職人になることを勧めたこともあったがそれもならず、結局は機械工学のほうに進学してしまった。卒業後はある機械メーカーに就職したが、そういうところにも、やや気難しく頑固な職人気質の老社員が現場にいたようだ。
職人は「寿司職人」とか「菓子職人」など食品を扱う人達を呼ぶこともあるし、調理師、理容師なども職人ではないだろうか。職人と言うと何か貶めた感じを受ける向きもあるようだが、私には軽々には余人が真似できない熟練を必要とする仕事を生業にしている職業だと思い、「職人」と聞くとある尊敬の念を抱く。だから布団店の主人の「職人でしたから」という言葉に、そうかこのような職人もいたのだと親しみを感じたのだった。身近には職人の姿は見られなくなったが、家の中のさまざまなものを見ると、職人はまだまだ多くいるのだろうと思う。最近は何かにつけて機械作りのようで、手作業などは衰退していくのだろうが、やはり「職人」はいつまでも生き残ってほしい。